18慈悲深い悪意
現在時刻は、午前九時過ぎ。
すっかり上った陽が、真っ青に揺らめく海面を照らす。
日の光の向こうに見えるのは、ポート・ノゾミの島と、そこから続く三呂大橋だった。ザベルの使い魔に従ってボートを走らせること数時間、鮫の及ぶ海域を抜け、本当にポート・ノゾミまでたどり着いた。
フェイロンド達は俺達を追跡してこなかった。ザベルと共に武器庫を閉鎖したせいか、銃撃もそれほど激しくはなかった。ザベルを除けば、誰一人欠けずににここまで来られた。
「島が、見えたな」
自分の声から自信が失われている。子供たちも疲れた顔でうずくまっていた。
恐らく俺もこの子たちも、ザベルの死をまだ受け入れられていないのだ。
あまりにも、失われたものが大きい。
だが、この先を考えなければならない。
無事島に着いてからどうするかだ。
この子たちを送り届けて、予定通りにやるか。午前十時から、断罪者としてダミーのバスの警護に同行するのだ。
それじゃあ、馬鹿丸出しだろうな。
フェイロンドはギニョル達に要求したのだ。全てを当初の予定通りにこなすようにと。それはつまり俺達が計画通りに動けば、隙を突くことが確実にできるということだろう。
シクル・クナイブが、親への復讐を狙うロットン・スカッシュとつるんでいることは分かっているのだ。
ギニョルにはまだ、ザベルが俺達の救出に成功したことは伝わっていない。俺は何が何でも警察署に戻って、作戦を変更させなければならない。
なにせ、ハーフ達の親は明日の本物の検診に備えて、三呂側にあるもう一つの人工島、ポート・ミライにすでに集められているのだ。
無論、情報の漏洩は確認していなかった。
どうやって三呂についているのか、それも分からないのだが。
もはや相手を、復讐に駆られた不幸なガキの集団ととらえることはできない。
やはり、早く辿り着かなければ。
スロットルをさらにふかして突き進んでいると、風の音が頭上から降りて来る。
ボートは船主で波を砕き、風を切るほどのスピードで走っている。
そのせいだろうと思ったときだ。
「お、お兄ちゃん、上!」
子供の声につい見上げる。真っ白な巨体が突き進んでくる。
思わず船主を傾け、エンジンの出力を一気に落とす。
潰された指は痛かったが、子供たちを抱えてボートにしがみ付き、海面への落下を防いだ。
全員で波をかぶりながらも、どうにか落水せずにボートが止まった。
水の化身のような、美しい純白の竜が、目の前にたたずんでいる。
穏やかな目、優美な首筋のライン、滑らかで、少しふくよかなその体つき。
こいつ、警察署に来てたイェリサじゃないか。
どうしてここに来る。
俺や子供たちのことは、誘拐を実行したシクル・クナイブか、連中と通じるロットン・スカッシュか、脅迫された断罪者しか知らないはずなのに。
まさか、こいつが。そう思うより先に、俺も子供たちもイェリサがその両手でそっと抱き上げている存在に注目した。
「ザベルさん!」
「ザベル先生!」
ザベルだった。てっきり船で死んでしまったと思ったが。
全身から血を流しているのは、恐らくグロックの銃弾を受けたせいだろう。
イェリサはホバリングを繰り返しながら、こちらへゆっくりと近づき、ザベルを差し出す。俺と子供たちで受け取り、ボートの中央に寝かせた。
両腕と両足に一か所ずつ、胴体と腹に六か所で合計十個も、9ミリ弾とみられる穴が開いている。魔力との兼ね合いで、革鎧を好むザベルだが、銃弾相手にはどうにもならなかったらしい。
ただ、良く調べると、その穴の奥では、木の根のようなものが絡みついて、肉に食い込む弾頭の侵食を押しとどめていた。鎧や服の裏側に、衝撃に反応して成長する種を仕込んでおいたのだろう。
「にいちゃん、生きてる、先生、生きてるよ……」
泣きながらザベルにすがりつく、子供たち。
手をかざすと呼吸の気配がある。かなり血を失っているが、手当てをすれば、間に合うだろう。ハーフエルフの子供たちは回復の魔法を使える。
胸をなで下ろしたいところだ。実際、昔の俺なら子供たちと一緒に泣きついて手当てをしているに違いない。
だが、今の俺は断罪者なのだ。
「これは一体、どういうことなんだ」
イェリサと対峙し、にらみすえる。グロックのターゲットは目。竜鱗と強靭な皮膚に覆われた全身のうち、9ミリルガー弾程度で傷つくのはそこしかない。
銃を向けられても、イェリサは小さな火を吐き出して笑う。
「ふふふ……可哀想な断罪者ですこと。最も大切な人間が助かっても無邪気に喜べもしない。法はそれほどのものでしょうか?」
「質問に答えろ。お前はロットン・スカッシュと関わってるな。いや、お前が、あいつらの指導者だったんだな」
俺の言葉に、イェリサは牙の生えそろった口を開ける。
「その通りですわ。でも、どうしようもありませんね。あなたがたの動きは、エルフ達によってこちらに筒抜けです。後は、あの汚い者達を、私の愛しい子供たちがむごたらしく殺してくれることでしょう。腐ったかぼちゃは、親株と共に腐り果て、土に還るのですよ」
なるほど、だいたいこっちで考えた通りの動きになってやがるんだな。
最初からシクル・クナイブと協力してきたロットン・スカッシュは、連中の情報網を使ってこっちの計画を把握しやがった。そして、動かないと見せかけて、密かに橋を越えて三呂の方に潜んでいやがるのだろう。
仕上げに、バンギア側の断罪者やアグロス側の特殊急襲部隊などがバンギアにおびき出されたタイミングで、集まったターゲットを襲う計画だったのだ。
「俺や子供たちを襲って連れ去ったのは少々余計じゃないか。何もしなかったらそれこそ、完全に出し抜けたかも知れないのに」
「シクル・クナイブが私達に好意を見せてくれるというものですから。結果的にあなた達をおびき出すことができましたし。ただ、乗ってみれば、無駄な殺人を犯そうとしているではありませんか。腐り果てるのは、かぼちゃの親株だけで十分だというのに」
「俺やザベルや、子供を殺そうとするとは思ってなかったってのか?」
「少しも。あれほどまでに融通が利かないなんて。エルフの天秤は歪んだものなのですね」
「だから、ケジメって意味で、ザベルを助けたのか」
「ええ。健気な子たちが、私の手を汚させないと言って聞かなくて。おかげで、あなたを助けることができましたよ。良く子供たちを助けましたね。ポート・キャンプの事件で便宜をはかっていただいたときもそうですが、やはり断罪者は公正な方々が揃っておりますわ」
毒気が抜かれる、というか、いまいち突っ込めない。
色んな悪党と対峙してきたが、イェリサだけは話しても肩透かしを食わされるというか。
「この計画は、汚い親株の間引きに、あなた方のような良い方々が巻き込まれないようにするためなのです。汚れものに自分から近づいて、不快な思いをする必要はありませんわ。子供たちは親株だけを枯らします。どうぞ少々お待ちくださいね」
「待て。俺が帰るのを、断罪者の活動を邪魔するってことか」
「……邪魔ではありません。断罪者が、スレイン達が、私達にかかわることはないと言っているのです」
そう言うと、イェリサは口元に火炎をため始めた。
「いい子達ね、お願いだからうまく防御して」
吐き出された火球は、こちらに突き進んで、船外機を直撃した。
俺は思わず飛びのいてザベルと子供たちをかばう。
炎はエンジン全体を焦がし、真っ黒になった船外機は使い物にならない。
舵とエンジン。両方をやられちまった。
「お前、何しやがる……!」
「心配要りません。ここからは海流がゆっくりと運んでくれるでしょう。島も見えているし、潮に任せれば、三時間ほどで辿り着けます。その方の負傷も、見た目ほどではないのでしょう?」
ザベルか。確かにしたたかなもので、うまいこと弾丸を防いでいた。血を失い、慣れない操身魔法の行使で、気絶こそしているが、命に別状もない。
だが三時間も経っちまったら、断罪者はまんまと出し抜かれることになるのだ。自衛軍の兵器を奪ったハーフ共に、検診に来た親たちはことごとく虐殺されるだろう。
イェリサはこちらを見下ろし、穏やかな表情を見せる。
「繰り返しになりますが、腐ったかぼちゃは、親株と腐るのです。それは天秤と自然の通り。人の法は人の法だけのこと、自然の摂理が優先することもありましょう」
背を向けて、島に向かって羽ばたくイェリサ。俺は悔し紛れに叫んだ。
「待てよ! 子供捨てた親でも人は人だ! それに親を殺しちまった子供はどうなる、てめえの手を汚さずに、子供を煽りやがって!」
「なんとでもおっしゃってください。海はあなたの声を島に届けたりしません。おや、こんなものも居ましたか」
振り向いたイェリサの口から、ろうそくを吹き消す様に、小さな火が吐き出される。火は船を導いていた隼に命中。鳥は悲鳴も上げずに落下して、海面を漂っている。
島への連絡手段は断たれた。
午前十時が近づいている。
連中の計画は分かったのだ。島も、見える場所にあるのだ。
なのに――。
俺は唇を噛んで、遠ざかるイェリサの背を見守ることしかできなかった。
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