13じゃじゃ馬


 紅村の運転する灰色のアクセラが、ギニョルとクレールを三呂へ連れて行った。

 俺は二階にある梨亜の寝室へと向かった。


 扉をノックすると、パジャマ姿の梨亜が現れて、向かいの書斎の鍵と、端末のパスワードを教えてくれた。


 書斎は、六畳ほどの部屋だった。中央に小さなテーブルがあって、そこにノートパソコンが一台。周囲は全て金属製のラックで囲まれており、ここ七年の事件記録のファイル、法律の辞典や警察の書類の書式集などが満載されていた。七年分だけしかないのは、ポート・ノゾミがバンギアに転移し、バンギア人が居る可能性があるのがそこから先だけだからに違いない。ここは、バンギア人専門の事件記録室なのだろう。


 紅村が何者なのか。ますます疑問が募る。ギニョルとも古い馴染みらしいが、今はそれより捜査が先だ。


「さて、やるか……」


 俺は端末を立ち上げると、まず行方不明者のリストを呼び出した。成り損ないが元人間だったとすると、今その人間は行方不明になっているはずだ。


 ちなみに三呂市の行方不明者は、このひと月だけで、200人いる。単純計算で、一年間2400人ペースとなる。

 三呂の人口は約150万人。確か、人口十万人当たり、一年で70人ほどが行方不明の平均らしいから、人口百五十万なら、1000人程度になるはずだ。その倍以上が、三呂では行方不明になってるってことになる。不気味な数字だ。


 リストはデータベース化されており、年齢や性別、元の居住地、前科の有無などで検索がかけられるようになっていた。


 ポイントは、目撃証言があるという、不審な男と女と少女だ。相手が悪魔だとしたら、姿を自在に変えられるから、あまり意味がないのかもしれない。ただ、成り損ないの方は元の人間の姿を取っているはずだ。目撃証言のどれかがその成り損ないだと仮定し、行方不明者から老人と少年、小さすぎる少女を外す。そしてとりあえず、ここ一か月の行方不明に絞ってみる。


樋野下ひのした更紗さらさ樋野下ひのした陽美はるみ……」


 怪しいのはこの二人だ。36歳の主婦と、14歳の少女。ちょうど事件の始まった日に行方不明になっている。樋野下医院という内科と隣接した家に住んでいたが、夫の医師が診療を終えて戻ると居なかったそうだ。原因は犯罪関係とされているが、素行等に不良もないらしい。


「あれ……近くだな」


 医院は住宅街の方か。歩いて行ける距離だ。

 ちょっと行って、現場だけでも見ておいても、いいのかも知れない。


 とはいえ、情報はまだ不十分だ。すぐ戻って続きをやりたいから、梨亜に知らせておこう。


 書斎を出て向かいの扉をノックする。すぐに出てくるかと思ったが、反応がない。

 寝ていたらしょうがない。資料に戻ろうかと思ったが、中からぼそぼそと話し声。


 起きているのか。ノックは聞こえていないのか。もう一度叩いてみたが、相変わらず無反応だ。


 本当だったら放っておくべきだったのだろう。よく考えれば、年頃の女の子が他人を無視することなんて珍しくもない。それに紅村は知り合いでもなんでもない他人だし、その娘がどうこうなんてのに、首を突っ込んでもいいことはない。


 だのに、聞き耳を立ててしまった。それが面倒の元だった。


「……そうそう。多分次は中央区。三呂駅の北にクラブあるでしょ。そこが陽美の良く行ってた場所だから。島から来た奴らも同じでしょ。馬鹿だから気付いてないんだ。なかったことにしたいだけだよ」


 陽美ってのは、さっき俺が調べた行方不明者の名前か。というか、この口調、確かに声は梨亜らしいが、さっきギニョルの前で見せた姿とは大違いだ。


「うん。道具は私が持っていく。使い方分かるでしょ。カタキは取るよ、必ず」


 仇。道具。こりゃあ穏やかじゃない。俺はドアノブを握ってみた。当たり前だが鍵がかかっている。


「今、下僕の成り損ないが一人残ってる。どうせ置いてかれたんだよ。役に立たないからって」


 そりゃあ、俺のことか。言ってくれやがる。


「あと一時間。うん、そんくらいしたら夜食に薬混ぜとくから、迎えに来てね」


 俺を眠らせて、勝手に動くというのか。紅村はこのことを知っているのだろうか。というか、梨亜は俺を眠らせるつもりだったのか。


 誰かと連絡してたのであろう、電話か、SNSを切り、梨亜が黙ったタイミングで、俺は再びドアをノックした。


「あ、はーい」


 可愛らしい声で返事をして、鍵が外される。ギニョルの袖でやったように、ドアに隠れながら、梨亜がこちらをうかがう。二つくくりの髪の毛が、ふわりと頬にかかり、幼い印象を与えた。


「あ、あの……なんですか」


 不安げに握った手。袖からみるに、ショートケーキがプリントされた幼い柄のパジャマだ。

 本当にこいつがさっきの会話の主なのだろうか。疑問には思ったが、カマをかけてみる。


「悪いな、ちょっと腹が減っちまって。何か食べていいものはないか。勝手に食うから気にする必要はないんで」


 なるべく自然に言ってやると、梨亜はドアから身を乗り出した。


「あ、あっじゃあ、ちょっと待ってもらえたら、私作ります!」


 クレールに言うならともかく。ずっとびびっていた俺に対して、そんな好意は不自然過ぎる。

 確定した。勝手に食って腹を満たされたら、都合が悪いのだ。

 

 伸ばした細い手首をつかむと、揺れる目を見下ろす。


「そうはいかねえ。断罪者の俺が薬を盛られたら、間抜けにもほどがあるだろ」


 そう言った途端、梨亜の目つきが変わった。唇の歪みは、ほとんど追い詰められた犯罪者のそれだ。

 俺をにらみつけると、つばでも吐き捨てるように言った。


「ノゾキ屋のド変態が。役にも立たねえくせに、無駄に用心深いな」


「……いや、性格変わり過ぎだろ」


 これが本当にギニョルの後ろではにかんでいた梨亜かよ。


「まあとにかく、今度の事件を色々知ってるみたいだな。事情を話して」


「やなこった!」


「うおっ!?」


 梨亜は俺に捕まれた手首を急に外側にひねった。腕の構造上、曲がらない方角に向けられ、俺は体勢を崩してしまった。


 護身術の基本技だ。警戒を怠っちまった。


 梨亜はさらに追撃にかかった。手首の痛みをかばい、力の抜けた俺の懐に入ると、えりくびを両手で取る。香水の匂いが鼻を突くと同時に、高校生の頃に受けた、柔道の記憶が甦った。


 足元が払われ、視界がひっくり返る。


 見事な払い腰だった。硬いフローリングで腰骨を打ち、うめき声をあげる俺を見下ろし、梨亜は中指を立ててみせた。


「フン! もういいよ。予定早めてみんなのところに行く。やっぱ断罪者ってのも大したことないみたいだね」


 ぱたぱたと足音が遠ざかっていく。おっそろしいじゃじゃ馬だ。


「く、そ……あの、ガキ……!」


 俺は気合を入れ直すと、一気に体を起こした。家の構造ははっきり分からんが、まだ間に合う。

 腰骨に痛みを響かせながら、階段を駆けおり、一階の部屋へと戻る。外でシャッターを開ける音がした。何かの足を持っているのだろう。


 ガンセーフにたどりつくと、開錠し、中からポート・ノゾミ土産のショットガンM1897をつかみ出す。手探りでガンベルトをまさぐり、バックショットをシェルチューブに入れる。


 外ではヘッドライトの明かりが灯った。エンジンの音がする。

 クソガキが、行かせてなるか。俺は窓を開くと、転がるように外へと飛び出した。


 場所はちょうどガレージの正面。今にもクラッチを入れようとする梨亜が目に入った。


 憎ったらしいその面めがけて、銃身をかかげ、スライドを引く。


「止まれ! 脅しじゃねえぞ!」


 弾薬を装填する金属音が響く。距離は十メートル。12ゲージが、引き金を待っている。


 俺は梨亜をにらみつけた。向こうも負けずに俺をにらむ。


 梨亜の格好はパジャマじゃなかった。黒のライダースーツに、同色のブーツだ。痛みでもたもたやってたとはいえ、相当に素早い着替えだ。多分こういうことに慣れているのだろう。


 二人とも黙っている。音はエンジンの規則正しい響きだけ。


 十分にも感じるような一分が過ぎ。梨亜がとうとうバイクのエンジンを切った。


「……クソがっ!」


 ヘルメットを取ると、足元に叩き付けた梨亜。

 俺も銃を降ろした。どうやらぎりぎりで俺の勝ちらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る