15怪物


 クラブ“ユダ”は、三呂駅の北側、繁華街の方にあった。太い道路から少し入った所で、わき道を入って、裏手に回りバイクを停める。


 時間は午前一時前。表の通りをうかがうと、クラブはすでに営業を終了しているらしい。入口のネオンが消えていた。風俗店はまだ営業しているから、人通り自体は絶えていない。


 とりあえずバイクからケース入りのショットガンを外し、スラッグ弾を十発ほど内ポケットに詰める。

 ポート・ノゾミと違って、日ノ本の人間は銃の危険に鈍い。散弾じゃ巻き込む恐れがあると思って、バックショットは少なめにした。しかし、この選択がいいのかどうか。


 梨亜がこちらを見上げる。


「それウィンチェスター? 古いショットガンなんて、大人っぽいね」


 そう言いながら、しれっとした顔でフリスベルと同じ、コルトベスト・ポケットを取り出す梨亜。バイクに備え付けのバッグからだ。家の中にガンセーフがあったから、もしかしたらと思っていたが、銃を普通に扱っている。


 バッグからは紙箱入りの.25ACP弾も出てきた。梨亜はパッケージを破くと、プラスチックケースに並んだ弾薬を取り出し、慣れた手つきで摘まみ上げては、一つずつマガジンに装填していった。

 島育ちどうこう以前に、戦闘に慣れているらしい。


「……どしたの?」


 こちらを見上げて小首を傾げる梨亜。黒い髪が愛らしく揺れる。一方で、その手は、よどみなく装填済みの弾倉をベスト・ポケットのグリップに差し込んでいた。


「いつ覚えたんだ?」


「ギニョルの昔にかかわるから教えない。腕は悪くないよ」


 梨亜がにっと歯を見せて笑う。嘘ではないのだろう。扱いが手慣れているし、自分の体格と手の大きさに合った銃を選んでいる。


「とんでもねえじゃじゃ馬だな」


 俺がため息を吐くと、梨亜はベスト・ポケットをライダースーツと素肌の間にしまった。


「よく言われる……あ、陽美だ」


「なんだと!」


「ほら、あっちの街灯の下、こっち来るでしょ」


 腕にひっつきながら、指し示した方角。金網フェンス越しに、ふらふらと通りを歩いてくる少女が見えた。


 少々やせているようだが、顔写真通りだと思われる。


 伸びきった長く黒い髪は、肩を超えている。足元は裸足で、簡素な白いワンピース以外、何も身に着けていない。

 口は少し開いていて、目は瞳孔が開いたようになっており、どこを見ているか判然としない。一見して異常なのは、誰が見ても分かる。


 これほどの特徴があるのなら、近づかないよう情報が周知されていてもいいはずだが、三呂市の警察は事件を公表していない。ただの調子の悪い女として、通行人はふらふらと歩く彼女を避けていく。


 とっとと止めなければ。俺はケースからショットガンを出すと、銃身に初弾を装填した。


「あいつでいいのか……?」


 梨亜もスライドを引いて、ベスト・ポケットに.25ACPを送り込む。


「多分そう。話に聞いた通りだ。居なくなったと思ったら、あの姿で現れたんだって」


 成り損ないだとしたら、人を襲うはずだ。それは防ぐには全弾叩き込んで沈黙させることだが、二、三人とはいえまだ人通りがある。いきなりは撃てない。


 それに、本当にただ調子の悪いだけの少女かも知れない。

 梨亜が銃をかかげる。距離三十メートル、少しずつ近づいている。


「よせ。間違ってたらどうする」


「でもなんかあってからじゃ遅いよ! もうあんな酷い目にあう人見たくない!」


 引き金に指をかけやがった。強引にでも止めるかと思ったときだ。

 街灯の奥の暗がりから、同じ白いワンピースドレスの女が、少女の隣に現れた。


 すらりと背が高く、顔も少女と似ている。

 あれは陽美と同じで行方不明になっていた、陽乃下ひのした更紗さらさ陽乃下ひのした陽美はるみの実の母親だ。


 二人は手を握り合うと、引きずるような歩調で歩き出した。


 通行人には目もくれない。

 俺達との距離は二十五メートル、二十四、二十三……こっちに近づいている!


「おばさんまで、なんで……」


「おい、逃げるぞ!」


 呆然とする梨亜の手を引き、バイクまで後退する。

 ガシャン!と背後で音がした。


 二人の女が、金網にしがみついてこっちをにらんでいる。

 その口が耳まで裂けた。ばらばらの歯が覗き、奥から真っ赤な舌が現れ、鉄条網をべろべろと舐めている。


 顔が、身体が、鉄線にめりこんでいく。ワンピースも体も、液体のように金網を取り込み、ゆっくりと前に進む。このままだと金網を乗り越える。


「うあああああっ!」


 叫び声が、乾いた銃声と交じった。梨亜が撃ったコルトベスト・ポケットだ。恐慌状態のわりには、射撃は正確で、二人の女の右足と左足に命中させている。


 が、効果がないらしい。弾頭は確かにめりこんだのだが、傷口からは血の代わりに、真っ黒な液体が噴き出しただけだ。


 体液が路面をしたたっていく。角度もついていないのに、飛び散らず棒のようにまっすぐ伸びていく。嫌な予感がする。


「危ねえ!」


 俺は梨亜に飛びついた。体液が突如中空に浮き上がり、鞭のように振り下ろされた。

 体液の鞭は、梨亜の居た路面にくっきりと溝を彫り、その背後では鉄製のごみ箱が大きくへこんだ。大男が鉄棒でも振り下ろしたような威力だ。


 二つの顔がこちらを見る。次はかわせない。


「くっそ!」


 片膝で立ち上がると、M97で頭部を狙い、スラッグ弾を撃ち込む。

距離5メートル。俺でも外さない。


 熊をも仕留める12ゲージスラッグ弾。二人の顔は黒い体液を撒き散らして崩れた。今度は武器を作るわけではないらしい。二人の体は関節を無視して、たこのようにのたうっている。


 梨亜が俺の胸倉をつかんだ。


「何してんだよ! おばさんも、陽美も殺しやがって」


「よく見ろ! 死んでねえだろ!」


 頭をつかんで相手の方を向けさせる。二人だった怪物は、のたうちながら液体を撒き散らし、お互いの体を重ねて、めきめきと音を立てて融合していく。


「あぁ……陽美……おばさん……」


 呆然と見守る梨亜。涙が一筋頬を伝っていく。変わり果てた姿に、色々なものが限界を超えたか。

 俺は手を引いて立ち上がった。


「逃げるぞ、バイクだ!」


 人形のように従う梨亜を連れ、バイクへと向かう。

 ヘルメットも付けずに、またがろうとした、まさにその瞬間。


 頭上で銃声がした。


 撃たれたかと思ったが、目の前のバイクが火花を散らした。


 振り向いて見上げると、路地裏を作った雑居ビルの屋上、頭に角の生えた男が銃を構えている。


 街灯のあかりでぼんやりとしか分からないが、こいつはドマだ。


 マロホシの実験を受けた後、ノイキンドゥから逃げ出し、こちらに向かって暴走した末に、特殊急襲部隊から銀の弾丸を受け、溺死体となって三呂港に漂着した。そう確かに報告を受けたあのドマだ。


 考えている暇はなかった。ドマは俺達に目もくれず、バイクを狙って銃撃を続ける。狙いはガソリンタンクだ。


「ちっくしょう……!」


 俺は梨亜を抱えると、バイクの脇を駆け抜けた。

 やや間をおいて、火花がガソリンに引火。バイクが一気に炎を上げた。


 俺達は路面を転がり、ビルの壁面に背中をぶつけた。


 怪物が再び体勢を立て直している。だがもう、二人の人間だった面影はない。


 その体長は、スレインに迫る三メートルほど。枝分かれした四肢を持つ、真っ白い体をした、人間の樹のような姿になっている。俺が打ち砕いた顔は見えないが、わきの下と、右太ももの様な場所から、髪の毛が垂れ下がっているから、あそこに移動しているのだろう。


「さあ、食べるんだ。陽美の友達だろう、きっとお前を思い出させてくれる」


 屋上で悪魔がしゃべった。口調は違うが、聞き覚えのある声。


 それどころじゃない。こちらへじりじりと近寄ってくる怪物。俺はトリガーを引きっ放しにすると、弾倉のスラッグ弾を一気に撃ち尽くした。


 腕、胸、足、胴。全部命中したというのに。


 体液が噴き出すばかりだ。今度は身もよじらない。それどころか、噴き出した体液の鞭が増えてしまった。


「来るなよ、来るなああぁっ!」


 梨亜が絶叫しながらベスト・ポケットを撃つ。弾倉の残りを撃ち尽くし、スライドが固定してもまだ引き金から指を離さず振り回す。


 怪物は身じろぎもしなかった。

 ずるずると俺達の目の前に来ると、その胴体が大きく裂けた。現れたのは真っ赤に裂けた巨大な口。何列にもわたって、鋭い歯が並んでいる。


 あれで、中身をすすり食うのか。


「良かった。まだ生きられる……」


 頭上で、ドマの安心しきった声が聞こえた。怪物が飛びかかってくる。

 スローモーションのように、開いた口が俺達の正面を覆い尽くしていった。

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