19暗殺者
今日一日で、一生分は聞いた様なサイレンが響く。
三呂の街からこの夜魔ふとうへ続く橋に、赤色灯を回す車が、列をなして近づいてくる。
「ギニョル、あれは?」
「調べた範囲でじゃが、事態を警察に漏らしておいた。この街の警察が、全て狂っておるわけではない。こやつらは、断罪法で裁くこともできんしな」
なるほど、やはり遊佐の一派は完全に警察を掌握したわけじゃなかった。
警察が自らの権力を利用して悪事を働けば、日ノ本では確か、特別公務員暴行陵虐罪とかいう、仰々しい名前の犯罪だ。もっとも、政府にはメンツがあるし、ニュースとしては握りつぶされるのだろう。
パトカーが倉庫に停車する。一見すると俺達に罪を着せたのと変わらない、制服と背広の警官達が現れた。彼らはまともなのだろうが、持っている手帳は、俺達が戦った奴らと何の違いもないのだ。
救急車もいる。ユエや負傷した警官、それに裕也も収容されて手当を受ける。
検挙の指揮者らしい、実直そうな外見の男が、ギニョルに撃たれて足から血を流している遊佐に話しかけていた。
敬語を使っている上に、遊佐本部長と呼んでいるから、警察での地位は遊佐より低いのだろう。
ほかの警官達も、やって来た者たちに拘束されている。負傷した者はパトカーと一緒に来た、数台の救急車に収容されていった。
ギニョルが操身魔法で甦らせた後、同僚の銃撃でさらに損傷した警官の残骸は、死体として回収されていく。かかっているブルーシートが無慈悲だった。
担架に乗せられ、救急車に向かう途中、俺の前で裕也が救急隊員を止めた。
銃創を抑えながらも、自力で上半身を起こす。皮肉っぽく言った。
「……一件落着ってわけかい、断罪者さん」
「裕也」
稲村に操られ、遊佐にはめられ、俺の正体を知り。
恨み言のひとつも言わないとしたら、おおよそ人間じゃない。
裕也は銃創を抑えていた、血のにじむ指を俺に突き付ける。覚悟した通りのことを、叩きつけるように吐き出した。
「言葉が見つからねえぜ。この国って、思ってるより終わってたんだな。いや、たとえ必要でも、断罪者だってめちゃくちゃだ。撃ちまくって、人をゾンビにして、これが紛争だったんだな。俺の家族がどう死んだのか、記憶がなくてよかったぜ」
ギニョルの魔法、ユエと俺の銃。断罪に使われる力は、紛争のときに裕也達を、ポート・ノゾミの元の住民を苦しめたものと限りなく近い。
「島であんたら悪魔が暴れてりゃあ、警察も狂っちまうわけだ。島から帰った遊佐も、おかしくなっちまってるわけだな。おまけにまだわけのわからねえ奴らが島にいるんだろう、日ノ本だって、この先どうなるんだかな」
「やめて、裕也さん!」
絞り出したような声が、恨みの言葉をさえぎった。
パトカーから出てきたのは、海だった。
この場に同行してきたのか。事態の責任を感じていたのだろうか。
「断罪者の、方々は、あなたを救ったのです。お父様の、警察の権力から、命がけで。残酷でも、恐ろしくとも、あなたを助けて、お父様を止める手立てはこれしかありませんでしたわ」
「姉貴……」
救急隊員、警官たち、誰もが手を止めている。海の蒼白な頬に、涙が浮かぶ。
よろけながらも俺達に近づき、ストレッチャーに座ったユエの手を取る海。嗚咽をこらえ、精一杯感情をかみ殺した顔で、ユエとギニョルと、俺を見つめた。
「由恵さん。騎士さん、ギニョル様。あなた方断罪者は、頑張っておられるのですね。何も知らぬ私の、考えられないような邪悪と、命がけで戦っておられるのですね。どうか、お礼を言わせてください。あなた方のおかげで、お父様は間違いを犯さずに済み、裕也さんも罪を着せられませんでした」
「海……」
海に見られた遊佐が、苦々しげにつぶやいた。
「私の、大切な人達を、私の元に返していただき、ありがとうございます。どうか、どうかくじけず……」
「海ちゃん!」
ユエが海の華奢な体を抱く。
撃たれた左腕は動かない。肩をえぐられ、包帯に血がにじむ右腕を伸ばして小さな肩を包む。
「ごめん、ごめんね。私が、私に意気地がないせいで、怖い思いさせちゃったね。裕也君や、お父さんを、もっと早く助けられたのに。私、本当はあっちの人なの。紛争のとき、生き残るためにたくさん人を殺したの。でも、ポート・ノゾミを出たら、バンギアを出たら、日ノ本は平和だって。海ちゃんみたいに、いい子がいて、友達になれて嬉しくて」
瞳の端に浮かぶ涙を、海の細い指がぬぐう。
少女と思えないような、穏やかな笑みがユエに降り注ぐ。
「いいのですわ。こんな怪我までなさって、命がけで戦って。あなたは立派です。ユエさん、私、誇りに思います。異世界で、恐ろしい罪と戦う、あなたがた断罪者のことを、断罪者に助けられたことを」
ユエは答える言葉を持たない。海の胸にすがりつくと、後は嗚咽を漏らすばかりだった。
しんみりした空気の中、麻酔を打たれて担架に横たわるヴィレがつぶやく。
「……あーあ、何よ。ちゃっかり友達まで作って。悪魔さん、とっとと連れて行きなさい、これ以上いると嫉妬でどうにかなりそう」
「分かっておるわ。ときどきユエを面会にやる、貴様を使った奴らを吐いてくれればな」
「吐かなきゃ蝕心魔法でしょ。いいわ、どうせ監獄暮らし、洗いざらい喋ってやろうじゃない。もう娑婆のことなんか知らない」
よい心がけじゃ、とうなずくギニョル。
一件落着の雰囲気が漂う。裏の世界の腕利きであるヴィレと、三呂の県警本部長である遊佐。この二人は貴重な情報源になる。
麻薬の詳しいルートだけじゃない。
これを機に、もしかしたら、GSUMの上層部や、日ノ本の闇にも、浄化のメスが入れられるかも知れない。ユエに比べれば小さいが、俺も撃たれた甲斐があったというもの。
ゾンビになった警官達には気の毒だが、すべてを歪める奴らの元へ、一歩でも近づく契機となれば。
温んだ雰囲気を穿つ様に。くぐもった銃声が響いた。
ヴィレの左胸、心臓が正確に貫かれる。破裂した血が担架とアスファルトに広がる。
何だ、一体。
誰も事態がつかめていない中、ユエだけは違っている。
一言も口を利くことはない。海を離して担架を降り、ヴィレのデザートイーグルを取る。マガジンを込めて頭上を仰ぐ。
橋の上。ふ頭をつなぎ、倉庫を見下ろす道路橋、そのへりに狙撃者がいた。
銃口からのマズルフラッシュと共に、デザートイーグルがアクションエクスプレス弾を吐き出す。狙撃者の銃も火を吹く。
「あっ……」
誰かが上げた小さな声。遊佐の頭部が貫かれる。担架の上に赤黒い血と脳しょうが飛び散る。こちらも手の施しようがない。
ユエの放った弾丸は、狙撃者の銃身に当たったらしい。スナイパーライフルの残骸が落下してくる。
欄干から姿が消える。扉を閉じる音が聞こえた。車に乗ったのだ。
「……っ、追うぞ、騎士、ユエ!」
一部始終を見守ってしまったギニョルが、かみ殺した様に叫ぶ。
海の悲痛な慟哭を背にして。
修羅の目をしたユエと俺は、ギニョルと共にハイエースに乗り込んだ。
狙撃者の行方はつかめなかった。港湾道路から三呂に入り、途中で車を乗り捨て、歓楽街の人込みに入り込んだのだ。ポート・ノゾミとは、格の違う人の数。頼みのギニョルの使い魔もねずみ一匹では、どうすることもできない。
ヴィレと遊佐、事件の全容解明前に、二人は始末されてしまった。
最後の最後で、俺達は詰めを誤った。GSUMか崖の上の王国か、はたまた日ノ本か。三呂に根を張って麻薬を作ろうなどという巨悪が、失敗したときの保険を掛けていないはずがないのだ。
ユエと海の目の前で、二人にとって大切な人間の命が奪われた。
それだけでも、悲痛極まる出来事なのだが。
誰よりも早く狙撃者の位置に気づき、反撃したユエ。
その視線を追い、俺は見てしまった。
狙撃者は7年前と同じ姿。
バンギアの大陸からやって来たあの2人に襲われたときと同じ姿だった。
かつてポート・ノゾミを攻めた兵卒。
今はGSUMの首魁、吸血鬼ミーナス・スワンプこと、通称“キズアト”。
同、悪魔ゾゼ・オーロこと通称“マロホシ”。
昨日のことの様に思い出せる、あいつらの襲撃の日。
あの狙撃者は生まれ、俺の良く知る少女が消えたのだ。
撃ったのはフィクス、つまり流煌だ。
俺は見た。
下僕の証である赤い瞳をのぞいて。
紛争が始まった日と寸分たがわぬ、愛おしかった少女の姿を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます