18断罪文言
戸惑うユエ、考え込むヴィレに向かって、ギニョルが先を続ける。
「二人とも。今持っておる好きな銃一つに、一発だけ弾を込めろ。その一発で、決闘せい。ヴィレが勝てばこの場を見逃がす。後の仕事も好きにするがよい。首尾よくユエを仕留めたなら、後500年、このわしの寿命のうち、断罪者の誰にもお前を追わせん。たとえ何をしようともな」
馬鹿な。ヴィレは平気でドラッグをばら撒き、生徒を罠にはめ、ユエを殺そうとする奴だ。こんな無法者を寿命の尽きるまで放っておくなどと。
「おい、ギニョルそれは」
「黙っておれ。人間が、悪魔の契約に口を挟むでない」
言葉を消された。まっすぐにこちらを見つめるギニョルの眼。感情の読み取れない吸血鬼と同じ、人でないものの眼だ。300年近く生きた悪魔にとって、人間など矮小な存在に過ぎない。
俺を人間扱いしてくれていることには、喜ぶべきかも知れないが。
「話が分かるわね」
ヴィレは、ひゅうと口笛を吹き、口角を釣り上げた。デザートイーグルからマガジンを抜き取ると、アクションエクスプレス弾を取り出す。一発だけ残してスライドを引いた。
勝てる自信があるのだ、ユエになら。
対するユエはというと、銃は収めたままだ。
濡れた金色の髪にも青い瞳にも、まるで生気がない。
悪いが、今の状態なら俺でも勝てるかも知れない。
「ギニョル、待てよ。今、こんな事はあまりにも」
「二度言わせるな、騎士よ。断罪者としてのユエが、信じられぬのか」
言葉に詰まった。ギニョルの言う通りだ。
ギニョルは少し背の低いユエの肩に手を置く。泣きそうな顔を覗き込む。
「ユエ。ヴィレのこと、わしらに黙っておったようじゃが、分かっておろうな、海や裕也まで巻き込んだ今度の事態は、お前がホテルノゾミで決着をつけられなかった事に責任の一端がある。わしだけではない、この5日間共に過ごした騎士にさえ、ヴィレのことを言っておらんかったようじゃしの」
「ユエ……」
本当にユエが、あのホテルからずっとヴィレの正体を知っていたのなら。今日までのアグロスでの過ごし方は、断罪者の職務放棄と言っても大げさではない。
俺が流されていた様に、ユエもまた平和な三呂の街に流されていた。
うつむくユエの両肩に置かれた、ギニョルの手に力がこもる。
「お前はいわば、王国から断罪者に厄介払いされた身じゃ。紛争中にやっていたように、敵対する者を撃つだけのことはできても、お前自身が、断罪者として相手を断罪することはまだできまい。銃の腕前に免じ、今日まで見逃してきたが、ここで迷いを断ち切れ。断罪者として、ヴィレを断罪するのじゃ」
断罪法に基づき、罪を裁くということ。
それこそが、曲がりなりにも、紛争を終わらせたポート・ノゾミ断罪法により、俺達が銃と魔法を許される理由。
ユエは頭を振る。まるで小さい女の子が、わがままを言うように。
恐らくは七年前、紛争に巻き込まれ、初めて人を撃ったときのように。
「あらまあ、可哀想に。傲慢な悪魔さん。あなたは寿命が長い分、人間を知ったつもりかもしれない。けれどその子はダメよ。殺意が向かなきゃ、ただのお姫様。銃に呼ばれなきゃあ、撃てないのよ。自分の意志で、まして法を背負ってこの私を撃つなんて、できるわけがないじゃない」
せせら笑うヴィレに振り向き、ギニョルは毅然と言い放った。
「口を慎め、罪人よ。この子の黒衣は伊達ではない。わしは信ずるぞ。怯えて震えるのは、断罪者で最も優れた射手に狙われる、貴様の方じゃ」
もう悪魔の顔ではなかった。気高い義憤が美しい容貌を覆っている。
決意に満ちた燃える様な怒りが、ギニョルの瞳を満たしていた。
悪魔であって、断罪者でもあるのが、俺達のお嬢さん。
ギニョルという断罪者の姿なのだ。
だが果たして、肝心のユエはうつむいたまま。
「騎士くん……どう、しよう、どっちがいいかな、銃」
シグザウアーP220と、コルトSAAの騎兵隊仕様。
不安定な天秤みたいに、視線が銃を往復する。
俺にたずねて来るようではだめだ。
自分の意志で断罪する、そのことの重みに揺らいでいるのだ。
レイブンビルで吐き出した心、状況に流されて銃を取ったこと。ユエはただのお姫様。才はあっても、細い指に銃の引き金が重たいのか。
いや。試してみるか、こいつの気持ち。
「なあ、ユエ」
「……うん」
俺を見上げる震える瞳。だがこれが本当の姿じゃないはずだ。
「お前は、ただ必死に戦ってきただけかも知れないけどさ」
少し背の低い目線に合わせて。
子供に噛んで含める様に、ユエの目を見つめ、一言ずつ語りかける。
「ちゃんとあるだろ、今ここで、あいつを断罪しなきゃならないわけが。いくら恩人でも、ヴィレは法を犯したんだ。お前に分かりやすく言うなら、遊佐を動かして、海たちを傷つけた」
はっとした顔になるユエ。ギニョルの肩に止まった、使い魔のねずみを見つめる。手当ての跡は、潔癖で優しい、海の手によるものだ。
「お前を、ここに引っ張って来た理由を見直してみろ。それが俺達の基本だ。俺から言えるのは、それだけさ」
ユエはしばらく黙り込んだ。口を動かすねずみを見つめる。たぶん海のことを思い出しているのだ。
やがて、ホルスターから銃を抜く。6連発のリボルバー、SAAの方だ。
撃鉄を半分起こし、シリンダーカバーを開放する。入っていた弾を足元に落とすと、新たに一つ、ガンベルトからロングコルト弾を取り出し、シリンダーに装填。
カバーを閉じる。次の発射で確実に撃てる位置まで回し、再び撃鉄を寝かせてホルスターに収めた。
P220からはマガジンを外す。銃身からも弾を抜いて足元に置く。
そして右手でしっかり、SAAのグリップを握った。テンガロンハットの下、見開いた青い瞳は、輝きを取り戻している。
「ギニョル、ヴィレさん、私はこれでやる」
うむ、とうなずいたギニョルに対し。
ヴィレが失笑を漏らした。
「……コルトのシングル・アクション・アーミー、騎兵隊仕様かあ。ピースメーカーだっけ、そのポンチョにテンガロンハットも、骨董品で西部劇気取りなの。原住民を殺して、法がどうとか言い張ってた奴らの銃でしょう。あなたいつの間に、多数派になれたのかしら?」
ユエは動じなかった。が、俺は頭に来た。
女だろうが、容赦なくにらみつける。
「うるせえぞ、あばずれ。そいつは荒野で法を背負った奴らの銃、断罪者としてのユエの覚悟の印だ。へらへら笑ってんじゃねえよ」
少し驚いたのか、一瞬目を見開く。だがすぐに、口元がゆがむ。まるで三日月、細めた目が、俺の命を撫でまわしている様だ。
「……怖いわね。丹沢騎士、確か悪魔の下僕に成り損なったんだっけ。でも気をつけなさい、私を追わないからといって、断罪者は仕事の邪魔に変わりない。ユエの後に始末してあげてもいいのよ」
心臓を直接握るかの様な殺気。本物だ。気に入らない奴、生存の邪魔になる奴は、ことごとく片付けて来たのだろう。殺人へのためらいも後悔も、完全に消え去っている。
すべて、ただ自分が生きるためだ。命令も権威もなく、人はここまで凶暴になれるのか。
「止めぬか、騎士。わしとユエに恥をかかせるな」
ギニョルに救われ、俺は視線を外すことができた。ヴィレの雰囲気も、稲村先生に近いものに戻っている。
マヤにもこういうあしらわれ方をした。修羅場に慣れた連中からすると、俺はしょせん、粋がる若造なのか。
「ありがと、騎士くん。私、大丈夫だから」
ユエが小さく礼を言ってくれたのが救いだった。決まらねえな。
コンテナに囲まれ、水銀灯の明かりに照らされた倉庫の前。
10メートルほど離れて、ユエとヴィレが互いに背を向けている。
二人を結ぶ射線から、1メートルほど引いた場所に、ギニョルが立っている。近いがこの二人に限っては、流れ弾を気にしなくていい。
「よいか、これよりわしが3つ数える。1つ数えるごとに、1歩前に進め。3歩目を踏み出したところで、振り返って撃て。撃鉄を起こすのはそのとき、悪魔の契約にかけて、不正は見逃さぬぞ」
あらかじめ、シングルアクションにしておくことはできない、か。
ダブルアクションのデザートイーグル、ヴィレには関係ない。不正とはシングルアクションのSAAを使うユエに向けての言葉だ。契約の前で、ギニョルは公平なのだ。
勝負はきっと、一瞬でつく。
ユエはヴィレを断罪できるか。失敗すれば、恐らく死が待つ。
ヴィレのことだ、すぐにギニョルや俺を始末し、遊佐と協力して事件を隠ぺいするだろう。そしてまんまと依頼主から報酬をせしめるに違いない。
そうなれば裕也達も警官殺しの極悪犯だ。俺達の運命は、もはやユエ次第と言っていい。
ユエは俺達にもヴィレにも背を向けたまま、静かに言った。
「ごめんなさい、ギニョル、ヴィレ、始める前に」
「何よ? この期に及んで思い出話? ろくな事、なかったでしょう、特にあなた」
「断罪者、ユエ・アキノの名において」
澄んだ声だった。
初めて聞く、ユエの断罪文言だ。
満足げにうなずくギニョル。戸惑ったヴィレ。
そして、息を呑んだ俺以下の男たち。
誰に向かって振り向くこともない。
SAAの銃身に額をつけ、祈る様に目を閉じ、ユエが先を続ける。
「崖の上の王国特務騎士、ヴィレ・イスカ。ポート・ノゾミ断罪法、一条殺人、四条禁制品取引により、あなたを断罪します。同法補足より、刑の内容は禁固刑。銃を捨てて投降してください」
言い終わって、目を開いたユエ。
夜の闇に溶ける様な、漆黒のテンガロンハット。傷だらけのポンチョの背には、爪を振りかざし、炎を吐く火竜の紋が厳かに映える。
水銀灯の明かりに浮かびあがるその姿は、美しく厳格な死の女神。
断罪者、ユエ・アキノ。
俺達の命運を託すに足る、最高の射手だ。
ヴィレは押し黙った。こちらも雰囲気が変わっている。
唇の端を釣り上げ、薄笑いを浮かべた様な表情ながら。その目は酷薄に獲物を食らうときをうかがっている。
あくまで静かなユエに対して、むき出しの殺意はまさに獰猛な獣。自分が断罪される罪人だと悟ったのだ。ヴィレはヴィレの生き方に賭けて、断罪者であるユエを排除する。
決闘、いや、断罪の用意は整った。
「待ったは聞かぬ、数えるぞ!」
ギニョルが高らかに叫ぶ。二人は片手で銃を握りしめる。
「1つ!」
一歩。音が消えていく。
「2つ!」
二歩。空気が凍っていく。
「……3つ!」
三歩。
互いの銃が火を噴く。
誰も何も言わない。
SAAを構えたユエの肩から、ポンチョが半分滑り落ちた。
ヴィレの放った、デザートイーグルのアクションエクスプレス弾。
50口径、メートル法で幅1.2センチを超える大口径の弾丸は、瞬間的に体を沈めたユエの左肩、鎖骨の上の肉をポンチョの襟ごとえぐり、背後のコンテナを穿っている。本来なら心臓の位置だ。
――そして。
「う、うそ……あ、わた、しの、う、で……」
ユエの放ったSAAのロングコルト弾。
鉛の弾頭は、ヴィレの右腕、銃創に食い込んでいた弾丸を撃ち抜き、破片となって腕そのものを引きちぎっていた。
「ばけもの、ばけ、ものよ……あなた、いや、痛い、いたいぃぃっ」
倒れ込み、顔をゆがめたヴィレ。
デザートイーグルも取り落とした。
苦痛には弱いのだ。腕を吹き飛ばされる痛みなんて、想像したくない。
紛争でもそこから先でも、たくさんの命を奪ったくせにとは思うが。それ以外に生きる道があったとも思えない。大体、人の死なら俺達だって散々作っている。
「……騎士、その女から武器を全て奪え。手当てはそれからじゃ」
「ああ。ほら、もらうぞ」
デザートイーグル、コルトのベストポケット、その他にも、ブラウスの中に弾丸やナイフ、マガジンまで仕込んである。だんだんきわどくなったので、途中からギニョルが代わった。
「ユエ。お前が手錠をかけよ」
こくりとうなずくと、ユエはギニョルから手錠を受け取る。魔力不能者に魔錠は意味がない。
近づいてくるユエを見上げて、絞り出す様に、ヴィレがつぶやく。
「なによ、あるじゃない、居場所……怖がって、殺すのが、精いっぱいだったくせに。私が、居ないとなにもできない……」
「あなたにも他に道があったんだと思います。自分の事で精一杯だった私を、恨んでもらっても構いません」
「……ばか、あなたみたいな、子供に、言っても、しょうがないでしょ」
無機質な手錠の音が、ふ頭に響く。
麻薬事件は、ユエの手により終わりを迎えた。
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