17獰猛な獣


 毒々しい紫色の液体が、倉庫からあふれてコンテナの下を伝う。おそらくこの液体はドラッグの原料だろう。


 ところどころに転がる粒は、凍結した命取りの実の破片。粉砕して液状のドラッグに溶かすのだ。やはりここに工場があったのだ。


 爆風と霧状の薬物が渦巻く中、二匹の獣が撃ち合っている。


「あはははっ、やるじゃないユエ! 紛争の頃より、腕を上げたわねぇ!」


 底の抜けた二階。狂気に近い笑みを浮かべ、左手でデザートイーグルを放つヴィレ。


 強烈な反動を上半身で流しながら、苦も無く扱っている。つい7年前銃を知った、バンギアの人間とは思えない。


 だが、だらりとした右腕。スーツの袖が引きちぎれ、ブラウスの布地が赤黒くにじんでいた。ユエの銃弾をくらったのだ。


 50口径のアクションエクスプレス弾に足元をえぐられながら、階下のユエも必死に食い下がる。


 こっちは手榴弾の破片を食らったのか、ポンチョやテンガロンハットはずたずた。スカートも裂け、脚に痛々しい火傷がある。


 ユエは倉庫の荷や麻薬の製造設備の残骸に身を隠し、かく乱を続けながら、P220で反撃している。銃は右手。左腕のえぐれたような傷は、デザートイーグルの弾丸がかすったか。まともに受けたら、あんな細腕千切れ飛んでいる。


 お互い、相手のことしか見えていない。

 殺す。ただそれだけ目指している。


「ギニョル、どうするんだ、あいつらどっちかが死ぬまでやり合うぞ」


 もはや断罪ではない。クレールにブチ切れたときの俺と同じだ。


 ぼろぼろになった背中の火竜が、ユエの状態を表している。


「ふむ、そうじゃの。これお前達、いい加減にせぬか! 状況を見よ、ヴィレ、ユエ!」


 ギニョルの呼びかけに応じ、こちらを振り向いた二人。


 いや、こりゃ意志の疎通じゃない。第三者に獲物を奪われた獣が、敵を見定めたといったところか。


「ひっ……」


 裕也が小さな声を上げて、座り込む。警官達も体を縮めている。


 俺だって足がすくみそうだ。吸血鬼や悪魔とも違う、人間の殺意というものが、生々しく伝わってきやがる。


 この二人、断罪者の誰より、人を撃ってる。


 だがさすがというべきか。ギニョルは姿勢を崩さなかった。


「見よヴィレ、おぬしの頼る警官たちはこのざまじゃ。今からユエを殺したところで、無事逃げるには、まだわしら二人と戦わねばならぬ。それができるか、できたとしても、麻薬のからくりは、我々断罪者に漏れた。これ以上身を粉にした所で、仕事の報酬も知れておろう」


 ヴィレが不気味に輝くデザートイーグルを上げた。平静を取り戻したのか、昨日まで俺や裕也が会っていたIUの顧問、稲村先生の面影が浮かぶ。


 ギニョルはユエの方も見つめる。


「ユエよ。自分の姿を顧みよ。お前は本当に、海やポート・ノゾミの者達のため、断罪のつもりで戦っておるのか。断罪者として、身にまとうその黒衣に嘘がないと、わしの目を見てはっきり言えるか」


 うつむいたまま、左腕の傷口をかばうユエ。


 俺もかすかに感じていた。こいつの、断罪者としての自覚の薄さ。


 ヴィレを撃てなかったことだけじゃない。銃を振るえばそれでいい思っている意識のことも。あわよくば、自身の過去と断罪者としての立場を捨て、アグロスの学校に逃げようとしていたことも。


 二人はギニョルに本質を突かれたらしい。戦いは中断してしまった。

 が、これで終わるわけもない。ヴィレは肩をそびやかした。


「……話は聞くけど、私にどうしろというの。ここで死ぬなんてまっぴらよ。監獄につながれるのもね。たとえ誰をどんな目に遭わせても、この腕に見合った誇りと余裕のある生活がしたいもの」


 清々しいエゴイズムだ。ヴィレの中では、紛争が終わっていないのだろう。


 魔力不能者の境遇は悲惨だという。紛争が終結した今でも、生きる場所は自分の腕で作り出さなきゃならない。


 同じ魔力不能者でも、家柄のおかげで、断罪者として厄介払いしてもらえたユエとは、根本的に違うのだろう。


「分かっておるわ。じゃから、ひとつ、はからってやろうというのじゃ」


 ギニョルから紫色の魔力が放たれる。それはユエとヴィレを取り巻くと、髪色と瞳の色を戻した。


 ユエは金色の髪に青い瞳。他方ヴィレは、青い髪に緑の瞳。バンギア人としての姿だ。


 ヴィレも操身魔法をかけられていたのか。そういえばバンギアに黒髪と黒い瞳の人間はいないんだったか。日ノ本の人間に化けるには、悪魔のサポートが必要。


 恐らくはGSUM、それもマロホシの奴が直接かかわったのだろう。


「ヴィレよ、これから言うことは、このわし、ギニョル・オグ・ゴドウィの名において交わす悪魔の契約じゃ。そこのユエを、お前に対する断罪者の代表と認めよう。ユエ以外にお前を断罪する者はおらぬ」


 ユエが驚いた顔で、ギニョルを見つめる。俺だってギニョルを問い詰めたかった。甘さをもったユエ一人に断罪を任せるだなんて。


 しかも悪魔の契約とまで、口にした。その意味は、俺も聞き知っている。


 千年近い寿命を持ち、操身魔法で生物の姿を自在にねじ曲げる悪魔達。その倫理や信条は、人間やエルフ達と比べてねじ曲がってる。だから多くのバンギア人は、悪魔というのを信じない。


 が、ただ一つ、彼らの結ぶ契約だけは別なのだ。

 悪魔は自らが結んだ契約を命がけで守る。


 ましてギニョルは、悪魔の中でも保守的な名家の出。そのギニョルが言う契約は、非常な重みを持つ。断罪者と罪人という関係であっても、決して反故にされることはない。


 ヴィレも面食らったらしい。顔を伏せて思案している。吸血鬼なら蝕心魔法で内心を探ろうとするだろうが、あいにくと魔力不能者にそれはできない。


 しばらく思案顔をして、たずねた。


「条件は何?」


「――決闘じゃ」


 ギニョルの表情に迷いはなかった。

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