16悪魔ギニョル

『ほう、なかなか頑張っておるではないか』


「なんだ……今の声」


 裕也があたりを見回す。


『こっちじゃ、こっち。ふむ、足がまだ不自由じゃな』


 声はコンテナ脇の闇にたたずむ、ねずみからだ。

 紫色の魔力は、ギニョルのものに違いない。

 来られないはずじゃなかったのか。


「ギニョル、お前どうしたんだ」


『ちとあの娘の手を借りての。ホテルを抜け出してきたわ、上を見ろ』


 俺達が見上げると、灯火の届かない闇の中に、ギニョルの巨体が浮かび上がっていた。すでに山羊顔の悪魔の姿で、頭蓋骨のついた杖を振り上げ、指し示すのは俺が射殺した警官だ。


『騎士、裕也。この日ノ本で、お前達の前で使うのは正直心苦しい。だが許してくれ。方法はこれしかない』


 操身魔法独特の、紫色の魔力が音もなく集まる。警官達は相変わらず、木山と俺達にばかり注意を向ける。一部の例外を除いて、アグロス人は魔力の動きを感じられない。


『エズィル・イティプ・ペェス。ウォス・ディアグ。ウォス・ディアグ。タエ・ロウィ・ネイフ……』


 長い不気味な詠唱。


 俺は知っている。この魔法こそ、バンギアとアグロスのあらゆる種族から、悪魔が悪魔と呼ばれるゆえんだ。


 その名もレイズ・デッド。

 死にたての生き物の体を、自在に操る操身魔法。


 杖から放たれた魔力が警官の死体を取り巻く。ショットシェルで損傷したままの三つの遺体が、ゆっくりと体を起こす。


「ひいっ、た、太刀川、死んだはずじゃ」


「あ、あぁ、や、山崎、巡査部長……!」


 遊佐や警官隊は、相当に面食らったらしい。


 当たり前だ。死人が甦るなど、日ノ本の常識どころか、バンギアの常識そのものから外れる。


 だがそれを引き起こすのが魔法というものなのだ。


 アグロスの銃器でたくさんのバンギア人が死んでいったように。紛争では、バンギアの魔法もまた、アグロスを大きく脅かした。レイズデッドで立ち上がるゾンビ達は、アグロスの軍勢を散々に苦しめた。


 悪魔と戦った自衛軍の兵士達は、例外なくこの魔法を受けた。仲間が殺された悲しみに浸る間もなく、その死体を傷つけて自分たちの身を守らなければならなかった。


 仲間と戦わされて苦しむ人間を、笑いながら眺めるのが、悪魔という種族なのだ。紛争以前は、悪魔と戦ったバンギアの人間やエルフも、同じ目に遭わされたという。


 文字通り悪魔の所業を、今ギニョルは俺達人間の目の前で行っている。操身魔法の行使が断罪法で許されているとはいえ。


「主たるギニョル・オグ・ゴドウィが命じる。おぞましき飢餓に従い、汝が友を食らえ、死せる器たちよ!」


 ゾンビとなった警官の死体が、木山を無視して遊佐達の方へ突っ込んでいく。


 警官隊は悲鳴を上げ、銃撃を集中させる。だが一度甦ったゾンビは、銃弾では死なない。死因となった銃創の上から、さらに頭や腹、胸を貫かれ、腕や脚が吹っ飛んでも、体を引きずり元同僚に近づく。


 動転して狙いが定められない者も出ているらしい。血の通った人間である以上、殉職した元同僚を、すぐに撃てるわけがないのだ。


 木本をはじめ、IUの生徒が逃げ出すが、もはやそれどころではないらしい。あたりを取り巻く紫の魔力は、銃撃で頭や腕がもげたゾンビを再び立ち上がらせ、警官に立ち向かわせる。もげた頭や腕さえも動き出し、地面をはいずり、生者に近づいていく。


 ギニョルがコンテナを伝い、こちらへ飛び降りた。魔力が取り巻き、角以外は人間と相違ない姿に戻っていた。


「やりすぎ……じゃねえのか」


「無実の者に罪を着せ、それを出世の種にし、あまつさえわしら断罪者の邪魔立てまでしおった。三呂の警察には改革が必要じゃ」


 さすがに容赦がない。全て事実ではあるが。


「……裕也、見ない方がいいぜ」


 言われるまでもなく、裕也はうつむいていた。仲間の死体と殺し合いをさせられ、悲鳴を上げる人間など、ネットにもなかなか落ちているものじゃない。


 ギニョルが警官の銃を拾う。いつも使っているのと同じ、六連発リボルバー式のM37エアウェイトだ。そばに転がった遺体のパーツから弾も奪っている。


「小奇麗な銃じゃな。あまり使われておらん」


 シリンダーを振り出すと、弾を込め直し、子気味いい音を立てて戻す。遊佐とは大違いのスムーズな所作だ。俺達のお嬢さんの方が、現場に慣れている。


「始めるぞ騎士。連中は、ヴィレの断罪を妨げおった。殺傷権の行使もできる」


「気分悪いから、なるべく殺さねえぞ」


 日ノ本の警官を撃つのはどうも気が進まない。


「おい、あ、あいつらこっちに……ぐあああぁあっ!」


右肩を同僚のゾンビに噛みつかれて叫び声をあげる警官。俺達に対応できるやつはもういない。


「おのれ、ノゾミの化け物ども」


 遊佐だけは違った。部下のゾンビを撃ちながら、ゾンビと警官の乱闘の向こうへ逃れようとする。


 手元もおぼつかぬ射撃と対照的なのは、ギニョルの構えだ。


 自衛軍の兵士を撃った時と同じ、美しいほどのウィーバー・スタンス。


 軽く髪をかき分けると、瞬きひとつせず、紅い瞳で狙いをつけた。


「逃さぬぞ……」


 乾いた銃声。右足を撃ち抜かれた遊佐が、悲鳴を上げて倒れ伏す。


「ゆ、遊佐本部長。あ、うわあああぁ!」


 警官たちが色めき立つが、ギニョルが杖を振るうと、ゾンビの動きが加速し、反撃をはばむ。


「……その化け物に、銃で負けてどうするのじゃ。断罪者はお主らを参考に作ったというのに、失望させるでないわ」


 吐き捨てるように言うと、銃を構えて警官を狙う。銃声と共に手足を撃ち抜きまた一人倒した。


 警官が一人、ゾンビを抜けて走り寄ってくる。俺はM97を振り上げると、側頭部を銃床で殴りつけてやった。


 ザベルに習った棒術を模して、銃身で動かなくなるまで殴りつける。こいつら鍛えてやがるから、ある程度痛めつけたくらいじゃ反撃されちまう。


「命は取らないでおいてやるよ」


 ゾンビと俺達によって、警官隊はつつがなく制圧された。


傷の深い者は、ギニョルが操身魔法で応急処置したうえ、手錠で拘束し、パトカーや、柱につないだ。


 殺された同僚の死体に追われ、野蛮人と蔑むアグロス人の軍門に下るなど、想像もつかなかっただろう。どの警官も、プライドというプライドを砕かれ、放心したような面をしている。


 それは、すべてが終わった遊佐も同じだ。なまじ頭が回る分、絶対的な状況の不利が分かってしまうのだろう。呆然と座り込んで抵抗する気力もない。


 遠くで銃声がする。まだユエとヴィレが戦っているらしい。


「ヴィレか。奴を逃せば、何のためにこんな魔法を使ったか分からぬな」


「お前、今回のこと、ある程度知ってたのか」


 俺の問いに、最後の警官に手錠をかけ終わったギニョルが答える。


「……この数日、わしらとて遊んでいたわけではないぞ。わしは大人しくするふりをして一旦島へ帰り、しかる後山本を誘い出し、クレールに記憶を読ませた。あやつめ、普段から下品な色目を使いおって、全く懲りておらん」


 山本の辞職の原因は、ハニートラップというよりは、スキャンダルといった方が正しい。首相といい、山本の家系はなかなかの能力をもつが、色好みでもあるのだ。


「今度の麻薬事件には、GSUMや、崖の上の王国がかかわっとったのじゃ。上の方が動いておったから、下っ端をいくら捕まえても真相にたどりつけんわけじゃ」


「じゃあ、ホテルの断罪に失敗したのに、マヤのやつがうるさく言わなくなったのも」


「本国から、この件を追及するなと言われたのじゃろう。さすがに、あやつらは警戒して、捕まえて記憶は読むこともできなかったがの」


 なるほど。ユエの姉であるマヤもまた、山本と同じく、テーブルズの議員ではなく、本国の操り人形だったというわけか。


 崖の上の王国、つかめない国だ。バンギアの人間は基本的に悪魔や吸血鬼と対立していたし、他断罪法の成立には力を貸してくれた。だが、GSUMと結び付いて連中のまねをするってのはどういうわけだろうか。


 分からん。そういえばユエは追放同然に断罪者になったらしいが。


「それから、色々調べて分かったが、王国が送り込んだヴィレは、紛争中に特務騎士に任ぜられた、相当の腕利きじゃった。下手にやり合ったら、わしらとて犠牲は免れぬ。ユエをぶつけておくに越したことはないと思ったが、果たしてどうなるものか」


「おい待てよ。それは、ヴィレがどういう奴か分かってて、ユエと戦わせたってことか……」


 爆音が俺の言葉を遮った。

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