20遊佐裕也という少年
しとしとと降り続く雨が、俺達のさした傘を洗う。
三呂駅のポートレール乗り場から見下ろす街は、十日前にこっちに来たときと同じだ。
灰色のビルの間を、たくさんの車が過ぎていく。色とりどりの傘をさして通りを歩く、それなりに必死で平和な連中がいる。
まるで、何事も無かったかのようだと思うのは。
きっと俺がポート・ノゾミから来たせいだろう。
もし俺が日ノ本に暮らす人間だったなら、交差点に連なる車列にやたらとパトカーが混じっているのが目についたに違いない。
遊佐とヴィレの事件に関し、日ノ本政府は強烈な報道規制を敷いた。俺達と警官の銃撃戦、流煌による狙撃事件は、犯罪集団の抗争ということになった。
そのため、まれに見る規模の警察汚職事件は生まれなかった。日ノ本は社会の混乱を防げたのだが。
でっち上げたのは警官が何人も殉職する大事件なのだ。県警は、ありもしない巨大な犯罪組織のために、市内の警備を増やしている。
だからこそのパトカーの車列だ。
歩いている奴らも、日ノ本人なりに、緊張はしているのだろう。じっと見ていると、ときおり不安そうな色がよぎる。
実弾の銃撃事件にはぞろぞろと近寄るくせに、パトカーが増えたことにおびえるさまは滑稽だがな。
ヴィレ、つまりこちらでの稲村は、銃撃戦に巻き込まれ、命を落としたということにされた。優しい先生の死に、学年集会で何も知らず泣いている、三呂東高校の生徒を見るのは、何とも言えない気分だった。
教師としての稲村が、そこそこまともだったからこそ、余計にだ。
そういえば、IUの顧問としても、何かと気は利いていたな。
特務騎士団長の頃は、駆け出しのユエの面倒も見ていたらしい。稼業のことはともかく、性格そのものは悪くなかったのだ。人を殺せる奴にも、色々と種類はある。
頭を撃ち抜かれた遊佐は、自分で口走っていた様に、犯罪者と勇敢に戦った末の名誉の殉職とされた。県警はほかの殉職警官と共に、丁重な警察葬を行い、全員が二階級特進となった。
支持率の回復狙いか、異例の警察葬はテレビ中継がなされた。
葬儀では眼前で父親を殺され錯乱状態で入院した海に代わり、表情と感情を消した裕也が、美辞麗句を並べた都合のいい送辞を朗読させられた。勇敢な恩人を毅然と見送る避難民の姿はしっかりと撮影され、その録画は国営放送で何度も流れた。
七年前から国会に君臨し続ける日ノ本の首相、
これが日ノ本という国、三呂という街なのだ。
「変わんないね……三呂、っていうか、日ノ本」
ぼんやりと、街を見下ろすユエ。
もう三呂東高校の制服を着る必要はない。稲村の葬儀後、転校した秋野由恵と秋野騎士の行方は、日ノ本の誰もつかめないだろう。
ギニョルに操身魔法を解かれたユエは、元通り青い目に金色の髪だ。銃こそカバンの中だが、ホルスターはそのまま。フリスベルが来られないため、魔法の回復ではなく、病院で手当てを受けた。包帯の跡が痛々しい。
映画を抜け出した女ガンマンみたいだが、やっぱりこっちがユエ。
俺もまた、三呂東高校のではない、いつものブレザー。ギニョルが手配してくれたのだが、やっぱりこれが一番落ち着く。
煙草を取り出し、火を点けた。煙を吸い込み、湿気た空気とかき混ぜる。
背中が少々突っ張りやがる。ユエと同じく、病院で切開後、.25ACP弾をのぞかれた傷口だ。警察は腕のいい外科医を用意してくれたらしいが、フリスベルに比べるとやぶだった。
というか、そもそも、銃のないはずの日ノ本の社会で、銃創の手当てに慣れている医者などほとんどいないのだ。
吐き出した煙が、雨に漂っていく。
「……三呂市だけでも、ポート・ノゾミの二十倍くらいは人が住んでるんだ。国全体、アグロスの世界中ともなれば、その何百、何千倍だ。倉庫が一件燃えて、五人死んだ、それだけの事さ」
事実を口にしてみても、やるせない気分は消えない。
この事件は何だったのか。俺達は何をしていたのか。
沈鬱な気分を煽る様に、灰色の雨が降り続ける。
改札の向こうから、ギニョルがやってきた。
「待たせたのう、お前達、もう乗れるぞ。向こうは晴れておる、このうっとうしい雨も見なくてすみそうじゃ」
部下である俺達の手前、あえて明るく振る舞っているが、ギニョルこそ自分自身を殴りつけたい気分だろう。
事件はうやむやに流れたのだ。麻薬があの工場だけだったのか。ヴィレ以外のルートがあるのか、GSUMはともかく、日ノ本や崖の上の王国が、どれだけ事態に関わっていたのか。なにもかもが、つかめず終いだ。
「ごめんね、ギニョル。私がもっと、注意してれば」
「お前の働きがよいとは言えぬが、非難されるべきは、このわしじゃ。動く前にあやつらの背後をもっと洗えばよかった。GSUMの上がかかわっておるのは予想しておったが、まさか、キズアトの下僕共が出て来るとは」
「ハーレムズ、だったよね。担架の人はいっぱいいたのに、あんな暗い中、ヴィレさんと、遊佐さんだけを狙うなんて……」
キズアトの身辺を守り、公私ともに尽くす、チャームのかかった多様な種族の女の下僕たち。そのものずばり、通称ハーレムズ。
GSUMでもとびきりの腕利きで、忠誠心も強い奴らは、主人と仰ぐキズアトのため、裏切り者への報復、邪魔者の始末など、汚い仕事を眉ひとつ動かさずやってのけるのだ。
残虐さ、冷酷さ、狡猾さ、そして取り付くしまのなさは、折り紙付き。しかも状況不利となれば、相手を巻き添えに自殺することさえいとわない。
当然、捕らえてもGSUMとの結びつきは決して吐かず、かけられた強力なチャームのせいで、蝕心魔法も受け付けない。
この二年の間、俺達断罪者ともしばしば戦い、多少数を減らしてやったのだが。キズアトの奴、次々に新手を増やしやがる。
だがキズアトからフィクスの名を与えられ、その一員となった流煌と、実際に会うのは初めてだった。
「あれはフィクスだったよ。七年前の名は、流煌。下僕の中でも、とびきりの実力者。狙撃が得意になったんだな」
悪夢が甦るように、あのときの光景がめぐる。
もう流煌はいないのだ。その事実が、改めて俺の目の前に突きつけられた。
同じ姿をしていても、あいつはもう、流煌ではない。
「騎士よ……」
悲嘆がギニョルの顔を覆う。俺は同情が嫌だった。
「気にすんな。分かってたんだ、こうなることはな」
ユエがヴィレを断罪した以上、俺も見たものを隠すわけにいかない。
ギニョルは、いや、バンギア人はみんな知ってる。吸血鬼のチャームは強力な不可逆の魔法だ。流煌を救う術など、長いバンギアの歴史上に存在しない。
しかも、俺達断罪者の目の前で二人の人間を殺した流煌は、GSUMのハーレムズの一員、フィクスとして、断罪するべき相手となった。
間違っても、救い出すべき対象では、ありえないのだ。
「そうさ、分かってた。俺は断罪者なんだ。でもそれって、どれくらい、何に必要なんだろうな」
卑怯な言葉に、二人とも答えを返さない。
俺は流煌を断罪できない。法はそれを許さないが、そうまでして守った法で、この世の何が変わるのか。
口には出さないが、二人とも疑問を感じてしまっているのだろう。
目の前に漂い、雨に消えていく煙草の煙の様に。俺達断罪者の活動など、空気に溶けていく、はかない抵抗に過ぎないのか。
沈む雰囲気を何とかしようと思ったのか、ユエが呟く。
「……あ、あの車危ない」
「タクシーかよ、無茶な運転してんな」
猛スピードで蛇行しながら、三呂駅南のロータリーに突っ込んできた緑の古いセダンタイプ。クラクションを鳴らされまくりながらも、車列の隙間に突っ込み、見事に縦列駐車をきめた。
扉が開いて、髪のはねた、ブレザーの少年が出てきた。
裕也だ。だが学校じゃないのか、今日は。
運転手に向かい、裸の万札を叩きつけると、裕也はタクシーを飛び降りた。
猛烈な勢いで駅に続く階段を昇ってくるが。
俺達の目の前で、出入国を管理する警官に取り押さえられた。
島に通じるポートレールに、一般人の無許可の接近はご法度なのだ。
冷酷な目で手錠を取り出そうとする警官に、俺は叫んだ。
「待てよ! 裕也は俺が呼んだんだ。逮捕するなら俺が先だぜ」
同僚をゾンビにされ、本部長まで撃ち殺された思い出がよぎったか。
警官達は裕也を開放し、改札まで下がった。雨音もあって、俺達の話は聞こえない距離だ。
解放された裕也に、ユエが傘を差しだす。制服の裾を濡らしながら、裕也はスクールバッグを漁っている。
「……いや、すまねえな、騎士、ユエさん。しかし、やっぱ見事な金髪だ、こうして見ると、家に来たときと印象全然違うな。海の姉貴、なんであんただってわかったんだろうな」
「どうしたんだ、学校は」
「んなもんフケて来たよ。警察のパソに軽いハックかけたら、お前らの出発今日になってたから。元IU部長の腕前なめんなよ」
胸元には、初めて出会った時と同じ、ピースマークのバッジがある。今までを改めた様子はない。
ギニョルが呆れたように、腕を組んだ。
「まだ日ノ本の法を犯すのか。そなた、身の程をわきまえたらどうじゃ。この国では警察の力が強いのであろう」
「お気遣いありがたいけど……って、あんたも美人なんだな。悪魔ってのは、そのまま何百年も年取らねえんだろ、芸能人やらモデルやら、発狂しちまうぜ」
「減らず口を言いに来たのかよ」
「そうだったな。ほれ、ユエさん」
「これは……」
裕也の渡した手紙は、海からのものらしい。
数日前、目の前で遊佐を惨殺され、気の毒なほど取り乱して、そのまま入院しているはずだが。
便箋を開けたユエは、食い入るように文面を見ながら、手を震わせ始めた。
「しばらく学校休むし、まだ、ちょっとしんどいみたいなんだけどな。あんたがへこんでないかって、心配してたぜ。これきりになっちゃ、良くないからって」
ユエの反応を見ると、悪いことが書いてあったわけじゃないのだろう。
「でも安心すんなよ。あんなむごい魔法使って、平気で人撃ちまくって、肝心の遊佐も守れなくて、断罪者に怒ってるのと半々だから」
「お前……!」
詰め寄る俺に、裕也は肩をすくめて見せる。
「おいおい勘弁してくれ、騎士。俺はやり合いに来たんじゃねえよ。伝えておきたいことがあってな」
「何だよ」
「……俺は、いつか紛争やバンギアの事実をこの国中にぶちまけるつもりだぜ」
思わず警官達の方をうかがう。聞かれなかったらしい。
無茶の一言だ。自衛軍を派遣し、バンギアの野蛮人から島を守ったと吹きまわっている政府からすれば、どんな手を使ってでも事実の露呈は避けたいはずだ。
事件の衝撃が大きすぎて、血気にはやっているのだろうか。
「本気か、お主」
「本気も本気。紛争やってた五年と、終わってから今までの二年。それが、親父も、稲村先生も狂わしたんだろ。見ろよこの平和な街、二年前まで戦争してたのに、どいつもこいつも私は何も知りませんでしたってツラして。こっちの世界の人間は、背負うべきことを背負わずにいやがる、だから歪んじまうんだよ」
吐き捨てるように言った裕也。雨にけむる三呂の街を、さげすむようににらんだ。
「具体的に、何をするつもりじゃ」
IU以上の反社会的な団体でも作るのだろうか。しかし、そんなことをして目を付けられたら、今度こそ逮捕されるどころじゃすまない恐れもある。
「そうだな。遊佐の奴の遺族年金やら、金はたんまり入ったし、とりあえず大人しくして大学に行く時間でも、もらっといてやるか。法や政治のことも、もっと知らなきゃ話にならない。海の姉貴や、母さんが安心して暮らしていくためにも、金の稼ぎ方くらい覚えなきゃな」
まともな解答だ。葬式で、あれほど屈辱に塗れた送辞までさせられたってのに、根に持ってないのか。
狙撃の瞬間を目の前で見たにもかかわらず、案外タフなんだろうか。
安心した様な、俺達の生ぬるい視線に気づいたのか。
「……おい、何だそのツラは。俺は何かおかしいこと言ったのか」
「いや、別になんでもない」
「とにかく、そういうわけだから、あんたらがぐだぐだ悩んでんじゃねえよ。俺も姉貴も、それなりに生きてく。向こうには親父や、稲村先生を殺した様な、ひでえ悪党がわんさかいるんだろ。あんたらがそいつら断罪すれば、この国の腐りようも、少しはマシになるんじゃねえか」
激励に来たってのか。たかが16の裕也が。
つい数日前、あんなすさまじいものを見たというのに。
「言われんでも分かっておるが、そんなことを言うためにわざわざ来たのか」
警察に捕まる危険まで冒して。
ギニョル以下、戸惑いに満ちた俺達の視線。
裕也は腕を組むと、俺達をにらんだ。
「来ちゃ悪いかよ。俺なりに悩んだんだ、親父が汚職警官だったことも、その親父に撃たれたことも、あげく勝手に死なれたこともな」
姉の海が、ふさぎ込んでしまう様な事態だ。辛くないはずはない。
そして、あんな目に遭わされても、遊佐は確かに、こいつの父親だった。
「……でも今俺はこうして、そこそこ安心して暮らせる。それは、あんたらが戦ってくれたからだろ。でなきゃ俺もIUのみんなも凶悪犯だ。だから姉貴の代わりに、いや、俺の言葉で礼を言いたかった。あんたら断罪者にな」
「裕也、お前」
まさか、こいつに礼を言われることになるとは。
特に、ギニョルとユエの嬉しがる顔が効いたのか。裕也は俺達から目をそらした。
「ああ、何だよ。姉貴みたいな面すんじゃねえ。まったく、礼なんて俺のがらじゃねえや。そういうことだから、あんまり気にすんなよ」
颯爽と去っていく裕也の後ろに、駅舎から出てきた若い男が付いた。
一瞬、警官と目配せをかわしていた。
断罪者と接触し、封じられた事件の真相まで知っているのだ。日ノ本政府が裕也と海を逃すことはない。真相を明かしていいと判断するまで、監視の対象にし続けるだろう。
「……ギニョル、私たち、本当にあの子たちを助けられたのかな」
「歯がゆいが、わしらはノゾミの断罪者じゃ。これ以上は、日ノ本の国の問題になる」
「そういう、もんだよな」
人を監視することは、断罪法に違反するわけではない。警察でいう警備活動のようなことは、まだ断罪者の領分にない。
だが、何もしてやれないのか。
いらいらしながら、吸いさしの煙草を、携帯灰皿でもみ消していると、ギニョルが俺とユエの肩に両腕を置いた。
「まあそう、しょぼくれた顔をするでないわ。こちらに来たら、わしが目を配ろう。少しはアグロスでの使い魔の用い方も学んでおる」
ギニョルの目元に紫いろの魔力が集まる。駅舎の側溝や、天井裏などで、がさごそと物音がした。
気配を感じた警官が周囲を見回すが、魔力が分からなきゃ話にならない。
「どぶねずみ、くも、ごきぶり、こちらも、使い魔として使える生き物が多くて助かるわ。この街を調べるのも、悪くあるまい」
紫色の光が、どぶを伝って町中に四散したとでも言おうか。俺に魔法は使えないが、悪魔の部下になり損なったおかげか、魔力を見ることはできる。
辺りを見回した後、警官が不審そうに近づいてきた。
「お前達、何か余計なことをしたんじゃないだろうな」
威圧的な口調に、ギニョルが振り向いて微笑みを返す。
「証拠はあるか。なければ作るのか。このわしらを相手に?」
俺とユエにもにらまれ、警官は唇を噛んで引き下がった。
日ノ本国民は知らなくとも、警察組織は知っているのだ。
つい先日、完膚なきまで断罪者に叩きのめされたことを。
とはいえ、こいつ一人脅したところで、どうにもならんのが組織だ。
ギニョルとて、そのくらいは分かっている。張り詰めた口調を柔らげる。
「……まあ、遊佐でもあるまいし、そのような事はするまい。お主らは大人しく街を守っておれ。こんな銃を使う程度には、わしもそなたらを嫌いではないでな」
ブラウスの前をはだけ、胸元から出したのは、日ノ本の警官のリボルバー。M37エアウェイト。
もっとも、若い警官は出て来た拳銃より、コルセットの谷間の方が気になるらしい。
くすくすとほほ笑むと、ギニョルは拳銃を収めた。
「騎士、ユエ、島に帰るぞ。ついてこい」
「うん」
「……悪いな、変な上司で」
恐らく、本来の俺と同い年くらいであろう警官の肩を軽く叩くと、改札口をくぐった。
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