9怒涛

 断罪者としての捜査の一環だが、俺は何度かバンギアに来たことがある。


 ダークランドやエルフの森へも足を運んだことがあったが、崖の上の王国の国土はそのための通過点に過ぎなかった。


 テーブルズが手配した奴らと同行しただけだから、地理的な知識があまりない。ましてや、夜中に森の中を滅茶苦茶に走って、自分の位置や方向を正確に認識することなど、できるはずがなかった。


 俺とフリスベルとザルア、街道の西側に逃げた三人が、どうにか合流し、川べりの森の中に落ち着いたのが夜明け頃。ユエの部下のニノをはじめ、馬でついてきた女兵士達もうまく逃れていたはずだが、見つからなかった。


 銃と弾薬は身に着けて来たものの、道具はなく、ましてや五日後に王国の首都に辿り着くことなど難しい状態だ。


「……やはりだめだな。このあたりは完全に森の中だ。我々が襲われた街道の方角すら分からない」


 戻ってきたザルアが、首を横に振る。

 銃で捕った山鳥や、集めた野草や虫など、食料の番をしていた俺は落胆した。


 またしばらくしてフリスベルも戻ってきた。エルフの森に慣れたこいつがだめなら、望みは薄いのだが、どうだろう。


「一時間で歩き回れる範囲では、特に何もありません。このあたりは魔力の分布もでたらめで……ちょっとこれを見てください」


 言われるまま、フリスベルがしゃがんだ方を見つめる。小枝くらいの若い木が数本生えているが、どれも葉の形が違う。


「アグロスでいう、カラマツのような木、クヌギのような木、マングローブに似た木が同時に生えて育っています。この森は魔力が安定していません。人の住む場所を魔力の濃さから予想することができません」


 エルフが迷う森だと。にわかには信じられん。

 ザルアがフリスベルに言った。


「このあたりの街道から東は、ほぼ未開の地なのです。元の領主も殺されたし、そもそも生きていたころでも、開拓は進んでいませんでした。紛争のときに、自衛軍のレンジャー隊やユエ様達が戦ったと聞きますが……どうやったのか見当もつきません」


 サーコートから取り出した磁石も、ぐるぐると回っている。漫画みたいな動きだ。これじゃ太陽の方向から方角を考えるしかないが、そんなアバウトで首都になんぞ辿りつけるはずがない。そもそも現在位置がどこか不明だ。


 俺は瀬音を立てて流れていく川べりに立った。


「こいつをたどるか」


「それしかないだろうが、ここは恐らく分水嶺より南だ。海に向かえば、ゲーツタウンの方角だろう。逆戻りしていてはユエ様たちと合流できない。それに、結婚式にも間に合わないに違いない」


「式? マヤはもう結婚式を挙げるのか」


 結婚は急きょ決まったはずじゃないのか。王族の式典にはかなり長期間の準備が必要だろうに。


「五日後はその式だ。式典ではマヤ様の戴冠を行い、ヤスハラ伯は正式な伯爵となる。マヤ様が今のアキノ家の長子だからな。フェンディ伯を継いだゴドー様や、エルフロック伯に嫁がれたララ様はお年が上だが、アキノ家の家督からは抜けられている」


 その理屈は分かるが、戴冠式となると、相当盛大なものになるはずだ。本当に急きょ決まった結婚なのだろうか。


「それを防いで、私達でアキノ王とヤスハラ伯を、安原克己を断罪するんですね」


 フリスベルが精一杯力を込めてそう言った。ザルアは無言でうなずいたが、現状はなんとも間の抜けたことだ。


「共に、マヤ様に仕えてきた者たちがあれほど犠牲になったというのに、このままでは申し訳も立たぬ……」


 声を落とすザルア。この三人ならとりあえず死ぬこともないとはいえ、あまりに情けない状況だった。


 フリスベルがぴょんと駆け寄り、精一杯腕を伸ばしてザルアの高い背中を叩く。


「そんなに気を落とさないでください。首都に入れば、私達の味方も増えるんですよね?」


 例の馬鹿垂れ兄妹でなく、マヤについていたことといい、ポート・ノゾミでの羽振りの良さといい、こいつもそこそこの家柄を持ってるに違いない。ギニョルもそのサポートを見込んで、俺達断罪者を派遣したのだろう。


 ところがザルアはあからさまに表情を曇らせた。フリスベルが戸惑いながら後ろに下がる。長生きのうえに、気遣いのよくできる奴だから、人の地雷を踏んだことはなかったのだろう。


 重苦しい沈黙の後、ザルアは噛み締めるように言った。


「……やはり、あまりにも無謀だ。お前達は川をたどって戻って欲しい。ユエ様は必ず探して、島に戻られるよう、手配しよう」


「おい、正気で言ってるのかよ!」


 思わずサーコートの胸倉をつかんだ。プレートメイルを着けているのか、体格以上に重たい体。いつもは威厳に満ちた青い瞳が所在なさげに伏せられる。


「元々、こんな大胆な真似が狂気だったんだ。国内のほとんどの勢力は、王国が一旦傀儡にされることを前提に動いている。マヤ様を守ろうとしているのは、私のように共にポート・ノゾミに居た者だけに過ぎない。そのわずかな手勢から選りすぐった者達も、あの襲撃で炎の中に……」


 自分の言葉が、不安を連れてくるのだろう。ザルアはもう俺のこともフリスベルのことも見ていない。ザルア自身、マヤが去ってから知ったであろう、国内の情勢を次々とぶちまけていく。


「騎士、貴様を取り調べて以来、我が国の政治状況は悪化していた。ララ様も、ゴドー様も、式で我が国の傀儡化を暴露し、陛下とヤスハラ、それにマヤ様を討ち取って国の主導権を握るつもりでいる。陛下とて、ヤスハラにより騎士団の戦力が整えば、マヤ様ごとヤスハラを葬るつもりだ。だからといってこの三人と比べて、結婚相手がまともではないことも、報国ノ防人を断罪したお前達には分かるだろう?」


 国の主導権を握るため、マヤを悪者にしたい長女と長兄。マヤを餌に力が欲しい父に、バンギアへの病的な嫌悪と敵意を隠さない報国ノ防人の首領。


 今まさに肉を食いちぎらんばかりに開かれた、怪物の大顎。マヤはたった一人でその中に入ったのだ。ゲーツタウンの事件の後、俺に向かって涙を浮かべた様が甦る。あれが精いっぱいだったのだ。


「すべては共に二年、島で暮らした我らや、島に住む我らの同胞たちが王国の動乱などに気を取られず、この先の人生を生きられるようにだ。追うなという手紙をみつけた」


 ザルアの言っていることが本当なら、いや、今さら疑うまい。


「だから我々は、断罪法を犯して、お前達を連れてきた。しかし甘かった。断罪者まで犬死をさらせば、島に対するマヤ様の心遣いも無駄になる。やはり、私はお前達を追い返さねばならん。分かるだろう」


 フリスベルは押し黙っている。俺も言葉が見つからない。襟をつかんだ手から、力が抜けていく。

 ギニョルが聞いていたらどう言うのだろう。そんな風に思ってしまうほど、ザルアの語ったことは重い。


 たかが島の断罪法を振りかざして、この大火に入れるものだろうか。


 大陸の自衛軍の正確な戦力は不明だ。しかし行方不明扱いになっている兵士や、新たに訓練された者が居るとなれば、橋頭保より優れるかも知れない。


 紛争が終結して二年、依然として自衛軍の攻撃に強固に耐えているフェンディ伯の魔法騎士団は、精強と見て間違いない。


 エルフの森と協調しているという、エルフロック伯に至っては、手勢にハイエルフやローエルフ、ダークエルフが混じっているだろう。その三者を擁するシクル・クナイブがどれほど恐ろしい奴らか、俺は身をもって知っている。


 対する断罪者は、七人どころか、俺とフリスベルとユエのたった三人きり。

 魔法騎士団はザルアとほんのささやかな手勢。

 そこにブランク二年のかつての英雄がたった十数人。


 死にに行くのでなければ、一体何だというのだろう。


 断罪法は苛烈だが、断罪者は殉教者ではない。

 彼我の戦力差くらいは計算できるし、しなければならないのだ。


 それでも。それでも、俺には悔しさが勝った。


「だからって、見捨てるのかよ。お前達の国を、お前達のお姫様を」


 ザルアが目を背けた。瞳の奥に何かを感じて、俺はその両肩をつかんだ。


「……くたばるより、辛いんじゃねえのか。ここで引き下がるなんて」


「言うな、頼む。ついさっきナパームで焼かれ、弾丸で貫かれた私の友も、お前と同じことを言って死んでいったんだ」


 これ以上は言葉が出ない。俺はザルアを突き放した。


 川をたどれば帰れるだろう。ユエの独走だけが心配だが、ギニョルのことだから、この事態も想定内か。


「なるほど。じゃあ、やっぱり父様と安原は、絶対五日以内に連れて帰らなきゃだめだね」


 全員が顔を上げた。声のした方を向くと、樹木の影からユエがひょいと姿を現す。


 なぜ居た、いつから居た。仮にも森に慣れたフリスベルや、節穴でないザルアの目をくぐって、一体どうやってここまで来たのか。


 俺達が何かを問う前に、川の上流の方で爆発音がした。うっそうとしげった森の向こうに、赤黒い爆炎が吹き上がったのが見える。


 ユエがハンドサインを出した。左手の人差し指を立てて、頭上にかかげる。集合地点の合図だ。


 次々と女兵士達が現れる。泥を塗ったり、枝や草で身体を覆ったり、石や砂の模様を象ったジャケットの裏地を活かしたり。まるで魔法で木にでも化けていたかのように、周囲に潜んで俺達を見張っていたのだ。


 フリスベルが目を白黒させながらあたりを見回す。魔力を全く感知できなかったのだろう。魔力不能者の強みが最大限に生きている。


 数はユエを含めて十人。残り半分はニノが率いているに違いない。爆発はきっとあいつらの仕業だ。どうやったのかは分からんが、ヘリを落としたのだろう。


 ぽん、とザルアの肩を叩き、ユエが川の上流へ歩き出す。


「……とりあえず、ニノが仇を取ったよ。隠してた情報を考え合わせて、改めて作戦会議だね。騎士くん、フリスベル?」


 振りむいた笑顔を、俺は忘れることができそうにない。

 金色の髪を揺らし、愛らしい唇からこぼれてくる快活な印象。


 部屋で見るのと同じでありながら、ぞくぞくしてくる。


 断罪者最高の射手ユエ・アキノ。

 自衛軍との紛争を戦い抜いた特務騎士団。


 こいつらの戦力を測り違えたせいで、大陸の自衛軍は散々煮え湯を飲んだのだ。


 こいつらが居て、逃げ帰ることなど、考える方があほらしい。


 ザルアはため息を吐くと、置いて行ったSPAS12と散弾のザックを背負う。たくましい背中が、再び戦意にみなぎっている。


 俺もフリスベルも後に続く。食料は、女兵士の一人が布に包んで運んでいた。


 危ないところだ。らしくない妥協を、しちまうところだった。

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