23残酷
ガドゥ、スレイン。本当に二人だというなら。嵐に巻き込まれて消息を絶ったはずが、なぜこんな女の部下になっているんだ。
方法は一つ。チャームをかけられたのだ。二人とも男性。異性の記憶と人格を無慈悲なほどねじ曲げ、全て奪うのが吸血鬼という種族なのだ。
あの嵐が魔道具によるものなら、二人を捕らえて蝕心魔法にかけたことは考えられる。
心を奪い抜け殻にして悪事の片棒を担がせる。それは憎らしい断罪者への最高の復讐だ。
ザベルを撃ち殺してしまうことも。GSUMが本気になれば、この程度はやる。
だが、こんな、こんな。俺たちが共に戦ってきた果てが、こんな――。
「スレイン、ガドゥ、聞いてくれよ」
「誰だそれは」
後頭部を踏みつけられる。硬い作業靴の感触。
「おれはロドだ。正統のヘイトリッド家ご令嬢、リアクス・エル・ヘイトリッド様の輝かしき下僕。不要な記憶をわめくんじゃねえ」
ガドゥ、いや『ロド』の吐き捨てるような言葉。だがヘイトリッドだと。それはクレールの家名だ。あの女、まさか。
「あの女、クレールの母親か、お」
今度は金属の棒で殴られた。背中に突き立った銃口、自動小銃だ。
「弾の無駄だよ。撃たせるんじゃねえ下僕半」
ガドゥが一度も口にしたことのない俺の蔑称。リアクスという、あの女への忠誠を植え付けられている。
「さて、そろそろか……」
体が浮いた。足元には森と川が広がる。背中からつかみあげられている。
空中の俺を支えるのは真っ赤なドラゴンピープルの手だけ。
裂けた口が近づいてくる。命を貫く獰猛な牙、憎悪しかない瞳。スレイン。
「さらばだ下僕半。冥土に持っていけ。それがしはファーン。リアクス様が二の下僕だ。我が主はこの赤鱗を手にするにふさわしき方だ」
赤鱗は厳かな正義の象徴。この世が滅んでも悪人の手に落ちていいものじゃない。スレインが守ってきた信念を踏みつぶすように、『ファーン』は俺から手を離した。
落下が始まる。見下ろす二人の目は、仲間でなく下僕半への蔑みを称えていた。
激しい衝撃が全身を迎え、俺の意識は途切れた。
正義とは何か。殺してはいけない、奪ってはいけない、銃や魔法を振り回してはいけない、麻薬をばらまいてはいけない、人をさらってはいけない。断罪法は人が安心して眠れるための最低限を定めている。
まずそこから、人の暮らしは始まるはずだ。
GSUMはそれを平然と破る。しかし、破ることで島に巨大な利益をもたらす。
分配こそ不均衡だが、その利益はあまりにも大きい。だから人は惹きつけられる。もしかしたら自分もと、今日を穏やかに眠ることをしない。そして次の獲物になる。
断罪者に、らせんを断ち切ることが、できないのか。
「……うぅ」
自分のうめき声で目を覚ました。生きているらしい。
手足の感覚はある。視界がぼんやりと明るく――ならない。
「なんだ……?」
目を負傷したわけではない。この空間そのものが暗いのだ。背中が硬い。しわくちゃな感触と妙にごつごつした感じ。岩かなにかに、枯れ草や落ち葉を敷いた寝床だ。
目が慣れてきた。湿気た臭いが漂っている。ここは、洞窟の中らしい。
体を起こす。胴体に包帯、手足に添え木らしきものがあてられている。芭蕉の葉と太い枝、それにつたで作ったらしい。
水の入った土器にたき火の跡、たきぎもある。新聞紙をちぎったのは、ほくち代わりだろう。小動物の毛が落ちている。狩りをして食事をしたか。
「……入るぞ」
男の声がした。さしこんだ光に目を細める。
「お前……」
俺は思わずつぶやいた。見覚えのある男だった。迷彩柄のジャケットにズボン、ナイフとサイレンサー付きのハンドガンを腰から下げている。
「もう目を覚ましたのか。骨折も治っているようだな」
「狭山、日ノ本に居たのか」
元自衛軍の特殊急襲部隊長。消息を絶ったくじら船とフリスベルを探し、謎の手紙とともに自らも行方をくらましていた男が洞窟に入ってきた。
「一体どうしてたんだ。今まで」
「静かに。気付かれてしまうぞ」
気付かれるだと。何にだ。
答えは、狭山がかきわけた入口のツタの向こうに見えた。
洞窟は崖の中腹らしい。森が下に見える。木々の間を動物の姿が横切った。
太い手足に黄色と黒のしまの毛皮。虎がのしのしと歩いている。口にはあぶみと手綱、背中には鞍が置かれ、生気のない目をした男たちを乗せている。日ノ本の人間、バンギアの人間、それにハイエルフ。恐らくあの女に操られているのであろう下僕たちだ。
腰にはサバイバルナイフ、背中の銃はショットガンM1887か。ジャケットの下にガンベルトもあるから、戦闘態勢だな。
虎と下僕は木立の中に消えた。この崖を見上げる者はいなかった。
「……行ったか。お前をここまで運ぶのも大変だった」
「お前、狭山なんだな」
「ああ。ここまで来てしまったな。あんな手紙で、お前達を思いとどまらせることはできないと思っていたんだが」
元々口数の多くないやつだが、言葉の端に噛み締めるような苦悩がにじむ。肩にはふくろうがとまっている。あの捜索の後、手紙を届けて飛び去った使い魔だった。
「一体、あれから何があった。あのロドとファーンってのは、ガドゥとスレインなんだろう」
あの女吸血鬼にチャームをかけられたに違いない。吸血鬼に奪われたものは、二度と戻ってこないのだ。想いも記憶も消されてしまう。
狭山は唇を固く結ぶ。沈痛な面持ちで続ける。
「二人だけじゃない。お前の会った姉妹、ソムブルは、クレール。そして、イレィトはフリスベルさんだ……」
たわむれあう美しい少女たちの姿が、耐えがたい辱めに変わった。
俺はどうにか怒声をこらえた。代わりに、岩のベッドに置いた拳を強く握る。
クレールが、フリスベルが。俺の仲間が、あんなガキに成り下がったなんて。
「あの女の仕業か」
「私には分からない。ガドゥやスレインと様子が違っているようにも思えん」
狭山にはあまり魔法の知識がない。だがフリスベルは女性だ。チャームを受けたわけではない。クレールは男性だが、吸血鬼にはチャームそのものが効かない。
ではあの二人の様子はなにか。おそらく記憶を植え付けられ、人格を書き換えられてしまったのだろう。リアクス好みの美しい姉妹という形に。屈辱以外の何者でもない。
「私は、あれからゲーツタウンを探し回った。そしてあの船の船員たちを見つけた。難破して行方不明のはずが、酒場で飲んだくれて娼婦とベッドにしけこんでいた」
狭山の目が凶暴に光ったように見えた。汚い光景を思い出しているのだろう。
「だから捕まえて血反吐が出るまで殴りつけて、歯と指を全て折って、吐かせた。船員たちは金でGSUMに雇われていたんだ。嵐の中近づいてきたGSUMの者達をわざと見逃して、人質にされるふりをした。断罪者は、騙された。そいつらを助けるために、抵抗できず、あの女の手にかかってしまった」
馬鹿な。信頼できる者達をそろえたはずなのに。嵐のすさまじさではなく、四人は計略に負けたのだ。船員たちは何度も協力してくれた、クレールだって記憶を読んで疑おうとはしなかったのだろう。
「リアクスにやられたのか。あの女はなんだ。本当にクレールの母親なのか」
たずねておいて無駄だと思った。ついこの間までこの日ノ本にいた狭山には、ダークランドや吸血鬼の事情に暗いはずだ。
案の定口ごもる。分からないよな、と言おうとしたときだ。
「……あの女は、ヘイトリッド家の正統らしい。クレールの父親のライアルは、紅の戦いでなり上がり、ヘイトリッド家の婿養子に入った。あの女は家の維持のためライアルを受け入れたが、クレールを生んで家を出奔した。紛争中、キズアトに取り入って、この日ノ本に自分の領地を作ろうとしているんだ」
「馬鹿な。あのクレールの親がそんな奴のはずがない」
「確実だと思う。奴の部下の吸血鬼を一人、捕らえてこれで脅したんだ」
狭山が懐から取り出したのは、銀のナイフだった。吸血鬼を灰に還せる必殺の武器。リアクスのような奴の部下が、突き付けられて嘘を付きとおす知恵も気概もあるわけがない。
となると事実か。おそらく、亡くなったルトランドも父親のライアルも、クレールには知らせていなかったのだ。百八歳の吸血鬼は、人間でいう、ほんの十歳過ぎ。こんな出生は受け止められない。
「手紙を送ってくれたときには、ここを突き止めて入り込んでいたんだな。でも、よくこんな場所で生き延びたな」
洞窟には、簡素だが生活の痕跡がある。狭山はリアクスの部下が見張るこの場所に、一日や二日居たのではない。
「ああ。私はどうやらおまえの妻と、ユエと同じ魔力不能者というものらしい。連中や連中の下僕には私の魔力は読めず位置が分からん。奴らレンジャー技能はにわか仕込みだ。これだけの森があれば、私ならいくらでも姿をくらまして襲える」
そういうことだったか。狭山はほんの数か月前まで、自衛軍で最も優秀な空挺団の中隊長だった。実戦も十分過ぎるほど経験したし、まさかユエと同じ魔力不能者とはな。
だが、あの手紙はどういうことなのだろう。薄々予想はできるが、俺はたずねてみた。
「ここに居て、どうするつもりだったんだ」
「……お前たちと会う前に、私の手で変わり果てた断罪者とあの女を始末するつもりだった」
俺はとび起きた。怪我は治っている。少し背の高い、狭山の胸倉をつかむ。
「お前……!」
狭山のたくましい体は、空気の抜ける風船のようにしおれていく。歯を食いしばっている。
「もう方法は、ないのだろう。フリスベルさんも、戻らない。私でさえも知っている。吸血鬼に奪われたものは……っ」
言い淀む。俺も唇を噛んだ。血の味がする。
流煌の最後がちらつく。俺への記憶を取り戻し、それでもキズアトのために死んでいった恋人の姿。
「……くそっ、分かってるよ」
狭山を放り出す。そう、二度と戻ってこないのだ。
断罪者が超えてきた、あらゆる戦いの果て。それがこの残酷だというのか。
こんな結果を、ギニョルやユエのもとに持って帰るというのか。俺はてのひらで目を覆った。涙は出ないが、どうしていいか分からなかった。だが、ありえることだったのだ。人の心を操り楽しむ吸血鬼を、断罪者は相手にしてきたのだから。
「危ない!」
銃声と怒声が響く。洞窟の岩で腹を打った。振り向くと入口のつたが吹き飛んでいた。
外が見える。光の中に赤い竜の姿。スレイン、いや、ファーン。その背中、撃ってきたのはガドゥでなく、ロド。あいつらはもう、リアクスの下僕だ。
「狭山」
「奥へ行け! 下ってここを抜けろ。川沿いに出られる。三呂警察には知らせてある」
洞窟の壁に隠れ、ハンドガンを取り出し反撃している。ロドがAKで銃撃してくる。ライフル弾が跳弾になって、洞窟の壁を飛び回る。
俺に銃はない。それに、元断罪者相手に断罪者は役立たずだ。
けがは治っている。俺は姿勢を低くして、暗い洞窟内を進んだ。後ろで銃声に交じって、スレインが炎を吐き出す音が聞こえた。熱気と火の粉、そしてそれらを狭山が受けた事実から逃れるように。俺は振り返らなかった。
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