22吸血鬼に奪われたものは


 リボン付きのローファー、黒白のストライプの太ももまでのタイツ。フリルで彩られた黒いワンピース。偶発的というか、姿勢上スカートの奥の黒い下着も見えている。


 だからなんだ。命の危機だ。大体子供の下着なんぞ嬉しくもなんともない。


 にらみ据える俺に驚いた様子で、目の前の少女が首をかしげた。


「ソムブル、どういたしましょう。この人まだ戦う気ですわ。私の下着を見たら泣いて喜ぶ人もおりますのに」


「姉さまは全ての人が幼さで篭絡できると信じないことです。お前何が目的だ」


 後ろの奴は冷たい口調だが、こっちも甲高い少女の声で怖さはない。


 ただ、突き付けられた銃口の形で分かる。これは古いタイプのライフル銃だ。しかも正確に心臓を狙ってる。


 いくら少女の姿だろうが、急所に銃を突き付けられる奴が素人のわけがない。動けば即死だろう。


「なあ嬢ちゃんたち、バンギアから来たんだろ。断罪者ってのを知らねえか?」


「……そんな汚らわしい世界のことは知らない。もういい、ここで」


「お待ちなさい」


 頭上から聞こえた声に救われた。これも女の声だ。


「お母さま」


「母さま」


 二人の少女が俺から離れてひざまずく。当然背後の銃口もなくなる。

 しめた。ショットガンを拾おうとした瞬間。


「……手癖の悪い男ね」


 指一本も動かせん。

 三又に分かれたキャンドルを胸元に持ち、廃倉庫の二階から顔を出した銀色の髪の女の仕業だ。女は肩の出た黒いイブニングドレスを着ている。ほこりっぽい場所なのに、汚い空気が避けているかのように、青白くつややかな肌をしている。


 年のころは三十前くらいか。ギニョルと大体同じくらいだな。美人だがどこか陰気で、体系もきゃしゃ。鋭い目が印象的だ。まあ普通の女吸血鬼ってところか。


 と、呑気に観察している場合じゃない。俺が動けないのは、女の紅い瞳から俺の瞳めがけて銀色の魔力が走っているせいだ。


 蝕心魔法をかけられている。


 相当に強力。全身がまひしたようになって一切動けん。クレールが本気でやったらこうなるかも知れない。


 ソムブルと呼ばれた少女が、胸元で手を握る。こっちも銀色の三つ編みに白い肌、紅い瞳だ。ドレスは純白、銀色の髪と赤い瞳と不思議に調和している。


「さすがです母さま、こいつは得体の知れない魔力を持っていたので用心していたのです」


「ソムブルは賢いわね。確かにその男にかかっているのは強力な操身魔法です。あの下賤な悪魔の仕業でしょう。やはりこちらを追ってきました」


 マロホシのことだな。ということはこの女GSUMの関係者。当たりだ。

 黒い服の少女が小首をかしげる。人差し指で自分の唇に触れる。


「下賤な悪魔……ゾズ・オーロのことですか?」


「マロホシと呼んだ方がいいでしょうね、イレィト。裏の世界ではそれで通っておりますから」


「悪魔があれほどの悪事を行って、自分の家の名も名乗らないなんて片手落ちですね」


 ソムブルと呼ばれた吸血鬼の少女が腕を組む。美貌だが、ふてくされた少年のような雰囲気がある。女がほほ笑んだ。


「地位が低いのですよ。醜い争いに乗じて、どれほどの富と名声を得ようと、沼の名を持つあの男と同じなのです」


 本名、ミーナス・スワンプ。遠い先祖が汚辱刑を受け、沼の姓を強制されたキズアトのことだろう。


 ソムブルは吐き捨てるように言った。


「……あいつは嫌いだ。汚いけものの臭いがする。姉さまや母さまを嫌な目で見てる。へばりついている魂のない女どもだって気色が悪い。まとめて首をはねてやりたい」


 少し声が低くなった。まだ可憐だが、これは少年の声だ。このソムブル、美しい容貌であまりにドレスが似合ってるから気づかなかったが、男なのか。


「こら、ソムブル。野蛮な声はいけません」


「申し訳ありません、姉さま」


 また少女の声に戻る。声色を作ってるらしい。操身魔法で体を変えているわけじゃなさそうだ。純粋な女装か。吸血鬼は無駄に美形だから、お手の物だな。


 黒いドレスの少女、イレィトの方が俺のあごを細い指でなでるようにつかんだ。


「この人はどうするんです?」


 こっちは正真正銘の少女だ。黒髪に黒い目、一見どこにでもいる日ノ本の子供のようだが、近くで見ると雰囲気が違う。磨かれた宝石のような印象だ。


 せいぜい十歳少しという外見だが、そうでもないようにも思える。魔法とかではなく、俺の心を見通すようにじっと見つめてくる。


 わずかに魔力を感じる。外見こそ日ノ本の少女だが、こいつも実は、ローエルフかなにかなのか。


「どうしたものでしょうね。断罪者はなかなか厄介者ですから……」


「母様なら簡単に奴隷にできるでしょう。私は剣でいじめてみたいのですが」


「だめですソムブル。私も結構好みですから。死体にしないでください」


「イレィトお姉さま、悪趣味ですよ」


 端麗な顔に意地の悪い笑みを浮かべ、きゃしゃな手足でつつき合う二人。言い争いというよりは、精霊か妖精が遊んでいるみたいだ。互いの服のフリルの裾が踊る。


 少年と少女の可憐な騒乱を、女が手を叩いて打ち切る。


「……そのあたりにしておきなさい。ファーン、ロド!」


 女が呼ぶと、廃墟の背後から巨大な影が浮かび上がった。

 巨大な旗、いや、これはドラゴンピープルだ。


 ドラゴンピープルは、蛇のような鳴き声を上げる。つばさをはためかせながら俺たちの眼前に降り立った。


 その背には一人のゴブリンが乗っている。腰布一枚、まさに吸血鬼の召使である意志のない怪物といった雰囲気だ。


 俺の蝕心魔法が解かれた。同時に、ドラゴンピープルの剛腕が俺を軽々とつかみ上げる。


 言葉が出せない。俺は背中に落とされ、ゴブリンがコートをはぎ取るがされるがままだった。


「その男は、いつもの川流しに。こちらの警察には行方不明として届けておきましょう。残りの断罪者が来る前に」


「あぁ、つまりませんわお母様。奴隷が欲しかったのに」


「姉さま、奴隷は私達吸血鬼の特権ですよ」


「……ずるい」


 仲のいい姉妹のふるまいをする二人も関係ない。

 川流しとは水による処刑だということだろうが、もう、どうでもいい。


 やろうと思えば、俺は抵抗できたはずだ。蝕心魔法も切れている。


 だが体が動かない。


 なぜか。俺が落とされたのは、この両世界に二匹と居ないはずの、赤い鱗のドラゴンピープルの上だったからだ。


 それに、表情は浮かんでいないし、動物のような扱いをされているが、俺からコートを剥ぎ、縄を打ってくる男のゴブリン。


 こいつもだ。ゴブリンの顔は同じなんかじゃない。もう区別がつく。


「スレイン、ガドゥ、お前ら、なんで、なんでこんな奴らと……」


 搾り出すような俺の声は、二人に聞こえていないようだった。

 チャームを受けたというのだろうか。


 いや、瞳は赤くない。チャームを受けたわけではない。記憶か人格が大幅に操作されてしまっているらしい。


「……うふふふ。丹沢騎士。断罪者を徹底的に苦しめて殺せば、あの二人が礼を弾んでくれるわ」


 俺を見上げる吸血鬼の女が、下の二人に聞こえないように囁いた。


 崩れた口元に浮かぶ下品な侮蔑。GSUMの酒場でくだを巻いているクズみたいな下っ端がよくやる、ゲス野郎のほほ笑みだった。


「連れて行きなさい! さようなら、名も知らぬ人。カオスワインドを調べる者は、いつの間にか姿を消すのです」


 黙れ三下と叫びたいが、ガドゥらしいゴブリンが俺の頭を押さえつける。


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