24かつてとの境界
狭山の言う通りだった。洞窟は曲がりくねり、のぼっておりて、ぐねぐね続く。だが結局一本道だ。岩の隙間を必死に進むと、やがて光が見えた。近づくと、こちらも、つたや枝葉でカモフラージュした出口が見える。
俺の体に大した傷はない。早く脱出して救援を呼ばなければ。狭山は事態を日ノ本の警察に、元特警の紅村が率いる三呂市警に知らせているはずなのだ。
外は林だが、せせらぎが聞こえる。ふもとを流れる川の近くだ。このまま下っていけばいい。つたをかきわけ、一歩を踏み出す。
「ぅっ……!」
払いのけたつたが、腕に絡みついた。岩から生えた草木が胴体に巻き付いてくる。身動きを封じられた。魔力を感じる。この植物は現象魔法で操られている。
「まあ、ねずみさん。やっぱり出てきましたのね」
崖の上にちょこんと座る黒いワンピースの少女。汚さないようにか、柔らかく伸びた草に腰かけている。俺を見下ろし、携えた木の杖には魔力の光。
「フリスベル……いや、イレィト」
狭山の言った通りだ。髪の色と耳の形こそ人間と同じだが、確かにこの少女はフリスベルと同じ顔の造形をしている。
イレィト、記憶と姿を書き換えられた俺たちの仲間は、可愛らしく小首をかしげた。
「私の名前、覚えているのかいないのかどちらです?」
「……覚えてるよ、両方ともな」
フリスベル。俺たちの仲間のローエルフ。小さな体でたくさんの悪と戦い続けてきた頼もしい仲間。
つたが締まった。魔力を感じる。言葉も出ない、骨が砕かれているみたいだ。
「私の名はイレィトです。母様の娘でソムブルの姉。名前はひとつしかありません」
「ぅぐっ……!」
このまま俺をバラバラにするかもしれない。そう思わせるほど容赦がない。自分を迫害した敵兵士さえ助けるフリスベルは、もういなくなってしまった。
「姉さまが殺すのですか、この男を」
ひた、と首元に金属の感触。レイピアの抜身だ。見上げると、赤い瞳とぶつかる。
剣を抜き影のように俺の脇に立っている。クレールだと思ってみると、きゃしゃな姿は、確かに俺の仲間その人だった。黒いワンピースドレス姿だが、不本意な女装姿も見たことがある。吸血鬼ゆえか、美しかった。確か三呂に来たときだったか。
「……いえ。私としたことが、頭に血が上りました」
つるの拘束が、身動きできない程度に緩んだ。激しくせきこむ俺の首に、レイピアの切っ先が当たる。つ、と血が流れる。息を止めた。
「分かる話です。この醜い苦しみを見ていると、奇妙なわだかまりを覚えます」
「でしょう? 少年なのか、青年なのか。とても表現できない、得体の知れない気分が湧いてきます」
レイピアが少しずつ皮膚の下に入ってくる。首を、精一杯引かなければ喉を貫かれる。フリスベルとクレールが、俺の命を手のひらで転がしている。三年近く、一緒に修羅場を潜り抜けてきた。そいつらが俺を殺そうというのだ。
情けないが、死への恐怖もある。ユエに子供ができたっていうのに。知らず、怯えた表情になっていたのか。
「その顔は何だ!」
金属が俺の顔を打ち叩いた。ソムブルが柄で俺を殴ったのだ。
「男のくせに、その涙は何だ! 悔しいなら舌を噛み切って死ね! お前のような女々しいやつは、僕をいらいらさせるっ!」
顔を次々殴られる。歯が欠けた。次は胴を護拳で打たれる。胃が割れそうだ。あばら骨が叫ぶ。
「げほっ……」
血と、つばと涙が、地面に滴っていく。意識はすでにもうろうとしている。
つたが、俺の身体をさらに締め上げているらしい。そのまま千切らんばかりだ。
腫れた目で見上げると、ソムブルが俺めがけて杖を構えている。
「もう、その、傷ついた顔を見せないでください。どうか、居なくなって。あなたを見ていると、心が……なにか……お母様はどこなの……!」
つたの締め付けが、不釣り合いだ。魔力が乱れているのか。記憶は書き換えられているはずだ。フリスベルではなく、ソムブルが、俺を殺すのに心を乱すはずがない。
「姉さん、もういいよ。僕がやるから」
イレィトは、自分を僕とは言わなかったんじゃないか。
ぼんやりした視界の中、レイピアが日光を浴びてきらめいた。
刹那。
「おい、何をしてる!」
「娘ども、マスターに従わぬというのか!」
冷たい斬撃ではなく、怒声が降ってきた。
首が上がらん。だが打ち付ける強い風、土や小石が吹き飛んで肌に触れる感触。巨大な竜。スレイン改め、ファーンが降り立ったのだ。
「この領地の命は、ひとつ残らず我らがマスターのものだ。実子のお前たちとて、勝手に処分する権限はない。見ろ、我らは森の獣も殺していない」
ぶらりと腕に下がっているのは、全身にやけどを負って、ぐったりとした狭山だった。いくら元空挺団の中隊長といえども、ドラゴンピープルの相手はむりか。たった一人では俺が逃げる時間稼ぎがやっとだったのだ。
殺されていないのは幸いだがな。ロドらしい声が聞こえる。
「そうだぜ、娘っ子ども。その下僕半が生きてたのは、俺とファーンの旦那の落ち度だ。失敗をマスターに報告する必要がある。お前さんらが捕まえてくれたのはありがたいが、殺すのはそれからだ」
下僕にされても、まじめなタチは変わらない。
体がつたから解放された。手もつけずに前に倒れる。締め付けだけで、あちこち骨折させられたらしい。痛くて動けない。
「……分かっているよ、勝手に出しゃばって悪かった」
つば鳴りだ。ソムブルがレイピアを収めたのだろう。
「おいおい、出しゃばったとは思ってないぜ。この下僕半が生きてたのは俺たちの手落ちだ。逃げられてたら最悪だったからな」
「うむ。この獣の言う所では、警察が動くそうではないか。合流されては面倒だ。乗るがいい、マスターの所まで戻ろう」
ファーンはそう言うと、俺を口にくわえて背中に乗せた。隣には息絶え絶えになった狭山が放り捨てられる。
ソムブルとイレイトが登ってきた。赤いうろこに覆われた、五人を乗せてもまだ広い背中。断罪者として乗せてもらった赤い竜の広い背中に、元断罪者がそろった。
行く先は悪人の手のひら。しかも、悪人の命令に従い、狭山と俺を届けるのだ。
ファーンが飛び立つ。地面が遠ざかっていく。俺は動くことができない。狭山もまた、うつろな表情で虚空を見つめている。スレインの炎を浴びて半死半生。もうフリスベルはいない。治療してくれる者はいない。
「それにしても、森の獣がただの魔力不能者だったとはな」
「だな。強かったぜ、八人も下僕を殺しやがって。魔力のねえやつは銃と相性がいいから。まあ、生きものなのに魔力がないなんて不自然な存在だろ、イレィト」
「……ええ」
フリスベルだった少女は、そう言って狭山を見下ろした。その口元や瞳に変化はない。俺の前で屈強な元空挺団員にのろけていたローエルフは、どこへ行ったのだろうか。
俺たちを乗せたファーンは、リアクスの居た屋敷へと向かう。仲間だった四人の姿が、頭からぼんやりと消えかかっている。
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