2事件
屋上を出て三階の会議室に入った。
暗幕で締め切られた部屋は薄暗く、中央には長い机。
プロジェクタスクリーンに似た、バンギアの装置が設置されている。
装置の調子を調べているのは、小学生くらいの体格の男性だ。
作業帽とゴーグル、皮の胴衣に厚手の手袋、皮のズボンと、安全靴。
だが、ただのメカニックマンじゃない。
帽子の下の皮膚はつるつるの緑一色。髪の毛もない。
わし鼻で口が大きく、目はぎょろついているが、見慣れると愛嬌がある。
こいつはゴブリンの『ガドゥ』だ。
ガドゥは入って来た俺たちに振り向いた。
「おっ、騎士とクレールか。ちょっと待ってくれよ……魔力の波長を調整するぜ」
「……魔道具というのは未だに慣れぬな」
ガドゥの脇でそうぼやいた美人は、俺たちのお嬢さん。
その名も“ギニョル・オグ・ゴドウィ”。
悪魔の名家に生まれた俺たちの断罪者の長だ。
悪魔と呼んだが、外見はそれほど人間と違わない。
こめかみから2本の黒い角を生やした、赤い髪の妙齢の美女。
フード付きの紫のローブには、体つきの抑揚が絶妙に現れている。
胸元の膨らみや、スリットの具合たるや、思わず唾を飲んじまうほど。
ハイヒールに腿までのガーターベルトなのも個人的によい。
アグロスの文化に触れて、姿を色々工夫したらしい。まあ、大体生まれついたままの外見だそうだが。
そんな美人が、腕を組んだまま俺たちに首を向ける。
「来たか、騎士にクレール。ガドゥよ、まだか」
「急かすなって。こいつはおれのコレクションの中でも、とびきりじゃじゃ馬なんだから……よし、魔力の波長が合った。やっていいぜお嬢さん」
「御苦労。見ておれ、今使い魔の目を映す」
ギニョルが細い手をプロジェクタに置く。片目が紫色に染まり、その光が指先から装置に伝わる。
使い魔の視界を写すのだ。
使い魔は悪魔のたしなみだという。ギニョルも百を超える使い魔を島中に放ち、情報を探っている。この使い魔と魔力を通じて視界を共有するのが、魔法の一種、操身魔法だ。悪魔は操身魔法を得意とする。
プロジェクタの様な装置から、映像がスクリーンに投射される。
ちなみに、この装置は魔道具と呼ばれる。バンギア人の中ではガドゥの様なゴブリンが一番扱いに詳しい。というかゴブリン以外は扱えないと言っていい。
「ここは……マーケット・ノゾミか」
「猥雑な場所だね」
クレールがため息で答えた。人間、ゴブリン、悪魔、吸血鬼、エルフ達まで。市場はごったがえしている。
貴族様らしく、衛生観念も高いのかもしれない。
使い魔はフクロウか何かだ。普通の鳥では、夕暮れで視界がきかないはずだ。
その目は、露店の並ぶ広場に注がれている。
「ごちゃごちゃして見えにくいな。どれが奴らだ?」
いらだたしげに腕を組むクレール。
それも分かる話で、確かに芋洗い状態だ。
マーケット・ノゾミは闇市だが、実質この島の生活を支えている。スーパーやコンビニなどのまともな店は、紛争中に略奪され尽くした。日ノ本と島はつながっているが、二度と出店してこない。もちろん、例外を除いて島から日ノ本へも行けない。
食い物も必需品もここに集まって買うしかない。
日ノ本の通貨『イェン』、バンギアの通貨『ルドー』、自衛軍が発行した軍票の三種が使えるうえ、闇レートで両替もできるとなれば集まっても仕方がないだろう。
「……見えぬか、そら、真ん中あたりにおる。食用虫を売っておる、露店のそばじゃ」
ギニョルはクレールのそばにかがみ込むと、頬を寄せ、頭をつかんで画面を指さす。母親と子供みたいで微笑ましいが、クレールは口を尖らせる。
「分かったから、つかむんじゃない。まったく、僕もいい年なんだぞ」
「100才やそこらの小僧がか? まだ下僕も作っておらんのじゃろう」
体を離し、意地悪くほほえむギニョル。クレールはぷいとうつむいた。
「作るさ……そのうち。それより、あいつらでいいんだな」
「ああ、そうじゃ。悪魔と、自衛軍じゃな」
俺は最初から目を付けていた。
はくをつけるためか、悪魔は操身魔法で姿を変えていた。毛むくじゃらの体に、山羊の顔、背中にこうもりの様な翼。俺達アグロス人が思い描く、いわゆる悪魔の姿だ。
そいつと向かい合っているのは、迷彩柄のジャケットをはおった自衛軍の奴ら。
ギニョルがクレールを離した。棚のファイルを取り出してめくっていく。
あれに載ってれば、ここ二年で前科があるってことだ。
「あやつは悪魔、オーグル・ルブ・エボイ。GSUM傘下の組織、
ギニョルがファイルをめくるより早く、クレールが言った。
「自衛軍、普通科第20連隊の元小銃小隊長、
調べたというのは、
クレールの様な吸血鬼は、人の心や記憶を操る蝕心魔法を得意とする。特に魔法に抵抗できないアグロス人は、こいつにかかれば拷問も薬もなく心や記憶が筒抜けになるのだ。
取引はうまくいっていないらしい。
画面の中では、古参兵の桐嶋が肩をすくめるところだった。
悪魔オーグルは、あからさまに機嫌を悪くしたらしい。
そばにあった露店のカウンターを叩き、何事か叫ぶ。
吊るされた食用虫の干物が地面に落ちた。おびえていたゴブリンの店主が顔を上げ、オーグルに詰め寄る。
オーグルは取り合わない。
だが恐らく部下の悪魔であろう、角の生えたスーツ姿の男が、懐から紙幣を取り出した。適当に投げ渡す。
その態度が気に入らなかったらしい。店主はテーブルを叩いて抗議する。
オーグルの右手で拳銃が火を吹いた。
オートマチックか。種別までは分からないが、自衛軍がばらまいた9ミリ拳銃だろうか。
ゴブリンは倒れ伏した。そのまま動かない。腹から血が広がっていく。
オーグルは銃を桐嶋達に向け、なにごとか脅し始める。
桐嶋も、二人の部下も全く気にしていない。
今度はオーグルのそばの悪魔が座り込む。腕を押さえている。
こいつも撃たれた。桐嶋達は動いていない。隠れている部下がやったのだ。
コンテナ、露店、バラック、クレーン、トラック。市場には隠れるところがいくらでもある。
オーグル達もそれぞれ銃を取り出すと、でたらめに発砲しながら荷物と共に物影に逃げ込む。身を隠す桐嶋達の周囲にも、砂煙やブロック片が舞い始めた。悪魔の側にも伏兵がいた。
悪魔と元自衛軍。紛争で凄惨な殺し合いをやった者同士に、対等な交渉などできるはずがない。
あれだけいた群衆は、ゴブリンが撃たれたあたりから逃げ散っている。店主たちも露店を離れ、丈夫なコンテナの影に隠れている。
「……同族をやりやがって、あの畜生!」
憤慨し、拳を床に叩き付けるガドゥ。
ギニョルはファイルを閉じた。俺達に向き直る。
「騎士、クレール、すぐに現場へ向かえ。奴らは断罪に値する」
冷たく鋭い目つきと口調。唇に怒りが宿る。
ギニョルは悪魔のくせに『悪』を憎む。故郷を離れて混とんとした島にやって来て、俺達の組織を立ち上げたのだ。
こういう奴がいるから、俺は悪魔を嫌い抜けない。
だがまあ、とにもかくにも、上役の決済が出たのだ。思わず口笛が漏れる。
「……待ちかねたぜ」
「ふふ、楽しみだね」
クレールもご機嫌だ。
元自衛軍のアグロス人を撃てるのが、最高の喜びなのだろう。
こういうときだけ、気が合うんだよな。
「待て、貴様ら」
勇んで出て行こうとする俺達を、ギニョルが止めた。
だけじゃない。ギニョルの体に、紫色の魔力の染みがみるみる広がる。
やがてその体は虫の繭みたいな魔力の塊になった。
塊が割れ、中から現れたのは、オーグルや俺よりはるかにでかい、二メートルを超える山羊顔の悪魔だった。会議室の天井にぶつかりそう、ドアからじゃ出られないほどの化け物だ。
これも、悪魔の得意とする操身魔法。生き物の身体の性質を操り、変化させる。
既存の動物を作り替えた使い魔もその一部だが、最も手軽な実験台は、なんといっても自分自身。
操身魔法を修練し、禍々しい悪魔としての姿を手に入れて初めて、悪魔は悪魔として認められる。
高位の悪魔であるギニョルもまた、一流の教育と長い修練を経て、瘴気を吐き出す強大な山羊顔の悪魔への変身を身に着けていた。
部下である俺達に雷を落とすときは、この恐ろしい姿でやるのだ。
悪魔ギニョルは瘴気を吐き出すと、ひづめで床を踏み鳴らし、俺達を見下ろした。
「いいか、くれぐれも手続だけは怠るな。我らはシクル・クナイブのごとき暗殺ギルドではない。断罪とは法の執行だ。私怨で撃てば、貴様らのコートとマントは没収する。分かっておろうな」
なんべん聞いた台詞だろう。
クレールがつまらなそうにうなずく。
俺は口と鼻を塞ぎながら、必死にうなずいた。悪魔や吸血鬼以外が瘴気を吸うと、肺に唐辛子をぶち込まれたみたいな感覚が長く続くからな。
「かんべん、してくれよ……お嬢さん……」
ガドゥがへろへろになりながら、窓を開けて外の空気を吸っている。
きっと俺と同じで、線香と灰に刺激臭を混ぜた強烈な臭いに苦しんでいるのだ。
毒ガスと同様、人間の俺より体の小さいガドゥには、ギニョルの吐く瘴気はきつい。
クレールは吸血鬼だけに、ぴんぴんしてやがるが。
「覚えおけ。貴様ら自身の命も守られねばならない。相手の数が多いのだ、全員そろうまで無茶な戦いはするな!」
ムチの後に、俺達の心配か。本当に敵わん上司だ。
お嬢さんの檄を背に、俺とクレールは会議室を出た。
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