12橋頭保へ


 橋頭保というのは、軍事用語だ。正しくは橋頭堡と書くらしいが、「堡」という漢字が古いので、言い換えている。

 色々な意味があるが、簡単に言うなら、前線に一番近い防衛拠点だと思う。つまり、自衛軍がバンギアに侵攻すると考えたとき。必要な武器弾薬や燃料、食料、資材、兵員などを集めて、軍を進めるための拠点だ。

 実際、将軍の息のかかった自衛軍の部隊は、橋頭保を出発しては防衛活動を行い、戻ってきて補給をこなす。俺達に断罪されたり、バンギア人にやられたりして減った人員も、日ノ本から橋頭保に送られる。


 ただ橋頭保というのは、基本的に戦争をしているときの言葉だ。

 バンギアとアグロス、日ノ本との紛争は、もう終わっている。各種族から代表を出したテーブルズの結成とそれが定めるポート・ノゾミ断罪法に基づき、島の治安を守る俺達断罪者の存在を条件として。


 それなのに、なぜ橋頭保なのか。戦争は終わったのに、どこを前線に攻めるというのか。そういう非難が、橋頭保という言葉には含まれている。つけたのは恐らくバンギア人の側だろう。

 実際、その橋頭保の日ノ本の公式の呼称は、“陸戦自衛軍ポート・ノゾミ駐屯地”だ。まあ、その呼び方をしているのは、島の一部のアグロス人と、日ノ本に暮らす、1億2千万のアグロス人の方だが。


 そんな橋頭保に侵入するために。俺達はいったん警察署へと戻った。

 そうして、クレールを伴い、未成年の人身売買で断罪した、セコい悪魔に面会。蝕心魔法で記憶を探った。


 拘留室の鉄格子の下、虚ろな目でうずくまっている男の悪魔。クレールの眼に魔力が集まっている。


「確かに今夜だ。ホテルノゾミから橋頭保へ、女性の注文が入っている」


「場所はどこだ」


「敷地内の、独身の兵士宿舎。数か月前、こちらに来て、防衛活動を終えた兵士の慰安が目的だそうだ。合わせて、連絡の方法も教えておくらしい」


「それは、基地内全員が知ってるのか」


「いや。警備の責任者と、宿舎の管理者、それに防衛活動を引率した兵士だけだ。日ノ本から来た連中を、くだらん乱痴気騒ぎで懐柔するつもりだろう」


 兵士の頭を頻繁に覗いているクレールによれば。

 日ノ本から、ここに派遣される自衛軍の兵士は、バンギアの実態を知らされていないらしい。防衛活動といって、村を焼かされたり、船を沈めさせられたり、人間を狩らされたりして、日ノ本の平和とのギャップに相当苦しんでいるそうだ。


 そこで、そういう奴を懐柔し、篭絡ろうらくして島の自衛軍にふさわしくするために。島の無秩序が生んだ、素晴らしい果実、ホープストリートの娯楽がある。


 全員で無様に快楽を貪り、恥をさらし合うことで、汚れた絆は共有され。防衛活動からは、ずぶずぶと抜けられなくなっていくのだ。

 将軍か誰か、紛争に味をしめた奴の思い付きだろう。悪趣味の極みだ。


 だが、そういう慣習を、利用させてもらったことで。

 俺達は、橋頭保に潜入できた。


 分厚い布越しに、夜気が渦を巻く。陸上自衛軍が放棄した、74式小型トラックを改造したジープ。その荷台の中からシートの透明な部分を覗けば、夜の基地は静まり返っていた。


 監視カメラも、監視塔の明かりも無いであろう角にジープを留め、運転席の男が言った。


「もういいぞ、行け。ここから東、二区画向こうの格納庫だ。線上にはカメラが無い。監視塔の明かりにだけ用心しろ」


 角のあるその顔は、どう見ても悪魔のなのだが。

 こいつは、操身魔法で例のセコい悪魔に化けた、若木の衆のフェイロンドだ。


「……頼みます、必ずや、法と正義を遂行してください」


 口数少なく、俺とガドゥを励ましたハイエルフの娼婦は、ホープストリートに潜入している若木の衆らしい。潔癖な連中なのに、そこまでして情報を集めるとは、すさまじいまでの覚悟。もっとも、こういうネットワークを、各種族、各国が持っているに違いないのだが。


「まいったなあ……そりゃ、できることはするよ」


 普段、種族まとめて下に見て来るハイエルフに手を握られ。どぎまぎしているガドゥ。

 その首に、赤い尾が巻き付く。


「かはっ、おい、よせ、ドロテア……」


「ふん、何だよ。やっぱりお前も、こういう淑やかなのが良いのか」


 微笑ましいのだろうが、ガドゥの体とか以前に、ここは敵地だ。


「やめろドロテア。騒ぎを起こしたら、見つかるぞ」


 せっかく、わがままを聞いたのに。足を引っ張られては話にならない。

 スレインへの対抗心だか何だか知らないが、計画をばらすとまで言われては、置いていけなかった。


「フリスベルが無事だと、良いのだがな」


 去り際、フェイロンドがつぶやいた。ローエルフとは接点が無いと思うのだが、何かあるのだろうか。


 ジープを降りると、言われた通りに監視塔の明かりを避けながら、格納庫を目指す。荷物は軍用の背のうに詰めた、2人分の弾薬と、銃器のパーツだ。

 何度か来て、分かったことだが、散々防衛活動をやってるわりに、橋頭保の守りはそれほど固くない。入口の門や監視塔には、機銃座なんかも備えてあるが。中は戦時の基地の様には見えない。


 確かに監視塔には、常に兵士が居るが。基地内のほとんどは、監視カメラ任せだ。


 紛争の終わった今、正面切って、自衛軍と戦う勢力が存在しないせいだろう。自衛軍の兵器は、恐らくバンギアで最強。しかも実質、日ノ本のコントロールを離れている。下手に手を出せば、どんな報復があるか分からない。

 島ごと海に沈める手段でもない限り、ここを攻撃しようなんて奴は誰も居ない。本気で戦争を仕掛けない限り、この橋頭保は決して落ちないのだ。


 だがその慢心ゆえに、こんな手段も通る。

 格納庫の壁際、端っこの角。塔からのライトの死角で、監視カメラの届かない位置。

 とうとうたどり着いた。本当に、警備の兵士は遠くから見かけたきりだ。


「第6格納庫、か」


「ここに連れて来られてるんだな」


「フェイロンドはそう言ってたぜ。警務隊の入ってる棟じゃねえよ。まっとうな取り調べは、しないつもりだろうな」


 正面のシャッターは閉ざされ、恐らく施錠がされている。

 この大きさなら、前に戦った96式装輪走行車両、映像で見た74式戦車、自走砲なんかも格納できそうだ。いずれも、たった数台でバンギア大陸の都市を壊滅させられる。外に留めてあるのは、輸送車両ばかりだったから、こういう格納庫で厳重にしまってあるのは良く分かる。


 手元は暗いが、文句は言っていられない。俺とガドゥは、銃を組み立てると、弾薬を装填した。ガドゥはホープストリートの事を反省するかのように、7.62ミリで満タンになったAKのマガジンを、5つポーチに仕込んだ。俺も、ショットシェルで一杯になったガンベルトを、腰と背中に巻いた。


 ジャケットと、コートをはおれば、断罪者の完成だ。


「まだ2時間、あるな」


「早すぎたかね、相手の戦力も分からねえし」


 堅物のフェイロンドたちには言っていないが、ギニョルの仕組んだ悪知恵の段取りは付いてる。だが援護を得られるまでは、2時間。

 早々に突入すべきか。ここまで来ておいて何だが、相手が確実に違法な事をやっているという証拠も、今の所、無い。

 武装して、断罪のつもりで突っ込んで、中で平和に話を聞いてりゃ、それはそれで大問題になる。


 ヘッドライトがそんな心配を、かき消してしまった。

 まばゆい光が、俺達を照らす。

 黒と白の悪趣味な塗装が、1、2、3、4、5台。

 警務隊の車両だ。


 運転手以外の兵士は、俺達に銃を突き付けている。その数十人越え。見張塔のミニミ機関銃まで、俺達を狙ってる。


 こりゃだめだ。どうやら、大人しくしなきゃならないらしい。


 大きな音を立てて、格納庫正面のシャッターが上がっていく。リモコン式だったのか。


「これはこれは。随分と、変わった出で立ちだな。こんな時間に、こんな場所で、断罪活動かね?」


 真壁。警察と似た、黒い帽子は、警務隊のものだ。

 潜入が、ばれてたのか。なぜ察知されたのか、ここまではスムーズに来たし、監視カメラも潜り抜けていたのに。


 ドロテアの尾の範囲に気を配りつつ、真壁は俺達を見下す。


「銃を捨てろ。ハチの巣で済めばましだぞ。エルフ達と協力するのはいいが、背後を良く確かめた方が良い。彼らは何でもするのでな」


「フェイロンドたちが裏切ったってのか」


「いや、もっと上だろう。いずれあの世で聞くといい。君たち断罪者は、思っている以上に、恨みを買っているということだよ。我々が戦った、バンギアからも、な」


 どういうことだ。若木の衆、ハイエルフ達は、俺達に協力するつもりが無いのか。


 抵抗は不可能だった。武装は無様に解除され、俺達は格納庫へと連れ込まれた。

 こいつは少々、覚悟しなければならない。

 相手は軍隊、守るために殺すのが仕事の連中だ。

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