3適法な実験
マロホシは俺達を連れ、元は大学のキャンパスだった十階建てのビルへと入った。近代的な様式だが、外壁は赤れんがを模してある。遠目に見ると古い大学を思わせるモダンな造りだ。
入ってみると、一階のロビーの中はスーツ姿の悪魔や吸血鬼が行き交い、受付では下僕であろうハイエルフの女性が訪ねてくる日ノ本の職員や、他の種族の応対を行っていた。
人種こそ違えど、ほとんど日ノ本の大企業と相違ないレベルに達している。というか、ポート・ノゾミにこんな現代的な場所があったなんて。
マロホシが受付で何事か話すと、ハイエルフは手元のタブレット端末を操作し、どこかのロックを解除したらしい。
下僕と俺達を連れ、さっそうと歩くマロホシ。通りがかる悪魔や吸血鬼たちは、こちらに気づくなり一礼して挨拶をする。院長であるだけなく、女社長の風格だ。
進む先は突き当たりのエレベーターホール。四つあるうちの右から二番目に乗ると、下僕の一人がボタンを操作する。どうやら地階に進むらしい。
エレベーターは地下深くを目指して下りていく。ギニョルが腕組みをしてつぶやいた。
「驚いたな。ほとんどアグロスそのものではないか」
「あるお客様に、お計らい頂きました。アグロスの人間達は自由ですわ。求める物さえあれば、私が誰でも文句は言われませんもの」
権力者の誰かを取り込み、復興事業としてここまでの地下施設を作らせたのか。
日ノ本政府は島の影響を排除したいらしいが、すでにこれほど癒着が深まっている。マロホシもキズアトの奴も、GSUMは底の知れない組織だ。
「どんな方法で、何を手に入れたのじゃ?」
「それは教えられません。アグロスでは、個人情報を漏らすと、大きく信頼を損ないますからね」
四十件の断罪法違反の嫌疑のうち、どれかの言質が取れればと思ったが、そこまでのへまはやらないらしい。
マロホシは警戒して口をつぐんだ。下僕たちから無言のプレッシャーもかかっている。やはり、実験を見るだけなのか。エレベーターが地下施設に到着する。
美しいオフィスとは打って変わって、扉が開くとバンギアに引き戻される。
古城の地下牢、というのが廊下の印象だ。切り石を積んだ床と壁、灯りは松明と極まっている。廊下の両端は溝になっており、雨水だか地下水だかが、ぴちゃぴちゃと流れる音が響いていた。
いかにも蛇やとかげでも出そうで、俺は思わずギニョルの手を握ってしまった。
小さい頃、公園でマムシに噛まれて死にかけたせいか、爬虫類とその気配が苦手だ。幸いなこと、スレイン達ドラゴンピープルは、言葉が通じるうえ、強すぎてトカゲだと思えないのでセーフなのだが。
マロホシが楽しそうに目を細めてやがる。ギニョルが俺の手をそっと包み、ため息を吐いた。女だというのに、こいつの方が背丈が高い。
「……騎士よ、まだ治っとらんのか。ま、いい。えらく、馴染み深い空気じゃ。これではお主の病院の方がまだアグロスらしい」
「よい魔法を使うには、よい環境から。ここでやるのは、魔法の実験だけですからね」
「沼の地下牢に近い雰囲気じゃな。なるほど、我々の故郷と似た環境を整えたか」
俺には分からないが、魔法を使うときには、その場にある魔力の分布が関係するという。クレール達吸血鬼が夜に本領を発揮するのも、昼と夜でその場にある魔力が違うからだそうだ。
このじめじめした雰囲気も、悪魔や吸血鬼たちの魔法には役立つのだろうか。
ギニョルの気分が良さそうなのがなんともいえない。やはりこいつは悪魔なのだ。三呂に行ったとき、警官の死体をゾンビにしていたのを思い出す。
暗い思考がよぎると、俺はひとりでに手を離していた。
「騎士……いいのか」
真っ赤な髪を揺らして小首を傾げる様は、ため息が出るほど美しいが。今は、ギニョルを悪魔としか思えない。
「ああ。気持ちだけ、受けるぜ」
「生意気を言うな」
ふ、と笑って見せはしたが。クレールを殴ったときのような気分が渦巻いてきやがった。俺はどうしちまったんだろうか。
廊下を進むと、鉄格子で区切られた地下牢に着いた。中央には簡素なベッドがあり、男が眠っている。年のころは四十代半ば。白髪の混じる白衣の男だ。聴診器がそのままだから、医者だったのか。ここを襲撃したときにマロホシが捕らえたのかも知れない。
「ドマ」
「……はい」
マロホシの配下が牢の鍵を開ける。ずっと口を利かなかったドマが、中に入った。
ドマはベッドの横に正座のような形でしゃがみこんだ。スーツが汚れているが、構ってはいない。
「ギニョル。断罪者のあなたに実験を見せるのは、この適法性を確認するためです。これは、魔法の不正使用ではありませんね?」
「そう言われてものう。あの男はさらってきた者か、今から何の魔法を使うのか。それが分からねばどうにもならんな」
ギニョルのフードから、例のネズミが顔を出し、鼻をひくひくと動かしている。やりとりはこいつを通じて、警察署の他の断罪者にも伝わっている。
マロホシもそれは分かっている。ギニョルと、その後ろの使い魔をいちべつして、答えた。
「この男性は我々が保護した者です。恐らくは、吸血鬼によって、昏睡の蝕心魔法をかけられ、眠り続けているのです」
クレールがやることもある、対象の強制睡眠。
「キズアトに診てもらったところ、百年は続く強力なものだそうでして、放っておけば死んでしまいますし、日ノ本に送り返すわけにいかないでしょう。政府は魔法が存在しないことにしておきたいのだから」
蝕心魔法をかけられた奴なんて、日ノ本は入れたくないか。一応筋は通っている。山本が居れば、こいつの言ってることも確かめられそうなものだが、絶対ここには来ないだろう。
「我々は、記憶を介して彼を一時的に蘇らせることにしたのですよ。これは、魔法による新たな治療の研究なのです。断罪者よ、よろしいですね?」
まだ何か、裏はあるに違いない。しかし、これ以上も突っ込めないか。
「二、三聞きたい。まず、男の同意はあるのか。そして、本当に方法に危険はないのか」
マロホシは唇を釣り上げた。待ってましたと言わんばかりだ。
「同意はありません。発見したときにはこの状態でした。しかし、百年の睡眠は人間の肉体にとって崩壊を意味します。記憶だけでも蘇らせることは、彼を救うことになるでしょう。方法の危険ですが、考えるべくもありません。なぜなら」
「記憶を移されるのは僕だからです」
ドマが顔を上げた。こいつが、被験者だったのか。
「記憶を移したところで、この男には何の影響もありません。切り取って僕に送るのではなく、僕に写し取るのですから」
そこまで自在に、と思ったが。クレールだって、ごく簡単な証拠の映像を、俺達の頭に移す形で共有させてくれることがある。
しかし、40年ほどとはいえ、一人の人間の全記憶を入れるなんて聞いたことがない。
「ドマよ。それは、わしとても記憶にない。恐らくバンギアで今までに試みたものも、おったかどうか。この男は平気でも、お主がどうなるかが、分からぬぞ」
ドマもまた、マロホシのように余裕の態度をとる。無理をしているようにも見えるが。
「僕はまだ若い。たった214歳です。この人間の男の人生、せいぜい40年ほどでしょう。すべての記憶を植え付けたところで、後600年ほど入る予定の僕の頭には、何の影響もありませんよ」
なるほど、確かに悪魔が800年ほど生きるというなら、ドマはほんの若者に違いない。その寿命からいえば、40年ほど生きただけの人一人の記憶、頭に入れたところで、大した荷物にならないのだろうか。
畳みかけるように、マロホシがよどみなく語った。
「ドマは、自分の意志で実験に志願した。悪魔の魔力から考えて、不測の事態が起こる可能性は低いと、私もにらんでいます。あなたの見解はどうです?」
ギニョルは腕組みをして黙り込む。
バンギアの歴史や、悪魔の文化、掟を大事にするこいつでも、判断に迷うほどのことなのだろう。
俺はそのへんはよく分からない。だが、断罪者として言わせてもらえば、断罪法にいう魔法の不正使用でとがめるには、かなり苦しいように思う。
男の同意はないが、危険なのは男よりドマで、そのドマ自身は強く志願している。
実験に使うのは、蝕心魔法であり、現象魔法ほど周囲に分かりやすい被害を及ぼさない。
そして、ここは閉鎖された地下。マーケット・ノゾミの真ん中でこんな実験をやろうというのではない。
俺だったらギリギリで見逃す。果たして、ギニョルもそうだった。
「……よかろう。試してみよ」
表情は渋い。それも当然で、証拠はないが、男を眠らせたのは恐らくキズアトだ。
眠りながら死ぬほどの期間、人の意識を奪えるのは、あいつくらいの強力な蝕心魔法くらいしか心当たりがない。
これも俺の印象。印象に過ぎないことで、断罪者は動けない。
「そうこなくては。ルオー」
「はい」
看護師の服を着た男が、マロホシの前に歩み出た。マヤのおつきの奴らのように、たくましく、ごつい。
マロホシはその男に近寄ると、背を伸ばしてその頬に柔らかく口づけた。
途端に男の体から紫色の魔力が放たれ、出てきたのは赤と黒のマントに、タキシード姿の男の吸血鬼。
吸血鬼が、下僕のふりをしていたのか。いや、操身魔法を使ったのか。どうなってる。
「お願いするわ。ドマ、成功を祈るわよ」
「はい!」
俺達が詳細を聞く前に、ルオーと呼ばれた吸血鬼が鉄格子越しに灰色の視線を投げかける。右目からは男の額へ。左目からは、ドマの額へ。
ルオーの両眼を介した光の交換は、数分余りも続いた。クレールが必要上捜査対象の記憶をいじるときも、これほどはかからない。本当に、男の記憶を全て悪魔であるドマに移しているらしい。
やがて、視線の光が収まる。どうやら魔法は終わったようだ。
男の様子に変わりはない。今も眠り続けている。
他方で、ドマは膝をつき、目を見開いて放心したまま動かない。
かと思ったが、やがて、その目に光が戻った。
ゆっくりと体を起こす。
「……へえ、これが人間なんですね」
心なしか落ち着いた雰囲気だが、確かにドマに違いなかった。
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