2断罪交渉
その日の視察も、特に代わり映えせずに終わるはずだったのだ。
「……すみません、少し、よろしいですか」
講義室を出た俺達に、若い悪魔が話しかけてくるまでは。
一目見たとき、悪魔らしくない奴だと思った。連中は全員が全員、腹の立つくらい容姿の整ったやつらなのだが、こいつはどこか垢抜けないというか、さえない感じがある。
なぜだ。造詣はいいはずなんだ。なんというか、徹夜明けのサラリーマンのように、眠たげな眼をしているせいか。アグロス製の茶色いスーツ姿だが、すこししわがあり、疲れて見える。
「お久しぶりです、ギニョルさん」
「お主……ドマか。島に来ておったのじゃな」
ドマと呼ばれた男の悪魔は、にやりとほほ笑んだ。あんまり笑いなれていないらしい。社交的な奴じゃないのか。
「ギニョルさんや、他の方が活躍しておられるのを聞いて、居てもたってもいられなくなったんです。ダークランドの方は最近落ち着いてきて、面白くなくなってしまったので」
バンギアの若い悪魔は、先進的な操身魔法の研究を行うマロホシに憧れていると聞く。確かに、名家とされるどんな悪魔より、あいつは金と力と技術を持っているに違いない。
だが、ドマはそんな無茶をするタイプにも見えないのだが。ギニョルが思案顔で言った。
「ジボウ家はどうしたのじゃ。GSUMに入るなど、両親がよく許したものじゃのう」
膨れっ面をしたドマ。親の話題が何より気に食わないらしい。
「……いいんですよあんな奴ら。どうせ、跡取りは僕のほかに居ます」
この言い方、親不孝をやったクチか。遅い反抗期とでもいうのか。恐らくギニョルより年下なのだろう。しつこいが、こいつらは外見から年が分からない。
ギニョルの反応を察したのだろう。取り繕うように、聞いてもないことを言い出す。
「僕はマロホシ様に選ばれたんです。これから、この世に二人とない存在になり、アグロスへの先触れとなるんですよ。ダークランドでくすぶる奴らなんて目じゃありません」
ギニョルが目を細めた。悪魔としてのプライドを馬鹿にされたのと、断罪者として、ろくでもないことの臭いを嗅ぎつけたのと半々だ。
「聞き捨てならぬな。どれ、署に来い。今日はクレールがおる」
「えっ、あ……あ、いえ、これは単なる実験なんです。僕はべつに」
あたふたと弁解を始めるドマ。なるほど、なにかの実験は行われるのか。それは内容を知っておく必要がある。
俺は逃げようとする悪魔の腕をつかんだ。焦った目で、俺をにらむドマ。
「はっ、放せ、ここをどこだと思ってる。ノイキンドゥなんだぞ、お前ら断罪者が大きな顔なんて」
びびりながら暴れるが、ただの下っ端に過ぎないのか、周囲を歩く悪魔や吸血鬼が介入してくる様子はない。
相当な名家であるギニョルの馴染みなら、そこそこの地位を持っていたのだろうが、GSUMでの立場は低いのだろう。マロホシもキズアトも実力主義っぽいし。
俺はギニョルに目配せをした。黙ってうなずくのを確認して、魔錠を取り出す。
視界の端では、山本が部下と共に、そそくさと出口へ逃げるのが見える。荒事が本当に苦手なのだろう。しかし、この島でテーブルズの議員代表をやるなら、もう少し適切な人材は、居なかったのだろうか。いや、居てもバンギアにはやりたくないのか。
まるで力のないドマの手首を握ったまま、魔錠を開いて近づける。
「ひぃ、魔錠……やめろ、僕は何もしてないんだ。ギニョルさん、やめてくださいよ。断罪者に眼を付けられたなんて、マロホシ様に知れたら」
なんか気の毒になってきたが、一回調べればもう捕まえる必要もないのだ。
「悪いな、下っ端。ちょいと頭を探るだけさ。どうせ大したことはしてないだろうが、こっちもそこんところを、はっきりさせるのが仕事だ」
「少し待ってもらえるかしら?」
聞き覚えのある声がした。振り向くとマロホシの姿がある。黒のワンピースに、同じ色のヒール、その上から、白衣をはおった姿。角も消してある。
どっから見てもただの女医だが、その配下は男の看護師と医者ばかり。全員が持っているのは携帯に便利なオートマチック、コルトのベスト・ポケット。弾丸の威力は弱いが、銃は銃だ。銃口はざっと見て十以上。装てんされた.25ACP弾は合計百発以上。
丸腰でボディアーマーも着ていない今、ハチの巣にされれば軽く死ねる。
マロホシはため息を吐くと、かぶりをふった。心底呆れた様子だ。
「ドマ。軽はずみな行動は慎んでと言ったはずよ」
「……も、申し訳ございません」
必死に頭を下げるドマ。俺などよりマロホシの方がよほど恐ろしいと見える。
顔を上げ、ギニョルの方をみすえるマロホシ。
「ギニョル、今日は見学だけの予定ではなかったの? ノイキンドゥで魔錠を出すなんて、そんなに私達との全面衝突がお望みなのかしら」
それならば、まずここで俺とギニョルの二人を葬っておいて、警察署を火の海にする。言外にそう言っている。ただの脅しではない。
どうするかと思っていたが、ギニョルも取り乱した様子は見せない。
「ほほう。そうまでして、ドマを守る、か。尋常な実験ではないと見えるな」
その通りで、疑いはますます深まった。
わざわざマロホシ本人が守りにきた以上、実験は相当重大に違いない。それはアグロスにもバンギアにも危機を及ぼす可能性が高いというわけだ。
マロホシが目を細める。
「私が来たのが失敗だったのね。いいわ、あなたには教えましょう。ついでに、騎士君も見ていったら。ある意味あなたの仲間を作るのよ。場所を変えてもいい?」
見せる、だと。このノイキンドゥで、俺達に実験を。
予想外だ。どうするかと思ったが、ギニョルは思案顔になった。
「……そういうことなら、少し待て」
片目が紫色に光る。恐らく使い魔を操作したのだろう。
「今、使い魔が署に着いた。クレールがすぐに事情を読む。これでわしらに異常が起これば、お前達が第一の容疑者じゃ。使い魔を通じてそれを知った断罪者が駆けつける。全面対決をお望みなら、やってやろうではないか」
そういうことか。なるほど、丸腰でこいつらの懐に入る以上、その程度の保険は必要に違いない。
もしこれが罠で俺達が危害を加えられたら、マロホシは現行犯で断罪法違反となる。後は、残りの五人が断罪に動き、その過程で邪魔したGSUMの奴らを徹底的に打ちのめすだろう。向こうもそれは避けたいはずだ。
これは賭けだった。それでも俺達を消すというなら、抵抗する手段はないのだ。残りの五人をどうにかする術があれば、断罪者事体が、ここで全滅してしまうことも考えられる。
果たして、先にため息を吐いたのは、マロホシの方だ。
「……銃を下ろしなさい。まったく。それだけの知恵があって、なぜ断罪者なんてくだらないことをやろうとするのか分からない」
部下たちが銃をしまっていく。殺気が一気に遠のいた。
「騎士君、ドマを放して。ここはノイキンドゥ、ホープレス・ストリートじゃありません。事件の気配など遠いのでしょう」
「……騎士、もういい」
ギニョルの命令で、俺はドマを開放し、魔錠をしまった。
「先に行っていなさい。予定通り実験を行います」
ドマは無言でマロホシの部下に連れられ、研究棟のひとつへと入っていった。
「いい機会です。権威あるゴドウィ家の悪魔の方に、身分の低い私が作り出した魔法がどれほどのものか見極めていただきましょう。この新しい試みに対して、同じ悪魔としての忌憚のない意見が欲しゅうございます」
皮肉とも本心ともとれる言い方だったが、ギニョルは黙ってうなずいた。
俺とギニョルは、マロホシと部下について行った。
山本は、帰ってしまったらしい。関わりたくないのだろう。
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