七章~人魔の境~

1ノイキンドゥ公開講座

 人間を自然科学的に分解したときの構造は、広く知られている。


 つまり、細胞が寄り集まった様々な組織から成り、血管を血が流れ、心臓や脳をはじめさまざまな臓器が動き――といった具合だ。これらは、小学校や中学校などの義務教育を修了すれば、アグロスのほぼ誰でも知っている常識の範囲だろう。


 バンギア人は、それが狂っている。


 いや、狂っているというのはおかしい。悪魔、エルフ、吸血鬼、人間、ゴブリンやドラゴンピープルに至るまで、そういった基礎的な身体の構造はアグロスの人間とほぼ同じなのだ。


 その、はずなのに。


 医学的にはほとんど同じ基礎構造をしているのに、これらの種族には外見や能力の大きな差が生じる。

 悪魔やエルフ、吸血鬼とその他の種族の寿命は歴然だし、ドラゴンピープルに至っては、翼と尻尾が生え、とかげの類としか思えないほど外見が異なる。しかも、これまでのバンギアでは、身体の構造が同じはずなのに、各種族の間で、混血の子供は一度として生まれたことがなかった。

 まるで各人種が全く別の生物であるかのように。


 その原因をなすのが、それぞれの肉体を形成する魔力の分布なのだ。


 医学的な身体構造の基本は同じでも、魔力の形が異なるゆえに、ここまで大きな差を生じる。これは、魔力を操ることができれば、それに合わせて肉体をも自在に変えることができるということを意味する。


 ノイキンドゥで行われている、お忍びで来たアグロスの金持ち向けの公開講座。

30分ほどかけてマロホシが喋った内容の要約が、こんな感じだ。


 元は医療系の専門学校の大講義室。中央の演壇に白衣姿のマロホシが立ち、その周囲にはキズアトの奴のハーレムズの男版のようなのがぞろぞろと居る。


 百を超える学生席。右の段中央の席には、断罪者である俺とギニョル、それに、テーブルズのアグロス代表の山本とその部下が三人。それ以外を埋めているのは、この講義のためGSUMや日ノ本政府に目の玉が飛び出るような金額を払った、アグロスの金持ちどもだ。


 若いの、年寄り、男、女――日ノ本人のほかに、通訳を付けたメリゴン人も多くいる。

 どいつもこいつも、世界的な知名度を持つ名士ばかりなのだろう。一言も聞きもらすまいと真剣そうに眼を凝らしている。


 俺はといえば、思わず欠伸を漏らしたところだ。一年に五回も同じ講義を聞かされていれば、嫌でもこうなってしまう。


 ギニョルが俺を横目でにらむ。それを見た山本が、後ろから鉛筆の先で背中をつついた。

 整髪料の匂いの強い、若作りな中年男が、俺の耳元に顔を寄せる。


「丹沢騎士、あくびはよせ。印象が悪いぞ」


「……はいよ」


 俺が肩を落とすと、山本は得意げにギニョルを見やる。

 今の自分の活躍を見ましたか、とでも言いたげだ。


 もっとも、当のギニョルは興味が無さそうだ。


 山本は、まだあきらめてないのか。あのマヤにもこなをかけてたっけか。ホープ・ストリートでもよく遊んでるっていうし、本当にさかんなものだ。

 バンギア人を野蛮人扱いし、差別するアグロス人は多いのだが。この山本は、こと自分好みの女についでだけは、全く気にしない。ドラゴンピープルやゴブリン、ローエルフにまでこなをかけているあたり、徹底している。


 よく居る脂ぎった禿げ頭の政治家とは違うから、衆議院議員だったころは、日ノ本で相当にもてたに違いないのだろう。


 とはいえ、何百年も若く美しい容姿を保つバンギア人と比べると、無理している感じがぬぐえない。日ノ本からのじゃぶじゃぶの予算で、イェンを大量に持ってるから、みんな機嫌を取ってはいるが。


 こんなおっさんを見ていても、仕方がない。


 俺はマロホシの講義に眼を移した。相変わらず、先の言葉が予想できるほど単調だ。もっとも、自然科学を全てと信じて過ごしてきたアグロス人は、目からうろこなのだろうが。


「……今まで、バンギアにおいて、私達悪魔は天与の寿命を用い、魔力により肉体を操る操身魔法の研究に勤しんできたのです。これにより、ごく短い間なら、全くの異種族に姿を変えることすら可能となりました」


 そう言って、マロホシは人差し指を立て、マイクを外した。

 つぶやくのは、簡素な呪文。自分自身に操身魔法をかけたのだ。


 たちまち、その姿は黒髪に山羊の様な角を生やした女悪魔から、ギニョルの怪物形態と同じ、二足歩行の雌山羊の姿を取った。こいつの毛並みは黒、ギニョルよりも若干すっきりした体系をしている。


 恐らく初めて見たのだろう、聴講者達が悲鳴を上げる。マロホシは慣れ切った様子で、再び呪文を唱えて、白衣の女性へと戻った。


「ご安心ください。先ほどの姿は、私達悪魔が身に着ける基本的な形態のひとつです。私を形作る魔力を操り、肉体を変化させました」


 簡単に言うが、怪物の魔力をイメージし、操身魔法で固定化するのには数百年の修練を要するのだという。それができて初めて、一人前の悪魔を名乗れるそうだ。


 マロホシはギニョルよりかなり若くで、様々な変化を身に着けているという話だ。

 ある種の天才、というのがギニョルの弁だ。


 俺の体もまた、あんな具合に魔力を操られ、寿命や再生力をねじ曲げられて、23歳になっても16歳の容姿のままなのだ。


 ちなみに、周囲でスライド画像の操作を行う、白衣のチューター達もまた、紛争初期にマロホシによって体を変えられたアグロスの人間だ。GSUMの吸血鬼から記憶を奪われ、マロホシに服従を誓ったあいつらは、日ノ本じゃもう死んだことになっている。


 そう考えると、その日ノ本の人間が、喜々として悪魔の講義を聴いているのは相当に悪趣味な光景だ。マロホシは話を続ける。


「この魔力による肉体の変化は、医療的にも応用が可能です。現在実験中ではありますが、皆さんのようなアグロスの優秀な方々を、若く美しい姿に保ち、病気などを防ぐことも難しくはありません。差し当たって、寿命を延ばして差し上げることは可能です」


 パイプ椅子を並べた観客席から、大きな歓声が上がる。

 どいつもこいつも、眼の色が違ってきた。多額の投資をしても、せいぜい百年が限界の現代医療とは違い、現時点で二百年ほどは伸ばせるという言葉に、多くの人間が立ち上がる。


 高揚する雰囲気をさらにあおるように、マロホシがマイクを取る。


「皆様方はアグロスでもとびきり優秀な方々です。それに、国家が隠ぺいした私達の存在に迫る勇気と、危険に飛び込む行動力、そして何より、能力に見合った資力を持っておられます。今こうして、島で行われる私の講義に来ていただけたことが何よりの証拠です」


 全員の目が集中する中、高らかに言った。


「私はそのような方々こそ、我らの同志となるに相応しいと考えます。アグロスの同志たちよ、共に科学と魔法の明日を切り開きましょう。実験中の技術ですが、百年まで、健康と若さを保障いたします。手続きを行われる方は、どうぞこちらへ」


 群衆の我慢が決壊した。どの人間も先を争い、必死の形相で演壇へと詰め寄る。中には、一万イェンの札束を両手でつかみ、叫んでいる老人も居た。


 マロホシはそれをマイクで制し、部下に応対させていく。


 一件、いくらでやるのだろうか。

 今日も病院は大繁盛だ。


 山本が腕組みをして、ため息を吐く。俺も同じ気分だった。

 馬鹿らしくなる。人間をやめたい奴が、こんなに居るとは。


 とはいえ、ここまではいつものことなのだ。公開講座とは名ばかりで、マロホシは操身魔法で若さや美しさ、健康な寿命を求めるアグロスの金持ちを釣り、大金を巻き上げるついでに人体実験に使っている。


 肝心なのは、それ以上の動きがあるかだ。たとえば、アグロスに帰る奴らの中に、部下を潜ませたりはしないか。あるいは、操身魔法を使うだけでなく、それ自体を教えてアグロスへ帰したりしないか。


 把握できる限りの講義は、俺達断罪者がチェックし、山本を通じて日ノ本へ報告しなければならない。


 俺の祖国、アグロスの日ノ本は、アグロスの世界観を大きく狂わせる魔力と魔法という考え方が、大規模に侵入しないよう神経をとがらせている。


 無論、断罪者やテーブルズを表向き認めてはいない。だが、魔法の侵入に関するGSUMの動きだけは、テーブルズの山本を通じて、俺達断罪者を顎で使いノイキンドゥの視察をさせてまで調べている。


 頭のいいマロホシたちのこと、本気で味方を送りこむなら、こんな場ではやらないのだろうが、俺達としても、ノイキンドゥを探れるいい機会だ。それに、報告すると山本を通じてテーブルズに日ノ本の予算が大きくつく。


 何事も、先立つものなしじゃ辛い。


 そんな具合で、断罪者就任から二年。ほぼ二か月に一回、この不思議な視察が続いていた。


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