9関門


 話が上手すぎるような気もする。ユエと共に三呂に行ったとき、俺達はポート・レールの駅舎で魔法による身体検査まで受けた。


 それが、全く何もないのだ。

 ポート・ノゾミ復興委員という日ノ本の肩書を持つ山本の車に同乗するだけで。


 薄曇りで小雨がぱらつく中、歪みに向かって山本の運転するレクサスが進む。


 こいつは500万イェンくらいする、まずまずの高級車だ。愛人を連れては、いちいち日ノ本の代理店にドライブしているらしく、ポート・ノゾミでは係りの吸血鬼はすんなり通してくれた。俺は座席に隠れているだけでよかった。


 よくわからんクラシックが、高級そうなカーオーディオから流れている。山本は追い越し車線を使い、軽快にトラックを抜き去りながら、得意げに話し続けている。


「ギニョル、だから言っただろう、心配することはないと。私は現日ノ本首相の長男だぞ。名義の資産は10億イェンほどもある。父がとった物価上昇政策で、株や債券、外貨も使って大分増やさせてもらったから、今は13億ほどに膨れ上がったかな」


 ギニョルは興味なさげな様子で、サングラスのまま助手席にもたれているが、山本は必死だ。金と権力のアピールとは典型的。

 しかし、13億イェンとなると、マロホシぐらいでない限りは、あの島の誰も、桁が思い浮かばない額だろう。目の色変えて愛人になるのも分かる。


 二十人ほども愛人がいて、必死な様は病的にも見える。しかし俺も山本のように必死だった。笑わないようにするために。


 原因は、隣で仏頂面をしているクレールにある。


 気の毒といえば気の毒だ。むごい殺人を捜査するために、断罪者としての正義感丸出しであっちに行くことを熱望したまではよかった。問題は、そのためにこいつだけが、見張りを欺く変装をしなければならなかったことだ。


「時間があれば、百貨店へも行こう。この島では手に入らないような、質のいい化粧品や服や帽子がいくらでも手に入る。なに、無駄遣いなんかじゃない。美しくあろうとするのは女性にとって当然の権利だからな。操身魔法も使わずに、目の肥えた吸血鬼を騙せるほどに、君の繊細な美的感覚であれば」


「それは誰のことだ?」


 クレールの声に、カルシドにブチ切れたときほどの怒りがこもっている。山本がひっとうめいて言葉を失った。


 それがまた、俺のツボを突いて腹筋が壊れそうになる。


 なにせ、今のクレールはといえば、どこからどう見ても黒のゴシックロリータを着こなした少女の吸血鬼にしか見えないのだ。

 こいつは、あちらへの関門を抜けるため、操身魔法ではなく、本当の女装をさせられてしまったのだ。


 実の所、山本にくっついてチェックをくぐれる顔なじみは、ときどき山本を移動手段として使役するギニョルだけなのだ。俺とクレールを山本が連れていくのは全く初めてであり、断罪者で顔も割れているため、のんきに同乗していては、何しに行くか説明しなければならなくなる。

 それを防ぐため隠れる必要があるのだが、俺かクレールのどちらかはシートの下に隠れられても、片方は不可能だった。


 そこで、より麗しい容姿のクレールの方が、女装して山本の新しい愛人の少女吸血鬼となり、相手の目を誤魔化すことになってしまったのだ。


「まあそうだなあ。クレールをここまで綺麗にしちまうんだから、ギニョルのセンスは大したもんだよなあ」


 横目でうかがうと、はっきり言って今まで見た女の中で最も美人かも知れないと思う。


 どうもこいつは、女装との相性が奇跡的にいいらしい。


 まだ108歳と、吸血鬼にしてはかなり年が若いせいか、男と思えないほど肩や脚が細い。身分の高い貴族であり、立ち振る舞いに気品があるため、フリルで飾り付けられた、膝丈までの黒のドレスが、非常に映えている。喉から首回り、肩にかけて大きく開いた部分など、磨き抜かれた鏡のように真っ白で、目を引くことといったら、胸のふくらみがないことなど無視できるほど。


 足元は、ユエの趣味らしく、膝上までの黒の二―ソックスまではかされ、さらには編み上げのブーツと来た。ヘッドドレスまでそろえやがったところが、小憎らしい。


 ゴスロリって格好は、愛好者も多く、どことなく安っぽい印象を受けたりもする。だが天然の銀髪に深紅の瞳というクレールの場合は、なんというか、神秘的な儚さがすさまじいことになっている。本当に別の世界から来た黒い女神のようだ。


 吸血鬼はみんな、性別が分からないような美貌を持つのだが、クレールはその中でもかなり上の方らしい。それが証拠に――。


「いやあ、本当に騙せたもんなあ。あの兄ちゃんを……」


 ポート・ノゾミ側の検問所では、本当に傑作だった。


 女たちから言い包められ、女装させられ、怒りと屈辱で終始うつむいていたクレールは、いい具合におしとやかに見えてしまったのだろう。チェックを終えた男の吸血鬼が執拗に連絡先を聞き出そうとしてきやがった。

 しまいには山本の様なアグロス人より、自分を選んで欲しいとか言いだして、詰め所から出てきた女のハイエルフに軽い現象魔法を食らって気絶させられ、詰め所に引きずられていた。


 完璧にもほどがある。


「……騎士、お前いつまで笑ってるんだ!」


「ぐあぁっ!?」


 こいつ、ブーツのかかとで俺の足を踏みやがった。悲鳴を上げて足をかばう。半端なく痛い。線は細くとも、フェイロンドと剣で互角に渡り合う力がある。


「おのれっ、ヘイトリッド家の当主として、このような屈辱は初めてだ。貴様ら全員覚えていろ……」


 痛みにもがくおれも、少し表情が和らいだギニョルも、おびえている山本も。全員まとめてにらみつけ、拳を握りしめる。だがその姿すら、少女のかんしゃくに見えちまう。


 もっとも、本当の本当にマジ切れしたら、レイピア一本でこの場の全員始末できるのがこいつだ。


 空気が悪くなりかけたので、山本が咳払いをする。


「……し、失礼。ギニョル。とにかく、君はもっと美しくあるべきだ。悪いなどと思わなくていい、今夜にでも行こうじゃないか。君には君に合った部屋も用意するよ、ワインのいいのがあるんだ」


 相変わらずの長口上が始まる。こいつにまとわりつかれた女性は、金や権力どうとか以前に、もう聞きたくないからとりあえず付き合ってしまうこともあるのだろう。このしつこさ見上げたものだが、これもまた、女性に対する戦術のひとつか。


 車は歪みを抜けて、綺麗な夕陽を望む三呂大橋の北の終点、三呂側に向かう。分岐で降りると、今まで要約して『今夜付き合って』としか言っていなかった山本が黙った。


 二つ目の関門、日ノ本側の検問所だ。


 当初の予定じゃここもすんなりいくはずが、想定外が起こった。


 検問所は高速の料金所みたいなものなのだが、係員のハイエルフ以外に、三人も警官が立ち、ポート・ノゾミからのドライバーをチェックしていたのだ。

 しかも紺のコンバットスーツに覆面とヘッドギアという出で立ちは、間違いなくあのときの特殊急襲部隊員だ。三人とも、予備のマガジンと、9ミリルガー弾入りのMP5A5を装備している。


 山本は迷ったらしいが、後ろからもトラックが来ており、検問を受ける車列に並ぶしかない。きょろきょろと周囲を見回し、こちらを振り向く。


「聞いていないぞ……ここまで厳重な検問があるとは。普段こんなことはない。ポート・ノゾミと同じように通れるはずなんだ」


「情報の抜け落ちか。お主に伝えてない者が居たようじゃな。さてどうするか……」


 ギニョルが冷たくつぶやいて腕を組む。料金所の脇の鉄柱には、監視カメラもある。俺はそろそろ身を隠さなければいけない。


 特殊急襲部隊は居るが、前のトラックやトレーラーは、既定の書類を渡して次々と検問を通過していく。俺達の番が迫ってくる。


 山本が取り繕うように振り向く。


「い、いや、これはきっと見かけだけだ。それが証拠に、私の知り合いはいつもと同じように島に来ていたし、愛人を連れてこっちに帰っていた。ほら、前のトラックもいつものように」


「それこそ、そいつらがいつも通りだからじゃろう。わしらは目立つぞ。お主もいつも通りではなかろう」


 ギニョルの冷静な指摘に、山本は頭をかきむしり始めた。


「そうだったとして、どうすればいいというんだ! ああああ……」


 パニックになり始めている。この精神でよく投資なんかできたものだ。それとも完全出来レースみたいな銘柄を知っていたのか。現首相の長男だけに。


 言っている場合じゃない。レクサスの番が近づいてきた。


 特殊急襲部隊が居るってことは、少しでも怪しければ荒事もありうるってことだ。恐らくこちらの事件のためだろう。


 俺達はといえば、こっちでの活動のため、銃は持ってきているが、分解してトランクの中。今は完全丸腰で、MP5A5なんぞで撃たれれば、映画のマフィアみたいに血みどろになって一人残らず死ぬに違いない。


 山本なんぞ信用したのが、いや、不正な手段で境界を渡ろうとしたのがそもそもの間違いだった。こうなりゃ今からでも下りて事情を説明して帰るか。次の公会でマヤに絞られる方がましだ。


 俺が半分諦めていると、怒りでうつむいていたクレールがぽつりと言った。


「……仕方がないな。これだけはやりたくなかったが、一旦、下僕半を下僕にしよう」


「は? どういう意味……ふぐっ!?」


 クレールに襟首を掴まれた俺は、一気にシートの間に引き倒された。ポート・ノゾミで俺を隠すのに使ったひざかけが、全身にかけられる。


 次いで、横向きの頬に硬い感触。クレールの奴が、ブーツの底で思いっきり頬を踏みやがった。


 辛うじて息はできるが、視界は真っ暗になっている。

 足で耳がふさがれて聞こえづらい。広がったスカートの下で、上の三人が何か会話しているのがぼんやりと入ってくる。


「いいか……で、して」


「……た場合は」


「……する。後は合わせろ」


 少しだけ足がゆるみ、耳が出た。音が分かる様になった。レクサスの走行音も聞こえる。


 何かする算段なのだろうか。相手の警戒は半端じゃないというのに。


 やめとけと言いたいが、この体勢ではどうしようもない。


 というか、ギニョルかユエかフリスベルか知らんが、クレールの全身に香水でもつけやがったらしい。スカートの下にいると、頭上から明らかに女の匂いがする。くらくらしそうだ。


 もう、どうにでもなりやがれ。ブーツに踏まれたまま、俺は目を閉じて耳をそばだてた。

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