10到着


 レクサスは何度か停車した後、どうやら検問所に入ったらしい。

 係りのハイエルフであろう女性との会話が聞こえてきた。俺は姿を見ていないが、吸血鬼はもうちょっと暗いし、悪魔はもう少しうさんくさい。


「山本さん、今日はどちらへ?」


「ああ。ギニョルを送ってきたんだ」


 トランクを開けて調べる音は聞こえない。周囲には特殊急襲部隊の連中の目が光っているのだろうが、向こうと同じ程度のチェックで済まされる可能性がある。


「そちらのお美しい方は? 向こうの連絡にあった、新しい方ですか。イレーヌさん?」


「……よろしく」


 水を一滴、こぼしたような細い声。クレールの奴、声でばれるのを防ぐつもりか。まあ、声がわりもまだらしいので、まともに喋っても分からないとは思うが。


「入国証も真正ですね。新しい方も、ただの吸血鬼のようですし」


 いい感じじゃないか。やはり見かけ倒しだったのか。普通に考えたら、山本が今度の事件と関わっている可能性は低い。日ノ本とつながっているから得をしているやつが、日ノ本に面倒をかけるような連続殺人の手伝いをやる理由がないのだ。


 発車音を待っていると、突然声の調子が変わった。


「いえ、ちょっと待ってください」


「ま、まだ何か」


 山本がどもりやがった。まさかと思ったときには、俺の足の方で扉を勢いよく開ける音がした。


「このひざ掛け、やけに大きいですね。それだけではありません、うっすらですが魔力を感じます。まるで人間となにかが混じり合ったような」


 ハイエルフは吸血鬼より魔力に敏感だ。おまけに声が女ってことは、女装したクレールの美貌も通じていないのだろう。チェックが適当になってた吸血鬼とは違う。


 急襲部隊の奴らが来たらしい。あわただしいブーツの足音と、MP5A5を構える金属音が聞こえてくる。


「明らかに何か隠していますね。そのひざ掛けの下」


 言わんこっちゃねえ、どう切り抜けるつもりなんだ。


「何が入っているんです、今般の事件と関わりのあるものですか! 速やかに中身を見せてください」


 さすがハイエルフというか、悪いものを追求するときは大した威勢だ。意地の悪い言い方かもしれないが、フェイロンドに処刑樹をぶっ刺されて以来、俺の中でハイエルフに対しての印象は悪化している。


 というか、どうするんだ。このままだと冗談じゃなく撃たれちまう。


 突然、俺の顔面が強く踏んづけられた。なにを思ったかクレールの奴が、またブーツの底を俺の頬に強く突き立てたのだ。


 思わずうめき声を上げる俺。頬の骨が砕けるかと思うほど、激しくやりやがる。外から見ても、確実に布の下で動いているのが分かるだろう。


「……あ、それ、人、居るじゃないですか、なんで」


 踏んづけたことに戸惑っているような声だ。


「分かっておらぬな、お堅いハイエルフめ」


「なんですって!」


「そこにおるのは、イレーヌが母から受け継いだ下僕でな。優秀ながら、その、相当なマゾヒストというやつで」


 口ごもりながら言ったのだろう。そういう系統の意味なのは分かったらしい。顔を赤らめるハイエルフが見られないのが残念だ。


「ま、マゾひっ!? と、とにかく、なんで隠したんですか。見せてもらいますからね」


 足元の布がめくりあげられる。これだけじゃ意味がない。どうすればいいんだろう。

 また踏まれた。今度は口の中を切って、再びうめき声を上げる。


「……だめ。この子はこれが好きだから。今開けると興奮して襲い掛かる」


「へ、襲うって」


「向こうに着いてから予定がある。今そのために溜めてたところ」


 ぐりぐりと俺の頬を踏みにじりながら、まるで手慣れた少女娼婦のようなセリフを吐くクレール。


 ひどすぎるシナリオだ。俺は下僕どころか、超が付く変態になってるじゃねえか。

 もっとも、その狙いは分かる。見張りがお堅いハイエルフであることを利用して、とことんまでドン引きさせてしまおうというわけだ。


 悪態をつきそうになるが、今度は首を抑えられてうめく。


「いつもそうするから、今開けると止められない」


 足元の布が再びかけ直された。小さな足音が足早に遠ざかり、レクサスの後部座席が乱暴に閉じられる。

 金切り声に近い叫びが、車の中まで聞こえた。


「とっとと行きなさいよ! ふしだらな吸血鬼! 汚らわしい汚らわしい。これじゃあアグロス人以下よ。もうこんな汚いもの見たくない、こんな仕事嫌だ、十分稼いだしもういいわよ……」


 ハイエルフの嘆きと共に、ゲートが開いたらしい。レクサスが発進する。


 走ること数分。荷捌き場へ向かうトラックと分かれ、三呂の街中まで来て、もう監視も緩まったであろうあたりで、クレールが俺から足を離した。

 瞬間、俺はひざかけをひるがえして立ち上がり、クレールの胸倉をつかんだ。


「こんちくしょう、よくもやりやがったな!」


 同じように俺の胸倉をつかんだクレール。憎悪を剥きだしてにらみ合う。こいつはやっぱりいつものクレールだ。女装がどうとか正気じゃなかった。


「うるさいっ! うまく行って良かっただろ。僕にだってダメージがあり過ぎたんだ!」


「じゃあやるなよ! 俺次あのハイエルフに会ったときどうすりゃいいんだよ!」


「顔がばれてないんだからいいだろ! 僕なんて、僕なんて、ああ、くそ、あんなレディにどんな目で見られたか……特殊急襲部隊の奴らも、目の色が変わってた……男の視線は、あんなに恐ろしいものなのか……」


「無駄に美人だったな、お前の女装……くっそ、そんな自分も許せねえ……」


 クレールと俺の目から涙がこぼれた。お互いの手から力が抜ける。最悪の体験過ぎた。殴り合う気力すら起きない。俺とクレールは座席にうずまり、力なくうなだれてぴくりとも動けない。


 だが俺達が苦しむほどに、前の座席からは笑い声が聞こえてきやがる。


「いやあ、仲の良いことじゃな。わしが100歳過ぎのころなど、他の悪魔とそんなふうに遊んだことは無かったわ。おぬしらがうらやましい」


「私も、弟とはほとんど会話をしていないな。それを後悔はしていないが、子供たちには少々やんちゃでも元気に育って欲しい」


 クソ外道どもが、勝手なこと言いやがって。

 三呂に着いた。もうこうなったら、鬱憤は大量殺人犯にぶつけてやろう。

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