18次の手


 クレールの目から蝕心魔法の光が失われ、椅子に座った悪魔が、がっくりとうなだれた。


「おい、大丈夫か?」


「ふがい、ない……こいつ、一度眠らせたのに、無意識下でかなり抵抗したんだ。これ以上やると、痕跡が消せなくなる」


 俺に肩を支えられ、額のあせをぬぐうクレール。深夜で調子がいいだろうに、この様子とは、相当消耗したらしい。


「もうよい、よくやったのう、クレールよ」


「ギニョル……」


 満足げにうなずいたクレール。

 俺もなのだが、ギニョルに褒められると、ついついやる気が出てしまう。

 ギニョルには、俺達断罪者全員を統率し、妙に引きつけるなにかがある。


 いや、俺達だけじゃないのか。仏頂面だった梨亜も、娘を持て余した紅村も、プロジェクタを外してホワイトボードに向かったギニョルを見つめている。


 ギニョルが関係図を作っていく。ドマ、瀬名勝機、そしてあの怪物こと、樋ノ下更紗と樋ノ下陽美の二人だ。それぞれを丸で囲む。


「今の映像から分かったことと、わしらの得た情報を総合しよう。まず、ドマは死んでいないと見てよいな。そして、マロホシの仮説を参考にするなら、ドマの異常な行動の原因は、瀬名勝機の記憶を移植したことにあるのじゃろう」


 ドマと瀬名勝機の間が、両矢印でつながれた。移植された記憶により、ドマの中で瀬名が甦り、ポート・ノゾミを脱出しようとして、俺達やGSUMの悪魔に追跡されたというのが、恐らく確実だろう。


「今の口調じゃと、マロホシの奴がそれに気づいたのは、ドマと、あの怪物による殺人が二件起こった後になるのう。それから、どういう方法かは分からんが、警察の捜査を妨害している可能性もある。二十一人もの被害者がおって、三呂の警察の捜査がまだ後手に回っておるのは、その証左であろうな」


 クレールが手を上げた。


「ひとつ分からないことがある。怪物というが、その樋ノ下更紗と、樋ノ下陽美と、ドマや瀬名勝機に、何か関係はあるのか。この事件が成り損ないを生かすための殺人だというなら、なにかつながりがあるはずだが」


 それは俺も疑問だった。梨亜が立ち上がる。


「陽美は、名字が変わってるらしいんだ。紛争のときに、おばさんが再婚して、自分もその家の養子に入ったって言ってたよ。それが嫌だけどどうしようもできないって」


 言いかけた梨亜を紅村が継いだ。


「樋ノ下更紗の旧姓は瀬名です。日ノ本政府の特別法にのっとって、紛争が起こって島から帰らない瀬名勝機と離婚を行い、今の夫と再婚し、陽美も姓を樋ノ下としました。そうでなくては、島の紛争の関係者として、自分も陽美も、隔離されてしまいます。恐らくこの国での将来を考えての、選択だったのでしょう」


 そうだったのか。それならドマの中に入った瀬名と、怪物になったと思われるあの二人が線でつながる。ギニョルが瀬名と二人の女性に元妻と実子という線を書き加えた。


 だが紅村はなぜ、そのことを知っていて俺達に言わなかったのだろう。事件の根幹にかかわる情報だというのに。

 梨亜が紅村を見つめる。俺の前で悪し様にののしったときとは、まったく違う様子だ。


「父さん、知ってたの。調べてたなら、なんで……」


「特殊急襲部隊は、法律上の捜査の権限はあっても、裁量がないんだ。動けばニュースになるし、境界警備以外認められていない。今の立場を守らねば、私は犯罪者として日ノ本から追われることになる。お前も今のようには暮らせなくなる」


 紅村は日ノ本政府に対して、何か弱みがあるのだろう。たとえば自衛軍の連中なんかは、ポート・ノゾミに来てしまうと、基本的に日ノ本の本土には帰れないらしい。紅村はそれを防ぐために、特殊急襲部隊に参加し、ただの警官としての立場も持っている。

 そうやって、梨亜が日ノ本に暮らすことも守っているのか。


 ギニョルがため息をついた。腕を組むと、髪の毛を揺らす。


「では、その立場を守るため、今夜の警備では、わしらをあえて遠ざけたということじゃな。山本は特殊急襲部隊のお前達ならば、三呂警察の影響を受けずに断罪者に協力して捜査できると考えたらしいが、どうやらそれも当てが外れたということか」


 ギニョルの言う通りなら、三呂の警察に最初から協力者などいないことになる。

 果たして、紅村が力なくうなずいた瞬間、クレールが立った。


「馬鹿な! お前は仮にも、法に基づいてこの国の民を守る警官なのだろう。紛争の仇である、僕たちバンギア人を見捨てるというならまだいいが、お前の故郷であるアグロスの人間を、日ノ本の国民をみすみす殺させるのか!?」


 梨亜がいたわしげに、うつむく父親を見下ろす。

 紅村はズボンの腿を強く握った。内心では、クレールの言葉をさんざん自分にぶつけたに違いない。


「よせ、クレール。アグロスには、アグロスの事情がある」


 


「申し訳ありません、クレールさん……情けないことです。ギニョル、かつてあなたやつるぎさんと共に、特警に居た身とは思えません。これではまだ、傭兵時代の方が真っ当だったかも知れない」


 また特警か。それは何なんだろう。警察署で見たギニョルの写真となにか関係があるのだろうか。「剣」の名もそうだ。あの将軍の弟らしいが、一体かつてのギニョルに何があったのか。


「お前にはお前の立場があろう。しかし、そうなるとこれからどう動いたものか……」


 今はそっちか。警察の協力が得られないとなると、この先どうしていいやらわからない。ドマが生きているとなればその断罪はできるし、マロホシが来るなら挑むことも悪くないが、最悪警察に妨害される可能性もある。


「ギニョル、もしかしたらなんだけど」


「何か知っておるのか、梨亜」


「陽美もおばさんも、よく知ってる場所で、よく知ってる人ばっかり狙ったみたい。今まで死んだ二十一人が全員そうかは分からないけど、十人くらいは仲良かった人だよ。私がユダに行ったのも、陽美とは結構遊んでたから、もしかしたら囮になれるかと思ったの」


 そういえば、あの怪物は梨亜を確認した瞬間、勢いを増したように見えた。

 ギニョルがあごを触って考え込む。しばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。


「……成り損ないが生きるには、元の人間の魔力の分布が必要じゃ。親しかった者やよく見知った場所は、それだけ元の形を思い出させる作用があるのかも知れん」


 どういう事情かは知らんが、ドマが瀬名勝機だというなら、成り損ないになった元家族を、人を殺してでも生かそうとすることは考えられる。そういえば、屋上に居たドマの姿の悪魔も、あの怪物を更紗や陽美と呼んでいた。


「つまり、親しいものを食らったぶんだけ、寿命が延びるということか。ならば、囮を使っておびき出すことができるのかも知れないが」


 クレールが先走ってやがる。俺は釘を刺しておくことにした。


「待てよ。この段階でそこまで決めつけるのは危ないぜ。あいつが成り損ないかどうかも、まだはっきりしないんだ。確かに、ドマは瀬名みたいだけど、二十一人も殺してまで延命させるんなら、そもそも成り損ないにしたりしないだろ」


 俺の発言は結構的を射ていたのか、ギニョルを含めた全員が黙った。

 らしくないことをしちまったのか。


「ならばどうしろというんだ。恐らく次の夜には、まだ誰か殺されるぞ」


 クレールが唇をかんでいる。それは分かってるんだ。だが俺にもそれ以上は分からない。不確実だが、明日の夜を狙うべきか。


 やがて、ギニョルが呟くように言った。


「……マロホシの奴に、確かめるしかあるまいな」


 そんなことができるのか。全員の視線が集中する中、続ける。


「クレールを通じて奴の様子を見たであろう。あやつは、あらゆる意味で最も純粋な悪魔じゃ。ドマがこうなることを予測して、実験を行ったに違いあるまい。必ずその成果を自分の目で確かめに現れる」


 説得力がある仮説だ。もしも当たればこちらであいつの身柄を押さえるか、接触して情報を得ることも可能かもしれない。


「しかしマロホシは、日ノ本から最高レベルで警戒されている危険人物ですよ。我々特殊急襲部隊は、あの女を見かけたら同乗者ごと射殺するよう厳命が下されています」


 操身魔法で姿を変えても、魔力を探ればお抱えのエルフや吸血鬼に見破られる。そうすれば控えている紅村達がMP5A5で蜂の巣にする。


 そう思いたい気持ちも分かる。だが、あいつはすでに日ノ本の有力者や金持ちとずぶずぶの関係を築いているのだ。寿命と健康に釣られて講義に出席し、札束をつかんで走り寄ってくる金持ちの顔は、昨日のことのように思い出せる。


「紅村よ。わしらとて、山本と共にお主らのおらぬ境界を渡った。あやつにできぬとは思えん。変装か隠れるかして、部下と共にすでに三呂に入っておるじゃろう」


 紅村が心底悔しそうに奥歯を噛み締める。職務と関係ないことならまだしも、自分たちの与る境界管理さえないがしろにされたことへの憤りだ。


梨亜が立ち上がり、その背中を気づかわしげに叩く。やっぱり本気で憎んでいるわけではない。スレインとドロテアみたいなものだろう。


 梨亜に免じてか、クレールが話題を変えた。


「下僕半に従うのは嫌だが、あいつがどこに滞在しているか調べてみるか」


「珍しく、殊勝だな」


「僕はこれ以上の殺人を防ぎたいだけさ。ギニョル、怪しい所を探って」


「その必要はありませんよ」


 紅村が顔を上げた。


「マロホシは、医術を好みます。被験体をすぐに解剖したがることでしょう。昨夜、野外手術システムを搭載した自衛軍の73式大型トラックを三台通しました。設備の点検と整備、医薬品の補充を行うためで、慣例通り魔力検査はしていません」


 十中八九、それだ。GSUMと自衛軍もまた、なかなかの蜜月関係にある。


「行き先は分かるかの?」


「自衛軍の車両は、書類さえ揃っていれば何も聞かずに通すということになっていますので」


 噛み締めるような表情で、紅村がうつむく。自分が役に立っていないことを、悔やんでいるのだ。


 それでも、十分な情報だ。奴が来ているということが分かった。


「ふむ、次の事件にはまた来るに違いあるまい。クレール、そやつの記憶はそれ以上見られぬのじゃな」


 ギニョルはがっくりとうなだれた悪魔を見る。


「ああ。だが記憶を消して解放すれば、マロホシの元に戻るんじゃないのか」


「さて、あやつがそんなミスを犯すかどうかは分からぬが、試してみる価値はあるな」


 尾行。あのマロホシ相手にどこまで通用するかは分からないが、悪くない手だ。

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