9小さな狂気


 視線をさまよわせると、甲板を見下ろす無数の船室があるのが分かる。

 甲板や船べりは、フォークリフトを通せるほど頑丈に補強されているが、鉄のドアで個室のように区切られていて、まるでマンションのようにも見える。


 その端っこに、ふとなにかの影がよぎった。見えにくいが、真っ黒なローブを着た小柄な誰か。

 そいつは、船室の扉に近づき、なにか取り出して、かちゃかちゃとやっている。

 あれ、俺とガドゥの部屋じゃないか。


 俺は思わずテーブルを立ち、船室に続く階段へと走った。


 直後、背後で演奏と歌が止まる。

 かと思うと、無数の投げ矢とナイフが人影に向かって降り注いだ。投げつけられた武器は、ローブの裾や脇の下、首回りなど、侵入者の中身を傷つけない範囲に突き刺さっている。


 賊は、標本にされた虫のように、壁に縫い止められてしまった。


 全員まったく目つきが違う。

 今まで楽しく踊っていたダークエルフたちが、隠し持っていた武器を放ったのだ。


 酒を飲み、音楽を楽しんでへべれけ状態だと思ったが。誰一人として狙いを違えていない。こいつら全員、優秀な兵士だ。


 ブロズウェルはドレスのままひらりと飛び上がり、壁の手すりやパイプをよじのぼって、影の元へ近づいていく。軽業もやってのけるとは。


「ネズミめ。宴の最中なら、気づかぬと思ったか!」


 フードを切り裂いたのは、ブロズウェルが胸の谷間から取り出した枝の短剣。

 現れたのは、目の覚めるような金髪の三つ編み、小柄なローエルフの少女だ。


 一瞬、フリスベルかと思ったが。

 こいつは違う。微妙に目つきが鋭い。だが、ローエルフの女には違いない。


 てっきりバルゴ・ブルヌスのゴブリンかと思ったんだが。

 壁に縫い付けられながらも、ローエルフは落ち着き払っている。


「黒き同胞の女よ。運が良かったですね。私に毛筋ほどの傷がつけば、我らシクル・クナイブから、エルフの裏切り者とされるところでした。さあはやくこの拘束を解きなさい」


 こんな雑なやり方で失敗、捕まってなお鷹揚な態度とは。滑稽にも思えるが、それだけ自信があるのだろう。シクル・クナイブの名。どうやら、ハイエルフ以外にも勢力を広げているらしい。そういえば、町で戦ったエルフ達の中に、ローエルフも混じってた気がする。


 ブロズウェルは首を横に振った。


「できぬ相談だ。お前は我らの船で、我らの客人の荷物を狙った。理由と狙いを言え。頭を下げて謝罪するまでは、この船の長として開放するわけにいかない」


 鋭い目は、言い逃れも嘘も決して逃さない。さすがにこの巨船をまとめている大母だけはある。

 だが、ローエルフも憎々し気な表情に変わる。顔の造詣は十歳前後の少女だが、不釣り合いな狂気がある。


「……ブロズウェル。鈍く広き刃。ほかの船の者は、我らシクル・クナイブに従った。小うるさい断罪者と、満ち潮の珠を差し出せば、今からでも我らの同胞とみなしてやるというのだ。悪くない条件だろう」


 シクル・クナイブか。あいつらもやっぱり、珠を狙って来やがったのか。

 ゴブリンどもだけで、手いっぱいだってのに。ここにきてエルフまで相手にしなきゃならないのか。俺は思わず唇を噛んだが、ブロズウェルはさすがだった。


「シクル・クナイブについては、以前言った通りだ。この鯨船は、バンギアのあらゆる大陸と、アグロスの境ポート・ノゾミを結び、両世界のために航行する。我らはあらゆる種族の間を、差別なく取り持つのだ。偏狭な正義と美にはとても賛同できない」


 怒りで歯を食いしばるローエルフに、ブロズウェルはさらに微笑で応じた。


「それに、満ち潮の珠とは、一体何だというのだ。見たことも聞いたこともない、とんだ見当違いのようだな」


 何百年生きてるか知らんが、なかなかの演技力だ。

 それに胆力もある。シクル・クナイブは正義と美を乱したとあれば、同族のエルフとて殺害して全裸にし、連中の基準で最も穢れたホープ・ストリートの真ん中にさらすことも平然とやる過激で恐ろしい一面を持った連中だ。

 ここまで言ったら、敵視されてもおかしくはない。


 果たして、その通りらしい。ローエルフの顔が、みるみる歪んでいく。


「貴様……エルフでありながら、あくまでシクル・クナイブに敵対する気か。ならば、こちらにも考えがある!」


 ブロズウェルは身構えたが、ローエルフの顔に、茶色いひび割れがはしった。

 青い目が水分を失い、みるみる干からびる。ミイラにでもなるのか、いや、こいつは見たことがある。


 ローブが裂け、出てきた足がみるみる木質化し、くじら船に突き刺さって一体化していく。

 

「いたし方あるまい!」


 ブロズウェルの刃が、ローエルフの胸元と目を突き刺した。だが、ほとんど効果がないらしく、女の顔は余裕の微笑みを作ったまま、樹皮に溶け込んでいく。


 間違いない、樹化だ。


 追い詰められたシクル・クナイブのハイエルフが取る最後の手段。歯に仕込んだ樹化の強薬で、魔力と意識を持ったまま巨大な木の怪物に変化する。


 正義と美を盲信し、他の種族は徹底的に排除するカルト的な価値観のハイエルフだけがやると思っていたのだが。見た目十歳過ぎの少女に過ぎないローエルフが樹の化け物に変化していくのは、なかなか醜悪な絵面だった。


「ちょっと待って! 樹化なんかしたら、もう戻れないじゃない。大母様もエライラもちょっと落ち着いてよ、フェイロンド様はそんな怖いこと……」


 俺だけじゃない。周囲のダークエルフが、ニヴィアノに視線を集中させた。

 エライラというのは、樹化しかかってる、あのローエルフの名か。いや、それより見逃せないのは、フェイロンドを『様』付けで呼んだことだ。


 ガドゥが両肩をつかんで詰め寄る。


「ニヴィエラ。お前まさか」


「えっ……ガ、ガドゥ、怖いよ。私、そんな」


 動揺が露骨だ。これは間違いない。クレールを呼べば、シクル・クナイブにつながる何かが見つかるだろう。


 だが、今はそれどころでもない。

 膨れ上がる樹皮から逃れて、ブロズウェルがステージの上に着地した。巨大な幹が、月と星の光を遮っていく。


『知らぬなら仕方があるまい。船ごと沈めて、珠を探してやる。正義と美を介する知能もない、哀れな裏切り者どもめ!』


 樹皮が裂けた口が、しゃがれた低い声でののしってくる。

 バルゴ・ブルヌスや、ニヴィアノの詳細も重要だが。

 今は、この鉄火場をどうにかするのが先だ。


 俺はケースを払ってショットガンを取り出す。ガドゥもニヴィアノを離して、AKにマガジンを込めた。


 夜明けには、本当にギニョル達が来てくれるのだろうか。

 どうやら今夜は、熟睡できそうにないらしい。

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