38契約と悪魔

 マウントサースティの山頂からギニョルの屋敷まで、距離にして十数キロメートルはある。遮るもののない空を行くとはいえ、一時間と少しはかかる。


 もはや将軍に手は残っていないとはいえ、手持ぶさたのものだ。


 断罪者になってから今まで、何度となく対峙した将軍こと剣侠志二等陸士。俺やほかの断罪者が殺されかかったことも一度や二度じゃない。てっきり最後は断罪の形で俺たちとの直接の対決になるかと思ったが、もう会うこともないのかもしれない。


 結局、あいつがどういうやつでなぜここまで紛争にのめり込んでいったのかは分からずじまいになるのか。


 断罪者こそ殺せなかったが、あいつはギニョルを辱めてクレールとギニョルの故郷をめちゃくちゃにして多くの悪魔と吸血鬼を殺害した。防衛活動の名目で紛争中に実行した残虐な行為なども数え切れないだろう。このバンギアにばら撒かれちまった銃器に関しても一枚どころかかなりの部分を噛んでいる。


 紛争で狂った、バンギアの連中に感化されたなど、経緯は色々と想像できるがはっきりとは分からない。迫撃砲で吹っ飛んだ死体には、蝕心魔法も使いようがないだろう。


 あいつのことを、俺達の中でもっとも、よく知っているのは――。


「なあギニョル、将軍の奴は、俺たちが断罪することになるのかな」


 赤紫の霧の中、レギンの胴の上に立ち、暗い風に吹かれている背中に呼び掛ける。

 振り向いたギニョルの真っ赤な髪は、揺らぎながら憂いを帯びた瞳にかかっている。


「……そうじゃな、できるならば、あやつだけでも監獄につなぎたいが」


「それは無理だろう。ララが本当に夫の仇だと思っているなら、自衛軍を裏切った以上、どんな手を使ってでも殺害にかかるはずだ」


 クレールがにべもなく言った。確かにその通りで、ララならば自衛軍と同盟するという旨味を切り捨てた以上は、夫の仇を討つという個人的な利を狙ってくる。


 だがその結末は、こいつの望みでもある。


「クレール、親父さんのこともあるのか」


 言ってしまって後悔したが、クレールはそっぽを向いてすねたように言った。


「もう、紛争は終わったのに。この戦いではたくさんの同胞が殺され、故郷の地がさんざんに傷つけられたんだ。僕だって誰かを責めたい気持ちがある。自衛軍を率いてきた将軍の奴は、詰め腹を切らせるのに最適だと思う。断罪者の義務は分かるけど、これだけの血を流して禁固刑で済むなんていうのは納得できない」


「ただの禁固刑ではないぞ、生涯にわたるものじゃ。騎士への暴行、わしらにまとめて迫撃砲を浴びせたことだけでも、人間であるあやつの寿命で耐えられる量刑にはなるまい」


 ギニョルにさえぎられ、クレールは唇を結んだ。俺としてはクレールの方の気持ちが分かる。つい口にした。


「なあギニョル、お前はなんであいつをかばうんだ」


「騎士」


 驚いてこちらを見返すギニョル。もうこうなったら聞いちまおう。


「あんな真似までされて、なんでなんだ。お前とあいつに、あいつの兄との間に何があったんだ。断罪者としてあいつの断罪をやることも悪くないとは思うが、お前はまるであいつに生きていてほしいみたいだ」


 鋭い言葉だったのだろう。ギニョルは口をつむいでしまった。


「本当に騎士の言う通りなのかい、ギニョル。君は本当に」


 大きなため息がもれた。うつむいたギニョルの横顔に霧と同じ赤い髪がかかる。闇が差し込んだかのようだ。


「……分かった。お前たちには話そう。騎士、クレール。特にクレールは、納得できぬと思うならば、わしの記憶を直接見て構わん。このことに関する蝕心魔法は、断罪者としての正当な職務と認めよう。悪魔の契約に賭けて、わしの記憶をお前が覗こうと法を犯したことにはせぬ」


 ぐったりとした苦笑がギニョルの美しい顔を覆っていく。顔かたちは全く違うが、フェイロンドのことが終わった後にフリスベルが見せた捨て鉢ななにかが漂っている。


「ギニョル様、私もおりますが」


「レギンか。そうじゃったな。おぬしはいくつであったか?」


「今年で百六十七歳です。ゴドウィ家の令嬢であるあなたのように立派な方の秘密を聞くにはとても……」


 操身魔法で変化した鳥の姿のまま、いかんともしがたい口調だ。相当にお堅い奴なのかもしれない。いや、堅いといっても悪魔の基準に忠実なのだから、ほかの種族を獲物として狩り操身魔法の実験をすることを純粋に信じるやばい奴ではあるんだが。


 ギニョルは唇に指を当てて考え込む。俺やクレールをしばらく見つめたその眼は、不安的な若い女。たとえばユエが俺に見せるもろさ、みたいなものが漂う。


「ふふふ。まあよい。そなたより百年上の悪魔の女がどういう愚かな恋をしたか、覚えておくこともよいじゃろう。いつか誰かを愛するときのためにな」


「……恐れ入ります」


 一言きりで羽ばたきを続けるレギン。恋の話か。というかギニョルはもともとこういう奔放な性格だったのか。


「どこから話すか、そうじゃな、そなたら二人は五年前に傭兵から特警になろうとした馬鹿な男のことは知っておったな」


 三呂でなりそこないが暴れた事件のときに聞いたな。協力してくれた紅村と、その義理の娘の李亜は、ギニョルと協力して断罪者の前身のポートノゾミ特殊警察として戦っていた。


 そのころ日ノ本はまだあの島を放棄する気はなかったから、本土と同じ刑法を守らせようとしたようだが、すでにキズアトとマロホシはGSUMの前身を作り上げており、自衛軍も危険な存在と化していた。ただの警察程度が勝てる相手ではない。


 特殊警察はこてんぱんにやられて、中心だった『あほうな傭兵』、恐らく剣侠志の兄が死んだのだ。


 俺が知っているのはそこまでだ。

 クレールと目くばせをする。こいつも覚えているらしい。


 俺たちの様子から理解したのか、ギニョルはうつろな表情で妖雲の方を見つめた。


「お前たちの予想通り、その男の名は剣喜銃。将軍こと剣侠志の実の兄で、かつてわしが愛した男じゃ。三百歳にもなろうかという、分別のある悪魔の女であるこのわしが、たった三十歳に過ぎぬただの人間の男を愛してしまった」


 やっぱりそうだったのか。机の中にあった記念写真、今とは別人に見える快活そうなギニョルの姿を思い出す。見ちまったことは黙っといた方がいいだろう。


 しかし、いつも俺をどやしつける上司が自分の恋愛について語るのは新鮮なものだな。


「悪魔であるわしから見て、よい男であった。バンギアの人間は、殺し奪い操るわしらの所業を蔑むが、あやつは人間でありながら悪魔への理解があった。戦場で人と悪魔が混ざり合う様を何度か体験していたからじゃろう」


 手練れの傭兵ということは、様々な経験があったのだろう。アグロス、つまり地球側での紛争は低強度の局地的なものが多く実態把握が進んでいない。残虐な行為も存在するらしいが、世界から注目されて当事者が裁かれることは珍しい。傭兵として最前線を渡り歩いてきたその喜銃もまた、相当なものを体験してきたのだろう。


 まだ断罪者になる以前、悪魔としての価値観が主だったギニョルのことを理解できたとしても不思議ではない。


「職務に必要とあらば自衛軍の兵士であろうと容赦なく撃った。情報のための拷問もためらわなかった。そのくせ、奇妙なほど純粋で理想家じゃったな。戦争のあとには法がいると信じておった」


 アグロスは広い。国際連合に認められた国だけでも、日ノ本を含めて百を超える。政治の失敗から紛争が何十年と続いて難民が大量発生、警察も法も機能していない国に傭兵が派遣されることはあるだろう。


 日ノ本ではほとんど報道されることのない惨状を、喜銃は渡り歩いてきたのだ。狂気にも見える法の挑戦は、現場を見てきた喜銃だからこそできたのだろう。


「その男が、悪魔の契約の相手だったんだな」


 クレールに問われて、静かにうなずくギニョル。


「島に法と秩序をもたらすこと。そして、変わり果てたあやつの弟である侠志をその法をもって留めること。悪魔であるギニョル・オグ・ゴドウィとそう契約を交わし、わしの愛した男は死んでいった。実の弟である、侠志の手にかかってな」


 予想していたことではあった。ギニョルは愛していた男の命を、あの将軍に奪われたのだ。


 ダークランドの闇を見すえるその表情は、しかしどこか虚ろだった。


「じゃが、わしは一度契約から逃げた。逃げに逃げて、このダークランドに逃げ込んだのじゃ」


 馬鹿な。ギニョルが逃げただと。悪魔の性質すら契約でゆがめてしまえるこのギニョルがか。


 クレールも俺も、さすがに驚いて上司の顔を見つめた。いつも、どんなときにもどんな相手にも、凛とした美しい覚悟を失わないその相貌に、確かなおびえと後悔が浮かび上がっていた。

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