47闇の再誕

 何かが近寄る気配がする。軽装甲機動車の陰から顔を出すと、ギニョルの両肩に音もなくふくろうが留まっていた。


「よしよし、こんなうるさい場所によく来てくれたのう。さすがは父様の使い魔じゃ」


 ギニョルが二匹の頭をなでる。よく見ると、二匹とも頭が二つある。操身魔法で双頭にしたのだろう。悪魔としては大したことのないやり方なのだろうが。


「ギニョル、状況はもう終わったのか」


「念のためこやつらの視界で確認した。森には魔力不能者すら隠れてはおらぬ。これで正真正銘、侠志達の全ては終わった。行くぞ」


 ギニョルに促され、チヌークへと近づく。ヘリはエンジンが切られたのか、ローターの動きと音が収まりつつある。クレールが蝕心魔法で兵士に命令して操縦席を操作していた。


 ヘリの周りの兵士は、全員がララの砂にやられていた。銃とナイフをはぎ取られ、うつ伏せや仰向けに地面にはいつくばって砂布団をかぶせられ、身動き一つできないらしい。


 ここまで自在に扱えるとは。崖の上の王国では、よくこのララに勝てたものだ。


 一杯食わされ、殺されかけたララ・アキノが、裏切った側近の首元に砂で作った大鎌を当てる。


「一体誰の差し金だったの、ナクラウ。あなたは信頼できると思っていた。若木の衆の生き残りとして長老会が私に着けてくれた部下。主人にも仕えていたのに」


「首を跳ねてください、マスター」


 俺が食らったときは、苦しくて息もできなかった砂布団の拘束。平然と答えるナクラウはさすがに元若木の衆だけある。


 ララは砂の鎌を収めた。


「マスター……?」


 吸い込まれそうな青い瞳をまたたかせ、ナクラウは美しい顔に戸惑いを浮かべる。何をしたどんな奴でも美形だから、ハイエルフは始末が悪い。


「あなたの覚悟のほどで分かったわ。長老会ね、私を後ろから刺すために機会をうかがっていた。どうかしら、もっとも、当たってなくても可愛い吸血鬼さんに頼んで頭を探ってもらうけどね」


 クレールを勝手に使うことは決定事項なのか。そりゃララの協力がなければ侠志達の断罪には失敗しただろうが。もとは俺たちをだまして侠志の奴を殺そうとしたせいで死にかけたというのに。


 果たして、推論は当たっていたらしく、ナクラウは黙り込む。うまい言い訳がうかばないのだろう。いさぎのいい奴というか。


 木々の間からユエが姿を現した。アキノ家の末っ子らしいというか、ずいぶん遠慮がちにララにたずねる。


「姉さま、一体どうするの。ナクラウさん以外は、私達断罪者に引き渡してほしいんだけど……」


 低姿勢で、だけどと言いつつ、両腕はホルスターのSAAと9ミリ拳銃の上。抜き撃てば、ララだろうと命は奪える。


 そのことを重々承知しているのか、ララは恐れを見せずにユエをほめた。


「あらユエ、私を救ってくれてありがとう。素敵な銃の腕だったわ、お父様やゴドーが恐れたわけね。私が首都に居たら、あなたを追放させなかったのにね」


 特務騎士団の解散の件か。ユエ達は魔力不能者や平民の身分ながら、紛争のときに活躍しすぎたために、貴族や王族が危機感を抱いて解散させた。


「それはいいんだけど、兵士達の扱いだよ、私が聞いてるのは」


「そうね……」


 ララが目を細めると、砂は兵士達の鼻と口を覆った。呼吸が止められている。


「おいララ、やめろ!」


「そなた、この世界でまだやることがあるであろう!」


 俺とギニョルが銃を向ける。クレールのM1ガーランドもチヌークの中からガラス越しに狙う。


 ユエがSAAを抜き、腰だめに構えた。テンガロンの下の表情は霧で見えないが、相当に厳しいのだろう。


「姉様。ちゃんと考えて。自己満足か、本当にお義兄さまが喜ぶことをしてあげるか」


 距離は十メートル。ユエならリボルバーの中の六発を一瞬でララに撃ち込める。断罪者としてやる意思もある。


 ひりつくような静寂が流れた。やがて、大きなため息をララが吐いた。


「……分かりました、好きにすればいいでしょう」


 兵士たちが一斉にせき込み、必死の形相で呼吸を再開した。砂をどかしたのか。


「姉様……」


 安心した様子で銃を下すユエ。正直俺もほっとした。ララと戦わなくていいという意味でも、義理の姉を撃たなくていいという意味でも。


 ララが杖を拾い、振るう。砂は兵士達を無理やり立たせると、その両手足に手錠のようになって固まった。岩の拘束具、鍛えられた屈強な兵士だろうと人間の力では外せない。

 俺たちの手間が省けた。


「おお、これはすまんのう。檻と馬車はこちらで用意しよう」


 ギニョルの目が紫色に光る。使い魔でほかの悪魔を呼んでいるのだろう。父親のロンヅに連絡を取っているのかもしれない。屋敷は火の海になったが、地下壕は大丈夫だったのだろう。


 俺もユエもクレールも、周囲の警戒と兵士の武装解除にかかった。使い魔で連絡を取るギニョルの背中に、ララがぽつりと毒づく。


「まったく、私を助けたと思ったら、次は銃を向けるのね。法というのは一体何だというの。王者が臣民に与えるものではなくって?」


 ギニョルの目から紫の光が途切れる。俺たちのお嬢さんは、覇王の家に生まれた女にもひるまない。


「民が民の手で自らを統治するのが、わしの学んだ法じゃ。人間もエルフも悪魔も吸血鬼もゴブリンもドラゴンピープルも、なるべく平和に暮らせるようにな。そのためには、こやつらの生きた身柄が必要。わしらの銃はその目的に奉仕するに過ぎぬ」


「民の決めた法の下に戦うのが断罪者なのね。せいぜい、民に裏切られなければいいのだけれど。下々の者は気まぐれで狡猾よ、あなた方がこの兵士達の様になるかも知れない」


 ララの一言は俺に悪い予感を当たらせた。もはや遠い昔の紛争開始時、うなだれて一言も発さない将軍こと侠志と、放心した様子の安原もまた日ノ本の決定によって日ノ本の国民を守るべく法の下にバンギアにやってきたのではなかったのか。


「狡兎死して走狗烹らる、か。そうならぬよう、我々は我々を律しよう」


 ララは意味深に笑った。闇の中から、ララの部下のハイエルフ達が影のように現れる。黒いフードに真っ白な顔色、青い目と前髪の金色は確かにエルフだということを示しているが、悪魔かと思うほど不気味だ。


「ナクラウを連れていきなさい。それと長老会を締め上げる準備をお願い」


 ハイエルフ達は無言でうなずくと、ナクラウの腕に魔錠をかけ、いばらを咲かせて体を拘束し、革袋で包んだ。締め上げるとくぐもったようなうめき声を上げる。死なない程度に突き刺しているのだろう。


 砂の拘束が解かれた。ララが服のほこりを払うと、砂はショールになって細い肩を取り巻く。エルフロック伯爵の後家として、エルフの森を実質的に統率するアキノ家の長女の姿だ。


 杖を振るうと、滑走路を碁盤目状に魔力が走る。コンクリの隙間から砂が浮かび上がり、四頭立ての立派な馬車を作り上げた。


 ハイエルフの従者が扉を開ける。もはや長老会の一員にでも対するような扱いだ。


「失礼するわ、断罪者の方々。長老会との決着をつけなければね。ところで、弔意の使者はあなたに送ればいいの、ギニョル?」


 ダークランドの惨状に対してか。アグロスと交わる前は、悪魔や吸血鬼とハイエルフは不倶戴天の敵同士だったが、同じ自衛軍にやられた者同士というわけだ。


 まさかエルフの森から弔いを受けるとは思っていなかったのか、珍しくも口ごもるギニョル。


 クレールが闇の中から現れた。


「使者はロンヅ様かニュミエ様のところに頼むよ。多くの名家が失われた今、あのお二人こそダークランドの悪魔と吸血鬼を統べる方々となるだろう」


 クレールの親父と旧知のニュミエ。そしてギニョルの父であるロンヅ。色々あったが、適材だろうな。


「わしとクレールは、もはやあの島が拠り所じゃ。ここのことはお父様方に任せよう」


「分かったわ。ギニョル、ユエ、あなた達断罪者を見守っていましょう。せいぜい民衆の法とやら守ってみなさい」


 含みのある言葉を残して、ララを乗せた馬車は霧の中に消えていった。


 それからは慌ただしくなった。中央即応集団は早期の撤兵を望んでおり、俺たち断罪者は日ノ本との協定通り、バンギア内での監視の任務も引き受けなければならないからだ。連中が境界を超えるまでは、同行しなければならない。


 クレールとギニョルも実家や領地の被害を見舞う暇はなく、ポート・ノゾミまで舞い戻ることになる。


 戦いで亡くなった家格の高い者達の葬儀や、亜沙香達はぐれの者達に領土が解放されるかどうかなど、俺だって色々と確かめたいことはある。

 侠志達自衛軍の残党が占拠していたマウント・サースティも、本来はトラップの探索や解除を行わなければならない。


 すべてをおざなりにしたまま、出発するのは不安もあるだろうが。


 ポート・ノゾミを守るためにも、従わないわけにはいかない。


 結局、侠志達の断罪からたった数時間の後に、断罪者はダークランドを後にすることになった。


 赤紫の霧と黒い森を走る小道には、陰鬱な小雨が降り続く。俺はスレインの背中で眼下を走る自衛軍の中央即応集団を見下ろしていた。


 昼過ぎに雨が降り出していた。合羽を水滴が流れ落ち、顔をなぞる。まつげに溜まる雨粒は、攻め込まれたことのなかったダークランドの血だろうか。数千年も内輪もめ程度の抗争しか経験しなかったこの地は、この数日で戦争と呼べるほど多大な破壊を受けた。


 ダークグリーンの軽装甲機動車や、指揮通信車、装甲車に幌付きのトラック、重火器を満載した車列はダークランドの地に延々と連なっている。


 特に異常はない。兵士達も口数が少ないようだ。異世界に来て浮かれ気味だったのが紛争に飲み込まれた元同僚と対峙することになり、考えるところがあったらしい。


 あるいは、戦争のない日ノ本では理解もできなかった自分たちの威力を噛み締めたのだろうか。こいつらそのものは、訓練通りの砲撃を行ったに過ぎないのだが、それだけで侠志が率いた数百の残党は完膚なきまで打ちのめされたのだ。


「嫌な雨だね」


 黒い雨合羽から銀色の髪を覗かせるクレール。少年にしか見えない華奢な背中には百年を生きた吸血鬼の苦悩が現れていた。


「珍しいのか」


「そうでもないよ。ただ、門出の日とは言えないと思ってね。騎士、お前は見ただろう、僕達の故郷の真実の姿を。本当に、まとまることができるんだろうか」


 自分たち以外の種族を獲物としか思わない悪魔や吸血鬼の本性。自分の家と歴史しか信じられない指導者たち。

 クレールが本気で苦しんでいる吸血鬼の本質を、この地の住人は色濃く残す。キズアトとは違った意味で、種族として人間の敵なのだ。


「……そういうのは、全部吹っ飛んだだろうが。戦争のおかげとは言わねえけど、結果はせめてうまいこと利用してやろうぜ」


 侠志の奴が話の分からない悪魔や吸血鬼をずいぶん殺した。まるで苦しめられた人間の恨みを晴らすように。


 それくらいしか、慰めようがない。人間やエルフにとっては殺害と凌辱を重ねられただけだろうが、悪魔や吸血鬼にとってそれは歴史と文化だったのだ。


 スレインは何も言わない。ドラゴンピープル達も、人間やエルフを守って天秤の維持のために悪魔や吸血鬼と戦ってきた。


 烏が近づく。乗っているのは雨を避けてフードを目深にかぶり、マントをはおったギニョルだ。


「誰も変化から逃れることはできぬ。わしらは進まねばならぬ」


「分かっているよ。でも、霧が濃いし空が低い。真昼すぎなのに太陽もないだろう。奇妙なものだね。あの島の晴れ間が懐かしいんだ」


 銃声も悲鳴も受け止めて吸い込む、あっけらかんとしたポート・ノゾミの青空。日の降り注ぐ高い空。


「無茶を言うでないわ。ダークランドはダークランド……おや」


「おお」


 スレインとギニョルが顔を上げて感嘆の声を上げる。


 森の小道が広場に出る。小川は緑の野に合流する。青空が木の葉の緑を輝かせている。


 自衛軍の車列は、亜沙香達が勝ち取った日の降り注ぐ村々に差し掛かったのだ。


 村の先には再び赤い霧が覆うが、目を凝らすとはるか遠く、霧や雲の隙間には小さな空が覗いている。


 足元の村では、開放の宴が行われていた。はぐれと呼ばれた者達は、今や主人の気まぐれにおびえる必要はない。見渡せば、霧の中の領地では、主人も下僕もなく、がれきの片づけや復興作業が始まっているらしい。


「まあ、見てみようぜ。肝心なのはこれから先だろ」


 肩を叩くと、クレールの表情がほころぶ。


「人間のお前に諭されるとはな」


「言うようになったわい」


 関心するギニョル。不意にスレインがこちらを振り向いた。


「……吸血鬼と悪魔も天秤に乗るものだ。秤の乱れはこれから整えていけばいい」


「スレイン……」


 ギニョルの声が感慨を帯びている。苛烈な正義の象徴である赤鱗が、この地を認めたのだ。


 吸血鬼と悪魔の楽園だったダークランドも、とうとう、二つの世界がまじりあう痛みを受け止めた。


 何を始め、どこへ向かうか。


 それはここに住むすべての者が決めるのだ。


 吸血鬼、悪魔、下僕に奴隷、はぐれの者達。


 ポート・ノゾミを彷彿とさせる、人種とりどりの新たな闇の地が産声を上げた。

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