29巨海樹の意志

 どういうことなんだ。フリスベルが供物になるなんて。


 俺は全員を見回した。俺以外の断罪者は、全員が事態を知っていたらしい。ガドゥが目をそらし、ユエも黙って痛ましそうにこっちを見つめる。クレールはうなずいたきりだ。


 ニヴィアノの悲痛な表情はどうだ。こいつも知ってたのか。レグリムも、動じていないな。


「ふざけるな! 私はこの人を守るためにここまで来たんだ!」


 スライドと怒声、9ミリ拳銃がギニョルを向く。

 狭山がギニョルの頭部をめがけている。


 スレインも居るが、射線を遮ることはできない。空挺団員の狭山の射撃は正確、撃たれれば即死だ。


 フリスベルが、その射線に立った。


「なぜです……あなたは、断罪者として立派に」


「狭山さん、もういいんです。騎士さんも聞いてください、これ以上ポート・ノゾミを傷つけず、ここまで成長した巨海樹を消し去るには、女性のエルフが供物になるしか方法はないんです」


「そのために、マロホシは私を開放したのか」


 レグリムが、はっとした表情を見せる。 


 俺は言い伝えも思い出した。巨海樹に男性のエルフを捧げると、新たな森が生まれ、女性のエルフを捧げると花を咲かせると。


 レグリムは、エルフを巨海樹の供物にするための犠牲の祝福ができるのだ。


 読めてきた。フリスベルは多分、巨海樹の性質を知っていた。ここまで成長してしまった段階で、たとえ森が阻めたとしても、樹そのものの処理の問題が残る。


 そこで自分自身を捧げて、巨海樹を花として処理しようと考えた。


「二度も続けて、あやつの勧誘に乗るのは、本当に癪じゃった。が、ポート・ノゾミの存在が日ノ本に認識され、これから国を始めようというときに、巨海樹が全てを壊してしまっては話にもならぬ。それに……」


 言葉を濁すギニョル。フリスベルが言った。


「私は迷っていたのです。フェイロンドを断罪することに。それに、私は彼と知り合っていたことを、断罪者のみなさんに黙っていました。彼に誘われたときも、本気で迷ってしまいました。騎士さんたちが来てくれなかったら、断罪なんてできたかどうか」


 時忘れは、心の奥底の願望を実行させる。この島を森に沈めて、フェイロンドと共に暮らすことを、フリスベルは本気で望んでいる向きもあったのだろう。


 それが許せなかったのだ。何よりも、自分で自分自身が許せなかった。


 狭山の銃口が下がった。無念そうな目で、訴えかけるように見つめる。


「……ほかに、方法はないのか。ここには、この異世界の知識を持つ者がそろっているのだろうに」


 大の男が本気で訴えても、フリスベルの決意は揺るがない。俺にはなにも言えない。こいつは断罪者としての覚悟が足りなくて逃げるんじゃない。むしろ、その自覚があるから、フェイロンドを騙してここまで事態を進めたのだ。


 沈黙が返答になった。悲し気な微笑みと共に、狭山の肩を軽く叩くと、フリスベルはレグリムに向かって頭を下げた。


「……儀式を、お願いいたします」


 レグリムは応じた。


「よかろう。長く生きたが、私はお前ほど正義と美を体現したローエルフは見たことがない。お前のような存在こそ、変わってしまったこの世界の同胞に必要だとは思うが」


「いいえ。あなたも、ニヴィアノやザベルさんや、ワジグルさんのような人も居ます。断罪者でありながら、完璧な正義と美に憧れてしまった私は、この島の門出を祝う花となって、去るべきなのでしょう」


「ちょっと待ってくれよ!」


「騎士さん……」


「そうだよ。やっぱりだめだって。日ノ本の自衛軍も居るんだよ、こんな樹ぐらい戦車砲でもなんでも使って吹き飛ばせばいいじゃない」


「ユエさん」


「魔道具をありったけ持ってくるよ。建物が壊れたって、直せばいい。俺達ゴブリンは相当の技術を身に着けてきてる!」


「ガドゥ、さん……」


 分かっていても、動かずにはいられない。俺とユエとガドゥ。集まって取りすがると、フリスベルの声が震え始める。


 クレールはうつむいて顔を隠している。


 スレインは火のため息を吐き、瞳を伏せた。


 ギニョルは、悪魔の姿をやめ、俺達に雷を落とすときの赤い髪に角の生えた女性の姿に戻った。


「三人とも聞け。断罪者の長としての命令じゃ。フリスベルには、身を引き換えに、この樹を鎮めてもらう」


「でも!」


 食い下がるユエ。ギニョルがかっと目を見開いた。


「お主らは断罪者であろうが! わしを憎んで構わぬわ。フリスベルを行かせろ!」


 怒鳴りつけたギニョルに反応し、ユエの手がホルスターに伸びそうになったが、ストックに触れることはない。


 ガドゥが肩と耳を落としている。


 俺は、瞳に涙の光るユエの肩を抱いた。ディレのことといい、崖の上の王国での紛争といい、仲間を失うことの辛さは味わいすぎている奴だ。


「みなさん、短い間だったけど、ありがとうございました。正義と美は遠くなったけど、私、三百年以上生きて、こんなに濃い二年間は初めてだった」


 途方もない年月を誇るローエルフの思い出に、俺達との日々が比肩するか。


 泣かせやがる。ユエを慰めてなきゃ、俺は嗚咽で言葉にならないだろう。


 しんみりとした雰囲気は、ドラゴンピープル達にも広がっている。ニヴィアノはすでにもらい泣きして、生き残ったダークエルフとお互いを支え合っている。


 フリスベルがマントとホルスターを外した。ベスト・ポケットのマガジンと一緒に差し出すのを、ギニョルが受け取る。


「……不本意じゃ。そなたは、わしらに無くてはならぬ存在だった。巨海樹を植え付けられる前に、フェイロンドの断罪を優先しておれば」


「気にしないでください。ギニョルさんの下で戦えて、よかったです」


 俺達の悲しみを気遣うように、レグリムが言った。


「儀式を行う。そこに座ってくれ」


「はい……」


 落ち着き払った様子で、フリスベルが巨海樹の頂上に座り込む。


 フェイロンド達が用意していた儀式用の枝葉を使い、レグリムが祈りの聖句を唱え始めた。


『母なる森よ、ヤドリギの祝福の下に、豊穣をもたらしたまえ。我、”牢固なる若木”レグリムの名において、正義と美に満ちたる、可憐な者を捧げん……』


 水滴がフリスベルの髪の毛を濡らし、巨海樹にも染みわたると、再び魔力の反応が起こった。


「巨海樹が答えている。フリスベルが、受け入れられるのか……」


 魔力が分かったのか、クレールがつぶやく。供物として連れてこられ、俺と狭山に撃たれて死んだ二人のハイエルフ、メレクサとトゥガナのときと同じだ。


 儀式によって、巨海樹が再び反応している。


 これで、フリスベルは受け入れられる。巨海樹は花となって散る。


「……いや、だ、お姉さんは、僕、のだ。連れて行かないで、巨海樹、きみは、本当に、消えたいの?」


 ぶつぶつと、なにか言っているフェイロンド。魔錠のせいでなにもできないだろうに、そう思ったが、足元の巨海樹が急に脈打った。


 樹そのものがぐにゃりと動き、スレインの首ほどもある、鎌状の塊が現れた。


 俺達は反応できなかった。まるで、巨海樹が意志を持っているかのように、フェイロンドめがけて振り下ろされる木の塊。


 なぜ自分を攻撃するのか。狭山でさえ、事態がつかめず撃てなかった。


 それが全てを決めた。振り下ろされた木の刃は、フェイロンドの両手首を直撃し、またたく間に魔錠前ごと断ち切ってしまったのだ。


「うぐあああああっつ! が、あぁ、そうだ、これで魔力が使える。男である私をやるぞ、巨海樹よ!」


 そういう狙いか。狭山が撃ったが、一瞬遅い。フェイロンドは広がった木のうろに吸い込まれてしまった。


「自らを生贄にしたのか。お前達すぐに島を出ろ! 森が始まるぞ!」


「レグリムさんに従ってください」


「フリスベル、そなたはどうするのじゃ」


「祝福は終わっています」


 まさかと思う間も無かった。フリスベルは何も言わずに、フェイロンドが飛び降りたうろへ、自らも身を投げた。


「フリスベルさん!」


「狭山中隊長、退避を!」


 兵士達に抑えられ、狭山がドラゴンピープルに乗せられる。


 ギニョルが悪魔の姿になって飛び上がる。俺もほかの断罪者と共に、スレインの背中に引っ張り上げられた。ニヴィアノやレグリムなどの協力者たちもドラゴンピープルにつかまれる。


 魔力が巨海樹中を駆け巡っている。樹冠のあちこちで新たな枝が成長し、かと思うと葉が枯れ落ち、花が咲いて実がなり、腐り果て、とにかく支離滅裂な成長を始めている。


 巨海樹は自らの意志でも持っているかのように、フェイロンドを飲み込んだ。飛び込んだのは供物となったフリスベルだ。


「皆、降りるぞ、自衛軍と島の住人の退避を進める。フリスベルが戻っても戻らなくても、あやつがおれば、進めたであろうことを思い描け!」


 ギニョルの厳しい檄を受けるまでもない。


 俺もユエもガドゥもスレインもクレールも、断罪者として、これ以上の被害を出すつもりはないのだ。

 


 



 

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