15”命刈る風”が吹く


 部屋を引きずり出されて、ふたつ良かったことがある。まず歩かされるため、足の拘束が外されたことだ。ついで、船の全体像が分かったこと。


 俺や子供たちを閉じ込めた船倉はわりと広かった。それだけの部屋を船内に持つ船もまた、なかなかの規模だった。


 さすがにくじら船とまではいかないが、太い柱と立派な帆を備えている。


 帆はまるで大木が梢を広げたかのように――。


『ツケを払うときがきたのだな、断罪者よ』


 大木から声が降りてきた。この人間離れしたしわがれ声、聞き覚えがある。こいつ、樹化したハイエルフだな。


 樹化とは、ハイエルフ達が最後にやる手段。歯に仕込んだ強薬を飲み下し、全身を巨大な樹木の怪物へと変える。一度実行すれば、二度と元の姿に戻ることはできない。


 この船は、中央に樹下したハイエルフを入れて、そいつが葉の茂った梢で生きた帆になっているらしい。


『お前を殺したら次は憎らしいローエルフの小娘だ。レグリム様を腑抜けに変えた貴様らだけは許さん。断罪者の最後が見られるとは、若造についた甲斐もあった』


 フリスベルへの恨みもあるのか。どうやらこいつ、あのレグリムに付き従ってたハイエルフの一人らしい。旧シクル・クナイブが本拠地とした島で戦った後、樹化したまま生き残ったのが何人か居た。虫は呼ぶは、現象魔法は唱えるわ、おまけに異常にタフだわで、今だにあの島には近寄れない。


 夜明けが近づいたのか、辺りは明るくなっているが、濃い霧で周囲の海の様子はよく分からない。


 逃げようにも、どちらへ行っていいか分からん。首尾よく子供たちを助けてもどうにもならない。


「こんな霧で、船がひっくり返らないのか」


『案ずるな。私はこの海域に詳しい。私の梢が帆となり、海に突き出た根が舵となる限り、この船は決して迷わせん』


 あの爺さんに付き従って立ってことは、見目麗しかった頃も相当なやりてだったのだろう。


 潮流や浅瀬の分布の関係で、ポート・ノゾミの近海には俺達断罪者も把握できない海域がある。

 フェイロンド達は、生きた帆を使い、その海域に潜んでいたのだ。どうりで姿が見えないわけだ。


 ロットン・スカッシュが協力関係にあるのなら、恐らくは所属するハーフ達もこの海域を経由して島に入り込んだのだろう。そりゃあ、海に詳しい漁師すら入って来たのに気づかんわけだ。


 冷静に分析してる場合じゃない。フェイロンドと、二人のハイエルフは、丸腰の俺に牙の短剣を突き付ける。もう一人いるダークエルフに至っては、切り口から根がうごめく処刑樹の枝を手にしてやがる。あれだけは、二度と食らいたくない。


 俺は船のへさきまで追い立てられた。


 いよいよ夜が明けたようで、霧の中でも、光が差し込んできている。うながされるまま、へさきを後退していくと、すぐに先端に来てしまった。


 フェイロンドは短剣を納め、これ見よがしに銃を取り出す。


 ハンドガン、グロック17。プラスチックで作られたコンパクトな銃身、機能性に優れた暗殺者向けの銃だ。ハイエルフはアグロスの銃を使わない信条があるらしいんだが、シクル・クナイブの連中には関係がない。


 スライドを引くと、俺に向かって微笑む。


「さて、憎き断罪者よ。お前は二度も私の邪魔をしてくれたが、それもここまでだ」


 言われなくても分かっている。さっきから、俺の足元、落差十メートルほどの海面が不気味に波立っているのだ。これ見よがしに、三角形の背びれがぐるぐると回っている。


「鮫はバンギアにも居るのだよ。悪食な、質の悪いやつでな。海戦があると群れを成して集まって、海に落ちた者を、片っ端から餌にする。我々エルフも、人間も、悪魔や吸血鬼さえだ。少し前に牛馬の血を撒いておいたから、元気にしているだろう?」


 ばしゃばしゃと期待を込めて、舳の下で鮫たちが水しぶきを立てる。

 反撃の術は、ないか。思いつかない。数時間くれても、無理だろうな。


 せめて抵抗、撃たれて落ちるのだけは避けるか。

 フェイロンドが長口舌を振るう。グロック17がじわじわと上がってくる。


 狙いを読め。こいつは俺を恐怖させ、苦しめて殺したいのだ。


 だから、心臓と頭はない。ただ、俺を直接撃ちたいとは、思っている。もっとも苦痛が大きく、自由が利かない場所――。


「むごたらしく殺せという依頼には、便利な連中だ。私の怒りを晴らすにもな。後のことは気にせず、死ぬといい、下僕半」


 足だ。俺は素早く右足を引っ込めた。フェイロンドの狙いは予想通り。発射された瞬間、弾丸の軌道は外れている。


 意趣返しに微笑んでやると、わずかに相手の唇が不快そうに釣り上がる。


「うわわっ……!」


 だが、不安定な舳で片足立ちになったせいで、あっというまに真っ逆さま。


 落ちれば鮫にやられる。腕は縛られたままだ。両手足が無事でも、抵抗の術などあるわけがない。


 水しぶきを立てて、身体が沈んだと思ったら、腹を噛まれて引きずられる。


 このままバラバラに食われるのかと思ったら。


「しゃべるなよ、騎士」


「ザベルさん……!」


 見知った顔のダークエルフが、俺の肩をつかみ、船の腹にもたせかけた。腹は噛まれたんじゃない。水中でザベルに引っ張られてここまで寄せられたのか。


「どうやってここまで……いや、無事だったんですね。シクル・クナイブの奴らにやられて」


「一度やられたよ。ユエちゃんに運んでもらって、警察署でローエルフの嬢ちゃんに助けられた。おまけにガキどもまでさらわれちまった。常連客を殺して化けてるとは思わなかった……」


 ブロズウェルのときと同じだ。シクル・クナイブお得意の操身魔法にやられたのか。いくらザベルでも、バンギアとアグロスが繋がる前の人生の方が長い。エルフが悪魔の魔法を行使するとは思わなかったのだ。


「便利だな、ガドゥの道具は。魔力を消して追ってきたんだ」


 押し付けられたシールを頬に張る。これで魔力が消せる。


「鮫どもには、2,3人餌を食わせといた。今のあいつらは、腹いっぱいでふざけてやがるだけだぜ」


 周囲を泳ぎ回る陰にはぞっとさせられるが、ザベルの言葉を信じるしかない。というか、食わせたというのは、あのフェイロンドに気づかれることなく、シクル・クナイブのメンバーを葬ったってことか。


「なにするつもりか分からねえが、連中、結構な大所帯だろ。断罪者を脅すのも重要な作戦で、いちいちてめえらの頭数なんか確かめてらんねえのさ。捕まえたお前は確実に拘束してたしな」


 そこまで読んで、行動してたってのか。しかも、あらかじめ連中は鮫に血を撒いていた。おまけにこの霧、誰か食われていても気付きにくいのだろう。


 しかし、暗殺者と渡り合えるとは聞いていたが。これほど見事な手並みとは思わなかった。


「あの吸血鬼の坊ちゃんに止められたし、お前にも殺しだけは教えなかった。だが、そうも言ってられねえからな。悪魔のねえちゃんから、了承は取ってある。アグロスでいう緊急避難だったか、断罪者でもない俺の行動にも、目をつぶってくれるそうだぜ」


 ギニョルまで許可を出したのか。無茶をやりやがる。


 ザベルの手を魔力が伝わり、船腹の木材が形を変える。枝を生やしてしがみつけるようになった。これで船体を伝って登れる。


 身体を引き上げたザベル。レストランで見る、バンダナにジーンズやシャツというラフな格好とは違う。革製の鎧や具足には、至る所に牙や枝が仕込まれた暗殺者のいで立ちだ。


「珍しいか、騎士。今日の俺はただのコックじゃねえよ。”命刈る風”ザベルだ。100年ほど前には、戦場ばっかり渡ってた。こんな船はなんべんも攻めたよ」


 頼もしさと恐ろしさが同居する、俺の命の恩人。


「忘れないでください。報復の殺しより、みんなを無事に助けることです」


「……分かってるよ。お前はもう、断罪者なんだな」


「まあ。身も固まって来たし」


「違いねえや」


 ザベルは口元だけで笑い、俺は後を追った。


 奴らが気付いていない内が全て。

 反撃は、始まったばかりだ。

 

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