69ヒトとモノの境界

 魔法に関するマロホシの研究は、数万年ともいえるバンギアの歴史を軽く凌駕するのだろう。天才と呼んで差し支えない能力、悪魔の制限を毛筋ほども気にせぬ性根、そしてGSUMという、器具と材料がほぼ無限に手に入る組織。


 虎に翼ということわざがあるが、マロホシにGSUMとでも言いたくなる。


 魔力まで完全にねじ曲げる操身魔法を筆頭に、おぞましい外科手術によるなりそこないの制御、そして、今度は一体何なんだ。


 M97の弾薬を使い切った。ガンベルトからシェルチューブにバックショットを詰め込む。スライドを引く。銃身に込めた。


『まさか断罪者が死ぬなんてね。フリスベルとクレールが、ザベルに続いて』


 しゃべり続ける顔面に打ち込む。粉みじんになった破片が床に吸い込まれていった。他の残骸も床に溶けるように消える。安い挑発だが――。


『言ったじゃない、無駄だって』


 今度は天井からコンクリートの塊が滴り落ちてくる。再びマロホシが形作られていく。


 銃を向ける。ギニョルが言った。


『騎士、弾薬を無駄にするな。あれはマロホシであってマロホシでない』


 また、分かったような分からんような。


「どういうことなんだよ、ギニョル」


「魔道具でもねえんだな」


 銃口は離さない。マロホシがおや、というように眼鏡を上げた。


『こやつが使っているのは、操身魔法と現象魔法のあいの子とでもいうべきものじゃ。魔力まで変化させる操身魔法の応用であろう』


 それは、どういうことになるんだ。


 確か、三種類の魔法の定義は。ひとの心を操る蝕心魔法、身体を操る操身魔法、そして自然現象を操る現象魔法、ということだったはずだ。


 悪魔はこのうち、操身魔法を使う。操って負傷を回復させたり、死体となったヒトに魔力を注入して意のままに操ったり、また、自身の体を変化させて姿だけを完璧に変化させる。


 ギニョルの言葉は正しかったらしい。マロホシは満足げにほほ笑む。


『まあ……さすがですわね。カビの生えた伝統にとらわれない有能さよ。本当にあなたが、法と正義なんてくだらないものを守る断罪者だなんて惜しい』


 口元を弾丸が貫く。ギニョルのエアウェイトが火を噴いたのだ。

 血は出ない。かわりに口元からひび割れが広がり、あごから上が砕けた。まるで、陶器の人形を叩き割った様だ。


『そなたのように、ヒトを救う術を持ち合わせておる者が、破壊と死に狂っておることは、惜しいで済まされんがな。どうあっても、断罪させてもらうぞ』


 やはりマロホシは廊下の別の場所から沸き上がった。


『……話くらい聞きなさい。これは、革命的なことよ。私は魔法の新しい領域に達した。あらゆる魔法は、魔力の操作から望ましい結果を引き出すの。魔力まで、別の種族になって分かった。現象魔法も操身魔法も、蝕心魔法も根底はそれほど違わない。だから、私はこうして物質にさえ同化できるのよ』


 マロホシが右手をかかげる。俺とガドゥが撃った。その腕は砕けたが。


 頭上がいきなり、巨大な斧刃になった。灰喰らいのような巨大なもの。

 銃では受けられない。撃っても砕ききれない。


『いかん!』


 ギニョルが杖をかかげる。今度は床のコンクリートが隆起する。斧刃を止めた。

 これは、現象魔法だ。ギニョルの角が消えている。耳はハーフエルフたちのようにとがり気味になっている。


 わずかに感じる魔力の感覚が違う。姿はギニョルだが、まるでフリスベルの、エルフのような印象だ。


 青白い顔で、息を吐く。


『無事か、お前たち』


「ギニョル、こいつは現象魔法じゃねえか。お前どうなってんだよ」


 ガドゥの問いには、ぜいぜいと息を荒げるばかりだ。相当の負担があったらしい。ルーベが処置した傷のせいかと思ったが、見たところ、出血とかはない。


 純粋に、魔法の負担が強過ぎたのか。


 マロホシの右腕が天井のコンクリから再生する。破壊の痛みなど感じていないのか、声を上げて笑って見せる。


『素晴らしい! 不完全ながら、魔力までエルフに近づけた操身魔法ね! エルフに近づいたから、現象魔法で私の攻撃を防げた。そうでしょう。もう私の領域に入門してこられるなんて。やっぱりあなたは、二つの世界でただ一人、私について来られる人なのよ!』


 やはりそうか。長いバンギアの歴史の中で、マロホシしか使えなかった完全な操身魔法。魔力まで異種族に変化するものを、ギニョルは行使したのだ。思えば、マロホシが完成させた魔法理論の基礎は、ギニョルが確立したのではなかったのか。


 悪魔たちが禁忌としてきた領域に、とうとうギニョルも手を出したのだ。


 しかし、現象魔法と操身魔法か。マロホシは操身魔法で自分の魔力をねじ曲げ、現象魔法によって自らとノイキンドゥのビルそのものを操り、一体化しているのだろう。上位の操身魔法で完全なる別種に変化し、悪魔が使えないはずの魔法を何度も使ったことで、こんな歪んだ魔法を行使できるようになった。


 痛みを感じていない理由もわかる。姿や声こそ生物だが、今のマロホシはコンクリートの塊に近い。割れようと砕けようと溶けようと燃えようと、神経はないのだ。


 さっきまで呼び出していたGSUMのメンバー達も、コンクリートで作ったのだ。


『……でも、残念、もう遅い』


 言いかけた手と胴に、俺とガドゥの銃弾が殺到。打ち砕いた。


『ちょっと、話させなさいよ』


 出てきた瞬間、撃つ。砕く。ガドゥがリロードに入った。再び現れるマロホシの気配を、スラッグ弾で砕き壊す。


 俺とガドゥは、リロードのタイミングをずらせつつ、マロホシが出て来ると見るや、集中射撃を浴びせた。


 AKの小銃弾も、ショットガンの12ゲージも、音速を超える鉛の塊だ。たたきつければコンクリートくらい破壊できる。マロホシがマロホシになるのを一時的に防げる。


『まあ、そういうことね』


「くたばれっ!」


 ショットガンが吠え、マロホシの頭が出てくる窓が壊れた。


 スライドを引く。倒せなくとも、集中はさせない。恐らく、マロホシがビルを操るためには、かつての体の形が必要なのだ。魔法には意識の集中が必要だ。生き物の形を取らなければできないのだろう。


「空っぽになるまでぶち抜いてやるぜ!」


 汚え狙いが何だか知らんが、これ以上だけは防ぐ。俺にも、恐らくガドゥにもこんな存在を倒せるのかどうか分らない。


 だが、俺たちのお嬢さんになら―—。


『ご苦労じゃったな、騎士、ガドゥ』


 ギニョルが苦し気にため息を吐いた。


 いつの間にか杖を握っている。石突で床を突く。

 紫色の魔力、そして現象魔法のときの魔力が床を走っていく。


 廊下と階段、周囲を押し包む不気味な感覚が消えていく。


『……呪文が思い浮かばんが、どうやらうまくいったようじゃ』


 マロホシが出てくる気配とでもいうのか。わけのわからない魔力的な不快感が退いていく。


『粗雑な理論じゃ。そこらじゅうほころんでおる。相当、焦っておったようじゃな』


 天井、床、階段、あちこちから、ギニョルが現れた。


 どれも恐らくコンクリート製。マロホシの領域まで入り込んで、奇妙な魔法の主導権まで奪い取ったというのか。

 

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