8バーで夕食
太陽が沈んで数時間。広がり始めた宵闇の中、フィクスを買ったマーケット・ノゾミには相変わらず人通りが絶えない。
夜になり人間やエルフ、ドラゴンピープルの姿が遠のいて、吸血鬼や悪魔などの姿が目立っている。奴隷や下僕を連れている奴も多かった。おおむね和やかな雰囲気で、買い物をしたり、露店の前の席で飲み食いをしたりしている。
俺とフィクスはそんな連中のそばを、タンデムのままゆっくりと流していく。ほかにも車やバイクがいて、低速で人の間を過ぎていく。銃か麻薬でも買うタイミングをうかがっているのだろうか。路地の暗がりには、それらしい怪しげなみなりの人間がちらちらしている。恐らく自衛軍の連中だろう。
こいつらなど、とかげの尻尾だ。今日は断罪者として来たんじゃない。
背中のフィクスは俺につかまる手をゆるめ、あたりを見回している。
ある程度様子を見て取ったのか、バイザーを開けてメット同士を寄せてきた。
「奴隷である私を連れて、吸血鬼のように振る舞うのですか。失礼ですが、格が足りないと思いますよ」
気に障る物言いはこいつの当然だ。俺もバイザーを開けた。
「いらねえよ、連中みたいな格なんて。それより何か食べたいものはあるか」
「流煌の好物ですか」
「違う。お前の好みでだ」
メットの中で、目を細めたフィクス。取っていれば、唇を意地悪く歪めたのかも知れない。
「……沼パンの、森コウモリサンドがいいです。墨タマネギを添えてください」
すべて、ダークランドの食い物だ。
「いや、吸血鬼かよ」
「私は偉大なる主の下僕だったのですよ。記憶は消えても、この舌に味が刻まれておりますわ」
フィクスとしての希望は、キズアトの奴の影響の下のものでしかない、か。
俺はバイクを発進させた。心当たりまでは、少し距離がある。
「ザベルの店ならばともかく、こんな屋台ばかりのところで、本格的なダークランドの料理が食べられるとは思いません。私の願いを叶えて、主人としての格を見せつけたいとでもお思いなのでしょうが、あいにくと」
はためいていた、エプロンドレスのすそがエンジンの上にかかる。
俺はバイクを停車させると、ヘルメットを取った。
「着いたぜ。降りろよ」
「……はい」
同じくメットを取ったフィクスの黒髪が、薄明りの中に広がる。
ここはホープ・ストリートとの境界付近。屋台もまばらになり、人通りも少なくなっている。
目の前には、俺やフィクスの住むコンテナを二つ並べた店。ただしペイントは真っ黒で、砕けたコンクリートの隙間から、黒っぽいつたが生え、壁面を覆っている。
月明りを閉じ込めたような青白いランプが、コンテナの四隅でふんわりとした雰囲気を作り出していた。
「ここは……」
「面白い店だぜ。特に吸血鬼と吸血鬼かぶれにはな」
俺の皮肉に、フィクスは口元の角度を微妙に下げた。心外だったのだろうか。
とぼけたふりをして手を差し出すと、滑らかな手つきで指を絡める。
「よう、やってるな」
扉を開くと、店の内装も洒落ていた。つたで吊られた外と同じランプが天井からぶら下がり、コンテナの壁は取っ払われ、店内のスペースは思いのほか広い。四人掛けのテーブルが三つと、ダーツまである。
右側の壁にそってカウンターに囲まれたキッチンがあり、奥の戸棚には様々な銘柄の酒が入っていた。
店内には、他に八人ほどの吸血鬼。俺を見て目を細めた。叩けばほこりが出るのかも知れない。
「……いらっしゃい。断罪者さん」
キッチンで食器を拭いていた男の吸血鬼が、抑揚のない声でそう言った。蝶ネクタイとチョッキが似合う。
他の吸血鬼が色めきたつ。ダーツの傍にいた一人が、懐に手を入れようとする。
「待てよ。俺は今日コートを着てるか? そいつを出すと、本気でやり合うことになっちまうぜ」
しばらく沈黙が流れた。吸血鬼は俺をひとにらみすると、ダーツに戻った。
俺はフィクスをうながし、二人でカウンターに座った。店主に注文する。
「サンドイッチを二人前。俺にはモヒートを。フィクス、酒はどうする? 大抵のものがあるぜ」
俺がふりむくと、フィクスは胸元で自分の手を握りしめた。視線は戸棚の中を見つめている。
「ウイスキーをロックで。戸棚にあるダークランドのものをお願いします」
店主は無言でうなずくと、グラスに大きな氷を入れ、薄く黒い色のウイスキーを注ぐ。チェイサーとして使う氷水も用意し、俺のカクテルも慣れた調子で作ってしまった。
出てきた飲み物に口をつけながら見守っていると、店主は簡素なまな板でサンドイッチを作っていた。切り分けた沼パン、はさみこむのは、黒ちしゃと墨タマネギに、軽くあぶった森コウモリのジャーキー。いずれもダークランドの食材だ。
数分で目の前に出された、吸血鬼向けのメニューに、フィクスの唇が少しだけほころぶ。
「食えよ。たまには、浮気もいいもんさ」
小さく口を開け、サンドイッチをかじるフィクス。好物を食べるさまでさえ、どことなく気品があって淑やかだ。キズアトの好みが分かるような、流煌とは違う物腰。
半分ほど食べ終わったところで、フィクスは俺の視線に気づいたらしい。サンドイッチを置くと、口元を隠してこっちをにらむ。
「……店など、誰でも探せますよ。こんなことで私があなたになにか好意を抱くとでもお思いですか」
ワンパターンな挑発だ。そう言われても、喜んでもらえたのは分かっている。
「気にすんなって。俺の気まぐれさ」
笑顔で返すと、サンドイッチの残りを放り込む。なかなかうまい。
コウモリなんて癖が強いと思っていたが、意外と悪くないものだ。
平然と食事を摂る俺に釣られたか、フィクスは言い返すこともせず、残りのサンドイッチをかじっていく。
「ごちそうさま……調子に乗らないでくださいね。記憶はないけど、偉大なる主に比べればあなたなど問題になりません」
「ああ。肝に銘じとくぜ」
俺は笑顔を崩さない。
キズアトの奴に流煌を奪われて七年。姿は変わらなくとも、俺達はお互いに別々の時間を過ごした。平然と振る舞えるのは、そのせいもあるのかも知れない。
本当に、今になって戻ってくるなんて。
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