7ものまね人形
「いらっしゃい。騎士くん……」
俺とフィクスが入店すると、接客にきた祐樹先輩が、抱えたお盆を落とさんばかりに目を丸くしていた。
それはそうだろうと思う。祐樹先輩は、かつて俺と同じ軽音部に所属していた。キズアトに魅了される前のフィクスを、俺の恋人だった流煌を知っているのだ。
他に客は居るものの、先輩は完全に当時に戻って俺達に駆け寄る。戸惑うフィクスの両手を握って振り回した。
「流煌ちゃん、無事だったんだ! 良かった」
眼鏡の奥が曇っている。16の外見の俺と違って、七年経って二十代の半ばまで成長し、ザベルと夫婦になった先輩。その格好も、エプロンにワンピースドレスで、人妻っぽさがあふれているが、今だけは高校の部室でキーボードを弾いていた先輩だ。
変わってしまう前の日々は、二度と戻らない。ザベルがキッチンから声をかけた。
「祐樹。残念だけど、そいつは違う。姿は同じでも、人間の魔力をしてねえ。あれから、年も取ってねえだろ」
その通りだった。俺に魔力は感じられないが、流煌は不可逆の蝕心魔法、チャームによって一度キズアトに従属した。その時点で、下僕としての姿に固定されてしまっている。
俺と付き合い始めたころ、同性の友達が少なかった流煌に柔らかく接して、仲間の輪に入れてくれたのが祐樹先輩だった。
そんな先輩に向かって、フィクスは他人行儀な微笑みを見せる。
「あなたはご主人様のお知り合いでしょうか。残念ながら私には、偉大なる主よりいただいた、フィクスというれっきとした名があります。流煌などという、不完全な名で呼ぶことは、ご遠慮ください」
「流煌ちゃん……」
先輩が呆然とフィクスを見つめる。
「フィクス、言いすぎだ。先輩を傷つけるな」
つい命令口調になっちまった。俺の声を聴いた途端、フィクスは表情を変えた。気持ち悪いくらい、昔の流煌の面影が現れる。自分の好きな話題以外は、伏し目がちで背中が丸まって、せっかくの整った容姿もどこか暗く見えてしまう、あの流煌。
「ごめんなさい、先輩。私、いきなりでどうしていいか分からなくて……」
祐樹先輩の肩を叩き、優しい口調で語りかける。
その手を、先輩が振り払った。
「せん、ぱい……」
目を見開き、口を半分開けたまま、表情をこわばらせるフィクス。
悪夢のようだった。似ているなんてものじゃない。本物の流煌が、慕っていた祐樹先輩に拒まれたときの反応が、完璧に再現されている。
それがさらに、祐樹先輩を傷つけた。
「やめてよ! そんな残酷なことしないで! もう分かった。流煌ちゃんは消えたって、もう分かったんだから!」
涙を浮かべて、キッチンの向こうへ引っ込んでいく先輩。
フィクスは本来の自分に戻り、ため息をついて俺を振り向いた。
「失敗しましたご主人様。私を罰してください。私の苦しみこそが、偉大なる主のお心を慰めます」
演技だと分かる抑揚のない声。光のない目。これがフィクス、俺に買われたキズアトの下僕だ。
俺は歯を食いしばった。狙い通りだと分かっていても、今ここでフィクスを殴り飛ばしたくなった。そのことで、さらに自分を許せなくなった。
「もう、いい……ザベルさん、すいません。しばらくここには、来ませんから。ユエの奴から事情聞いてください」
握りしめた拳が震える。先輩と同じくらい、苦しめられている。
心の底に抱えた、目の前の奴隷に流煌を期待する俺が居た。
「あんまり、深く考えるな。吸血鬼に奪われたものは、二度と戻ってこないんだ」
苦い言葉だった。俺自身、この七年自分に向かって何度も叩き付けてきたはずの。
俺はフィクスを伴い、店を出た。
頭を抱えたくなるような気分で、部屋に戻る。水を一杯飲んでみたが、なんだかげんなりして空腹なのかどうなのか分からない。
「お食事はよろしいのですか?」
「そうだな……」
ザベルの店以外となると、外食ならポート・キャンプかホープ・ストリート、あるいはマーケット・ノゾミの屋台という手がある。が、どれも食指が動かない。
本当に流煌の顔をした人形を相手にしているようだ。キズアトは、俺を苦しめるために戦闘能力を奪ったフィクスを売りに出したのだろうか。
「ご主人様、何も食べないのは身体によくありません。材料を購入してきましょうか。料理を作って差し上げられますが。それとも、お料理をなさいますか。流煌は料理ができなかったはずですね。ご主人様の作ったものを、喜んで召し上がっていませんでしたか」
いちいち気に障ることを言いやがる。俺を怒らせて自分を苦しめようというのだろうがそうはいかない。
こうなったら、俺も少々楽しんでくれる。
「……いや、ちょっとついてこい」
俺はフィクスの手を取ると、部屋の外へと引っ張り出した。
停めてあるバイクにまたがると、ヘルメットを取って少し考える。
「なあ、お前、俺ごと事故って死んだりとかは」
「偉大なる主様が、あなたごときを殺すためだけに、私を捨てるわけがありません。裏切らぬ奴隷と思ってくださって結構です」
「じゃあ使え」
ひょいと投げ渡すと、フィクスは無言でメットを受け取ってタンデムシートにまたがった。慣れていないのか、戦闘能力を奪われたせいか、俺の背に回した手の力が弱い。
俺は構わず、キーを回してエンジンをかけた。バイクを覚えたのは紛争が始まってからだ。流煌の演技などしようがないのだろう。
「しっかりつかまってろよ。それとも、路面で削れて死にたいか」
「減らず口ですね。この程度」
みし、と体が鳴ったような気がした。くさびでもうちこむみたいに、指が肩に食い込んでくる。なるほど、銃は触れなくても、吸血鬼程度の力は健在か。
「行くぜ、夕食の買い出しだ!」
車の往来を確かめると、クラッチをつないでスロットルを回す。
急発進したバイクは、車道の路面をつかんで風の中を突き進む。フィクスの着ているエプロンドレス、繊細なフリルつきのすそが、大きくはね上がってはためいた。
フィクスが流煌の真似をするというなら。
あいつの知らないはずの俺を、たっぷりと見せつけてやる。
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