8覚悟
潮の香りがする。体が揺れているのを感じる。
ここは、どこだ。俺は、苔に血を吸われて死んだはずじゃあないのか。
目が、開いてきた。体を、ごわごわした糸の塊みたいなものが包んでいる。
「……うげ、こりゃあ」
真っ赤なごわごわは、俺を苦しめた吸血苔。しかも俺と一緒に苔に包まれているのはつるつるの白骨だった。
苔を押しのけ、周囲を見回す。どこかに横たえられているらしい、背中と、脇腹を支えているのは、固い木の感触だ。
もう夜か。真黒な空に、帆がはためいている。ここは船の上、それも、恐らくバンギアの小さい帆船だ。形からすると、エルフ達が川を下るのに使うものだろう。
細長い船体に、シンプルな帆が一本。俺と苔を転がしてある甲板から右がへさき、左は小屋の様な船室で、明かりが漏れている。ここは大人しくしておいた方がいいか。
体を探ると、手の甲にはガドゥが作った魔力隠しの魔道具が貼ってある。シクル・クナイブと戦うとき役立つと思って持ち込んだが、流煌の追跡には使っていない。
すると、断罪者の誰かが貼ってくれたのだろうか。心当たりは全くないが、こうして俺の体が隠れるほどの吸血苔を放置してくれているのかも知れない。
部屋で、人が動く気配がした。こうなりゃそれを想定するしかない。
血を吸った苔の塊に包まり、目だけを隙間から出して横たわった。
談笑しながら船室を出て来たのは、2人のハイエルフだった。
いずれも、金髪に碧眼、すらっとした長身の美男、美女だが。
羽織っているマントに、見覚えがある。
ぼろぼろの赤と黒、こいつらシクル・クナイブのメンバーだな。
となると、この船の行く先は、いまだ明らかになっていない連中の本拠地かも知れん。
バンギアにやってきたポート・ノゾミの周囲には、俺達が禁固刑に使う場所を始め、小さい島がたくさんある。特定の日に、海へ手紙を流して依頼するという話で、そういう小さな島のどれかが連中の隠れ家だとあたりを付けていたが。
俺は会話を拾うことにした。今はとにかく情報が欲しい。
「……本当に、この島には困ったものだ。金属と薬物、低俗な娯楽がはびこり、我らエルフを苦しめている。冷蔵庫で冷やしたビールは、良いものなのだがな」
景気の良い音を立て、缶ビールを開けた男のハイエルフ。端麗な外見に似合わず、豪快に飲み干していく。真っ白な細い喉を、ビールが通っていく。
待てよ、ありゃあ、フェイロンドじゃねえか。となると、若木の衆の連中が、シクル・クナイブか。なんていうか、予想してない事じゃなかったが。
しかし、うまそうに飲みやがるな。苔に血を吸い取られたせいか、こっちも喉が渇いてきやがった。そんな場合じゃないのは、分かっているのだが。
女のハイエルフは、上品に口元を抑え、控えめにほほ笑む。
「ふふ。ですがフェイロンド様、それを仰るなら、ハイエルフではないのですか」
ひと缶をひと息に飲み干し、甲板に空き缶を置いたフェイロンド。
女のエルフの腰をつかむと、大胆に引き寄せてその顔を覗き込んだ。
やってることは、酔っ払いが女を引き寄せただけなんだが。ハイエルフで美形なせいか妙に絵になる。同じことを俺がやったら酒乱のクソガキだろうに。
「君は酔ったのかい? 僕の事を理解しないわけじゃないだろう。ハイエルフだローエルフだダークエルフだなんて言ってるが、魔力的にいって、エルフは同一なんだよ。肌の色と姿は違っても、寿命は同じだ」
レグリムの所で見たときとは、真逆の事を言いやがる。
俺も声を出しそうになったが、どうやら相手の女こそ驚いたらしい。
「まあ! レグリム様が聞いたら、何とおっしゃるか」
「あんな老いぼれ、今に、ほえ面をかかせてやるさ。民を苦しめる悪を裁くことで、混とんの島に正義と美をもたらすシクル・クナイブは、実質僕が率いている」
若木の衆を率いるフェイロンドが、シクル・クナイブの頭か。となるとやはり、長老会が使っていると考えていいな。
連中からすれば、虫唾が走るほど混とんとした不完全な島。醜いものと協調した法を執行する、不完全な断罪者。それらを無視して悪人を惨殺し、庶民の溜飲を晴らす。そいつがバンギアで何千年と正義と美を守っていたハイエルフの答えなら、えらく短絡的だが。
本当にそんな単純な事が、フェイロンドの真意なのか。だったらなぜ、俺達を助ける様な真似をしたのだろう。それにさっき、エルフに区別は無いと言ったのか。レグリムに見せつけられ、フリスベルが苦しんでいるものを、こいつは信じていないのか。
ハイエルフの女が、手すりにもたれて少しだけ退いた。
顔に浮かぶのは、自慢ばかりの男が面倒くさくなったとき、女がやる戸惑った様な微笑み。誘い込まれるように、フェイロンドの手が伸びていく。
「なぜだろう。今夜の君は、いつもより魅力的だ。100歳にも満たぬ頃を思い出す。君は嫌うかも知れないが、理想までも思い出させる。確かにハイエルフの魔力なのに、懐かしく柔らかい、永遠に若くみずみずしい森の匂いだ……」
熱っぽくささやくフェイロンド。これ以上は野暮かと思ったが、部屋の中から声が響く。
「フェイロンドはどうしたんだ! どこへ消えた、この成果の立役者だろうに。この私のねぎらいの盃を受けぬというのか!」
決して忘れない、レグリムの声だ。喜ばしい宴会の真っ最中なのだろうが、フリスベルを追い詰めたときと同じ調子だった。
「お呼びだな。
そう言いおいて、フェイロンドは船室へ戻った。
ハイエルフはしばらくそちらをうかがっていたが、やがて俺の方に近づいて来た。
こいつも十中八九シクル・クナイブだろう。まさか俺の存在がばれているのか。見つかったらあっという間に殺される。
武器は無い、相手は女だが、格闘して勝てるか。見たことも無い現象魔法を使うのだ。今まとってる苔の性質を変えられれば、今度こそ骸骨の仲間入りだ。
何とか、やり過ごそう。そう決めて、狸寝入りを決め込んだものの。
女は苔の手前まで来ると、何をするでもなく俺を見下ろしているらしい。
「騎士さん……」
俺の名前を。
まさか。
「……答えないで。私、フリスベルです。あなたが倒したシクル・クナイブの女に化けました。あなたは死体です、ガドゥの魔道具で、魔力を出していないから、誰も気づいていません」
声が違う。上品で背の高い見た目通り、ハイエルフの声だぞ。
ハイエルフの連中からもばれないほど、操身魔法を使いこなしているのか。忌避していた回復魔法以外を、使ったっていうのか。
「この船の行先は、ロウイ群島の島のひとつ。花を咲かせて知らせますから、みんなを連れて来てください」
「お前はどうするんだ」
しゃがみこんだ、ハイエルフ姿のフリスベル。
涼し気な目元に、小さな唇、通った鼻筋、華奢ながらスタイルのいい肢体。
もしも、大人の姿に成長したなら、こんなふうになるかも知れない。
憂いを帯びた表情で、俺を見下ろす。
「私は何度も聞きました。ハーレムズにされた同族を、主人夫婦の依頼で殺したシクル・クナイブは、長老会の組織したものです。彼らは異種族との協調で成り立つ、島の秩序が気に入らないんです。私を断罪者にしたのも、ローエルフならハイエルフの言うことに逆らわないからです」
宴会で聞き出したのだろうか。客観的な事実だろう。エルフの森の近くとて、自衛軍が進軍し、相当な被害が出た。フェイロンドでさえアグロスの酒を飲んでいるし、ドラッグの汚染も深刻らしい。ハイエルフの中にも、バンギアのしきたりを嫌い、ポート・キャンプやポート・ノゾミへ出て来る奴も出ている。
「たった300年ほど、ですけど。私の信じたものなんて、もうとっくに無くなってました。でも、断罪者を否定した私は、みんなの所に戻ることは出来ません」
マントの背中から、フリスベルが取り出したもの。同じ黒だが、断罪に使う火竜の紋がついた外套だ。包んでいる固い物は、ついこの間珠里とドロテアがウッドグリップに交換したコルト・ベストポケットと予備のマガジン。
「持って帰って、ギニョルさんに伝えてください。許してくださいって。それから、クレールさんにも、ごめんなさいって。命令無視して飛び出したの、本当は私だったんです。だからあんまり怒らないであげてください」
消え入る様な笑顔で分かった。
こいつ、死ぬつもりだ。
止める言葉が見当たらない。黙ったままの俺を、ハイエルフ姿のフリスベルは甲板の柵の隙間へ押しやっていく。
「その苔は海に浮かびます。ここからの潮の流れが、ポート・キャンプへ運んでくれるから、泳げなくても助かりますよ」
「待てよ。お前死ぬ気だろう、許さねえぞそんなの、俺だってみんなだって許さない。一人で抱え込むんじゃねえよ、フリスベル。お前は断罪者だろうが」
その言葉には悲しげな笑顔で返し、フリスベルは俺を甲板から蹴落とした。
体が一気に、冷たい海水に包まれる。潮の流れは速い。急流の川に放り込まれたみたいに、みるみる船が遠くなっていく。
フリスベルの名を叫びたかったが、船室から人が出て来ている。
これ以上の邪魔はできない。
あくまで、苔に絡まる死骸のふりをしたまま。
熱くなっていく頭を冷やす様に、歯を食いしばって塩辛い水の流れに身を任せた。
ふざけるんじゃない。死なせたりして、たまるものか。
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