9霧の夜を行く

 部屋に戻った俺は、ようやく、カッターシャツの前をくつろげることができた。

 8センチくらいある特大のげじげじが、床に飛び降りる。わしゃわしゃと足を動かして這いまわっている様は、いくら味方だと分かってもだめだ。


 ギニョルの使い魔が便利なことは認めるし、ピンチを救われたことは一度や二度じゃないが、このデザインだけはどうにかして欲しい。


 最近は虫に変化して、最初のエロネズミが全く可愛く見える。


 しばらく待ってみたが目は光らない。げじげじは相変わらず部屋の床を這いまわり、とうとうベッドの下に隠れて出てこなくなった。


「おい、お前ただの虫かよ……」


 這いつくばって手を突っ込むと、指にしがみついてきた。

 つかみ出して、ひっくり返すとさらに気持ち悪いが。


「これは……」


 動き回る大量の脚の中心。メモ帳を固めたようなものが、くっつけてある。


 剥がし取って広げると、一枚の紙だった。


「零時半に基地を出て、御神楽通りのバイクショップの裏口へ。境界を破り、島へ向かえ』これだけかよ……」


 パートナーは誰か、どう事態が動くのか。そこらへんは一切書いてない。


 大体、まず基地を出られるのだろうか。まだ部屋の前には見張りが居るはずだ。


まあ、狭山と駒野が俺達を部屋に案内してくれたときのこともある。

 何らかの用意はしてあるのだろうが。


 前と違って部屋にも監視はないし、銃も弾薬も渡されたままだ。

 食糧と水を鞄に詰めれば、今すぐにでも旅立つことはできる。


 ヤドリギの種のリミットは、明日の一両日中。

 必ず、フェイロンドを断罪しなければならない。


 げじげじが俺の手を逃れた。床を這って今度は机の下に逃げ込む。


「分かったよ、もう掴まねえから、大人しくしてな」


 体を休めておこう。午前零時を目指して、俺はベッドに横になった。


『騎士さん、騎士さん、零時が近いです。起きてください』


 小さく可憐な、ささやく声。フリスベルか。部屋に来るとはなかなか大胆だ。


『良かった。目を、覚まされましたね』


「おぅあっ!?」


 思わず飛び起きて払いのける。耳元に居たのはさっきのげじげじだった。

 眼が紫色の光ってる。この虫、フリスベルの使い魔だったのか。


 ハイ、ロー。ダークの三種とも、悪魔と同様操身魔法の適性はあるが。

 負傷の回復以外には使わないのが暗黙の了解だ。


 もっとも、シクル・クナイブの連中といい、覚悟を決めたときのフリスベルといい、紛争後は例外にまみれている。


『静かに、外を見てください。機会が来ます』


 言われた通り窓のカーテンの隙間からうかがうと、真夜中の訓練用トラックに、不自然な霧が立ち込めていた。ここは街の真ん中、寒暖差も少ない季節で、発生する可能性は少ない。


 げじげじが指先に触れた。


『シールを貼ってください』


 バッグの中、ガドゥに分けてもらった、魔力を封印するシールがある。取り出して手の甲に張ると、バッグを担ぎ上げた。革靴も履いた。


『もう十秒で電源が落ちます。そうしたら、バイクショップへ。それから私を追ってください』


 電源ってのは、この基地の電源のことか。

 誰がやるんだ。俺以外はさらにきつく監視されているはずなのに。

 というか、ようやく日ノ本に存在を認めてもらえた矢先に、断罪者が器物損壊なんぞやらかしたらどうなるのか。


 考えている間に、じじ、と蛍光灯の明かりが揺らぐ。

次の瞬間、本当に部屋が真っ暗になった。


 同時に、外の霧の中に、小さな人影が現れる。

 断罪者の服装はしていない。バンギアに住むエルフの普段着、薄衣のようなローブをまとった小柄な金髪の少女……フリスベルか。


 声をかけたかったが、渦巻く霧の中に、音もなくもう一つの人影が現れる。

 背の高いハイエルフだ。ハイエルフ、ここはアグロスなのに。


 使い魔が反応しない。フリスベルは気づかれることを避けている。


 ハイエルフの姿を紫色の魔力が取り巻く。光と共に現れたのは、スレインの半分もありそうな大きなふくろう。


 フリスベルを背に乗せると、音もなく霧と闇に消える。


『焦らないで。行先は三呂大橋です。バイクを確保してついてきてください』


 げじげじの声はフリスベルそのものだ。信じるしかない。


 扉を開けて廊下をうかがうと、兵士達がせわしなく行き交い始めた。

 だが、まだ訓練トラックは霧の中。


 今しかない。


 俺は窓を開けると、芝生にそっと飛び降りた。

 暗闇と霧で方角はあいまいだが、何度も出入りして、この基地の急所は知っている。


 正面入り口は見張塔と門がある。その代わり、西側、フェンスの下を小川が流れているのだ。


 霧は暗視スコープや監視カメラをも、あざむくことがある。ましてや、フリスベルを連れ出したハイエルフの存在からして、この霧は魔法で発生させたものだ。


 この基地には俺達以外に魔法を使うダークエルフや悪魔も居るが、見た所こんな急場に対応できそうな器じゃなかった。精鋭はGSUM以外にはつかない。


 小川の入り口に来ると、水に濡れてない石を選んで飛び移る。我ながら、ザベルに仕込まれた軽業の要領だ。


 外に通じる土管をくぐろうとしたところで、闇の中に何かがうずくまっている。


「動くな」


 スライドを引く音。これは9ミリ拳銃か。


「断罪者の丹沢騎士だな。この混乱はお前の仕業か」


 この声は。


「あんた狭山だな。空挺団の中隊長」


「質問しているのは私だ。フリスベルさんが消えたことと関係しているのか」


 冷徹な声は代わらない。こいつはためらいなく撃つだろう。

 だが、フリスベル。あれを見てやがったのか。


「俺はそのフリスベルを追う。ハイエルフが連れて行ったんだ、多分シクル・クナイブの奴だぜ」


 フェイロンドはフリスベルの身柄を要求していた。引き換えにアグロス人を一千人解放していいとまで言っていた。


「あり得ない。日ノ本は交渉に応じない」


「だから密かに接触してきたんだろ。俺も気づかなかったぜ」


 からくりが見えて来た。俺は気づいていなかったが、シクル・クナイブは自衛軍が大量に駐留するこの街にも潜んでいる。連中は、エルフのタブーである、姿を変える操身魔法を自在に駆使するのだ。かなり精巧で、同族すら欺くほどだ。


 奴らは恐らく、フリスベルかギニョルに接触してきたのだ。日ノ本が許さなくとも、人質の交換を行うように。

 フリスベルはそれに乗った。当然境界を超えることになるが、これに便乗できれば、境界突破のチャンスが来る。


 こちらも、M97のスライドを引く。狭山は撃ってこない。迷っているのだ。


「……どけよ、中隊長さん。俺は断罪者として島に戻る。フリスベルと協力して、フェイロンドを断罪してやる。ヤドリギにやられたあんたの仲間も助けてやるよ」


「無謀過ぎる。我々自衛軍の精鋭が、いいようにもてあそばれる相手だ」


「生憎、断罪者になってから、無理を通したことしかねえ。俺の腕はあんたより悪いが、6メートルの間合いで12ゲージを食らいたくねえだろう」


 9ミリでどこかを撃たれるのと同時に、狭山の顔を吹っ飛ばす自信はある。


 兵士達の声が聞こえる。霧が薄くなってきている。やばいぞ。ばれちまったら、フリスベルだけが境界の向こうに――。


「……いいだろう」


 9ミリ拳銃を下ろすと、狭山は弾倉からマガジンと弾を抜き取った。


「ただし、私も同行させてもらう」


「え」


「先日の戦闘の被害で、空挺団は再編成もままならず、この基地で名ばかりの警護だ。日報は真っ白。私とて、英雄になりたいわけじゃないが。あんな可憐な女性を、たった一人、残酷な男の下に向かわせるのはしのびない」


『本当ですか? 嬉しいです』


「うおおっ!?」


 袖から出て来たげじげじに、思わず後ずさる狭山。虫が苦手なのだろうか。空挺団の訓練では食料調達で世話になると聞いた事もあるが。


 水音が立っちまった。こっちに気づいた奴は居ない様だが。


「行くなら行くぞ。付いてこい」


「……その虫はあまり近づけないでくれ。なんで彼女の声でしゃべるんだ」


 使い魔のことは後で説明してやるか。本来エルフは使わないから、余計ややこしい。


 狭山の手引きで基地を抜けると、路地を通ってメッセージのバイクショップを目指した。フリスベルは見えなくなっていたが、目的地は分かっている。急がなければならないことに変わりはないけどな。


 基地への生き返りにあるバイクショップは、個人経営らしい小さなもので、真夜中だけにシャッターも締まっていた。だが裏口の鍵は開いており、ガレージに入ることができた。


 工具やパーツの並ぶ中、金髪の男がバイクのエンジンを調整していた。工業用扇風機が回るものの、シャッターで閉ざされた部屋には、熱気が渦巻いていた。


 立ち上がって振り向いたのはザルアだった。こいつ、バイクの調整までできるのか。車の運転もやってたな。


「来たか騎士。お前は?」


「自衛軍、空挺部隊の中隊長、狭山だ。あなたはテーブルズのマヤ・アキノの護衛を務めていたザルアだな」


「いかにもだ。役に立つのか?」


「勇気と腕前があるよ。俺と同じで、魔法は使えないけど」


 狭山もなかなかの美丈夫だが、ザルアの方が少し背が高い。

 しげしげと眺めると、うなずいだ。


「……お前は魔力不能者だな。バイクはタンデムだ。空挺部隊なら、一通りの訓練も経験したか」


「死ぬほどきついやつをな。散々だったが、アイランド・サンロで実戦もやった」


 イェリサに向かって、多数の戦死者を出しながら食い下がった空挺団。それを指揮していたのがこの狭山なのだ。


「いいだろう。騎士をサポートしてやってくれ。島に着いたら、会議場へ向かえ。ほとんどの住人がそこに集められているらしい」


 まず着けるのか、というところはスルーか。


 まあいい。後は乗り込むのみだ。


 バイクは都合よくも、島で使っているやつのニューモデルだった。

 エンジンに灯を入れると、いい音で鳴り始める。中古っぽいが、島にあるやつよりよほどましだ。


「分かっていると思うが、境界を渡るときに便乗しろ。自衛軍が警備を敷いているがシクル・クナイブは手立てを講じている」


「島側の様子はどうなってるか分かるか?」


「……シクル・クナイブのエルフ自体は多くないが、とにかく行けば分かる。エルフの森がどういうところか、見れば分かるが」


「ついていけるのは、俺だけなんだろ。何とかするよ」


 ガレージには銃器と弾薬も用意されている。89式自動小銃と、てき弾の投射装置。MP5Aに、9ミリ弾もある。三呂に集結した勢力からくすねてきたのだろう。


 会話の間、狭山は銃器と弾薬を調べ、バッグに詰めてくれていた。四角く重そうなノートパソコンも入れている。作業が終わると、ヘルメットを持って俺の後ろに乗り込む。


 ザルアがシャッターを開けた。霧に沈む街の中、サイレンがあちこちで響いている。警らのパトカーが、フリスベル達を追いかけようとしているのだろう。


「マヤによろしくな! こっちのことは頼むぜ!」


「ノイキンドゥには生きている端末がある。見つけられたら連絡をくれ」


 覚えておくか。


「分かったよ。いくぜ!」


 クラッチをつないで、エンジンを吹かす。こちらに突入して数日。久しぶりに、バイクで路面を存分に味わうことになった。

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