19警察署の罠
俺は農家じゃない。だが、断罪者として禁制品を取り締まる観点から、農薬の種類や効果はある程度知っている。
倉庫にあるのは、エクスティンクションアルファという、物騒な名前の農薬だった。これはメリゴンで作られた相当強力な奴で、ジャングルの戦闘で邪魔な樹を根から枯らすためのものだ。顆粒の状態で水に溶かし、液体にして散布することで使う。
推奨希釈濃度は一千倍。アグロスからの輸入は禁止されている。というか、日ノ本でも使ってはいけない農薬となっている。百倍程度で使っても、垂らした地面から数年は何も生えてこないという恐ろしい薬品だった。
その危険な薬品を、俺と狭山と、自衛軍の兵員は担ぎ上げ、倉庫の外、魔法で生やしたすすきの中にある鉄のコンテナに運んだ。
深さ二メートルほどの縁に、兵士が居て、俺達が持っていくと袋にナイフで穴を開け、中身をコンテナにぶちまけるのだ。
隣では眉を潜めたレグリムがそっぽを向いているが、ダークエルフ達は杖を取り出して小さな現象魔法を使い、コンテナの中に少しずつ水を発生させている。
コンテナは横4メートル、高さ2メートル、幅1メートルくらいだから、満タンで容積は約8立方メートル。水だけで8トン、八千リットルにもなる。
排水溝みたいな音をさせて、だんだん満ちる水の中に、ざらざらと注がれるエクスティンクションアルファ。水に溶かして使うものだけに、粒が入った途端、あっという間に見えなくなる。
十分ぐらいかけて、コンテナに水が満ち、農薬も三十袋、百五十キロくらい入った。六十倍くらいだから、相当な濃度だ。
兵士がたまらず縁から飛び降りた。俺も鼻と目が痛くてコンテナに近寄れない。水を発生させていたダークエルフが、せき込みながら倉庫の壁向こうに逃げた。
レグリムが毒づく。
「……強烈だな。人間の技術は。下僕半よ、保障してやる。これを浴びれば、樹化した我々であろうと必ず死ぬだろう」
ローブの袖を破って鼻と口を覆っているが、それでも辛そうだ。というか、これは人間でも命が危ない気がする。
「ニヴィアノ、やってくれ」
「うん」
コンテナの手前三メートルほどで、ニヴィアノが杖を両手で構える。
杖の先端が紫色に輝き、魔力が渦をまいていく。風が吹き込んできた。俺達から見てコンテナの方へ。落ちた葉や枝も巻き込んでコンテナの上で渦を巻く。
魔力が強く輝くに伴い、渦を巻く風が農薬入りの水をまき上げ始める。濃度六十倍。強力なエクスティンクションアルファが存分に溶けた、おぞましい水の竜巻が出来上がる。
『リズ・ヴィンド・オル・ウェタ・ブロッブ!』
ニヴィアノが魔力を開放。コンテナの水を一滴残らず吸収した竜巻が、勢いをつけて警察署めがけて突き進む。
その直後、上空で銃声がした。ニヴィアノが杖を吹き飛ばされる。俺は飛び出してその体を抱え、車の残骸の脇に逃げ込む。
「気づかれたか。魔法を使ったせいだろうな」
レグリムがつぶやく通りだ。頭上の闇から、銃声がひっきりなしに降ってくる。あれだけでかい現象魔法が、シクル・クナイブの探知に引っかからないはずがない。
来たのは恐らくふくろうに乗った連中だろう。俺はM97を構えて撃ったが、銃声と弾丸が降ってくるばかりで、相手の位置がつかめない。羽音が聞こえない。
「騎士、スラッグ弾を使え。私と方向を合わせろ」
89式を上方に向かって構えながら、狭山が叫ぶ。確かに赤外線式であろうスコープが付いている。闇に眼が慣れてうっすらと分かる。ホバリングを繰り返す白い塊だ。
銃身からバックショットを抜き、スラッグ弾をシェルチューブへ。スライドを引いて銃身へ送る。位置は二十メートル、角度は約七十度。手前十メートルまで風。上は無風。
俺はトリガーを引き絞った。どん、という反動をつけて、M97から吐き出された12ゲージスラッグ弾は、見事にふくろうの胸部を貫通。羽を撒き散らしながら、巨体は真っ逆さまに落下する。
警察署と倉庫の間に落下したふくろうから、ハイエルフが這い出した。有無を言わさず、狭山と兵士達の9ミリ拳銃が集中。胸や腹に十数発のトドメを食らって倒れ込む。
が、その体が膨張し、闇の中でむっくりと起き上がる。葉が茂り、白い肌がごつごつとした樹皮に覆われていく。
『おのれ、生意気な奴らめ』
樹化だ。この少人数で戦うには厳しい。そう思ったが、そこはあのおぞましい竜巻の進路だった。
『何だこれは、う、ああああぁぁぁ……あ……っ』
取り込まれ、農薬の溶液を浴びた直後から、枯死が始まる。あっという間に葉が全て落ち、生命の無い茶色い塊になり、幹が二つに折れてしまった。
切り口の中心まで枯れ果てている。半端じゃない威力だ。樹化したハイエルフが、たった数秒でこの扱い。
容赦のない竜巻は、警察署本体も直撃。小さな悲鳴と共に、守っていたエルフ達をことごとく枯死させて吹き飛ばしていく。
銃火器に耐える質量と硬さを持っていても、しょせん植物。化学的に調合された強力な除草剤には敵わない。
残酷な竜巻は一分ほど警察署をさいなみ、やがて散った。
えげつない威力だった。とはいえ、これでも巨海樹や境界の破壊には、役にも立たないのは事実だ。
倉庫から警察署までは、刺激臭のする液体が撒き散らされて、凄まじい状況だった。侵食した巨海樹の根も線状に枯れて吹き飛んでいる。警察署は一切の木々が枯れ、巨海樹がはびこる前からの植え込みでさえ枯れ果てて吹き飛んでいる。
「……嘆かわしい威力だな。早く武器を取ってこい」
「言われなくてもな。ニヴィアノ、みんなも大丈夫か?」
「うん、なんとか……でもなんか、体の魔力が崩れてるみたい。銃以外にも、アグロスには怖いものがあるんだね」
まだ立てないらしく、他のダークエルフに支えられて苦笑する。終わったら、マロホシの所で治療させた方がいいかも知れない。というか、これから連中の所に乗り込むってのに、一番の魔力の持ち主がこれではな。
とにかく、目的の場所は確保できた。俺は狭山達を案内し、警察署の中に入った。
内部には人けが全くなかった。地下の拘置所もだ。どうやら助手や職員、拘留中の奴らもまとめて逃げ出してしまっているらしい。木の根が窓を突き破って入ってきていたが、農薬の竜巻で枯れて崩れていた。片付けが面倒だろうか。
「騎士、武器と車両はどこだ?」
兵士と共に、廊下や部屋のクリアリングをしながら、狭山が振り返る。
「外の別棟だ。オフィスに鍵がある。取ってくるぜ」
そう言い置いて、階段を上り、オフィスへ戻った。
中は少々ほこり臭いが、元のまま。俺の机の散らかりっぷりや、ユエの机の整頓具合など、断罪者それぞれの癖がはっきり出ている。
俺はガラス戸で区切られたギニョルの机を目指した。窓が樹に突き破られている以外は、こちらにも特に変化はない。その木も農薬で枯れている。
引き出しを開けると、鍵が並んでいる。銃器庫の鍵と、ハイエースの鍵、魔錠の鍵。
武器庫とハイエースの鍵をつかんで、魔錠は少し迷う。レグリムの奴は外せと言っていたし、刑の執行停止もワジグルから命令されているのだが。
あいつのやったことを思い出す。態度と人格も、はっきり言ってあの頃と変わっていない。協力しなけりゃならないのは事実だが、魔法を使わせる気は起きない。
「……いいか」
鍵束を置いて、オフィスを出ようとしたまさにそのときだった。
小さな音を立てて、サッシが動く。銃を構えて振り向くと、サッシの間から何かがこちらに向かって投げつけられた。
枯れかけの花、まずい。
顔を覆って外へ飛び出そうとした瞬間、花が膨らんで、ぱんと弾けた。
粉のような感触が、銃を持った右手に触れる。
瞬間、ナイフを数本もねじこまれたような痛みが襲う。
「うぐっ……腕が、こいつは……」
やられちまった。右腕を取り巻いて、小さい葉に細い枝が何本も生えそろっている。あの種は俺の腕に根を張りやがった。
痛えが、引き抜けば何とかなるか。そう思ってカッターシャツを破く。
「まじかよ、こいつ」
根の刺さった腕の表面が、少しずつ木質化している。これは、もしかしてフリスベルの言ってたヤドリギってやつじゃないのか。
先に狭山にクリアリングをしてもらうべきだったか。いや、こんなものをあいつらに植え付けさせるわけにもいかない。
いずれにしろ、こんな状態じゃ戦えないし、バイクもハイエースも運転できない。あのハイエルフを探そうにも、とっくに逃げちまってるだろう。俺を殺さなかったのは妙だが、うまく封じてしまえたわけだ。
いや、待てよ。
「もしかしたら、レグリムの爺さんなら……」
フリスベル以上に森の植物の知識に長けている。知識だけでなく、もしかしたら魔法でこいつを解除できるかもしれない。普通の人間ならともかく、一応下僕半にされた俺は、魔力組成も複雑だろうし。
というか、それしかないか。今は猫の手も借りたい。
「ちくしょう、どうもあの爺さんに都合がいいことばっかだな……」
素直に取引に応ずるかはべつだが。俺はレグリムの魔錠の鍵もポケットに入れた。ショットガンを左手にかついで、部屋の出口を目指した。もし腕が戻らなかったら、両手で撃つショットガンを使うのは、考えなければならない。
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