18必要な寄り道
ここはノイキンドゥの病院。橋頭保までは、直線距離で約2キロ。
移動を徒歩に頼る以上、急いでも三十分近くかかることになる。
しかも。ぱたぱたという不審な羽音が、頭の上から迫ってくる。
固められたコンクリートの床を砕いて生えている木々。その合間を縫って、黒いものがちらちら動いている――。
「危ない!」
狭山の撃った9ミリ拳銃。弾丸は、兵士に近寄る生き物の頭を貫いた。
真っ赤な血を流してばたばたともがくのは、羽を広げると大人の身長ほどになるコウモリだった。巨海樹くらいしか明かりがない状況で、俺達に近づけるといったら、音波で獲物を認識するこいつらくらいだろう。
「こいつ!」
俺はM97の銃剣を胸元に突き立てた。人を刺したときのような、骨と筋肉を傷つけた嫌な感触と共に、こうもりが絶命する。
やったと思ったが、次の瞬間、銃身を持つ手に鋭い痛み。カッターシャツの袖口が膨らんできている。これは、まさか。二度と食らいたくないというのに
「ぐっ、くそ、コウモリにくっつけてやがったな……!」
「な、騎士、それは何だ」
空挺団の狭山もびびるおぞましさ。あっという間に骨になった兵士のことを思い出す。俺の服の下、体中に苔がみるみる広がっていく。吸血の激痛と意識の朦朧も一緒だ。
早く魔法で枯らしてもらわなければ。ニヴィアノを見たが、案の定、知らないらしい。
「え、これは……どうすれば」
荒事に慣れていないのか。適切な対処が分からないのか。いつもはフリスベルが居るから何とかしてもらっていたんだが。
戸惑うダークエルフ達に向かって、レグリムが言った。
「誰でもいい、早くヴィーゼルを使ってやれ。それは吸血苔だぞ」
「で、でも騎士さんに悪影響が」
「こいつは下僕半だ、普通の人間ではない! 早くしろ、死ぬぞ!」
「は、はい。ヴィーゼル」
慌てたニヴィアノが杖から魔力を放つ。苦痛が収まり、枯れた苔が服の間からこぼれ落ちていった。
骨や、深刻な感染はしていないのか。下僕半の体で助かったというところだ。
俺は狭山や兵士に支えられ、なんとか体を起こした。
「ダークエルフが。良い魔力を持っているくせに鈍くていかん。使い捨てとはいえ、大切な武器を失う所だったぞ」
「ご、ごめんなさい、おじいちゃん……」
しょんぼりした顔で頭を下げるニヴィアノ。
「お、おじ……ええい、私はお前の祖父ではない。元長老会だ、あのワジグルの様にきちんと敬え。これだからダークエルフは……」
ぶつくさ言ってるレグリムを放って、俺は死体を見下ろした。
魔力で凶暴化したコウモリに、吸血苔の胞子を植え付けて襲わせたのだ。こんな生き物が用意されているということは、砲撃がかわされたときの保険も用意してあったのだろう。
「一体、何が起こったんだ。騎士、今のはなんだ」
狭山には衝撃的な出来事だったらしい。他の兵士と共に油断なく89式を構えながらも戸惑っているようだ。
息がやっと整ってきた俺は、他のコウモリに注意しながら答えた。
「シクル・クナイブの連中が使う植物だよ。あの吸血苔は生き物に触れると爆発するみたいに増えるんだ。ほかにも、体から血を吸って骨まで砕く処刑樹とかがある。魔法も銃も、こういう植物も使うのが奴らだ。格闘だって強い。戦ったなら、あんたらも分かるだろう?」
話をふられた兵士達は、無念そうな顔で狭山に説明していた。
恐らく、なす術もなく負けたのだろう。
このまま突っ込んでどうにかなるのだろうか。狭山は89式と9ミリ拳銃を持っているが、迫撃砲を使われたことから見ても、橋頭保の武装は大体使われると思っていい。火力不足だ。
それに、いくら訓練されてるとはいえ、こっちは徒歩。軽装甲機動車や、装輪装甲車の類に出てこられるとがぜん不利になる。
しかも魔法に対しても、フリスベルと比べると。
「ごめんね、私、魔法は好きだけど、あんまり戦いの方は」
ニヴィアノが申し訳なさそうに目をそらす。魔力は高く、現象魔法の腕もかなりのものなのだろうが、いかんせん荒事の経験が不足している。
フェイロンドからは、善良さが最大の武器などと言われていた。
後戦力になりそうなのは。思想はともかく。レグリムは得意げに唇を歪め、あごに生えた白いひげをさする。
「おい、下僕半。私の魔錠を外したらどうだ」
それだけはごめんだ。何をするか分かったものじゃない。
「ああ? 調子に乗るなよ爺さん。ワジグルの指揮権は刑の執行停止までだ。大体、鍵は警察署にしか……」
警察署。そうか、警察署だ。連中はあそこのロッカーや武装には手を付けていないかも知れない。
「どうした騎士、早く向かおう。橋頭保へ案内してくれ」
狭山が不満げに腕を組んだ。三白眼に迫力がこもる。なかなかの迫力、そういや俺より年上だった。空挺団ってことは、逆立ちしても勝てないだろうな。
「あー、いや。その前に、俺達の武器庫へ行こう。車も銃も、おあつらえ向きのが大量にあるぜ」
何日ぶりに戻るのだろうか。懐かしいあの建物に。
橋頭保より警察署の方が、ノイキンドゥから近い。
さきほどのようなことが無いよう、ニヴィアノ達に近寄る者を魔力で探らせつつ、車の引っ掛かった樹の下を進み、豆の木が絡んだポート・レールの高架下へ入る。
建物の影を行きつつ、歩くこと二十分で、警察署が見えた。
やはりというか、シクル・クナイブのエルフ達の数そのものはそれほど多くないらしい。途中、さっきのようなこうもりや、大蜘蛛なんかには出会ったが、連中には出くわしていない。
俺達が三方に散ったおかげか。戦力が分散しているのかもな。
橋の方に向かう奴らは見えたが。
警察署前の倉庫、ツタと雑草に覆われた建物の影に俺達は辿り着いた。
十人が一か所に固まり、ニヴィアノの持ってきた種を成長させたすすきのような草の茂みに隠れている。この草は特異な魔力を出すらしく、短時間なら魔力の探知にも引っ掛からないという。
「下僕半、私の魔錠はいつ外れる」
レグリムは無視する。距離80メートル。ただ、警察署そのものは、すぐ脇に巨海樹の根が突き刺さり、二つの樹が全体を取り巻いていた。
「ニヴィアノ、ありゃあもしかして」
「樹化したエルフだよ。三人居る」
十中八九、待ち伏せだろう。断罪者が動き始めたのを奴らは知っている。建物の入り口はおろか、ガレージも根に塞がれていた。これでは入れない。
「あの樹は、橋で戦った化け物なのか?」
「そうだな。三体も居やがるし、魔法は使うし銃は効かねえ」
「汚らわしい金属を寄せ付けんための、丈夫な身体だ。思いあがるな」
レグリムはどっちの味方なんだ。
狭山はしばらく考え込んだが、やがて顔を上げた。
「騎士、銃が効きにくいということは、あいつらは木質組織を持った植物だな。ご老人、奴らは魔法で体組織を変動させられるのか?」
「そんな悪魔のような真似はしない。橋を塞ぐため命を捨てた者達はべつだがな」
フリスベルが言ってたが、連中は組成を刻々変える。だから化学薬品も効かない。
そう、あくまで橋を守る奴らはだ。俺は倉庫を振り返った。狭山の狙いが分かる。
「ニヴィアノさん」
「は、はい」
いきなり肩に触れられ、どぎまぎとするニヴィアノ。暗くてよく分からんが、顔が赤くなっているのかも知れない。
「現象魔法というもので、あそこまで届く強風は起こせるか?」
「ええ……と、簡単ですけど、見つかりますよ」
「いや、それでも突破する方法がある。エルフの方々には、恐らく少々辛いだろうが」
俺はニヴィアノの親友であったローエルフが、樹化した後焼け死んだのを思い出した。くじら船で暴れ回り、ニヴィアノの仲間を数人殺めたが、ガドゥの魔道具で火を付けられたのだ。
頑丈な樹となった彼女はなかなか燃え尽きることがなく、さながら火刑にかけられた犠牲の様だった。
ニヴィアノは唇を結ぶと、体を固くする。
「耐えます。命令してください」
「すまない。なら、魔法の準備を頼む。騎士、みんな、倉庫の中身を使おう。これは我々アグロスの人間の仕事だ」
兵士達もやることに気づいたらしい。ほかのダークエルフは戸惑っていたが、レグリムは気が付いたのか、悪態をついた。
「……なるほど、人間の、おぞましい化学を駆使する気か。強く効くだろう。せいぜい試してみるがいい」
ニヴィアノ達より、はるかに強いこだわりで、自然の美を好み求めるレグリム。
断罪されたときの弱弱しい姿を思い出すと、俺は少しだけ気の毒になった。
まあ、使えるものは使うがな。
大扉脇のドアを、スラッグ弾でぶち抜き、開ける。
壁に合ったスイッチを入れると、大きな部屋に明かりが灯った。
やはり、橋が落ちてない以上、電気は着ていた。通信機器も使えたしな。
中にあるのは、米などを入れるような分厚いビニールに入った無数の薬品。
一つ頭、五キロくらいだろうか。それが何十個も詰まった木製のパレットが、倉庫の中に二十個は積んである。
「人間め、おぞましいものを作り出しおって……」
レグリムが顔を背けた。
ってことは、植物になった連中にも効くってことだ。
俺は狭山達と顔を見合わせた。倉庫の扉には、除草剤の表示がなされていた。
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