29夜が牙を剥く

 マウントサースティ。“血の渇きの山”などという物騒な名前を持ったその山は、なだらかな丘や畑と牧草地や森林の中に、文字通りそそり立っていた。


 亜沙香によると、標高はせいぜい600メートル程度らしいが、起伏の乏しいこの土地ではまるで角か牙のようだ。縦横の幅があまり広くないので、余計に突き出して見える。


 それほど高くないはずの頂上も、夜の闇と妖雲に覆われて見えない。斜面には葉を茂らせた常緑の広葉樹がいくつも生い茂り、俺の目では自衛軍が居るなんて信じられないくらいだ。


 距離約二千メートル。腕のいい狙撃手が見つけたら、ひとたまりもなく打ち抜ける距離。森の中に小型トラックを停車させて、俺たちは様子をうかがっていた。


 紫の葉を茂らせた木の上で、クレールが双眼鏡を使っている。


「なるほど、たったひと月でうまく隠したな」


「どんな具合なんだ」


 双眼鏡をはずし、こちらを見下ろす。


「ここから見える山の南側の斜面だけでも、迫撃砲陣地が二十三あるよ。馬車用のじゃり道がつづら折りに上ってるんだけど、それに沿う形だ。途中には簡単な検問所が二か所ある。こっちは木を成長させて見張り塔のようにしたのが備え付けてあるね。小屋があるから兵士が十人はいるだろう」


 夜の闇と霧のせいでただの森に見えるあの山に、それほどの人間が潜んでいるのか。


 迫撃砲の運用に二人から三人、警護の兵士が一人か二人として、多くて五人くらいが陣地に居るのだろう。二十三をかけて、115人。そして検問所の人数を足せば、130人か。


「大体、地図通りだな」


 車内灯の明かりで確認する軍用地図。クレールの言う道路が山頂に向かってつづら折りに伸びており、その脇には陣地を示す記号や見張り塔を示す記号がたくさん書かれていた。


「今見ているのは、山の南斜面だけど、北東、北西側、どれ同じ配置よ。常駐の守備兵力は四百人足らず。彼らがダークランド中に砲撃を行って、残りの六百でダークランドを攻める計画だったわ」


「攻撃に参加する兵員は、おそらく山上の遺跡基地だろうな」


 闇を見通す吸血鬼の目でも、妖雲と霧の中は見えない。


「地図だと、ヘリポートと武器庫と簡易のテントがある。将軍はそこだろうな」


 約二時間後に迫った夜明けに向けて、今まさに牙を研いでいる攻撃部隊。それを指揮しているのがあの将軍だ。


「このままの正面突破は無理よ。陣地には74式機銃、M2重機関銃、てき弾銃もあるわ。道路を壊さないように戦うとは思うけれど」


『その通りだろうね。命のかけどころは選ぶべきだよ』


 ロンヅのねずみが、亜沙香の袖口でしゃべる。


 いくら夜だといって、強引に道を駆けのぼれば、このトラックごと蜂の巣が確定する。道路がどうでもいいならてき弾で爆破すればいいし、走輪走行車両にも通じるM2重機関銃なら、このトラック程度の装甲は紙くず同然だ。


 今こうしている間にも、敵のスナイパーがひそかに俺たちに気づき、命を狙っているのかも知れない。生きた心地は薄いな。


 クレールが木をするすると降りてくる。吸血鬼の当主の腕前じゃない。生まれたときからピアノしか弾いていないような美少年の外見で、ワイルドなことだ。


「ロンヅ様、攻撃の段取りはいかがです?」


『完了しているよ。北東は沼の者達、北西は奴隷や下僕たち、そうしてこの南斜面は悪魔と吸血鬼の合同の軍だ。総指揮は僕が執らせてもらう』


 こうもりによって羽虫の使い魔のほとんどが食われた結果、将軍たちはこちらの動きを知ることができない。怪しむことはあっても、今夜中に攻撃が行われることまでは確信できていないはずだ。


「こっちの動員兵力はどれくらいなんだ」


『一面、四百は確保できた。数だけなら、こちらが上だよ』


 鎧を着て槍でつつき合うとかいう、かつてのバンギアの戦争ならそうなのだろう。

 亜沙香がねずみの頭を指先でくすぐる。


「……でも武器はAKがせいぜいよ。ため込んでいた銃と弾薬は、M97やウィンチェスターライフルが大半。車両も、将軍たちが流したこのトラックが十台ばかりね」


 相手は迫撃砲がおそらく六十門以上。重機関銃、軽機関銃、てき弾銃、89式とこのバンギアに持ち込まれた自衛軍のあらゆる銃器が目白押しだ。山にとりつくまでに、こちらは全員打ち抜かれるかもしれない。


 それに、攻撃すれば必ず反撃されるだろう。林立する迫撃砲の放つ砲弾は、このダークランドの地を完膚なきまで破壊し尽くすに違いない。


 もっとも、それはこのまま夜明けを待っても同じだ。

 俺は時計を再び見た。夜明けまで、そろそろ二時間を切っている。


「ロンヅ様、号令をお願いします」


「やりましょう」


 クレールと亜沙香に問われ、ねずみが小さな腕を組んだ。


「行こうぜ。あんたの娘と、故郷を救うんだ」


 指先で頭をなでてやると、しばらくねずみの目から紫色の光が消えた。使い魔の向こうでロンヅが思案しているのだろう。


 十秒ほどたって、再びその目に光が戻る。凛々しくも力強い、この地を統べる者の声が使い魔を通じて放たれる。


『……悪魔ロンヅ・オド・ゴドウィの名のもとに呼び掛けましょう。我らダークランドの全ての住人、悪魔も吸血鬼も奴隷も下僕も、沼の者達へも。我ら闇の地の住人の総意において、侵略者を討ち、名誉の地を奪還されんことを!』


 そう言うと、空からばらばらと低い音が聞こえ始めた。闇夜と妖雲を打ち叩くように響いて、だんだん増幅していく。俺は思い出した。


「チヌークヘリか!」


 そう言った瞬間だった。マウントサースティの山頂、雲に隠れた暗闇の中に、爆発音が轟いた。


 たちまち、山のあちこちに探照灯がともり始める。散発的な銃声も聞こえてきた。


 ただならぬ事体なのだろう。俺の目にも山の斜面に次々と照明が灯るのが見えた。なるほど、ああして照らしてしまえば、道に沿って陣地があるというのは一目瞭然。クレールが数えた通り、全部で23ある。


 爆発は続く。また一つ、二つ目で降ってくるローター音が途切れた。


 そう、ヘリだ。こちらにもヘリはあったのだ。紛争で鹵獲され、交通手段として使われていた三台のチヌーク。今のはおそらく、その中に爆発性の魔道具でも詰め込んで、妖雲の中から落下させたのだろう。さすがの将軍も、妖雲の中から落下するヘリまでは探知できなかった。


 ダークランドを統べる当主たちをことごとく殺害した自衛軍だが、あのヘリを奪い取ることはしていない。発着場の存在自体は知っていただろうが、この地を奪い取った後の便宜を考えて残したのだろう。


『やれやれ。もう、ゲーツタウンへ三時間じゃ着けないね』


「いくら下僕が居るからって、チヌークを旅客用に使うことが狂気の沙汰なのよ。しかも自爆させるなんて、下僕や奴隷を何とも思わないあなた達らしい」


「そうでもないよ、レディ。悪魔となった君の目で見てごらん」


 俺には真っ暗な闇だ。だが目を細めて眺めていた亜沙香は、トラックに乗り込んだ。


「早く来なさい! もう始まっているわ!」


 俺もクレールも、ロンヅの使い魔も乗り込む。ドアを閉めると、エンジンがかかった。ギアを入れてアクセルをふかすと、木々の間を出て、森を貫く砂利道に入る。


 亜沙香は一言の口も利かない。森の中を山へ続く道へ向かって74式トラックを直進させる。このまま突っ込むつもりだろう。銃の用意はできているが。


「一体、なにがあったんだ」


 首をひねる俺に、クレールが解説を始める。


「飛べる悪魔と、鳥の使い魔が夜の闇に紛れて斜面を攻撃しているのさ。山にとりついて、白兵戦に持ち込めば、銃の不利を補えるからな」


 さっきの爆発で、相手の注意が頂上側に向いたのを見計らったわけか。チヌークのでかいローター音で、羽の音もかき消されていた。音もなく飛ぶフクロウの使い魔や、虫とかこうもりの羽をもつ変身した形態などなら、夜に紛れることもできる。


『チヌークを捨てた奴隷たちも、パラシュートで降下させ、途中で拾って攻撃隊に参加させています』


 自爆要員なんかじゃなかった。確かに、銃器の扱いに長け戦闘車両の操縦ができる元自衛軍の下僕達は、こちらの貴重な戦力だ。自爆して死なせるのは惜しい。


 それ以外に、共に戦う存在として認めているのかもしれない。


 はるか遠くから銃声が響いてくる。北東、北西斜面でも攻撃が始まったのだ。


 トラックは戦場に向けて加速する。亜沙香がアクセルを踏んでいる。


「用意はいいわね。嫌だといっても止まらないわ」


 言いやがるな。俺はM97のスライドを引いてバックショットを銃身に送った。


「そっちこそ断罪者なめんな。連中とは、ここで決着を着けてやるんだ」


 マーケット・ノゾミ、橋頭保、くじら船に崖の上の王国。このバンギアのあらゆる場所で、断罪者は弾丸と砲弾と血を連中と分かち合ってきた。


 長い紛争が狂わせた、俺の祖国の軍隊。


「お父様、ルトランド、遠き父祖達よ、我が技と魔法をご照覧ください……」


 M1ガーランドに祈りを捧げる小さな吸血鬼と共に、将軍こと剣侠志への断罪が始まろうとしていた。

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