25崖の上が燃える


 クオンが吹かせた風は、留まる気配がない。風向も安定せぬまま次々と吹きつけて木々の葉を揺らし、波の音のように鳴らし続ける。


 だが風は風。呪文を聞き取り、一瞬身構えた兵士達も、関心を失って俺達に銃撃を続ける。仮にこれが火球を呼び出すものであろうと、エルフの森の植物には現象魔法が通じにくい。魔法の炎では焼けないのが、自然の作り出したエルフの暮らす森。


 だがこれでいい。俺達の狙い通りだ。


 バンギアにもあるのかは知らないが、アグロスにはブッシュファイアという現象がある。強風によって木の葉がこすれ、そのまま火が付いて山火事になる現象だ。


 もちろん雨の多い北半球の日ノ本ではなく、もっと南半球の乾燥した国でのこと。ブッシュファイアを起こすのも、葉に大量の脂分を含んだ日ノ本のものと異なった樹木だ。


 ひるがえってクリフトップの台地。王の力と優雅さを誇るために植えられたエルフの森の木々。種々様々な性質の木々の中には、アグロスでブッシュファイアを起こすものよりさらに多くの油を含んだものも含まれる。


 日を浴びれば葉が美しく輝くそれらの木々は、フリスベルいわく、庭園によく使われて人気が高い。クリフトップの台地では、もちろんそこら中に植わっているものだ。


 ごうごうと轟く葉擦れの音の中に、不穏な低い音が混じり始めた。


 それは遠く、近くを問わずあちこちで無数に起こっている。


 兵士達はさすがに統制を乱し、周囲をうかがいはじめた。


 この隙だ。俺はフリスベルに目配せをする。


『グロウ』


 一言だけの呪文。杖が指した場所から魔力が走り、つたが木の幹を這い登っていく。M97を背中に回して、両手でしがみつくと、体を引き上げてくれる。そのまま樹上に到達し、葉の中に潜んだ。


 かなり音は立てたはずだが、吹き荒れる風と擦れる木の葉がかき消してくれている。兵士達は気づいていない。


 ガンベルトからさっき撃った分の散弾を補充する。シェルチューブは一杯、銃身には装填済み、それでも合計六発しかない。そもそも96式走輪装甲車は散弾なんて豆鉄砲扱いにする。


 もっとも、それは正面や側面から射撃を受けた場合だ。


 今俺は地上7メートル程度。しかも俺達を射撃するため、兵員用の上部ハッチは解放状態。はっきり言って丸見えの無防備なのだ。


 やがて熱気が辺りを覆い始める。


 兵士達もさすがに異常に気付いたらしい。見回す周囲の木々、こすれ合う葉が突然火を噴く。


「火事だ! 庭園が燃えるぞ!」


 兵士の一人が指を指し、視線がそちらへ集まった。今だ。


 俺はM97をハッチに向けると、全ての散弾をスラムファイアで撃ち込んだ。距離約10メートル、トレンチガンの異名のごとく、獰猛に拡散した散弾が兵士達を蹂躙していく。


 ボディアーマーやメットがあっても、腕や足、顔面は防げない。散弾の破片を食らいうずくまる者、倒れる者、これで兵員はほぼ戦闘不能だ。


「貴様っ……!」


 てき弾銃座がこちらを向く。撃たれれば消し飛ぶ。だが俺一人が戦っているんじゃない。


『フリス・ニード』


 魔術師たちの現象魔法。一瞬にして形成された氷柱が、次々と銃座に飛来。兵士は串刺しになってこと切れた。腹、胸、首と的確に急所を突いている。さすがに殺しをやってただけある。


 樹上から周囲を眺めると、すでに火の手はあちこちに上がっていた。クオンが現象魔法で作った、あり得ないほど乾燥し切った熱い風。もまれ続けたエルフの森の木の葉が物理的に発火、ブッシュファイアを起こしたのだ。


 風は容赦なく吹き付け、炎を巻き上げそこら中に飛び火させていく。本来、生の木は燃えにくいものだが、ここまで空気が乾燥し、あちこちで炎が上がると関係はない。山火事とて簡単には消えないのだ。


 一時間も放っておけば、クリフトップは巨大なろうそくのように燃え尽きてしまうだろう。


 これが俺達の作戦だった。計画を立てたのはクオンだ。マヤが送ったアグロスの本を読み、ブッシュファイアについて知っていた。 


 ニノが持ってきた図面でチェックしたが、武器と兵員は整っていても、このクリフトップは炎に対する対策がほとんど取られていない。紛争中は自衛軍のナパーム攻撃もあったはずだが、もしかしたら早い段階で首都は攻撃させないよう話を付けていたのかも知れない。


 とにかく、そこまで分かれば後は簡単だった。俺達の侵入までニノが囮になり、侵入後はクオンが風を吹かすまで、俺やフリスベル、三人の魔術師が囮になる。


 火はあちこちで湧き上がり、風で延焼し続け、止められない。噴水のように、わずかな水を使う気取った場所はあっても、防火用水すらないのは把握済みだ。


 800年の歴史を持ち、恐らく一度たりとも攻め落とされたことがないであろうこのクリフトップの王宮は、アキノに連なる者の一人によって、完膚なきまでに焼き尽くされるのだ。


 クリフトップの戦力はユエ達が引き付けてくれている。この機会を逃すわけにはいかない。王宮を目指すのだ。


「騎士さん、降りてください! 装甲車が準備できました!」


 フリスベルが下から叫んだ。言葉通り、こと切れた兵士達を魔術師が装甲車から引きずり下ろしている。俺のショットガンでも何人か死んでたらしいが、息のある者は銃でとどめを刺されていた。あれは慈悲なのだろう。拘束しても今の俺達では扱いきれないし、置いて行けば生きたまま蒸し焼きになってしまう。


 俺はつた伝いに下に降りると、装甲車の上部ハッチに駆け上った。中に降りると、兵員用のスペースだ。

 足元には兵士達が使っていた89式小銃、AKと弾薬の箱、それに手榴弾も勢ぞろいしている。これで戦力が大分整う。


 若い魔術師が、操縦席でハンドルを握る。クオンと同じく、操縦できるらしい。

 もう一人の若い魔術師は、危険なてき弾の銃座に座った。そして年上の魔術師は上半身をさらす最も危険な指揮者の席だ。


 96式走輪装甲車は、操縦者の視界が狭い。周囲を警戒し指示を出す役割がどうしても必要になるが、それは最も危険な役割だ。


 魔術師たちは俺達に代わって、盾を引き受けようというのだ。恐らくはクオンの命令通りに。


「出発するぞ! 手はず通り王宮の正門を目指す!」


 座席にしがみついたフリスベルと俺の方を振り向かず、魔術師はアクセルを踏み込んだ。エンジンがうなりを上げ、装甲車の巨体が炎の中を突き進んだ。



 ニノが作った図面は頭に叩き込んである。現在位置は全員が把握している。直進してアキノ家についた伯爵の屋敷の前を通り抜ければ、いよいよ王宮の正門に着く。


 山火事は大きくなっているようで、途中どこかですさまじい爆発音がした。どうやら火災の影響で、弾薬庫で爆発が起きたらしい。指揮者席の魔術師が、格納庫方面からの爆炎を確認した。


 こうなると、被害の把握や軽減に人員がどうしても必要だ。連中はどうしても後手に回らざるを得ないはず。


 数分で王城に着くはずだったが、途中で意外なことが起こった。


 雨が降り出したのだ。

 それもクオンの引き起こした熱風が引いてもいないのに。


 雨音が反響する中、フリスベルが辺りを見回す。


「現象魔法で上空の雲を操っています。ものすごい魔力です。クオンさんの魔法と絡み合うように、この辺り一帯を覆っています。多分」


「アキノ王だ。この台地は一平方キロもある。クオン様以外でこの場所の全てを飲み込むような天気の変化を呼べるのは、人間ではアキノ十二世以外に考えられない」


 中年の魔術師が言った。雨のせいで炎の勢いが弱まってきている。俺達の強襲に対して、熱風から火事を起こしたことを見抜いて、的確に対応してるっていうのか。

 

 そういえばレグリムの奴も、ナパームの延焼を大雨で防いでいた。断罪される側だというのに、冷静な判断だ。アキノ王はどれほどの魔法を使うのだろう。見た目がじいさんでも、王国の全てを握る人間の王だ。


 だがもはや後には引けないのだ。行くしかない。この先、アキノ家と懇意の伯爵の屋敷の前を突っ切れば、いよいよ城門だ。


 しかしその伯爵家の前、図面では林だった場所は、木が切り倒され広場のようになっていた。もちろん、こちらを警戒する二台の同じ装甲車が居る。周囲には歩兵が4人。明らかに王宮を固めている。


 車を使うなら、この道しかない。火事を気にしながらも、ぎりぎりの人数をきちんと防衛に割いている。小憎らしい的確さだ。


 相手は事態がつかめていないはずだが、どうするか。


 無線が音を立てる。呼びかける声が聞こえる。もはや目視されている。こちらの敵味方の識別をしているのだろう。


 指揮所の魔術師が目で問いかける。俺とフリスベルは座席にしがみついた。


 雨と熱波の中、魔術師のてき弾銃が軽快に叫んだ。

 距離30メートル、歩兵と装甲車が爆炎に呑まれる。


 つかまれと指揮所の魔術師が叫ぶ前から、フリスベルと俺は席にへばりついて衝撃に耐えている。


 96式走輪装甲車に搭載された大型エンジンが獰猛なうなりを上げ、巨大な車体は炎と煙の中を突っ切った。


 生き残りが放ったAKや89式の銃弾が装甲を叩き、車輪と指揮者を失った装甲車が12.7ミリを乱射する中、とうとう俺達は森を抜けた。


 目の前には王の居るクリフトップ城が、天をついてそびえていた。


「放て!」


 その威容に唾を吐き捨てるような、容赦ない指揮者の号令。


 若い魔術師のてき弾銃が再び吠える。


 城門を破砕し、俺達はとうとう王城へと踏み込んだ。

 

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