36妥協と解決と前進
それで、話は収まるだろうか。
ワジグルが、この場の全員の中で最も若々しく美しい相貌を上げる。憂いをたたえた、しかし真っすぐな視線が、日ノ本の人間に向けられる。
「……エルフの一人として、同族を守るために申し上げる。まことに、申し訳ないが、あなた方は不可能なことを言っている」
「エルフが、バンギアで最も高潔な方々の代表がおっしゃるのか!」
詰め寄る法務大臣。エルフの掲げる正義と美程度は、しっかり予習してきているのだろう。だがワジグルは、渋面のまま、淀みなく語る。
「島で暮らす我らは、あまりにも信ずるものや生き方、能力が違いすぎる。このバンギアでも、これほど多様な種族が同じ場所に暮らすのは初めてだ。あなた方のち密な法に辿り着くまでは、不完全なものから始めなければならない。それに、私とて正義は欲しい。日ノ本の方々に、法に関わる施設を置いて頂けるなら歓迎はするが……」
言葉を濁すワジグル。法務大臣が唇をゆがめ、悔しそうに隣の官僚を振り向く。
『歓迎はするが』その言葉の続きは、『無事が保証できない』、あるいは、『日ノ本から来る者は居ないだろう』ということだ。
たとえば裁判所や検察局、市役所の戸籍係や法務局などに勤める日ノ本の平和な人間達が、この島に住み、法を司ることなどできるだろうか。恐らくそんな志望者は居ないし、法務省も行けとは言えない。
無論俺達断罪者は全力で守るが、それとて限界はある。十中八九なにかあるだろうし、その場合危険なポート・ノゾミに職員を送ることを命令した者の責任になる。具体的には、目の前に居る法務大臣や、一緒に来た法務官僚だ。
無念そうに、法務大臣と官僚の二人は着席した。
テーブルズのゴブリン代表であるジグンが、経済産業大臣に向かって言った。
「インフラと商売はさ、確かに取っちまって悪いが、返すっつってもどうやるんだよ。それに、そんなに綺麗ってわけでもないが、インフラの金は払ってるぜ」
その通りで、把握できる限りだが、テーブルズは島の合法的な商売から、ささやかな所得税を取り、崖の上の王国やダークランドなど、各国からの資金援助と合わせて議会や断罪者の運営を行っている。
その金は、三呂大橋を通じて、三呂市から島に流れ込む電気代と水道料金、さらに下水処理料金と、ゴミ処理料金にまで及ぶ。本来もっと汚いはずの島が、辛うじて表面の清潔を保っていられる代償だ。
使っている以上当然ではあるが、これほどの無秩序の中にあって、ポート・ノゾミの維持管理費を払っていることだけは、食い下がっていいと思う。
経済産業大臣は、居丈高な態度で、ジグンを見下ろす。
「お前はゴブリンだな。はした金を払って、盗人が、猛猛しいにもほどがあるぞ」
ジグンはおずおずとしながらも、はっきりと答える。
「確かにそうだけど、紛争が終わって、島はもう回ってるんだ。今みんなが、仕事を取り上げられて、あんたらに全部返すとか、賠償なんて話になったら、島はみんな、めちゃくちゃになっちまうよ」
自ら、会社を設立して運営しているジグンの発言には説得力がある。
これだけ銃器があちこちにばら撒かれ、しかもそれぞれの種族に応じた魔法や身体能力を持つ住人たちが一斉に大不況に叩き込まれたら、あっという間に治安が崩壊する。
GSUMや、あのバルゴ・ブルヌスより、さらに話の通じない危険な組織ができちまうか。最悪、暴動にでもなって、境界から三呂にでもこちらの住民がなだれ込んだらどうなるか。
イェリサとハーフ達だけでも、あそこまでの犠牲が出たのだ。
「それによう、もしやったら、まずおれたちテーブルズは、みんなぶっ殺されるだろう。それは、まあ仕方ないけど、その次は、多分、日ノ本のあんたらの番になるんだぜ……」
脅しで言っているわけではない。比較的確実な予想を立てているだけだ。
「そんなまさか。警察や自衛軍が出し抜かれるはずが……」
そう言いながらも、真っ青になって、経産大臣と官僚が顔を見合わせる。
警察も自衛軍も、日ノ本に居る全ての人間は、悪魔や吸血鬼やドラゴンピープル、エルフ、魔法が使えるバンギアの人間にとって、餌に等しいのだ。
無論俺達は戦うが、経済と治安が連鎖的に崩壊してやけくそになっている島の住人が相手では、それこそユエとスレインが生き残れればいいかという程度だろう。
まして、三呂側になど手が回るはずがない。
日ノ本の戦力はどうか。銃しか持てない警察も自衛軍も。あるいは、さらに上の傭兵とかSPなど、魔法の使えない戦闘のプロフェッショナル達では、ターゲットを守り切れはしないだろう。
インフラの返還、多額の経済的損害の賠償は正論だが、暴走した島の勢力に生贄として自分の身を差し出す必要がある。
日ノ本の歴史には、悲劇に倒れた正義の指導者として、善い名が残るだろう。
といって、そこまでの覚悟は、経済産業大臣たちには、ないのだ。
結局、二人は青ざめたまま着席した。
吸血鬼の代表が、厚労大臣に話しかける。
「日ノ本の人間についての被害だが」
「そ、そうだ、お前は吸血鬼だな。人間の血を啜って連れ去り、悪魔の実験にさえ使うという、伝説通りの妖怪変化達だ。紛争のどさくさを利用して」
「……それは確かだ。記憶が失われ、我らに完全に従属した下僕たちを戻す方法はないが、望みとあればお返し申し上げる。主の吸血鬼を説得し、元の人格の通りに完全に振る舞わせることも可能だと保証はさせていただく」
それは、その人間を失った者にとって、なによりも残酷な仕打ちだ。流煌のふりをしたフィクスのことを思い出すと、警備中の俺だって、表情が歪みかける。
ユエとクレールの視線が、一瞬だけ俺の方に触れる。
「ふざけるな、そうでなくて」
「記憶も戻せというならやる。だがチャームは基本的に不可逆の魔法だ。作られるのは人間の頃の記憶を持った下僕でしかない。そんな者を日ノ本に帰して、帰りを待つ者達は喜ぶというのか」
俺を思い出しながら、キズアトのために散っていった流煌。映像が、唇の感触が蘇ってきそうだ。
厚労大臣は、歯噛みをして机に身を乗り出す。
「ならば賠償だ。一人や二人ではないぞ。十人、百人近いものが」
「では、こちらからも申し上げるが、紛争が終わった後、あなた方日ノ本の人々が買い取った我らの世界の者達はどうするのだ」
厚労大臣の表情が凍り付く。厚労省の官僚が机を強く叩いた。
「でたらめだっ! そんな事実は我らの側には」
「こちらで断罪された奴隷商は、一人や二人ではない。たとえば、復興委員会に出向してきたあなたがたの省庁の職員が、悪魔やエルフ、バンギア人の下僕を購入した記録を、こちらは握っている」
そんな馬鹿な、という顔つきで周囲を見回す厚労省の官僚。他の大臣や官僚たちは無念そうに首を振った。どうやら、彼一人だけが汚れていなかったらしい。
ドーリグが文字通り爬虫類の目で、並ぶ者達を見下ろした。
「……それだけではない、我らドラゴンピープルの仲間は、マロホシの手で狩られた後、
現代医学を学ぶマロホシは、バンギアの各種族に対する医術の確立のため、解剖実験を必要としている。スレインやドーリグ達ドラゴンピープルは、バンギアでも幻の種族であり、貴重なサンプルとして紛争中に狩られていた。
そして、その残骸の売買は、マロホシにかかった四十件の断罪法違反のうちの数件を構成する。
バンギアの人間代表、マヤが青い目を細めた。
「攻め込んだ側として、図々しいようですが、こちらの被害とて、挙げればきりがないのですわ。我が崖の上の王国の者達も、マロホシの病院、日ノ本への出稼ぎから先の消息がつかめぬ者が、十人や二十人では効かなくて」
「もういい、分かった……」
無念そうな顔で、厚労大臣と官僚が着席する。
恨めし気な目が、紛争の終結を決めた、善兵衛たちに注がれている。
誰ともなく、ぽつりと言った。
「……そうだ、自衛軍だ」
山本総理、笹谷防衛大臣、御厨統合幕僚長を除いた全員が勢いづく。
「自衛軍だ。メリゴン軍でもいい。こんな不正義を放置しないために、我が国は軍隊を磨いた!」
「異世界人どもめ、我々の文明は、はるかに進んでいる。対面の魔法など問題ではない。何が暴動だ、貴様らのやったことを棚に上げて!」
「首相、こうなれば紛争の再燃と言われようと、やはり異世界を徹底的に制圧しなければなりません。兵を募りましょう、今度こそ侵略者どもを押し返すのです」
「お前達、覚悟していろ! 我が国が失ったものは、誇りある我らが自衛軍がきっと」
「その自衛軍基地が、ここだろうがッ!」
机を叩き、怒鳴りつけた山本総理の咆哮が、蚊とんぼの様な大臣と官僚のわめきを断ち切った。
あちこちに、巨海樹の爪痕がある訓練場、引き倒されたフェンス、崩れ落ちた見張塔、破損してひん曲がった機銃、オイルの臭いをさせ、うっすらと煙を吹く黒焦げた兵器の残骸。
兵どもの夢の跡を、ポート・ノゾミらしいあっけらかんとした青空と白い雲が見下ろしている。
まさに、この会合を催しているこの場所こそが、日ノ本側の言う、陸戦自衛軍ポート・ノゾミ駐屯地であり、かつて島中を恐れさせた橋頭保そのものなのだ。
「貴様らには目も付いていないのか。周囲を見ろ。あの兵舎に自衛軍の兵士が居るか、格納庫にまともな戦車があるか、残骸になって転がっているのは、軽装甲機動車や96式走輪装甲車ではないのか! それにだ、統合幕僚長!」
「はっ」
「今日未明、島の防衛制圧に送り込んだ我が国の兵員の状況を述べろ!」
「……派遣した千七百名の内、現在存命なのは、千二百人、そのうち重軽症者七百九十名。戦死は確認されただけで二百十三名、残りの二百九十七名は全て行方不明です」
冷静に言ったものの、忸怩たる思いがあるのだろう。顔は強張っている。
惨憺たるものだ。巨海樹が降らせた木の実の戦士や、魔力で変化した巨獣たちと乱戦になってしまったのだから当然ともいえるが。
「私は、日ノ本の力を信じた。ゆえに、あの紛争にも、その後にも、膨大な予算と、前途ある若い兵士の命を送り込んできた。お前達の言う、正義の結末を信じた。平和な我が日ノ本の民が、再び秩序を敷ける様にと。その結果が、この島だろうが!」
大臣達の勢いが、見る間に萎む。だが、経産省の官僚が、顔を上げる。
「そうだ、メリゴンだ! メリゴン軍ならまだやれる。防衛協定に従って出動を要請して」
「メリゴンの領土と収奪が増えるだけだ! それでも日ノ本の官僚か貴様ッ!」
一言も口を利かなかった外務大臣から怒号が飛んだ。
法務大臣、経産大臣、厚労大臣が目を丸くした。普段は温厚な人物なのだろう。
「総理、分かりました。我が国は島の独立を、呑まざるを得ないのですね。二年前から、この結論は決まっていたのですね」
「そんな馬鹿な……」
息を呑み、山本首相を見つめる三人の大臣と付いてきた官僚。重々しくうなずくのを確認して、へたり込むように椅子に体を預けた。
防衛大臣の笹谷が、日ノ本側を見回す。
「みなさん、もう分かったでしょう。すでにこの島は混沌です。今考えれば、野党の仙道さんのおっしゃる通りでした。自衛軍をも苦しめ狂わせる事態に、立ち向かう勇気も身を捨てる覚悟も持たない我々が、島を放置し、任せて来たツケですよ」
外務大臣と防衛大臣は、聡明だったらしい。
結局、日ノ本政府はこの二年、国内向けにポート・ノゾミを自国領土と言い張って、島の実情を隠すばかりで、具体的な対応が取れなかった。表向き紛争が終わっている以上、自衛軍の大規模な派遣はできないし、警察が島に出てこられるはずもなく、各種の役所もこの島になど進出してはこない。
というか、どれほど日ノ本が進歩していて、何人の人口が居ようとも。エルフに吸血鬼、悪魔にドラゴンピープル、ゴブリンなど、全く異質なバンギアの者達が次々やってくるポート・ノゾミを統治するのは手に余ることなのだ。
日ノ本は、山本善兵衛をはじめとした、総理と防衛大臣と統合幕僚長は、それが分かったからこそ、二年前にテーブルズの発足と断罪者の組織に同意し、紛争を終わらせたのだ。
納得できない顔つきの大臣達に向かい、ギニョルが言った。
「……断罪者の長として言わせてもらうが、自衛軍と日ノ本はGSUMとも手をつないで、散々にこの島を脅かしおった。恐らく、表向きは紛争終結に同意して日ノ本の被害を収め、その後に島を再び混乱させて隙を突き、完全に取り戻す予定だったのであろう。お主らの中で、山本総理と防衛大臣と幕僚長だけが、手を汚す覚悟で糸を引いておった、というところか?」
報国ノ防人による島の爆破。あるいは、崖の上の王国の騒乱。どれも仕掛けた連中の狙いが通じれば、バンギアは大きく混乱し、最低でもどさくさの間に日ノ本が島の回復はできるレベルだった。
証拠の残らない形で関与していたとしても、うなずける。
三人は答えない。恐らく筋書き通りだったということか。
笹谷が口を開く。
「今回の、巨海樹の事件にかかる境界の突破が、最後の手段だったのです。本来ならば、島を制圧した兵士の前で、我々内閣が失地の回復を宣言する手はずでした。そのためにこれだけの者達が集まった。それが、作戦は失敗し多大な犠牲が出て、それどころか……」
笹谷が振り向いた先、橋頭保の外には、信じられない光景があった。
うずくまるドラゴンピープルの腹、傷口に頭を突っ込んで、血まみれになりながら消毒と処置をこなす自衛軍の兵士。
一方、違うドラゴンピープルが、巨大ながれきを引き上げて、自衛軍の兵士を救助している。
ハイエルフ、ローエルフ、ダークエルフの三者ともが、悪魔や吸血鬼、もちろんアグロス人に回復の操身魔法を施していた。
下僕と共に、人間やゴブリンの載せられた担架を運んでいるのは吸血鬼だ。
それだけではない。騒乱が収まったことを察したのか、許しも得ずに次々と住民が集まり、勝手に復興を始めている。
がれきや危険なガラス片などの除去に始まり、道路や建物の修繕、上下水道に地下電線の修復にはゴブリンと人間、一部悪魔まで混じっている。
一緒に戦ってきたせいだろうか、食料や酒が略奪され、あちこちで酒盛りまで始まっていた。一応、銃は傍らに置いてあるのだが。
破損した橋頭保のフェンスの側では、エルフの戦士やドラゴンピープル、自衛軍の兵士が群衆ににらみを利かせている。だが、喧騒はこの会議場にまで響いてくる。
「首相、防衛大臣として、私はもはや個別の刑事事件以外に、この島の我が国民に対する防衛上の脅威を感じません。これ以上は警察行政の問題です。自衛軍の派兵は被害と破壊を増やすばかりです」
「……分かっている。いや、二年前から分かっていた。もはや、我が国が、対外的にもこの島の独立を認めるしかないのだとな」
「父様、では」
議員の山本が潤んだ目で見つめる。初めて父親と対峙したのだろうか。首相は疲れた顔でため息を吐いた。
「ここで家族ぶるな、山本議員代表。我々はこれより、終戦協定を持ち返り、国会での承認手続きに入る。しかる後、我が国の民やこのポート・ノゾミの公共財産の扱いについて、改めてテーブルズと交渉に移ろう」
テーブルズの議員達の顔に、一瞬驚きが走る。
交渉の相手とするということは。もはやこの島の独立を認めたようなものだ。
御厨幕僚長が、首相に声をかける。
「お言葉ですが、我々自衛軍の扱いについては」
「終戦協定の承認と共に、撤兵の命令を出そう。無視する者は断罪者に任せる。断罪法以前に発生した、はなはだしい戦争犯罪については、特別法廷を設けるしかあるまい」
あれだけの横暴ぷりだった自衛軍に、とうとう日ノ本も重い腰を上げるか。
だが、国家のために泥をすすってきた連中が、はしごを外され引き下がるだろうか。どれほどのことになるのか、笹谷も御厨も厳しい顔つきが取れない。
「防衛大臣として、一身を賭して、事に当たります」
「最悪の場合、中央即応集団の招集も視野に入れましょう」
二人は覚悟を決めているらしい。俺達とて、弱ったとはいえ自衛軍と、あの将軍との決戦を眼前にすることになる。
非公式の会談だったが、実りは多かった。
その日の夕刻、断罪者とテーブルズは、山本善兵衛首相を始め、ポート・ノゾミにやってきた日ノ本国の内閣を構成する大臣達を、無事境界まで送り出した。
イェリサ達の暴走による日ノ本へのポート・ノゾミの存在暴露に始まり、フェイロンド達の巨海樹育成につながる一連の事件は、ようやくここに人心地が着いたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます