37花咲く門出
会見からひと月の忙しさは、言語に絶していた。
なんといっても、諸々の復旧作業だ。花になって消えたとはいえ、巨海樹とその根は、かつてポート・ノゾミ第一人工島と言われていた側を完膚なきまでに破壊していたのだから。
すなわち、俺達断罪者の警察署、ノイキンドゥ、マーケット・ノゾミ、ホープ・ストリート、ホープレス・ストリート、橋頭保など。島でもメインといえる施設はかなりの被害を被っていた。
まず橋頭保は中央を巨海樹の巨大な幹で貫かれ、格納庫も根っこで破壊、建物も倒壊した。ただ、こちらは日ノ本が動いたため、ため込んでいた重火器、弾薬の類が一挙に回収され、ついでに建物の解体とがれきの処理も行われた。これで将軍たちが戻ってくる場所は失われた。もっとも、これはフェイロンド達に敗れた時点で決まっていたのかも知れないが。
また、島の物流をほぼ一手に担っていたマーケット・ノゾミのコンテナヤード跡も、かなり荒らされており、散乱した建材や食い荒らされた食品、破損した日用品のごみなどの片づけはかなりの人手を要した。しかも、原型をとどめないほど壊されたコンテナ跡などでは、土地の権利争いで小競り合いが起き、やがて小規模な銃撃戦に発展、結局、スレインとユエが腕を振るわなければならなかった。
ホープレス・ストリートは、とうとう島に屈服した。抗争に明け暮れ、銃を振り回し、人にたかることしか考えなかった連中ばかりだったが、巨海樹の事件でねぐらを失ったのが効いた。戻ろうにも、奪い取ったマンションや廃墟の壊れっぷりに耐えかね、とうとうテーブルズに泣きついてきたのだ。
ギーマのようなカリスマを失い、後釜を継ぐ組織も現れず、先の見通しも立たずに小さな抗争に明け暮れた果てだった。復興活動と引き換えに、俺達断罪者の巡回を受け入れ、断罪法に服することがテーブルズによって決まった。
それでも嫌がる小さなギャングは暴れた。クソ忙しい中、三日に一回ペースで無謀な事件を起こし、ゴブリンや悪魔や吸血鬼が留置場一杯に詰まる頃には、銃声もすっかり響かなくなってしまった。
道路や建物の再建を担ったのは、ゴブリンのテーブルズ代表である、ジグン。手際もかなりいいはずだが、日ノ本の側から、今まで無断使用状態だった重機類について、改めてリースの手続きを迫られて閉口していた。そのごたごたでしばらく重機が使えず、手間取った。
一方で不可解なのはノイキンドゥで、日ノ本からの特別許可の元、アグロス側の建築会社が重機や人数をそろえて現れ、一気に復興してしまった。高額な医療機器なども一週間と経たないうちに修理や購入が完了し、日ノ本側から金持ちが次々にやって来はじめた。
彼らの需要を見越してか、ホープ・ストリートにも日ノ本の業者が入って復興を行い、巨海樹が消えて二週間で、破廉恥でけばけばしいネオンに灯が入った。
マロホシの治療を受けられなければ困る奴らが、アグロス側の金持ちや権力者の中に相当数いるのだ。命を握ってしまえば、ここまで思い通りになる。
どうやらキズアトも、重機のリース契約や、日ノ本側から人工島との取引で存在感を示しているらしい。カタストロフともいえる巨海樹の事件を経て、将軍たち自衛軍や、バルゴ・ブルヌスのシマを横取りした小規模なギャングなどは、権益を大きく失い弱体化している。
だが、GSUMは島への間口が広がった日ノ本側にも侵食し、その勢力を温存したのだ。マロホシやキズアトは、GSUMを立ち上げたときから、ポート・ノゾミの存在が日ノ本にばれる日を想定していたに違いない。いずれぶつかると考えたとき、恐ろしい相手なのは相変わらずだ。
言語に絶すると述べたが、俺達断罪者の仕事というのは、上記の大体全てに関わっていた。まず断罪の件数だけでも十数件にのぼり、無事こなしたら、捜査報告書が必要だ。これらだけで、大きな事件のないひと月の仕事量の軽く数倍あった。
しかも、警察署の復興が厄介だった。濃度の濃い農薬をぶちまけたせいで、建物の汚染がはなはだしく、ローエルフのフリスベルどころか、図体のでかいスレインまでが気分悪くするくらいだ。徹底的に清掃しなけりゃならなかった。
事務用のパソコンや、雑然としていた俺の机の資料なども全てだめになり、このあたりの入れ替えのために、三呂で事務用品を買い込むのにも人数を使った。復興のため、日ノ本は特例でポート・ノゾミに住んでいる奴が三呂まで買い物に出るのを許可しており、島中から種族の違う買い物客が現れた三呂の小売店は、驚きと喜びの悲鳴ってところだ。
俺とユエのコンテナも被害を受け、半休が取れればそちらの修復、ザベルの店の復旧にも手を貸し、スレインの妻の朱里のガンショップも……と、目の回る忙しさは全く尽きない。いつ寝ているのか分からないギニョルが、俺達を気遣って休みをくれるのだが、それも雑用に消える。
相変わらず忙殺の日々が続く。ようやく復興した警察署のオフィスでは、誰も一言も口を利かず仕事に集中していた。
クレールにガドゥ、ユエ、フリスベル。全員が着席し、報告書の海に向かって黙々とキーボードを叩くか、プリントアウトをチェックしている。
オフィスのギニョルは、列をなした悪魔に吸血鬼、ゴブリン、アグロスの人間、バンギアの人間、外で羽ばたくドラゴンピープルを相手に、今までの判断例を参照しながら対応している。
警察署内は、訪問者の雑談の声が響き、外からはひっきりなしに大型車の通行する音、あちこちで響く工事の物音。
朝から深夜まで、ずっとこの調子で、もうひと月。外に出るのは断罪事件の発生時のみで、帰れば泥のように眠るか復旧作業。いいかげん頭が吹っ飛びそうだ。
俺はため息をついて、ワードソフトの×マークをクリックした。
「騎士君、余裕だよねー。その書類あがった報告書?」
画面から目も離さず、素早く書類を仕上げながら、ユエがたずねる。
俺はやけくそで応えた。
「未決の事件資料だよ。煙草吸ってくるぜ」
「あはは、ほどほどにねー」
皆、よく集中力が続くものだ。ぼんやりと歩いて屋上を目指す。
西日を浴びながら、背中で手すりにもたれ、煙草に火をつける。綺麗なだけが取り柄だった島の空気は、復旧作業で激しくなった人の動き、あちこちを出入りする大型車両、稼働する重機、舞い上がるほこりなどでかなり汚されている。
ただ、これは人が生きている証だ。混沌と犯罪が支配していた、この人工島に光が入り、開かれていく証でもある。
あるいは、これからの俺達の仕事は、日ノ本であったような環境問題をめぐるものになるのかも知れない。バンギア側の連中も、鉄や石油の燃える空気にかなり慣れてきているらしい。
島は先へと進んでいく。この屋上で、俺の目の前で、流煌が、フィクスが死んだことすら、もうずいぶん昔に思えてしまう。
俺の姿は変わらないようでいて、やはり時間は過ぎていくのだ。
街のそこら中から、けたたましく響く重機の音。俺達と同じかそれ以上に励みながら、島と共に前に進もうとする奴らが居る。
一服終えると、携帯灰皿に吸い殻をしまった。
「もうちょっと頑張るか……うん?」
ふわ、となにかが鼻をくすぐる。つかんでみると、薄桃色の丸い花びら。温かい東の風に乗って、どこからか運ばれてきたらしい。
東というと、ノイキンドゥのビル群で覆われて何も見えない。こんな花を咲かす庭園なんてあっただろうか。
「……流れて来たんですよ、あの島から」
「フリスベル」
こいつもサボりか、いや、昼休憩を取ってなかった。
ローエルフらしく、十歳くらいの少女の外見だが、明るい緑色のスーツに濃紺のストッキングとハイヒール。手にサンドイッチを持ってる。
「いいですか?」
「ああ」
同じように、柵に寄り添ってくる。背丈は俺の胸に届かないくらい。金色の髪がさらりと揺れる様は、神秘的だが、子供らしい感じもする。
十六歳の少年のまま外見を固定された俺にとって、仕事の場で年下と会う経験は貴重だ。もっとも、フリスベルは実年齢で俺をとっくに追い抜いている。確か三百歳を超えていたはずだ。
「覚えてますよね。フェイロンドさんとレグリム様の島。この花びらは、そこから風に乗ってきたんです」
「あそこから、二キロぐらいあるのにか」
フリスベルを迎えに行ったとき、結構な距離があったんだがな。
「あの二人は、私達エルフをとても心配してくれているのかも知れません。今、目が回るくらい忙しいし、空気も綺麗じゃないけど、この花びらの懐かしい魔力が、私達を癒してくれます」
手のひらの花びらを見つめながら、穏やかな表情をするフリスベル。相当な疲労だろうが、よくやっている。ローエルフとしては立派な大人とはいえ、子供の外見並みの体力しかないだろうに。
「お前以外にも、効くのか」
「ええ。復興にも、新しい仕事を作るにも、みんな必死です。汚い空気と、鉄と火に、エルフがこんなに耐えられるなんて知りませんでした」
「無理すんなと言いたいけど、今が正念場だからな」
正面、ホープレス・ストリートではあちこちで復旧工事が進んでいる。ゴブリンに交じって鉄骨や足場を運んでいるハイエルフやローエルフの姿もある。勤勉だが避けていた仕事だろうに。
「……もういちど、始まるんですね」
「ああ。ここからな」
車列の中の、白い軽自動車が警察署前で停車した。出てきた作業着姿の男に、フリスベルが身を乗り出して叫んだ。
「狭山さーん! 着替えは受付に預けておいてくださーい!」
狭山、狭山ってあの狭山か。
男がこちらを見上げた。間違いない、あの、少し鋭い目、鉄塊のような体つきに素早い動きは、この間共闘した空挺団員だ。
六階下から狭山が声を張り上げる。
「なにか、ほかに、入り用なものはあるのか!」
「いいえ。あ、卵が買えたらお願いします!」
「任せてくれ!」
狭山が警察署へと入っていく。この会話はまさか。
見返した俺に、フリスベルは自分を抱き締めて、頬を赤らめる。
「狭山さん、自衛軍を除隊になったんです。だからうちに来ませんかって言ったら、驚いたみたいだけど来てくれたんです」
これは、たとえばニヴィアノを受け入れたときとはまったく違うな。
「自衛軍で日ノ本の免許を取ってたみたいで、工事のお仕事もすぐに見つけて、料理や家事もできるし、それにとてもたくましくて、可愛くて……」
この感じは、多分、もう、よろしくやってる。
しかし、見た目が十歳くらいの少女であるフリスベルが、二十代も半ばの男との付き合いをのろけるとは。アグロスの感覚が抜けないと、どうもな。
大体、もうフェイロンドのことはいいんだろうか。
というか、俺にもちょっと、アプローチがかかってたような。
ギニョルより年上の三百歳過ぎだったか。まあ、女ざかりというか、移り気ってこともありうる気がする。
少し意識していた自分が情けなくなったが、ふっとフリスベルの顔つきが虚ろになった。
「……本当に、あんなに素敵な人に出会えるなんて、私、生きて帰ってきて良かったです」
「フリスベル」
俺の声が聞こえているのか、いないのか。
たぐるように語るフリスベル。
「紛争が始まって、森が燃えて、仲間が殺されて、正義も美も崩れて、どうしていいか分からなくなって。断罪者は必死にやってきたけど、私、フェイロンドさんやレグリムさんを断罪すれば、それで終わりだって、ずっと思ってたから」
艶のある髪の毛、淀んだ空気に侵されないほど白い肌。永久に若く美しい少女のはずのフリスベルに、三百年を超える年月が襲った気がした。
巨海樹を終わらせたとき、フリスベルに生きて帰るつもりはあったのだろうか。レグリムが囚われていたような虚無が、こいつの心を侵していたのかも知れない。
フリスベルもまた、三百年以上信じていた全てが、壊れた世界を、生きていくつもりは無かったのだろうか。
うつむいて、手の平を開く。花びらが流れて、ほのかに光るのを見つめる。
「……でも、いいんです。私、また始めます。エルフはみんな、始めるんです。鉄と火と、ちょっと煙たいこの島で」
見上げる瞳は、紛れもない希望に満ちた少女の輝き。
風は緩く、優しく蜜色の髪の毛を花びらと共に彩っている。
花は咲いた。虚無は過去だ。
「仕事に戻るか?」
「ええ。騎士さん、聞いてくれて嬉しかったです。でも休み過ぎじゃないですか?」
こいつから勤務態度を問われるとは。いや、フリスベルが不真面目とかじゃなくて、俺を問い詰めるような奴じゃないと思っていた。
「……いきなり厳しくなってんじゃねえよ」
苦笑しながら屋上を後にする。
増える仕事は、島の活力の証でもある。
ここから、またこの島は新しく始まるのだ。
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