23巨海樹の下で
大雨のような実の落下は止まらない。
次々と芽を出して成長を終え、現れた木の実の戦士は、大挙して北へ向かう。
茂みの中で息を潜め、待つこと数分。
やっと実の落下と苗木の疾走が収まる頃、砲撃は完全に止んでしまっていた。代わりに、北の方から、かすかな銃声が響き始めた。
考えなしに突っ込んできた自衛軍や、境界を開けたドーリグ達が、あの大量の苗木に取り付かれてしまったのだろう。恐らく、乱戦になっている。
唯一巨海樹にダメージらしいダメージを与えていた砲撃は、これ以上望めない。
俺達が巻き込まれる危険もなくなったが。
「む……」
レグリムが車内の床を見つめる。何かがかさりと動いた気がする。
「汚らわしい魔力だ!」
「よせっ」
潰そうとした杖をつかんむ。じっと睨まれたが、潰されかかったのは、ゴキブリだった。俺の足を這い上ってくる。
「騎士、その魔力、もしかして使い魔?」
「そうだよ。ギニョルだな」
しかし、ねずみにムカデ、トンボ、ゲジゲジと色々な嫌われ者を見たが。
とうとうゴキブリになっちまうとは。しかも大きさは紛争前に見た奴と変わらん。
これで使い魔じゃなかったら、と思うが、それはそれで振り払えばいいだけだ。
嫌いなのは爬虫類系統だけだし、もうゴキブリ程度で動じている場合じゃない。
果たして、ゴキブリは全体を紫色に光らせた。
『……騎士か。こやつは小さすぎて、言葉しか、伝えられん。わしからは状況は見えん』
やっぱりそうだ。境界が開いたとき、向こうに居たギニョル達残りの断罪者も、どさくさに紛れてこちらに来たのだろう。
『境界が開くと同時に、ヤドリギの植わった兵士に、島への再侵攻の命令が出た。わしら断罪者も、日ノ本から動員されておる。戦況は、一進一退じゃが、海鳴のときが来たら、日ノ本の側から、橋を爆破するつもりじゃ』
あの境界は海面から約50メートル上の、三呂大橋に開いている。
橋を爆破されちまったら、境界があっても戻ることができなくなる。いや、日ノ本の方で壁か何かを作られたら、それこそ物理的にバンギアと隔離される。境界を閉じる術はまだないが、日ノ本の技術力なら、適当な建物でも作って、厳重に封印してしまうことも可能だ。
「あの善兵衛が、日ノ本の領土を手放すっていうのか」
会見での居丈高な態度や、野党の仙道への激高ぶりを思い出す。保守の手本のような首相だった。
『あやつも、政治家ではあるのじゃ。与党の連中や自衛軍との話し合いを経て、あの島に得はないと踏んだらしい』
信念を曲げる覚悟も持ち合わせているのか。しかし、悪くないのかも知れない。
境界の戦いは、イェリサ達のときのように報道することができない。面倒な兵士達を、尊い犠牲として厄介払いしてしまえば、藪蛇で自衛軍を動かし、ヤドリギを植え付けられたという失敗を、国民にばらさないで済む。国内の紛糾を抑えられるかも知れない。
「おい、悪魔よ。橋の爆破は本当か。命令違反の私はともかく、日ノ本は、我が国を守るために各基地から送り出された兵士達を、異界に厄介払いするつもりなのか」
ゴキブリに詰め寄る狭山。悪魔が使い魔を使役するということは理解しているのだろうが、迷彩服の大柄な男がゴキブリに迫る図は少しコミカルだ。
まあ怒るのももっともで、善兵衛は自衛軍にも支持者が多かったらしいし、明らかな使い捨てに反発したくなるのも分かる。兵士達が口々にざわめいていた。
『……どうも、マロホシの入れ知恵があったらしい。一旦島を見限るつもりじゃろう。じゃが、あくまで海鳴のときが来たときの最終手段でもあるようじゃ。このどさくさに、クレールが役人とGSUMの息のかかった連中を読んだ』
なら信用していいか。蝕心魔法に嘘はつけない。
「止められれば、離れなくて済むの。フェイロンドを断罪できれば」
ニヴィアノも、もう呼び捨てにする。ここまでの事態を引き起こしたフェイロンドは、やはり許されるものではないのだ。
『わしはその可能性に賭けた。こちらに来た自衛軍の兵員は、一千人を超えておるのじゃ。中には特車隊の戦車までおるぞ。やがて橋を突破して、島の北部に戦いが広がるじゃろう。巨海樹の反応する異物としては、大きい』
「なるほど、木の実の戦士や、巨海樹が育んだ動物も引き付けられるわけか。私達はあの若者の所まで、肉薄できるわけだな」
レグリムの言う通りだ。それに、兵士達が陽動になってくれるなら、島の住人の脱出を行うザベル達の助けにもなる。
『いずれにせよ、そなたらはフェイロンドの、シクル・クナイブの喉元に迫る矢じゃ。そのままフリスベルと共に、巨海樹のふもとまで向かえ』
言われなくともだ。嫌になるが、ごきぶりを肩に止まらせたまま、俺は銃に弾薬を込めた。
ニヴィアノ達ダークエルフも、狭山達自衛軍の兵士も、持ってきた荷物を背負う。
「路面は破壊されている。木の実の戦士を呼ぶ恐れもあるし、ここからは徒歩だ。ご老体よ、巨海樹にフェイロンドが居るんだな」
「海鳴のときは、生長点に魔力を込めて始める。あの樹には必ずフェイロンドが居る。優し過ぎるローエルフの娘もな」
フリスベル、敵になるか、味方になるか。とりあえず俺達は助られたが、トランプでいえば相手のジョーカーになっちまった断罪者か。
言ってる場合じゃないか。武装をまとめた俺達は、ハイエースを出て、茂みをかき分けた。
午前六時すぎ、俺達は無事、巨海樹のふもと、かつて橋頭保と呼ばれた場所にたどりついた。
道中はスムーズだった。
ニヴィアノとレグリムが魔力を感知すると、シクル・クナイブの連中と巨大生物の類はほとんど北の自衛軍を目指し、残りは巨海樹に残っていた。戦力の詳細は分からないが、ザベルが減らしたり、境界や警察署でやられたりした奴らを含めれば、それほどの数は居ないらしい。
妙なことに、斥候すら見かけなかった。警察署で上空から襲われたから、俺達の存在自体は向こうの知る所だと思うのだが。フリスベルが始末したことにしてくれたのだろうか。とすれば、味方と扱っていいのか。
「本当に、こんな樹木が存在するとは……」
宿舎の角から見上げた、狭山のつぶやきも分かる。その威容は樹木というより小さな山だ。
自衛軍の宿舎や格納庫と比較すると、直径は約200メートル。
高さはその三倍ほど。ポート・ノゾミで最も高いホテルノゾミのビルすら凌ぐ樹冠を誇る、まさに巨海樹がはびこっていた。
「感心するのはいいが急げ。さきほどから、お前達にも光と果実が見えるだろう」
「巨海樹が魔力を生み出しています。海鳴のときが近づいています」
レグリムとニヴィアノの言う通り、俺や人間である狭山達の目でも、巨海樹が葉と枝を光らせているのが分かった。ポート・ノゾミの西の沖に張り出した枝では、木の実の戦士が何千、何万と入るほどの、途方もない実が不気味に成長している。
予定の昼までも持たないだろう。あと一時間しない内に、海鳴のときが始まってしまう。そうなったら、ポート・ノゾミはエルフの森に閉ざされる。フリスベルもフェイロンドのものとなるだろう。
断罪者の、テーブルズの、ようやく産声を上げたポート・ノゾミの完全敗北だ。
断罪者として、それだけは許せん。
俺の気持ちに呼応するように、狭山が生き残りの兵士に向かって呼びかける。
「命令を復唱するぞ。これより私達は、断罪者及び協力者の援護射撃を作戦終了まで行う。いいか!」
「了解!」
四人の兵士が答えた。普段はほとんど銃撃戦しかしていない自衛軍の兵士と共闘することになるとは。
狭山の率いる兵士達は、宿舎の鍵を破壊すると、重火器をかついで屋上を目指す。
「行こう、騎士、フリスベルさんを助けよう!」
駆け出すニヴィアノ。俺も続く。
「フェイロンドの断罪もだぞ。爺さん、無駄かも知れねえが、土壇場で裏切るなよ」
「殺せる機会がどれほどあったと思っている。それに私は、裏切者の若造の下には付かん」
それもそうだ。プライドの高さが幸いしたか。
俺達に気づいたのか、てっぺんの方で四羽の鳥が飛び立つのが見えた。その内一羽を、銃声が貫く。
走りながら振り向くと、屋上で対物ライフルを構えた狭山の姿があった。さすがに空挺団の中隊長だ。
銃に反応したのか、巨海樹がざわめき、小さな実が落ちる。木の実の戦士に取り囲まれる宿舎を後目に、俺達は巨木の根元へと急いだ。
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