8吸血鬼の決闘


「そこまでだ! カルシド!」


 屋上に飛び出していくクレールを援護するため、俺はAKを構えた。


 また予想外の光景だ。警護のゴブリンが三人とも倒れている。

 しかも、そのうちの一人に対してエフェメラがまたがり、今まさにナイフを振り上げているところだ。


 どういうことだ。なぜ味方を殺そうとしている。


「何だ、お前達は……」


 カルシドの方も戸惑っている、俺たちの存在に気付いていないか。


 俺はAKの狙いをつけた。距離は二十メートルあるかないか、見た目にボディアーマー等もない。弾倉の弾を適当にぶち込んでやれば、簡単に仕留められる。


 引き金に指をかけたまさにそのとき。


「だめよ、お父様は殺させない!」


 エフェメラがカルシドの前に立ちふさがった。俺は銃口を下げた。


「馬鹿な、エフェメラ、そいつは」


「知りません! お父様は、名誉あるギムルガル家の当主なのです! 誇り高き吸血鬼として、娘の私も家を興すお手伝いをするのです! あなたなどに傷つけさせませんわ!」


 こちらをにらむ紅い瞳とぶつかった瞬間、頭が揺さぶられるような感覚が襲う。

 まずい、蝕心魔法だ。行動を乗っ取られる。


 AKを支えていた腕が、銃口を押し上げる。向いた先は俺の額。


 いくら抵抗しても、痺れたような感覚が続き、腕だけがエフェメラのものになったかのように動き続けている。


 しびれは指にも来た。動くのは引き金にかかった人差し指。カルシドを撃ち殺すつもりでAKのセーフティを外している、このままじゃ自分で自分を――。


「しっかりしろ、下僕半」


「うぁっ! くぅ、あ……」


 クレールからはしった魔力が、俺の支配を解いた。


 AKを発射することなく、銃口から逃れた。


 銃器を持つ人間の意識を一時的に操り、自殺させる。紛争初期に、吸血鬼がアグロス人に頻繁に使った方法だった。


「ありがとう、エフェメラ。父さんをかばってくれたのだな」


「いいえ。それよりごめんなさい、お父様。この方々で、私の覚悟を試そうとして下さったのに、殺せそうもありません」


「いいんだ。まだ君は小さい……優しい心を、持ってくれて嬉しいよ」


 穏やかな声と、耳をふさぎたくなる家族の会話だ。


 カルシドは、エフェメラの心を手に入れつつある。このゴブリン達は、エフェメラの殺人のテストのために、ここに連れてこられたのだ。


 カルシドは、父親として殺人を犯すエフェメラを見守り、愛情をもって穏やかに裏の社会へ引きずり込む気なのだろう。その後は、悪事の片棒を担がせ、家督の再興のため役立てるつもりなのだ。


「てっめぇ、どこまで……!」


「よせ、下僕半」


 今度はクレールが銃口の前に立つ。


 不思議なのは、怒った様子が見えないことだ。自衛軍に対しては、冷たい憎悪を剥き出しにするのに。そういえば今までの断罪でも、こいつは同族に対してそれほど強い態度を見せない。


 やはり分からない。吸血鬼というやつは。


 あのキズアトもカルシドも。

 子供とはいえ、カルシドに丸め込まれるエフェメラも。


 なによりこんな奴を相手に、いつもの怒りを見せないクレールも。


 やっぱりこいつら、別世界の生き物なのか。人間とはべつの――。


 鷹揚な調子で、クレールがエフェメラに尋ねる。


「小さなレディ。君の父上は、断罪事件を起こしている。それでも、あくまでかばうというんだね?」


 エフェメラはかたくなな態度を崩さない。拳を握ってカルシドの前に立つ。


「クレール様といえど、お言葉を聞き入れるわけにはまいりません!」


 これじゃあ連れ帰るどころじゃない。いつゴブリンが目を覚ますか知れないし、下の部屋から増援が来るかも知れない。


 いい加減にしろと叫びたかったが、クレールはうなずいた。


「いいだろう。では聞け、カルシド・リム・ギムルガルよ。誇り高き吸血鬼、ヘイトリッド家当主、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッドの名において、貴様に紅の戦いを申し込む!」


 マントを翻し、放り投げたのは、持って来ていたレイピアだった。


 俺には事態が掴めなかった。だがカルシドは床に突き立った繊細な剣を、目を見開いて凝視していた。やがてクレールに視線を移す。クレールは無言でうなずく。


 すると驚いたことに、カルシドが剣に向かい歩み寄っていく。


「お、お父様、だめです」


 制止するエフェメラを振り切り、俺の銃口も、まるで存在しないかのごとく。無防備にふらふらと歩いている。


 剣にたどり着いたカルシドは、柄を握りしめてクレールを見つめた。


「まことか、まことに、お前はヘイトリッド家の」


 娘を頼む、弱弱しいクズの外見が崩れていく。紅い月の光の元、真剣な目でクレールに向かっているのは、紛れもなく、家を背負った男。


 クレールは自分のレイピアを抜いた。夜空に高々と掲げると、カルシドめがけて叫ぶ。


「本当だ! この僕こそ、ライアル・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッドの息子、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッド。我が家名を賭けよう。今この僕を倒せたら、ギムルガル家にはヘイトリッド家の一切の権利と土地、位を引き渡してやる!」


 クレールの言葉、約束された内容が、喉から手が出るほど気に入ったのか。


 カルシドが、震える手でレイピアを引き抜いた。その眼にはもはやクレール以外が映っていない。


「お父様、なぜそのような……」


 エフェメラの言葉も通り抜けている。もはや俺のAKの銃口すら気にしてもいないのだろう。


「嘘ではないのだな、ヘイトリッド家当主よ。本当にわがギムルガル家を」


「くどい! その代わり、僕が勝てば貴様の家は完全にヘイトリッド家が食らい尽くすぞ。娘であるエフェメラ・リム・ギムルガルも、この僕のものだ。金輪際、きっぱりと手放してもらおう!」


 叩き付けるような気迫が、俺にも伝わってきた。


 突き付けたレイピアの切っ先は、カルシドを指している。


 対するカルシドは臆することもない。マントを翻すと、レイピアを引き抜いた。真っ赤な目を見開き、剣先を天上の月に真っすぐ向ける。


「分かった、受けよう、紅の戦い。我が家とこの娘を賭ける! 我らが血潮を求めている、紅い月に誓おうではないか!」


 剣を手にした二人は、月光の下、歩みを進める。


 やがて駆け足となり、その間合いはお互いの剣が届くほどに肉薄する。


「行くぞ、ヘイトリッド!」


「来い、ギムルガル!」


 互いの家の重さを駆けて。紅い月の下、高貴なる二人の剣が交わった。


 『紅の戦い』というのを聞いた事がある。それは吸血鬼の家の当主が、互いの家を賭けた決闘だ。


 吸血鬼の寿命は平均八百年。しかも全員が生まれると同時に優れた容姿と蝕心魔法の資質を約束されている。人間のような病気も持たず、負傷してもエルフの下僕が治療するため、本来、死からは遠い種族なのだ。


 だが、だからこそ、その寿命を投げ出す戦いは、同族の間で賞賛される。


 下僕狩りのため人間やエルフと戦争もするが、中でも家名と領地の全てをかけて他家と戦う紅の戦いは別格なのだ。

 二つの家の当主の合意の下、紅い月の夜、吸血鬼たちは、選りすぐりの下僕と共に集まり、剣で戦う。


 自らの力と集め抜いた下僕の強さを競い、月の光に血をさらす。


 クレールの父、ライアルは、この戦いに何度も勝利し、ヘイトリッド家の家名と領地を歴代の最高まで高めた。あらゆる吸血鬼はその武勇と名誉を認め、大いにほめたたえたという。


 ただの自慢だと思っていたが。家のためにエフェメラまで利用しようとしたカルシドが、ここまで本気になるのだ。家の存在は吸血鬼にとって相当に重要な事なのだ。


 負ければ全てを失う戦いに、何度も己をさらす勇気。


 そして全ての戦いに、勝ち抜く力。


 ライアルという吸血鬼は、その両方を備えていたのだ。


 クレールが誇るのも、少しだけ分かる。


 他方、そんな名誉ある父の最後が、戦いでなんの力も発揮することなく、自衛軍のスナイパーによって狙撃された末の死とは。


 あまりにもやるせない。バンギア人とアグロス人、お互いがお互いのことを知らないから、起こったことでもあるのだが。


 クレールの人間嫌い、特に自衛軍への凍てつくような憎悪が、少しだけ理解できた気がする。


 俺はAKの銃口を下ろして、改めて二人の戦いを見守る。


 家を背負った二人の剣は、激しく交錯している。


 その動きはアグロスでいうフェンシングと似ている。


 半身になって片手で剣を持ち、激しく動きながら、頭や胸などの相手の急所を狙って突き出していくのだ。


 剣のスピードはとても速い。月明かりの下、揺らめき輝く切っ先は、まるでお互いを彩る星のようだ。


 互いに急所狙いの致命的な攻撃はうまくかわしている。だが、腕や足をかする攻撃は防ぎきれない。レイピアの鋭い剣閃は、繊細で優雅なシャツや、ズボンを何度も切り裂いていく。


 それでも、引き締まった二人の表情に、苦痛などない。動きも衰えない。


 開いた細い傷口や、飛び散る鮮血は月光にきらめき、凄惨な戦いに花を添えているかのようだ。


 これは決闘、吸血鬼が脈々と続けてきた、気高く美しい決闘なのだ。


「ヘイトリッドよ、息が切れて来たか! やはりまだ幼い、偉大なる父には敵わんなあ!」


 リーチと体格で勝るカルシドが、クレールを激しく攻めたてる。


 レイピアの長さは同じだが、身長と腕の長さで有利だ。


 しかもその言葉通り、小柄なクレールは息が乱れているらしい。


 追い詰められるか、と思った瞬間。


「ほざけッ! 御託は、これを止めてから言え!」


 クレールの腕が、獲物に向かう蛇の様に縮んだ。

 深い踏み込みから、鋭い突きが放たれた。


 カルシドはレイピアの護拳で受けようとしたが、切っ先の位置を見誤ったらしい。


 剣先がカルシドの右肩に突き刺さる。体格で勝るその体を、真っ向から跳ね飛ばした。


 宙を舞ったカルシドの剣が、屋上に落ちて甲高い音を立てる。


 呆然とするカルシドに、クレールがレイピアを突きつけた。


「僕の勝ちだ。ギムルガル、いや、カルシド。約束通り、貴様の娘エフェメラは、この僕がもらいうける」


 カルシドがうなだれ、拳を握りしめている。右肩にはクレールが作った傷で血がにじんでいた。誰がどう見ても敗北だ。


 クレールは続けてエフェメラの方を見つめた。


「エフェメラ・リム・ギムルガル。君は誇り高き吸血鬼である、君の父上の結んだ、決闘の約束を守らないとは言うまいな」


 戸惑いの表情を浮かべるエフェメラ。

 恐らく、紅の戦いについては知らされていなかったのだろう。


 あの子からすれば、親と家の都合で、わが身を紅の戦いの報酬にされたに等しい。


 しかし。


 その華奢な体に、無数の傷跡を刻み。


 全てを賭けて自分の為に戦ってくれた、クレールの、男の求めだ。


 子供であっても、女であるなら、断われるはずがない。


「……クレール様、私を、どうぞあなたの下へ」


 艶やかな髪を月光に濡らして、エフェメラが歩み寄る。


 さっきは父親を慕う子供が、今は男に求められる女。

 七歳の子供が、してはいけない女の顔だ。


「いい子だね。小さなレディ」


「エフェメラと、お呼びくださいまし……」


 エフェメラはクレールの胸に顔をうずめ、その腕に抱かれて恍惚としている。


 吸血鬼の誘惑に吸血鬼の決闘で勝利し、エフェメラを取り戻すとは。


 ちょっと格好付け過ぎじゃないか、クレールの奴。

 とまれ、目的はこれにて達成だ。


 そう思ってしまったのは、俺が未熟だったからか。


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