29壊れた天秤の清算

 イェリサの右腕は切り落とされ、右の翼も翼膜と骨が数本断ち切れ、使い物にならなかった。灰喰らいはさらに、滑らかだった胴体にも痛々しい傷を作っている。海水に浸かったのも相当な苦痛だろう。まして這い上がってくることなど、困難だったはずだが。


「リドゥン、タリファ、サルファ、ゲルエン……先生は、戦うわ」


 開いた口から牙が覗く。真っ赤な丸い目は、元坂以下、出てきたアグロス人達に注がれる。


「バ、バケモノ……自衛軍、警官隊、早く、早くこいつにトドメだ!」


「射撃開始!」


「射撃!」


 俺達の拘束は行ったが、まだ撤収は始まっていない。配置された自衛軍も、記録機器の没収やマスコミ関係者の拘束を行っていた警官隊や特殊急襲部隊も、一斉に射撃を開始する。


 警官のM37エアウェイト、急襲部隊のMP5A5、自衛軍の89式自動小銃、てき弾銃、対物ライフルバレットM1887。人間ならば粉みじんにするほどの銃弾とてき弾の群れが白竜を襲う。


 38スペシャルや9ミリ、5.56ミリならともかく、てき弾や12.7ミリはスレインより弱いイェリサの鱗ではなす術もない。


 いくつかは弾き返したものの、爆発と炸裂、大口径の弾丸の貫通により、美しかった体はたちまち血みどろに染まった。


 だがイェリサはよろめかなかった。警官と自衛軍の一斉射撃にただの一歩も下がらず、赤い血を飛び散らしながら猛然と突進していく。


「ひ、ひぃっ」


 ずしゃ。


 振るった左腕は、恰好をつけてアグロス人の最前列に居た元坂を始め、男女を直撃し、まとめて薙ぎ払った。


 大型トラックがドリフトしながら突っ込んだ様だ。砕け、へし折れ、ぐにぐにゃになった即死の骸が、がれきの中に、もののように飛び散っていった。元坂含めて七人は死んだ。


「グぅうううオおおおぉぉぉぉぉっ!!!」


 空気が膨張するような咆哮が、真昼の空を貫いていく。

 自分の血とアグロス人の血を浴びたイェリサは、もはや修羅。


 この世の終わりの様だ。さるぐつわをされていなくても、俺に言葉は出なかっただろう。


 アグロス人はその場にへたり込んでいる。残っていたマスコミの者達はその場にうずくまって動かない。警官隊も自衛軍も射撃を止めてしまった。


 直接戦わない消防や救急隊の者達までが、救護活動を止め呆然と立ち尽くしていた。


 アグロスも、バンギアもない。


 人間では、この怪物に勝てないのだ。

 どんな武器を持とうと、何者であろうと。


 棒立ちになった避難民めがけて、イェリサが息を吸い込む。火炎が集まっていく。50人が一斉に焼死体になっちまう。


「てき弾、射撃!」


 中隊長の号令と共に、イェリサの口元が炸裂。溜まりかけていた炎の塊が空中に散る。


 マンションとガレキの中、攻撃態勢を整えているのは、自衛軍の空挺団だ。フリスベルに救われた狭山一尉だった。部下の小隊長、駒野達も一糸乱れず射撃を仕掛けている。


 対物ライフルとてき弾が、イェリサの肩をえぐる。夢から覚めたように、悲鳴を上げて逃げ出すアグロス人達。


「アグロス人にしては、骨のある戦士ですこと!」


 イェリサはターゲットを変える。てき弾銃を構えていた空てい団員に迫り、尾の一撃で、がれきごと、文字通り吹き飛ばす。


 即死だった。四人の血と肉片が無残に飛び散っている。

 それでも兵士達は士気を衰えさせない。狭山が89式で銃撃しながら命令する。


「各小隊散開、射撃しろ!」


 素早い動きでイェリサを包囲するように回り込む。背中や頭、傷ついた翼をも狙う。


「羽虫どもめ……!」


 イェリサが首を回す。狙いをつけあぐねているのだ。


 空挺団の奮闘に呼応するように、警官や救急隊の動きも戻る。規律を取り戻すと、アグロス人達の避難、生存者の救出へと動き始める。


 怪物の咆哮にひるまない、勇気ある兵士達の振る舞いが、日ノ本に秩序を取り戻した。


 アグロス人が護送車の方に逃れていく。イェリサは腕を振るい、尻尾を振り回したが、空挺団は攻撃の射程を見切っている。炎を吐こうとした瞬間、口元にてき弾が降り注ぐ。


 射撃の連続に、イェリサの体がふらついている。足元がよろめいた。いくらドラゴンピープルの体力でも、無尽蔵というわけではない。


 いけるかと思ったそのときだった。包囲射撃を続けていた空てい団の兵士が、ぐらとよろめいて倒れた。


「へ、へ、母ちゃん。助けて、やるよっ!」


 ラゴウだ。このどさくさで逃げてやがったのか。魔法で拘束していれば。空挺団とて、イェリサに集中していたために気が付けなかった。


「てめえらの必死より、俺達の必死の方が強えんだ!」


 銃剣でかかった兵士の喉を尾が貫く。剛剣はさらにもう一人の腹をえぐる。


 イェリサを包囲にかかったもう一つの小隊が、銃撃をラゴウに逸らせた。


 鱗をくぐった腹や胸、致命的な臓器を含んだ部分を、89式の5.56ミリがなん十発も貫通していく。


 剣を取り落とし、口から血反吐を吐きながら、ラゴウが呟く。


「は、はっ、さい、ごまで、かあちゃんの、言う、とお、り……」


 どさと倒れた小柄な体。悪鬼にとどめを刺した兵士達は、しかしもう一つの存在を見過ごした。


 イェリサががれきを持ち上げ、集まっていた兵士に向かって叩き付けたのだ。


 三人は確実に死んでる。残った者も飛び散ったがれきを浴び、下敷きになってうめいている。とても戦える状態ではない。


 空挺団は戦闘能力を、ほぼ完全に喪失した。


 警官隊は銃撃を続けるが、38スペシャル弾の雨など存在していないかのように、イェリサが首を回した。視線の先には、逃げまどうアグロス人、ハーフ達の両親もそうでない者もいっしょくたの一団がある。


「これで、ゆっくりと」


「ぐぅおおおおおおおっ!」


 轟く叫びが再び空気を貫く。金属質の音を響かせ、トレーラーから最も苛烈な断罪者が立ち上がる。


 ワイヤーを無理やり引き千切り、乗せられた鉄骨を押しのけたか。いや、左手首から先がない。こっちは腕の方が切れてる。


 鉄骨と共に乗せられていた灰喰らいを拾ったスレイン。シャッターを破ったときと同じように、右手一本で握り締め、振りかざす。


「イェリサァァァァァッ!」


 名を呼ばれた白竜が振り向く。もはやかつて愛した赤鱗の竜しか映らない。


「スレイン、スレイィィィン!」


 お互いを呼び合い、突進する二体の竜。


 足元に砕ける路面と死体、体に弾ける銃弾。

 

 大顎のような戦斧の刃が、阿鼻叫喚を写して閃く。


 刹那。

 白竜の首元を、苛烈な正義が薙ぎ払う。


 イェリサの胴はそれ以上動かなかった。断ち切られた傷口から激しく血を噴き出し、がれきの中に無残に倒れ込む。


 残身も見せず、スレインは灰喰らいを落とした。よたよたと歩くと、転がったイェリサの首を右手でつかみ、掲げた。


 瞳を怒らせ、牙を剥き出し、天を仰ぐ。

 大顎が開く。


「がウウウウゥゥゥゥオォォォォッ!!」


 最も悲しく、痛ましい咆哮が、人工島の空に吐き出される。


 もはや動かぬイェリサの瞳から、涙のような血が流れていた。


 救急隊と警官隊と生き残りの自衛軍は、再び現状の収拾へと当たり始めた。


 ラゴウはぴくりとも動かない。今度こそ完全に死んでいる。


 スレインとイェリサ。

 紛争が狂わせた二人の全ては、異世界アグロスで清算された。


 ドラゴンピープルの抱く天秤など、この世に存在しないかのように。

 あまりに多くの異界の戦士と、無辜の者を犠牲にして。

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