6乱れる思惑

「長老会とハイエルフの人達は、私達ローエルフにとって雲の上の存在なんです」


 フリスベルは結んでいた髪を下ろし、血の付いた手袋を外しながらやってきた。ワジグルの手当てが済んだのだろう。

 その目には、悲しみやくやしさは無い。それどころか、一切の感情が消えているといってもいい。


「ローエルフは、とても長くハイエルフの下について暮らしています。似た寿命、似た魔法への適性を持っていながら、ローエルフが子供のままなのは、私達の祖先がかつて戦うべきときに戦えなかったからです。エルフの持つべき優しさを持ちながら、勇気を持たない私達は、ハイエルフの方々に、長老会に率いてもらってこそ、人間を守り、バンギアに正義と美を示すエルフの一員となれるのです」


 違和感しかない一般論を、淡々と話すフリスベル。


「断罪者は、命がけで法を執行する苛烈な存在です。けれど、その法はしょせん、悪魔や吸血鬼、ゴブリン、自衛軍を派遣したアグロス人の様な、真なる正義と美を持たぬ醜いもの達との妥協の産物です。完全なるハイエルフが、順守すべきものではありません。ゆえに、私の様な不完全なローエルフこそが、その担い手に相応しいんです」


 自分の無力を、何百回と突き付けられてきたかの様な顔。

 凍り付いた能面の様だ。

 フリスベルだけでも、300年近く。ローエルフ全体なら、俺が居た日ノ本、いや、恐らくアグロスに人間が生まれてからの数万年という時間。

 フリスベル達は、ローエルフとして、ハイエルフの下で暮らしてきた。その認識が、言葉になったまで、なのだろう。


 テーブルに拳を叩き付けたのは、クレールだった。


「フリスベル、君はそれで悔しくないのか!」


 この2年。俺達は必死に戦って来た。争って来た様々な種族が、落としどころを見つけて作った、不完全な断罪法を守るために。

 自衛軍と将軍、GSUMとキズアトにマロホシ、バルゴ・ブルヌス、日ノ本ほか暗躍する各国の連中、その他大勢のギャングども。

 どれひとつとして根絶出来てはいないが、断罪が嘘だったわけじゃない。俺達が狙われるということは、俺達が妨げた悪事も相当にあるということだ。


 ときに殺される様な目に遭い、数え切れぬ血を流し、戦い抜いて来たのだ。

 その日々は、誰であろうと否定できるものではない。

 クレールが怒るのはその誇りのためだ。


 だが。

 クレールを見上げたフリスベルの目に、涙がにじんだ。


「……知って、ます。知ってます、分かってます……私だって、私なりに戦って来たんです。でも、それは、私がハイエルフ達に教えられた完全な美と正義からは、遠いものでした。断罪者として、レグリム様を調べようとして、叱られたとき、分かりました。長老会と森に居るハイエルフこそが、正義と美を体現する存在で、やっぱり私は、私の様なローエルフには、ハイエルフ達の様に戦う事なんてできないんです」


 精一杯力を尽くして、断罪者として、立派にやれてはいても。政治的な限界や、断罪できなかった事件、防げなかった事件だって数多い。ないよりマシ程度の事では、ハイエルフ達が満足しないのは自明だ。

 上で寝ているワジグルの、テーブルズでの発言からも、それは分かる。


『フリスベル』


 テーブルの上のねずみが、顔を伏せたフリスベルを見つめた。紫色の目は、威厳を持って立つ俺達の上司、ギニョルの姿を思い起こさせる。なかなかの迫力だ。


「ギニョルさん」


『今、使い魔の姿で無かったら、お前の頬を張っておる所じゃ。お前の言葉は、お前だけではない、命がけで共に戦ってきた、わしら全員のやって来た事を否定しておる』


「そんなつもりは……!」


 声を荒げようとして、黙り込んだフリスベル。

 ギニョルの言う通りだと気付いたらしい。

 フリスベルの中では、断罪者としての自分と、ローエルフとしての自分が衝突している。その結果ローエルフとしての考えが勝つなら、断罪法に基づき、ハイエルフ達を追及することはできなくなる。

 そして、断罪者の一人であるフリスベルが、ローエルフとしての価値観に基づき、断罪活動にノーを突き付けるというなら。

 俺達断罪者は、同じ断罪者であるフリスベルに、存在を揺るがされる事になる。


『ワジグルへの、テーブルズの議員代表への傷害は、断罪法に触れる。レグリムと若木の衆は、立派に捜査の対象じゃ。状況からいって、シクル・クナイブについてもかなり嫌疑が高い』


「そんなことはありません! ワジグル様については、命令に背いた罰です。ハイエルフの方々が、暗殺なんて恐ろしい真似を」


『本気で言っておるのなら、わしは自分の見込みを疑わねばならぬな。フリスベルよ、銃を持ち、マントを羽織る意味、今一度よく考えよ』


 言葉に詰まったフリスベル。俺達の顔を見られなくなったのか、そのまま部屋を飛び出してしまった。


「待ってよ!」


「追わなくていい、ユエ」


「騎士くん、でも」


「僕も同感だ。追って止めたとして、僕らの言葉でどうにかなる問題じゃない」


 珍しく、クレールと意見が合っちまった。問題は、フリスベルがローエルフであることそのものにあるのだ。


『ユエ。わしの責任じゃ、てっきりあやつも、自分の種族と断罪者としての義務に折り合いがついとると思うておった。そういえば、ハイエルフが我らの捜査線上に浮かんで来るのは、これが初めてか』


 好きにしているダークエルフには、結構断罪される奴が居るが。

 ハイエルフには悪辣な断罪事件を起こす奴は居ない。

 レグリムの様に、俺達を脅して断罪を逃れようとしたり、テーブルズの代表を傷つけたりする奴は初めてだ。

 そもそもハイエルフやローエルフには、噂上の存在であるシクル・クナイブの他には、断罪法を犯す集団が確認できないのだ。

 やり過ぎた若木の衆なんかは、ワジグルの説得なり口利きに応じ、間違いを認めて大人しく収監されたり、罰金を払ったりしている。


 結果的に、フリスベルは、罪を犯す同族と向かい合わずに済んでいた。だからあいつの本当の考えは見えなかった。


「でも、でも私嫌だよ。このままお別れなんて、そんな簡単に終わって良い事じゃ」


 ユエの声を遮る銃声。

 ガラスの割れる音は、他の棟から聞こえた。


 今、言葉はいらん。

 俺はケースごとM97を取って走った。ユエとクレールも続く。


 ケースを剥ぎ捨て、銃本体をつかむと、フォアエンドを引いて弾倉を開放。

 ガンベルトのショットシェルを詰める。1、2、3、4、5発込める間に、現場らしき建物が近づく。


 様子を見に来て建物を取り巻くローエルフ達が、俺達に気付いて近づいて近寄って来た。

 全員大人なのだろうが、フリスベルくらいの年頃にしか見えない。


「何をしてる、ここに銃など持ち込んで、人間を泊めることも本来できない」


「断罪者だ。今の銃声はどうした! 確かに聞いたぞ」


「わ、分からん。だがここに宿泊なさっているのは、我々の間でも相当な名士で」


 2階から、争う物音が聞こえる。続けて銃声、聞いた事がある様で無い。


「どいて!」


 ユエが追いついた。ホルスターからP220とSAAを取り出す。現れた銃に、ローエルフ達が悲鳴を上げてうずくまる。


 2丁の拳銃が、9ミリ弾とロングコルト弾を次々に吐き出す。標的は、観音開きの木製扉、その中央のドアノブの周囲だ。


 ドア本体とつながる部分を、綺麗なだ円形に撃ち抜かれたドアノブは、見事にぐらぐらになっちまった。

 続けて蹴り破ろうとして、ためらうユエ。開けた瞬間反撃されたら、ローエルフ達を巻き込む。


「ユエ、騎士、構うな! こいつらは、僕がまとめておく」


 クレールの目から灰色の魔力がほとばしる。本来なら抵抗されるのだろうが、恐慌状態のローエルフ達はあっという間に意識を奪われ、母屋の方へと走った。


 それを見るなり、俺とユエは2人で玄関を蹴りつけた。


 1階は広いリビングとキッチン。ワジグルを置いてきた建物とそう違わない。問題の2階へは階段が通じている。そう思った直後、俺はユエに突き飛ばされた。


 転がった視界の端で、ユエも玄関を離れている。P220と、AKのあいの子の様な銃声と共に、観音開きのドアがずたずたに壊れていく。

 恐るべき連射だ。フルオートのサブマシンガン系列の何かか。


「騎士くん、そっち狙ってる!」


 ユエに言われるまでも無い。宿舎の壁を貫いて、俺の転がった方に弾痕が来る。

 体を起こして建物を回り込む様に走る。足音で感づかれているのか、壁を貫く弾痕が追いかけて来やがる。


 相手はどこだ、2階の階段か。壁一枚通して俺を狙うということは、遮蔽物が無い。それなら。


「ユエ、俺が撃ったら突っ込め!」


 壁向うの階段をイメージし、構えたM97。トリガーを引きっぱなし、フォアエンドを連続で引くと、次々とショットシェルが弾けて、壁を貫き、向う側をえぐった。

 スラムファイアってやつだ。シェルチューブと銃身のショットシェルを射ち尽くした。直後、ユエが玄関のドアをくぐる。


 穴の開いた壁越しに、ユエがハンドサインを送る。1階はクリアリング済み。


 ショットシェルを込め直しながら、玄関をくぐってユエに続く。


 2階の階段途中では、胴体を血まみれにした女が事切れていた。ショットシェルを全身に食らったのだろう。ハイエルフらしいが、握っていたのは、取り回しのため銃身を切り詰め、ストックに機関部を押し込んだブルパップ方式のマシンガンの一種。


 こいつは確か、FNのP90だったか、こんな高級な銃、使えるのは、アグロスと闇のつながりがあるGSUMか自衛軍の上の奴らに限られる。

 自衛軍にはアグロス人以外居ないから、消去法でこいつはGSUMの一員、恐らく復讐に燃えるキズアトが送り込んだハーレムズだろう。


 念のため、銃本体を階下に蹴落とすと、ユエに続いて先へ進む。

 追いついた俺の前で、ユエが2階のドアを開けた。


「動かないで!」


 ユエが銃口を向けた先。

 ハイエルフの男をベッドまで追い詰め、今まさにP90を構えているのは、紛れも無いハーレムズの一員だ。


 ボディアーマーに迷彩のズボンとブーツ、さっきのやつと同じP90を持ち、替えのマガジンと、小さいスプレーのようなものが、ベストのポケットに入っている。


 軍人の知り合いは居ないのだが、あいにくとその顔には見覚えがある。

 恐らく、キズアトの信頼が最も深いであろう、流煌だった。

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