26綻びた心

 首元に冷たい感触。胴体が頭を離れる――ことはなかった。


 感じたのは冷たさまでだ。大鉈は俺と狭山の首に触れたところでっぴったりと止まっている。


「イレィト、なぜだ……!」


 ロドの腕に真っ黒なツタが絡み着いている。振り下ろした鉈の刀身が石板から伸びあがる若木に押しとどめられていた。


 イレィト。リアクスに記憶を奪われ、偽の記憶を移されたはずのあの黒い髪が一部だけ、金色に戻っている。


『さやま、さん、騎士、さん、死なせは、しま、せん……!』


 しゃがみこんで触れているのは、石板を這う、つた。直接魔力を伝えて、現象魔法で操ったのだ。


 フリスベルだ。フリスベルが蝕心魔法に抵抗した。


 吸血鬼の蝕心魔法、その最大は吸血によって精神を侵すチャーム。だがリアクスは女でフリスベルも女。同性にチャームは効かない。単に、記憶と人格を操作されただけだったのだ。この土壇場で抵抗してくれた。


 ソムブルが顔を上げる。だがこちらには、クレールの面影はない。


「どうしたのです姉さま! 流血は母様のご意志なのですよ!」


 しゃがみこんでイレィトに話しかける。実の母と子ならチャームは使ってないと期待したが、こっちは戻っていない。


 片手で俺達を救った植物を操作しながら、フリスベルはソムブルの肩をつかむ。


「クレールさん、私たちが何をしようとしていたか、分かってるんですか。目を覚ましてください。狭山さんと騎士さんなんですよ」


「……誰だ、お前は。誰なんです、そんな奴らは、あぁっ……!」


 ソムブルも頭を抱えてうずくまる。こっちもチャームは受けていなかった。クレールの意識が目覚めれば、戻るかもしれない。


 観客にどよめきが広がり始めた。処刑がいつまでもなされず、パフォーマーが舞台上で争い始めたのだ。いくらなんでも違和感に気づいた奴らが居るらしい。リアクスだって全員操り切れていない。


『暗闇の静寂よ!』


 リアクスの声で照明が落ちた。音も消えた。下僕の現象魔法で、石板のステージから音をさえぎっているのだろう。


「っ!」


「……!」


 俺と狭山は無言のうめき声を上げた。ファーンが手に力を込めたのだ。ドラゴンピープルの膂力の前には、ひと二人を潰し殺すくらい、わけはない。


「……ああ、やっとほどけた。面倒くさいことになっちまったな」


 つたを振り切ったロドが、懐から手斧を取り出す。潰れた俺達の首を狩る気だ。


 フリスベルとクレールの姿は見えない。リアクスは暗闇の中で俺たちを殺し、首だけにして照明を戻す気だ。


 狭山と俺が死ねば、抵抗を続けるフリスベルと、意識を揺らすクレールの心は完全にへし折れる。今度こそ、永遠に幼く美しい娘、イレィトとソムブルのカオスワインドがこの世に誕生する。


 抜け出さなければ。だが俺は言わずもがな、狭山とて全身を火傷しファーンに掌握された状態ではどうしようもない。


 せき込む。口から血が噴き出た。理屈じゃない、余裕もない。死ん、じまう。


 不意に締めが緩んだ。全身に力を込めてうつぶせに寝返る。


 見上げるような体躯のファーン。手斧を振り下ろそうとしてロド。その二人の目に銀色の魔力が張られている。


 源は暗闇の中に光る銀色の――。


「すまなかったな、スレイン、ガドゥ……!」


 クレールだ。ドレスに長い銀色のウィッグはそのまま。しかし見慣れた真紅の瞳。蝕心魔法によって、二人の動きを完全に封じている。


 そういえば音が戻っている。空気の震えを封じていた現象魔法が消されたのだ。


 身動きが取れない俺と狭山を、柔らかい草木が覆っていく。葉に滴る清らかなしずくの一滴が、傷に染み込み癒していく。強いが、心地よい魔力だ。


「フリス、ベル、なのか」


「騎士さん、狭山さん。こんなに傷ついてしまって、私達のせいで……」


 髪の毛は完全な金色。それに柔らかくとがった耳。イレィトをやめたフリスベルが俺たちを助けたのだ。


 死の寸前まで痛めつけられていた体が息を吹き返していく気がする。操身魔法は、マロホシに体をねじ曲げられた俺には効かないはずなのだが。骨折の痛みと、引き裂くような腹や胸の痛みが消えていく。数分もすれば、動けそうだ。


 フリスベルが俺と狭山の元に駆け寄ってくる。


「操身魔法で治しているんじゃありません。現象魔法で植物を薬草に変化させたんです。葉の滴は、強力な傷薬になります」


 なるほど、いい薬を塗りつけてるってことか。それなら、ただの人間より強い俺の身体は、もとからあった回復力を増すだけ。狭山の方は、普通に回復してやればいいか。


 俺の生存を確かめると、フリスベルは狭山に向き直った。仰向けに整えると、膝の上に頭を乗せる。痛々しい火傷を受けた胸元に手を当て、祈るように目を閉じる。


『ムース・クーレ……お願い、治って……!』


 切開して銃弾を引きずり出した傷口であろうと、数秒で治す操身魔法。だが、ファーンの炎による大やけどと、圧迫による骨折と体内の損傷はそれをも超える重傷だ。


 降り注ぐ光の中で、火傷の傷がゆっくりとふさがっていく。狭山の目が開いた。見下ろすフリスベルの瞳を見つめる。小さな手を胸に当てる少女の髪を、そっとくしけずる。


「……ふ、リス、ベル、さん……」


 最愛の男の言葉に、フリスベルの瞳から涙があふれた。


「ごめんなさい、ごめんなさい。わたし、私、狭山さんにひどいこと……」


「いいん、だ。もう」


 弱々しい手をそっと伸ばす。だが、確実にフリスベルの袖を握る。一人で全てを背負うはずだった孤独な男が、ついに報われたってわけだ。


 俺の負傷は、全身の亀裂骨折と、内臓や筋肉に損傷があったんだろう。それに、強力な薬草を使うなんていう、反則じみた手で回復しているのだ。少なくとも命の危険は感じなくなってきたが、まだ動けそうにない。


 クレールは相変わらず、ファーンとロドを封じるだけで精一杯か。ちょっとまずい。戦える奴がいない。


 リアクスの奴は吸血鬼だ。ステージを見張る部下の中にも、吸血鬼がいるだろう。連中は暗闇を見通す目がある。断罪者に断罪者を殺させるという思惑が、土壇場で壊れかけていることは、すでに把握している。


『……撃て、獣と断罪者を殺せ!』


 そら来た。まずいぞ。


 操身魔法で回復中のフリスベル、治療中の狭山と俺、蝕心魔法の行使中のクレール。身動きできないうえに、全員が丸腰。


 銃撃音が響く。弾丸が石板を叩いた。跳ね返った銃弾が、樹木を打って枝葉が散る。


 俺たちは誰一人弾丸を浴びていない。


「間一髪、というわけだな……」


 たくましい腕が全員を抱き留めている。懐かしい赤鱗が、脅威を弾き返したのだ。


 悪人の下僕、ファーンは消えた。

 スレイン、断罪者を象徴する苛烈な正義が、俺達の元に戻ってきた。

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