五章~かくも小さく気高き矜持~

1ネオンと少女

 ホープ・ストリートで遊ぶ連中は、滅多な事では動じない。

 断罪者が出てきて、撃ち合いを始めるとか、自分の命にかかわる事態ならともかく。


 それ以外の楽しみ。

 口に出すのもはばかられる様なお楽しみや、変な趣向にも慣れているから。


 そんな群衆が、珍しく、夕暮れ近く、通りのブティックの一角に集まっていた。

 そこはGSUMがアグロスを通じて仕入れた、化粧品や下着を売る店だった。規模は小さいが、店舗内も清潔で、三呂市のレイブンビルに入っているのとあまり違いがない。

 娼婦たちや一部の客のお気に入りで、まさにこの通りを象徴した様な、毒々しくも美しい不道徳な品々が並んでいる。


 本格的に通りが動く宵の口、客足も増えるかというときなのだが。

 この日ばかりは、集まった連中も、きわどい下着や、性具を買う目的ではない。


 コンクリとアスファルトで固められた地面から、棘のある無数のつるが伸びている。つるは4、5メートルも上に伸び、店先にある看板のネオンに絡みついて、たくさんの花を咲かせていた。

 真っ白い花弁がいくつも重なった、繊細な薔薇状の花。

 いばらのドレスを着たまま、看板にはりつけにされたエルフの少女を彩っているのだ。


 不気味だが、どこか美しくもある奇怪なオブジェ。死体がさらされている、という通報でやって来た俺とクレール、それにフリスベルは言葉を失った。


 様々な植物を使い、最後を与えたターゲットを。

 同じ植物で美しく飾り、衆目にさらす。


 ポート・ノゾミのどこかに存在するといわれる、エルフの暗殺ギルド。シクル・クナイブの代表的な手口だ。


 白い薔薇とそのつるに覆われては、いるものの。

 少女は衣服を一切身に着けていない。一見外傷は見られないが、エルフの性質をはるかに超えた病的に青白い肌が、命が消えていることを示していた。殺された上に、裸体をこんな場所にさらされたのだ。


 よほど珍しかったのだろう、銃を持った俺達断罪者の存在を認めながらも、群衆は散らない。ざわつきながら、好奇心のままに少女の死体を眺めている。アグロス人の中には、携帯を出して写真を撮っている奴まで居た。


 早く、降ろしてやらなければ。そう思ったのは全員共通、実行が最も早かったのはクレールだ。


 専用の金属クリップでまとめた、8発の7.62ミリ。そいつをM1ガーランドに挿入すると、空に向けてフルオートで連射した。

 剣呑な銃声で、我に返った群衆が一斉に逃げ出す。悲鳴まで封じて、撃ち尽くして飛び出した金属クリップが飛び出す音まで聞こえたくらいだ。


 育ちが悪ければ、唾を吐いたであろう目つきで、逃げ去る群衆を見送り。クレールはライフルを降ろした。


「……下衆どもめ。下僕半、レディを早く回収しよう」


「分かってる。でも傷や、くくり方を調べねえと。ちょっと高いし、のぼって外すか、スレインを呼ぶか」


 ちと時間がかかっちまう。気の毒な犠牲者は、一刻も早く回収して葬ってやりたいんだが。


「大丈夫、です」


 固まっていたフリスベルが、前に歩み出た。手には、魔力の渦巻くトネリコの杖を持っている。


「私、この花は見たことがあります。魔力に反応するんです」


 フリスベルが杖の先で足元を叩くと、集まった魔力が路面の割れ目を走り、植物の全体に広がっていった。


「森に生えていました。エルフはみんな、小さい頃からこういう植物で、魔力の扱いを学びます」


 淡々と、魔力を操作するフリスベル。

 巻き戻しでも見るように、花がつぼみに戻っていく。つるの棘も丸みを帯び、少女の死体を傷つけるのをやめ、締め付けをやめたつる全体も、ゆっくりと傾いていく。


 降りて来るきゃしゃな体を、俺は両腕で受け止めた。


 みずみずしい薄緑のつるで編んだ、自然のドレスを着た少女。眠る様に目を閉じているが、二度と開くことは無いだろう。薄い胸元には、背中まで綺麗に貫く、一本の枝が伸びる。白薔薇のドレスに絡まっていたが、これはほかの草とは違う。


「シクル・クナイブですよね。私と同じ、エルフがやったんです。私は知らない、知らないけど、知らないのに、こんな同族の子を……」


 うなだれていくフリスベル。同族の悪事の犠牲者を見るほど、辛い事はそうそうない。特にエルフは、自分たちの清廉さを重く見ている。ローエルフという幼気な少女を、こんな場所に裸で放置するような真似、想像したくは無いのだろう。


「フリスベル、しっかりするんだ。君は断罪者だろう」


 肩を叩いたクレール。M1ガーランドを地面に置くと、黒と赤のマントを外し、フリスベルに渡した。


「君がそちらのレディのドレスを替えろ。僕のマントが好みに合うか分からんが、棘のドレスよりはいい」


「クレールさん……」


「早くするんだ。騎士、僕たちは見ないでおこう」


 キザ野郎め。だが文句をつける所が無い。


「……フリスベル、頼むぜ」


 辛いかも知れんが、断罪者としてこいつを信じたい。

 俺もコートを脱ぐと、地面に敷き、その上に少女を横たえた。

 フリスベルはクレールのマントを受け取り、もう一度杖を振るおうとする。


 そのとき、再び銃声がした。

 足元でコンクリートがはじけ飛ぶが、とっさのことで方向が分からん。


 狙撃されたのか、これ自体が罠だったのか。

 M1ガーランドを取ろうとしたクレールの足元でも、アスファルトが割れた。


 さすがにスナイパーの面目躍如か、2発目で方向を定めたクレールの視線。

 そいつを追って、また見ちまった。


 距離約80メートル、雑居ビルの屋上という、いかにもな場所から、俺達を狙撃した流煌の姿を。


 フリスベルが手を止めた。俺も動けない、もちろんクレールもだ。

 この距離。日ノ本では、ユエが居るにも関わらず、ヴィレや遊佐を狙撃した流煌なら、俺達3人の脳天を撃ち抜くのも容易い。


 なぜこれほど近づけてしまったのか、死体に気を取られた油断があった。


「断罪者よ、私のものから離れてもらおう」


 がらんとした黄昏の通りに、現れた人影。

 俺は思わず唇を噛んだ。


 この間のマロホシといい、腐れ縁が突然目の前に出て来やがる。

 いや味ったらしい長身に、酷薄だが美麗な目鼻立ち。額の頂できれいに撫でつけられた髪は、首に届くか届かないかの所で散っている。

 すかした高級タキシードに、黒と赤のマント、つややかな革靴にもセンスと信条が見えてくる。

 こいつと比べりゃ、クレールはやはり、まだまだガキ。

 7年前から、ずいぶんこぎれいになった。


 腹の立つ男ぶり、マロホシと並ぶGSUMの首魁、キズアト。


 十歩駆ければ、こいつの懐。銀のナイフでぶっ刺せば、殺せる。

 そのことを知ってか知らずか、キズアトは少女の前にひざまずいた。


「おお、リリム……何者だ、君をこんな目に遭わせたのは。私の手から、君を奪ったのは何者だ……」


 この悲しみ様、どうやらこのローエルフは、キズアトがチャームをかけて寵愛していたハーレムズの一人だったらしい。

 キズアトはフリスベルを無視して、リリムと呼んだ少女を抱き、指先でその髪の毛をとかした。


「君は、私のものだった。私の許しなく、壊れることは決して許されない。なのになぜ壊れた。君を壊した者は、許さん。私のものを壊した者は、決して許さん……!」


 吸血に使う犬歯ををむき出し、赤い瞳を見開くキズアト。名前通り、右頬に刻まれたキズアトが、ネオンの薄明りに不気味に映えた。


「待て、キズアト。これは殺人事件だ、僕たち断罪者がやったものを探し、断罪する。お前が部下に命令を出せば、お前自身も断罪法違反として僕たちが断罪することになるぞ」


 キズアトが立ち上がった。少女をかき抱きながら、凶暴な視線でクレールをにらむ。


「黙れ小童! この私に逆らうか!」


 灰色の魔力が、クレールに向かってほとばしる。

 蝕心魔法、同族に効くのか。


「うぐっ……う」


 クレールの目と頭の周囲を、灰色の魔力が取り巻く。


「う、うぁ、ああ、父さん……嘘だ、いやだ、こんな、あ、あああああっ!」


 地面に倒れると、頭をかきむしり、体を曲げて苦しむクレール。


「馬鹿な子供だ。気が狂うまで、父親が殺されたときの感情を味わえ」


 吸血鬼であるクレールの精神。その深くに刻まれた、父親の死と悲憤の記憶。そいつを呼び起こし、頭の中にループさせている。


 クレールとて、一流と呼べる蝕心魔法の術者のはず。それがいとも簡単に、こんな。


「キズアト、てめえ!」


 ナイフを抜いた瞬間、腕に衝撃が走った。

 刃は路上のはるか遠くまで飛ばされている。

 狙撃でナイフを弾き飛ばしやがった。


 雑居ビルの屋上では、流煌がつゆとも表情を動かさず、ボルトを引いて排莢し、次弾の装填を済ませた。

 

「喜べ。貴様はフィクスに殺させてやる、下僕半。頭を吹きとばせ、フィクス!」


「待ってください!」


 フリスベルだった。掲げた杖に集まった魔力、光は、キズアトの抱えた少女を取り巻く薔薇のドレスに呼応している。


「一言です。私の、一言の呪文で、薔薇はその子の中に根を張り、五体を貫いて破裂させます。あなたのものは、私の一言で、さらに醜く壊れます」


「なんだと……!」


 強烈な憎悪が、視線に乗ってフリスベルを貫く。

 足元を震わせながらも、フリスベルはさらに言った。


「脅しても無駄です。あなたにはその薔薇を操れはしません。ノイキンドゥへ連れて帰って、エルフの仲間に頼むことです。それも、今ここで私がその子を破裂させれば不可能になります」


 俺達を邪魔した以上、断罪法違反は一つ得た。

 だが今、こいつを倒すのは完全に無理。条件を緩めてでも、何とか俺達が無事に帰ることを目指すか。


 クレールは相変わらず、父親の名を呼びながら、もだえ苦しんでいる。

 俺も恐怖こそわかないが、憎悪のみで簡単に殺せる相手じゃないのは死ぬほど分からされてしまった。

 悔しいが、退いてくれたら、ありがたい。


「どうしました、早くしてください。クレールさんを開放して、狙撃手を下げるんです」


「……ふん。いいだろう」


 苦しむクレールを一瞬見つめただけで、灰色の魔力が霧散した。

 後には、倒れ伏したクレールが息を荒げている。


 主人の意思を感じ取ったか、流煌もライフルを下げて屋上から姿をくらました。


「後ろから撃とうなどと、考えるな。断罪者よ、貴様らは貴様らで勝手にやれ」


 無力感を煽る様な言葉を残して。

 少女を抱えたキズアトは、通りを後にした。


「ちくしょう……ちくしょう!」


 俺にできるのは、地面を殴りつける事と。

 クレールとフリスベルを支えて、使い魔で応援を頼む事ぐらいだった。

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