50牙は七本

 俺はハイエースのハンドルを握っている。車両は三呂市内の喧騒を進む。刑務所で起こった阿鼻叫喚など、なんでもないことのように、街は落ち着いている。まずは、境界を構成する三呂大橋を抜けなければならない。


「……なるほど。ではまず、それがしたちが三呂大橋を抜けられるかどうかだな」


「そうだ。実際に爆弾が仕掛けられているとか、調べたわけじゃないんだけど」


「そう考えておいていいだろう。そして、抜けられればノイキンドゥに突入できると考えて相違あるまい」


 スレインとの会話は事務的だ。車内の雰囲気は明るくない。


 助手席には再び人間の姿になったスレイン。そのスレインを人間に変えたフリスベルとガドゥは俺たちの後ろ。クレールはさらに最後尾の席だ。


「行かなきゃ、だめだよな。おれ、たくさん殺しちまったけど」


 ガドゥの言葉は虚ろだ。戦闘の中で命を落とした公安たちのことだろう。

 あるいは、ついさっき死んだリアクスの下僕だったころ、『ロド』として手にかけた者たちのことだろうか。


 ガドゥだけじゃない。四人は、嵐の中でGSUMの勢力に捕らえられて以来、リアクスの下僕にされ過ごしていたのだ。俺や狭山も殺そうとしてしまった。


「僕たちは断罪者なんだ。たとえ、なにをしていても」


 それに加えて、クレールは実の母親だったリアクスを撃ってしまった。あいつは救えない悪党だったが。


「それでも行かないと、今度はテーブルズのみんなが……」


 フリスベルは噛み締めるように言った。


 境界の向こうでは、マヤやワジグル、ヤタガゥンが断罪助手を招集している。俺たちが来なくても挑む。もれなく全滅となっても、だ。


 俺、ギニョル、ユエの三人と残ったテーブルズの議員で考えた断罪の作戦。その一段階は終わった。すなわちスレイン、フリスベル、ガドゥ、クレールを無事に救出できた。


 あとは、一刻も早く三呂大橋を抜け、ノイキンドゥに突入してマロホシとキズアトを断罪するだけなのだが。


 士気が上がらない。今までなら、断罪に向かうメンバーは一致団結することができたのに。


「……リアクスのために、あの二人には、すまないことをした」


 クレールらしくない言葉だが、俺はたしなめられない。


 断罪者に協力したために、梨亜は十七歳の若さで利き手を失った。


 狭山も一命は取り留めたものの、片目の視力を失い、左腕と右足が麻痺してしまった。障害は、マロホシが協力しない限り一生残るだろう。


 他方で、俺と断罪者だった四人は、無傷で合流できた。


 俺たちだけ、何かに守られているなんて、ありうるのだろうか。


『らしくないぞ、お前たち』


「ギニョル」


 ハイエースの天井から声。真ん中に張り付いたムカデからだった。


『戦えば常に失う。キズアトとマロホシはそのことを利用して、敵対する者をねじ伏せてきた。健康、寿命、命、名誉、金。従えば安心じゃと、従わねば失うと。じゃから、あらゆる者が屈服する』


 その通りだ。ザベルは選挙に出なければ、四人はあの二人の断罪に本気で取り組まなければ。公安や梨亜や狭山は、四人の救出に巻き込まれなければ――。


『それでも、断罪者は屈してはならぬ。スレイン、フリスベル、ガドゥ、クレール、騎士も聞け。わしは、お主らを助けるために助けたのではない』


「ギニョル」


『ノゾミの断罪者は、法の走狗。奴らは老いた犬の最後の獲物。傷だらけで走り続けてきた犬が、あれほどの獲物を仕留めるなら。分かるであろう。七本の牙くらい、すべて揃っていないと』


 あの暗殺未遂事件から半年以上。様々な戦いを経て、情勢は変わった。

 それでもGSUMを、キズアトとマロホシを最後に倒したいなら――。


 赤信号だ。俺はブレーキを踏んだ。


「みんな、聞いてくれ」


「騎士」


「断罪者は戦う。最後までな。それで十分だ。クレール、もしザベルを撃ったことを覚えているとしても」


 俺は振り向かない。クレールがどういう顔をしているのかは分からない。

 自分が吸血鬼であること、たいせつなものを奪うことに苦しんでいるやつだ。


 祐樹先輩の慟哭が聞こえる。俺の半分が失われた衝撃が蘇る。それでも。


「……お前も俺も断罪者だ。ほかのみんなも。あの島に法と正義をもたらすために、悪を追う。あいつらはその最後の獲物だ。それ以上必要なのか」


 引き金が鈍ってはいけない。獲物が強大であればあるほど、牙は鋭くなければならない。


 青信号が点灯する。ハイエースを発進させた。

 誰も何も言わない。だが後ろから、銃をいじる音が聞こえた。


 ハイエースの車内には、断罪者としての装備がある。外套、マント、ジャケット、そしてそれぞれの銃。


 AKのマガジンに小銃弾を装填する音。

 ベスト・ポケットのスライドを引く音。

 そして、M1ガーランドのボルトを引く音。


 スレインはシートベルトを外した。こいつの頑丈さに交通事故は関係ない。むしろ動きの制限が邪魔になる。


「騎士よ、それがしは人間に天秤を教わってしまったようだな」


「スレイン」


 赤鱗を誇る正義の象徴。人間の全てを超える存在が俺を認めたのか。


 ハイエースは国道から高架に入る道路をのぼる。道路脇のビルが玄関や一階だったのが二階、三階、四階へと上がっていく。


 量販店の大きな建物の向こうに、海が見えた。高架の先に見えるのは、見慣れた三呂大橋の赤い橋げただ。


 車の流れは通常。日ノ本は三呂市までポート・ノゾミからの往来を受け入れているから、面倒な境界警備がなくなっているが、その通りということだ。


 境界課が警備しているかと思ったが、よく考えればあいつらはドーリグに襲われたはずだ。さらに、首都からわざわざ来た公安が、あそこまでめちゃくちゃにやられては、俺たちを止めるどころでもあるまい。


「騎士さん、止まってください!」


「フリスベル」


 助手席の間から顔を出す。普段の断罪と同じ決意のみなぎった容貌だ。


「向かって九時方向、ドラゴンピープルが来ます。おそらくドーリグさん」


 フロントガラス越しに見やると、確かに緑色のドラゴンピープルが飛んできている。距離百メートルくらいか。しかも肩に棒のようなものをかついで――スレインが叫んだ。


「フリスベルそれがしの魔法を解け!」


 俺はサイドドアのロックを解除した。紫色の魔力がスレインの体を取り巻く、蹴り開けると同時に外へ。


 ドーリグが肩の棒、いや、この距離でもわかる長大な戦斧を投げつけてきた。


 タイヤ音を貫いて空気を裂く音がこだまする。


「うぐぅ……っ、なんの……!」


 軽トラックのエンジンを切断できる長大な刃。スレインは右腕と翼で受け止めた。


 がごん、道路に落ちた巨大な刃が音を立てる。ハイエースはその脇を進む。車体も路面も破壊されていない。


 ドーリグは滑空しながら突進してくる。スレインは足を突っ張り、真正面から受け止める構えだ。


 停車したほかの車両が揺れる。破片を巻き上げ二つの巨体がぶつかった。


「スレイン、スレイィィィン!」


「う、おおおおっ! 皆、必ず追いつく。ドーリグはまかせろ!」


 灰喰らいをも操るドーリグを、負傷した体で止めるか。


「スレイン」


「止まるな騎士。まだ牙は、僕を含めて六本ある」


 クレールが声をかけた。


「おれだって、もう弱いことは言わねえよ。考えるのはキズアトとマロホシを断罪してからだ。そうだろうがよ」


 ガドゥまで調子を取り戻したか。


「騎士さん、行きましょう。魔力感知はぜったい緩めません。あなたが来てくれて、良かったんです」


 フリスベルもか。


 断罪者は七人。牙は七本揃ったらしいな。

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