4指揮権

 あまりの事態に、一人の兵士がつぶやいた。


「馬鹿な、見張りは」


「私とて偉大なる王の血に連なる者。硝煙の末姫たる、そこのユエの姉でもあるのです。銃を持ったアグロス人の二人や三人、気絶させるのはわけもないことですわ」


 魔力の取り巻く杖を振るうと、ジープを模した機動車の後部座席から、三人の兵士が転がり出た。全員がモウセンゴケのようなもので縛られ、鼻と口をふさがれて気絶している。酸素を絶って意識を奪ったな。


 あれはハイエルフの使う現象魔法、植物の種を操るものだ。拘束時のボディチェックなどもあったのだろうが、植物の種となると発見を逃れたか。


 ギニョルのような悪魔や、クレールのような吸血鬼と居ると、人間を侮る癖がついていけない。現象魔法を使えるバンギアの人間もまた、銃を持ったアグロス人と比肩するほど恐ろしいものなのだ。


 マヤは目を細めて、ザルアやバンギアの人間達を見つめる。


「何をしているのです。皆も、武器を下ろしなさい」


「し、しかし、マヤ様」


 戸惑うザルアに向かい、マヤの言葉が響く。


「お黙りなさい。私一人のために、隠していた銃まで持ち出して。ここで戦い、全てを壊すつもりですか。それとも、この島において、我らが祖国崖の上の王国の全権を任された、このマヤ・アキノの命令に反するつもりですの」


 さらさらと、鈴の鳴るような可憐さがあるのに、不思議な威厳に満ちた声。


 こうまで言われては、バンギアの人間達は、誰も逆らえない。ザルア達はSPASから散弾を抜いて、銃口を下ろした。議員達も現象魔法の準備を解除した。


 マヤの眼が俺達を向く。まだ何も言って無いのに、ユエが銃を降ろしてしまった。

 やばいと思ったのか、ギニョルが機先を制した。


「我ら断罪者に、止まれとはおっしゃられませぬように、マヤ様」


「なぜです」


 少しトーンが下がっただけで、この迫力。だが俺達のお嬢さんだって、300年弱生きた悪魔だ。瘴気を吐き出し、たくましくなった蹄付きの腕を組む。


「テーブルズ代表の一角である、あなたの拉致は立派な断罪事件です。あなたの意向がどうあれ、ヤスハラ伯と、そこにつながる自衛軍には嫌疑がかかります。後任の人事も決まらぬまま島を離れるなど、テーブルズの活動も滞ってしまいます。この島のためにも、断罪活動は続けさせていただきます」


 なるほど、通った理屈だ。だがマヤはぴしゃりとやり返す。


「これは拉致などではありません。私は私の意志で、本国からの招集に応じました。後任が必要というなら、我が王から正式な決定があるまで、副代表に代表代行を任せますわ」


 本人がさらわれているのではないと言ってしまったら、いよいよ事件にならない。後任人事まで決められたら、ちょっとした騒動で収められてしまう。


 ギニョルはまだ折れない。即座に言い返す。


「もう一度言います。断罪者の長ギニョル・オグ・ゴドウィとして、応じられませんな。あなたが何らかの強迫によって、この場を収めるように動かされているという疑念は捨てきれない。私は私の判断に基づき、部下に捜査を命令します」


 どう考えても、マヤの言動も行動もおかしい。俺達の暗殺に王が絡んだ理由も分からないし、如月の記憶にヤスハラが関連していたことが嘘なはずがないのだ。


 自衛軍は銃を降ろさない。俺達断罪者が諦めていない以上、橋頭堡の防衛態勢を解くわけにはいかないのだろう。

 このままドンパチに入っても、それはそれで全てがおじゃんだ。俺は歯噛みをしたい気分だった。ギニョルは声のトーンを和らげる。


「……では、百歩譲って、ここは退くとしましょう。しかし、捜査は継続させていただきます。調べが付いた段階で、あなたの拉致を断罪法違反として、首謀者の断罪に動かせていただきますが、よろしいか?」


 恐るべき質問だった。

 ギニョルは直接言っていないが、断罪の中身は凄まじいものだ。

 

 崖の上の王国に居るであろう、安原克己ことヤスハラ伯か、崖の上の王国の王、アキノ12世。

 現段階で、こいつらが事件に関わっていることは極めて濃厚なのだ。もしマヤが応じれば、俺達断罪者はテーブルズの許可を得て、一国の王と貴族の断罪へと動くことになる。


 まあその前に、この橋頭堡に居る、将軍以下、自衛軍の兵士と全面戦争に近い断罪活動をやることになるな。もちろん、時期は置くが。


 そもそも、今回の事件の黒幕にとって、俺達の暗殺に派遣した、ジン、クオン、リカの三兄妹が期待外れ過ぎたのだ。全員まとめて生きたまま断罪され、記憶から尻尾をつかまれてしまったのは大失敗に違いない。


 この場は済ませても、俺達の牙は必ず首謀者を貫く。


 仮に、日ノ本による崖の上の王国の傀儡化が本当だったとして、その企てを砕き穿ち、島だけでなくバンギアとアグロスの関係を守ることにもつながるだろう。


「断罪法は、アグロスとバンギアの七種族の総意で成立しました。崖の上の王国も、あなたを通じて承諾を与えた。我らはその法に基づいた断罪者なのです、マヤ様」


 ギニョルの言葉で、俺達に再び覚悟がみなぎった。ユエも銃を構え直した。

 退けない。退かない。この事件を明らかにするまでは。


 重苦しい沈黙の後、マヤがため息を吐いた。

 冷え込んだまなざしで、俺達全員を眺めまわす。


「……では、その断罪法に基づき、私の拉致事件について指揮権を発動いたしましょう」


 俺は息を呑んだ。我ながら忘れていた、法に従った解決法があるということを。


「テーブルズ議員代表、マヤ・アキノとして命令します。私の拉致事件の捜査を停止しなさい、ギニョル・オグ・ゴドウィ」


 チェックメイトだ。もう逃れられない。

 一言も発することができないギニョルに対して、マヤはさらに言った。


「またあなた方の暗殺事件について、ジン・アキノ、クオン・アキノ、リカ・アキノの三人に対し、指揮権による刑の恩赦を施しますわ。彼らについても以降の捜査をつつしむように」


 あの三人まで自由の身か。これでは、いよいよ打つ手がない。


 将軍が少しだけ唇の端を釣り上げた。手元の無線で兵士達に呼びかける。


「午前7時23分、防衛作戦解除」


 途端に、自衛軍は撤収にかかる。射撃体勢を解くと、銃からはこれ見よがしに弾薬を抜き、奥の戦車もシャッターの向こうへ引っ込んでいく。


 聡明な将軍は分かったのだ。銃を構えていようとも、俺達断罪者が、もはや脅威になり得ないと。

 凍りついたように空中を漂うギニョル。マヤはさらに追い詰める。


「どうしたのです、早く武装を解除なさい。今このときから、この事件に関して、あなた方は活動を禁じられたのですよ。銃を出せば、不正捜査を行ったことになります。この基地の自衛軍に正当防衛として反撃されてしまいますわ」


 そうなれば俺達は成す術がない。不正を働き、相手の抵抗によって殺害された最低の権力組織に成り下がっちまう。


 ギニョルが地上に降り立った。その姿が紫色の魔力に取り巻かれ、角のある人間の形態へと戻ってしまった。

 長い前髪が、目元を覆い隠している。フリスベルやユエ、スレイン、この場に居る断罪者全員の心配そうな視線が降り注ぐ中、ギニョルは一言だけ口にした。


「……全員、武器を降ろせ。わしらも退くぞ」


 それ以外に方法はない。俺はM97からショットシェルを抜き、ガンベルトに戻して銃を車内のラックにしまった。ユエもSAAとP220から弾薬を抜いてホルスターに納め、ガドゥは魔道具をしまい、AKからも弾薬を抜いてセイフティをかけた。フリスベルも雷雲を散らして杖をしまったし、ベスト・ポケットから弾薬を取り出している。クレールも使い魔で聞いたのだろう。M1ガーランドからクリップを取り去っているに違いない。


 スレインは敷地の外へ飛び去っていく。


 フリスベルとギニョルが、ハイエースに戻った。


 誰も口を利かないまま、俺はハイエースのエンジンを始動させた。

 ザルアたちは一言もなく離れていく。マヤも俺達に背を向け、やはりというか自衛軍の基地の方へと歩いて行く。


 ギアをバックに入れた。ハンドルを回して、アクセルを踏めば、ここから先は、日常が戻る。巨大な危機を放置して淡々と過ごす日常が――。


 ドン、と俺の拳がハンドルの中心を打つ。

 けたたましいクラクションが、その場の全員の視線を釘付けた。


「これでいいのかよ、お姫さん!」


 マヤの足が止まる。背中が、震えているように見える。

 俺の思い込み、か。


「なんだ丹沢騎士、僕達に対する違法捜査かい?」


 将軍の視線に、俺は我に返った。これ以上勝手はできない。


「違う。誤解させて、すまない」


「騎士くん……」


 助手席のユエが、俺の手を握る。柔らかい温もりが、苛立ちを癒していく。


「騎士よ、出せ。ここでわしらができることは、もう……」


 ギニョルに言われるまでもない。俺は今度こそハイエースを発進させた。


 何の成果も得られぬまま、俺達は橋頭堡を後にした。

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