13定まった敵


 突っ立っている俺の肩に、ユエが触れる。


「ねえ、騎士くん。怪我無かったの、一体どうしたの?」


 流煌は、完全にキズアトのものになったんじゃないのか。

 あの涙は何なんだ。俺を撃てなかった、撃たなかったのか。


 あの紛争から7年経つんだ。

 俺は断罪者で、あいつはキズアトのハーレムズの一員。

 殺人及び不正発砲、断罪事件が十数件、立派な断罪法違反者だ。


 今さら元に戻ったとして、遅過ぎる。

 何も、してやれないじゃないか。


 状況を忘れて立ち尽くした俺は、ユエの存在すら上の空だった。

 ただ、呆然と呟くように答えた。


「……何でも、ない」


「嘘だよ!」


 声を荒げたユエに、びくりとした俺。

 外見だけは、年下の少年である俺に配慮したのか。


 SAAとP220で幾多の罪人を葬ってきた、小さな両手。細く頼りない手が、俺の手を包んだ。


「怖いんだもん、騎士くん、凄い顔してるから。どんな悪い人、見たときより……」


 目の前で2度も暗殺を見せられて、なお。ポート・キャンプでは、仕留めるつもりで銃撃して、それでもなお。

 俺は流煌を、ハーレムズのフィクスをまだ想っていたらしい。


 シクル・クナイブとキズアト達、断罪者としての活動中にもかかわらず。

 今ごちゃごちゃに吹き荒れているのは、俺個人の勝手な感情だ。


「あの、フィクスの事なの? 騎士くん、吸血鬼と悪魔によく怒ってるけど、もしかしてあのフィクスって……」


 吸血鬼、チャーム、黒髪、アグロス人、俺の怒り。

 すべてがつながったのだろう、表情の変わるユエの肩を、乱暴につかんでしまう。


「忘れろッ!」


 おびえ、表情の強張るユエ。火に巻かれたヒマワリの様に、しぼんでいく。

 俺の方が、大人のはずなのに。絞り出すように、言葉が漏れる。


「頼むよ、頼むから……俺もお前も、断罪者だろ。あいつは、ハーレムズのフィクスなんだ。今さら俺を撃たなかったところで、涙なんか流してたところで、ヴィレと遊佐を、ほかにもたくさん人を殺した、凶悪犯だぞ」


 ユエが顔を上げる。瞳の中に、底抜けの善良さが透けて見えた。


「でもっ。騎士くんの……大事な、ひと、なんだよね。お姉さんとか、妹とか」


 伏し目がちに、こちらの様子をうかがう様な口調。

 卑屈な雰囲気に、いらだってまくし立ててしまう。


「恋人だよ。高校卒業したら、どうなるか分からなかったけど、ずっと一緒に居るつもりだった。バンギアと混ざったりなんかしなけりゃ、こんな世界に放り込まれなけりゃ、もう少し続くはずだったんだ! キズアトが、マロホシが、バンギアの奴らさえ仕掛けて来なかったら」


 煮えたぎるマグマのような、俺の本音。

 何となく察しているだろうと思い、ギニョル以外には、ずっと黙っていた事。

 よりによって、ユエにまともにぶつけてしまった。


「……騎士、くん」


 悲しげな顔、沈んだ表情。

 落胆と思うのは、俺のうぬぼれだろうか。


 自分が嫌になり、視線を外した先。燃える幹の脇に、一瞬緑色が動いた気がした。


 敵だ。今は断罪の途中だ。

 ユエから逃げるようにM97を構え、装填されたショットシェルを放った。


 距離10メートル弱、マントとローブを鮮血に染めて、ハイエルフが倒れ伏す。


 後ろからも銃声がした。

 俺に背を向け、SAAを腰だめに構えたユエは、さっきまでと同じ人間とは思えない。


 胸から頭に鉛玉を食らい、事切れたハイエルフが火の中に倒れた。

 ファニングショットで6連発を撃ち尽くしたのだ。速度と狙いの釣り合った見事な腕前、銃さえ持てば、感情の揺れも消えてしまうのがユエ。


 俺に背を向けたまま、SAAをリロードする。

 撃鉄をハーフコックし、シリンダーカバーを開けて空薬莢を落とすと、ロングコルト弾をひとつずつ込め直しながら、つぶやくように言う。


「騎士くんの言う通りだよ。今は断罪の途中だし、もういい。変な事聞いてごめんね」


 まるで自分を落ち着かせようとしているみたいだ。カバーを閉じ、撃鉄を寝かせ、ホルスターに収める音が、火事の中でもやけに小気味よく響く。


「……いや、俺の方こそ、怒鳴ってすまん」


 それ以上、かける言葉は見つからない。

 空気を変えようとしているのか、使い魔のねずみを取り出す。


「ギニョル、ハイエルフを、もう2人倒したよ。そっちはどう?」


 返答が聞こえない。さすがにもう、さっきの事に構っていられない。

 ユエの手のひらで、ねずみは口をもぐもぐさせるばかりだ。目はいつもと同じ、ただのねずみのそれだ。


「光ってねえな、魔力が出てないぜ」


「そうなの? でも上は安全だよ、ちょっと時間が経っただけなのに、そんなに状況が」


 爆発音の様な雷鳴で、ユエの言葉が遮られた。


「……ご、ごめん」


 俺の肩にしがみつき、震えているユエ。少し背は高いものの、細い肩や小さな背中は、紛れも無い、まだ少女。銃や爆弾は平気でも、雷には慣れていないのか。


 改めて、こんな少女に当たり散らした自分が情けない。

 姿は16でも、俺は23の大人だ。


 見上げれば、黒い雲が島を覆い、雨が降り出した。ぽつぽつ、なんてものじゃない、燃え移った炎をかきけすほどに、叩きつけるように降っている。


「どうなってやがる、いきなり雨なんて」


 雷が鳴り続け、雨がますます勢いを増す。あちこちで煙が上がり始めた。あれだけばら撒かれたナパームの山火事が、鎮火し始めているらしい。

 だが島の外に広がる海の上は、全く雨が降ってる様子がない。直径1キロ程度のこの島の上だけ、都合よく積乱雲が出て土砂降りになっている。


「……まずい、これ現象魔法の雨だよ、騎士くん! 紛争中に見たことある」


 道理で変な降り方をするわけだ。山火事を防ぐために、ハイエルフがやったのだろう。

 

 だが半径一キロ程度とはいえ、天候をここまで変化させる現象魔法など、そう簡単に使えるだろうか。今までに見た現象魔法から考えると、数十分は詠唱に集中しなければならないだろう。森が燃え始めてから、まだ一時間にもならないし、広間をもぬけの殻にして全員で迎撃に出ているはず。


 いや、そういえばフリスベルは、フェイロンドとレグリムを確認していない。キズアト達や、俺たち断罪者には、部下を当たらせ、時間をかせぎ、奴らのどちらかが豪雨の現象魔法を使う。


 仮説だが、つじつまが合う。


 みしみし、ずずず、という聞き覚えのある音が、山の上から聞こえて来る。しかも今度は複数だ。見上げれば、わずかに火の残る斜面を踏み分け、大木がこっちに近づいてくる。


「樹化したハイエルフだ、ここはやべえぞ」


「下へ降りよう、囲まれちゃうよ」


 ユエと俺は慌てて斜面を下る。

 だが、ほどなく道が途切れてしまった。


 岩や道の終点ではない。ここは島なのだ。斜面を下り切れば、切り立った崖と海が、道を阻むのは当然だ。


 3本の木が、三方から焼け跡の斜面にたたずむ。動きはそれほど早くないが、地面に根を張り移動する奴らは、足元の地形に制限が無い。

 高威力の現象魔法が来るかと思えば、一本の木が梢を腕の様に使い、頭に茂った葉を揺さぶり始めた。

 他のやつらも同様に、繰り返し始める。


 何をしてるんだ。葉でも落とすつもりか、それとも葉を食べる虫でも払って――。


 虫だと、まさか。


 葉から落ちて来るのは、一匹が人間の半分ほどの大きさの細長い甲虫だ。


 落ちて来るなり羽を広げて、こっちに飛びかかって来やがる。


「くそっ!」


 悪態をついて、M97を一発。散弾で胴体を吹き飛ばした。が、まだ10匹はこちらに来ている。

 飛びかかって来る奴に銃剣を振り下ろしたら、剣先を顎で止めやがった。


「ちくしょうがっ!」


 蹴りつけて弾き飛ばし、フォアエンドを引いて、顔面にスラッグ弾を叩きこむ。頭が潰れても、まだ体が動いてやがる、虫らしく神経節が分かれてやがるのか。


 虫たちは周囲を飛び回り、俺達の隙を探っている。ユエは俺と背中合わせになり、主にP220を使って、飛び回る奴らを撃ち落としていく。SAAはリロードに時間がかかるのだろう。装弾数も少ない。


「騎士くん、これハイエルフが捕虜を処分するときに使う虫だよ。森を焼いたり、自然を汚した敵は、生きたままこの虫に食べさせて、森にあがなわせるんだ」


 木の化け物は、不気味な笑みを浮かべながら、葉を揺さぶることを止めない。虫がどんどん増えてやがる。


「森を焼いたのは俺たちじゃねえぞ……!」


 愚痴りながら、残りの散弾を連射、3匹やった所で、弾が切れやがった。かかってくる虫の胴に、銃剣を突き立て、そのままえぐり飛ばす。

 ユエの銃がうなり、6匹がいっぺんに吹っ飛ぶ。見事なファニングショットだが、虫はまだまだかかってくる。


 噛みつく顎を銃身で留め、銃床で胴体を打ち、銃剣で首を飛ばす。甲殻の継ぎ目は意外ともろいが、いくら殺しても勢いが止まらない。


「このまま、なぶり殺しかよ……っ!」


「せめてギニョル達と合流できれば……!」


 この感じだと、山上の広間こそ狙われているに違いない。通信する暇がないくらいならいいんだが、沈黙させられたのかも知れない。


 悪い予感は的中したのか。三体の樹の梢に、魔力の光が見える。

 虫を放ちながら、詠唱してやがった。


『ランブ、オグ、フリース』


 しゃがれた声の呪文が重なる。俺たちの頭上で降ってくる雨が急速に固まり、小さいアパートほどの巨大な氷塊が形成されていく。


 ユエがP220を構え、マガジンの残弾を叩きこむが、砕けるはずがない。俺もリロードして撃ってみたが、欠片が少々散っただけ。まるで質量弾だ。こんなものを破壊するには迫撃砲が要る。


 ぶっ潰される、そう思ったときだ。


「ユエ、騎士、かがめ!」


 伏せた俺達の背後、がけ下からスレインと二匹のドラゴンピープルが飛び上がる。

 三体が吐き出す、強烈な火炎放射。豪雨をものともしない炎の柱が、魔法の氷塊をものの数秒で蒸発させた。


「飛んでください、お早く!」


 青と紫のドラゴンピープルに促され、俺とユエは崖を飛び降り、2匹の背中につかまった。

 追いすがってくる虫に、クレールがM1を射撃して追い払い、どうにか雨の外へと逃れることができた。


 魔法はいつまで続くのだろう。島全体が煙るほどの豪雨の中、樹化したハイエルフがのしのし歩いてやがる。


 見える範囲の斜面だけでも、20くらいは居る。一体だけでも、葉の中に何匹あの虫を飼い、どれほどの現象魔法を扱うのか。おまけにタフさは折り紙付きだ。


 樹化したハイエルフが目指しているのは、山上の広場だ。やはりあそこに、ギニョル達が取り残されてしまっているのだろう。銃火器と弾薬はある程度あるが、こんな奴らに取り囲まれたら、陥落も時間の問題だ。


「私達は助かったけど、どうしよう。このままじゃギニョル達がやられちゃう」


「樹化したエルフにあれほど群がられては、ひとたまりも無い。早く援護しよう」


「待てクレール。それがし達では、いずれ共倒れになってしまう」


 冷静なだけに、冷酷にも聞こえるスレインの一言。クレールが角をつかんだ。


「誇り高き赤鱗のドラゴンピープルが、仲間を見捨てるのか!」


「そうは言っていない。落ち着いて、島の海岸を見ろ」


 言われて、クレールが双眼鏡を使う。

 俺も目を凝らしてみたが、暗闇と大雨のせいで、全然見えない。何がどうなっているのだろうか。


「……フリスベルだ。なぜ、あいつ一人だけが」


「またギニョルの策かも知れん。考えあってのことだろう」


 あいつ一人を残して、ガドゥと共に、樹化したエルフの群れを引きつける。

 何かあるに違いない。


 持ってきた弾薬を全て使い、俺たち7人が全力を尽くしても、あいつら全員はとても倒しきれない。

 こんな状況、本当に抜ける策はあるのか。


 いずれにしろ、フリスベルを再び救出しなければ。


 雨の中に、かすかにノイズが聞こえる。

 ボディに灯火のついた、ヘリの編隊が島を離れていく。

 行先はポート・ノゾミか。キズアトの勢力は、流煌を回収して離脱を決め込んでいる。装備を固めたあいつらでも、樹化したエルフには不利と踏んだか。

 俺達を倒すチャンスでもあるが、もうハイエルフに関わりたくないのだろう。森を焼いて多少キズアトの溜飲も下がったか。


 同じように逃げられたら楽だが。

 あいにくと俺達も仲間は見捨てられない。


 シクル・クナイブとの戦いは、これからが本番。

 当面、流煌のことを考えなくていいのも少しだけ、ありがたかった。

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