9憎悪

 兵士の右目に光が戻る。唇を震わせながら、途切れ途切れに言葉を漏らす。


「よ、せ……それは、その、き、おくは……」


 意識が戻りかけている。魔法に抵抗しているのだ。

 よほど大事な何かを見られているのだろう。

 だが吸血鬼にそんな抵抗は空しい。


 獲物の最後のもがきを楽しむように、クレールは微笑む。


「素晴らしい記憶をありがとう、人間。僕もお前に慈悲をかけたくなった。会えもしない、愛するものを背負ったままで、生きていくのは辛いだろう。どうせお前の汚れた手じゃ、妻と娘は抱けないんだ」


 まさか。フリスベルが察してその肩をつかむ。


「だ、駄目です、クレールさん」


「クレール、止すのじゃ! 不要な消去は断罪法に」


「お前はお前の大切なものを、忘れた方が幸せだ」


 銀色の魔力が、凍り付くような視線をたどっていく。

 ゆっくりと伸びる魔力の波、あれを浴びたら頭から消されるのだ。


 最も、大切な思い出が。


 俺はクレールを殴りつけていた。

 バランスを崩してそのまま倒れ込む。


 犬歯をむき出し、赤い瞳で俺をにらむクレール。持っていた9ミリ拳銃の銃口が、俺の横腹に突き立っている。


 一方の俺は、懐に忍ばせていた銀のナイフをクレールの腹にあてがった。

 このひと突きで灰に還せる。バンギアに存在しない銀は、こいつら吸血鬼の強烈な弱点だ。


 俺達の目には、俺達以外は映っていない。

 誰が何を言っているかも、全く分からない。


 ののしり合う言葉さえ、ない。

 だが、どんな魔法もなく互いの思考は完全に把握していた。


 目の前の奴を生かしておけない。


 こいつは吸血鬼。俺から全てを奪った吸血鬼。

 そして俺は人間、クレールから全てを奪った人間。


 突如、俺は首根っこをつかまれ、空中に引きずりあげられた。

 岩に抱きしめられているかと思ったら、スレインの鱗だった。


 周囲の状況が分かってくる。

 撃ってでも止めるつもりだったのだろう、SAAとP220で、俺達に狙いをつけているユエ。

 その左手にしがみつき、青白い顔で震えているフリスベル。

 AKを構えて険しい顔で俺達を見守るガドゥ。

 俺を引きはがしたスレイン。

 そして、山羊顔の悪魔の姿で、クレールを羽交い絞めにしたギニョル。


 状況が分かって、俺の憎悪はようやく言葉になった。


「放しやがれッ! こいつは吸血鬼だ! 人の思い出を奪うクソ野郎だ! ぶっ殺す、ぶっ殺してやる!」


 竜の鱗で傷つくことも気にならない。ナイフを振り回す俺に、スレインが吠えた。


「黙れ! 騎士、貴様、仲間に向かって、自分が何を言った分かっているのか!」


 少しびびったが、まだ燃え上がった気持ちは消えない。

 俺がナイフをにぎってにらみつけると、唾を吐き捨てんばかりの表情で、クレールも答えた。


「無駄だよ、スレイン。こいつは人間だ。寿命も短く、感情が激しく、行動も愚かしい人間だ。僕とキズアトの奴の区別もつかない、愚か者さ」


 牙を剥き出した冷笑は、俺に七年前を思い出させた。

 再びもがこうとしたが、スレインは脚の傷口をつかみやがった。

 怒りをもくじく激痛が、頭のてっぺんまで通り抜けていく。さすがに動けない。


 ギニョルが目を剥き、瘴気を吐きながらクレールを怒鳴りつけた。


「口を慎め! 不要な記憶消去は断罪法に反するのだぞ。お前はわしらに断罪されたいのか」


「放せギニョル、悪魔のくせに人間の味方をするなっ! 殺そうというんじゃない。僕なりの慈悲じゃない……うぐっ」


 不要に回るクソガキの舌を、伸びて来たつるがふさぐ。


 ギニョルがつかむまでもない。クレールは地面から伸びたツタに、全身をぐるぐるにされてしまった。


 現象魔法を発動したのはフリスベルだった。

 ぐすっと鼻をすすり、泣きそうな顔ながら、杖はしっかり光っている。


「酷い、です……クレールさん、騎士さんのこと、知ってて、そんなこと言うなんて、鬼です、悪魔です、吸血鬼、です」


 目に涙を貯めながら、杖をにぎってクレールを見上げる。


「悲しいことが、一杯あったから、仲良くしなきゃ、だめなんですよ。人間さんをいじめたら、人間さんに復讐されます。悲しいことを、止めるのが断罪者なのに、私達が憎み合ってたら、誰がこんなの、止めるんですか」


 渾身の説教の最中だが、呪文なしで発動された魔法は加減が効かない。

 激しく締め上げられ、白目を剥き始めたクレール。


 俺はナイフを投げ捨て、ため息を吐いた。


 フリスベルの年齢は三百歳を超える。だが見た目は10歳ちょっとの女の子だ。本気で泣きながら止められると、さすがに気持ちも鈍る。


「フリスベル、分かったからそのへんでやめろ。死んじまうよ」


「あ、ああ、ごめんなさいごめんなさい!」


 ツタが地面に引き込まれた。解放されて落下し、背中を打ったクレールは、さんざんにせき込み、うめく。

 だが、やがて意識を取り戻すと、銃を放り出してフリスベルに詰め寄る。


「おいフリスベル、何が吸血鬼だ! 当たり前だろうが。大体、言ってることが矛盾してる! お前こそ僕を殺そうとしたじゃないか! 僕が悲しみの根源だとでも言いたいのか、次の戦いで、お前だけもう守ってやらないからな」


「ひっ……す、すいません」


 怒ってはいるが、それは殺されかけたからだ。吸血鬼独特の冷たく陰湿な感情じゃない。今のクレールは、年のわりに御しやすいただのガキに戻っている。


 ユエが銃を納め、真顔でたずねた。


「あれ、クレール君、もう断罪者やめるんじゃないの?」


「馬鹿を言うな! この僕、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッドの名誉に賭けて、こいつらのような輩は、残らず断罪してやる! いつか僕の父を撃った奴にだって、法の重みを噛み締めさせるつもりだ!」


 そう言いきって胸を張るクレール。

 勢いだけで風を切る肩に、女の姿に戻ったギニョルの手が置かれる。


「……ならば、必要のない兵士の記憶を消している場合ではあるまい。騎士が止めねば、お前からマントを剥いで、魔錠をかけねばならなかった」


 事態の重みに気づいたらしく、うつむいたクレール。

 ギニョルはたしなめるように、ゆっくりといった。


「蝕心魔法は、吸血鬼のたしなみ。人の心を操ることほど、楽しい事はないのも分かる。なれど、勝手な行使は許されん。ましてお前は断罪者じゃ。年若くとも相応の自覚は持て。止めてくれた騎士に感謝せい」


「ぐっ……下僕半め」


 いつものひとにらみをくれたが、こいつはもう、クレールだ。

 殺す気なんて、とても起きない。


 ギニョルの目は、スレインの腕から降ろされた俺にも注がれる。


「騎士よ……」


 俺は視線を落とした。夕陽の残痕が、わずかにナイフの刃を光らせる。


 あれから七年経つ。俺はもう断罪者だ。

 なのに、消えない。


 殺意の塊を拾い上げると、鞘にしまうギニョル。俺を見る目には、哀しみと憐みが混じっている。断罪者は全員が、俺に起きたことの全てを知っている。


「とめるつもりで殴ったのではなかろう。このナイフ、今は預かる。お前の発言は見過ごせぬが、おかげでクレールを断罪せずに済んだ」


「……ああ」


「事件処理はわしらで引き受ける。今日はあがれ。明日も、休暇をやる」


 実質的には、活動から外すということだ。


「すまない」


「明けには、わしらが来るまでの、捜査報告書を出してくれ。警戒だけは、怠らぬようにな」


 力なくうなずくと、俺はフリスベルから手当てを受けた。


 麻酔なしの切開はきついが、腕はいい。てき弾の破片をとりのぞき、傷口の消毒をすると包帯を巻いてくれた。

 

 操身魔法を使わなくても、明日には治っているだろう。

 それが俺の身体なのだ。


「みんな、すまなかった。先に、上がるぜ」


 クレールだけは一言も口を利かないが、俺だけガキにはなれない。

 バイクを起こして、現場を後にした。


 訪れた日没を、祝福するかのように。

 ポート・ノゾミのそこかしこの建物に、電灯やネオンが灯り始める。


 今夜は久し振りに、嫌な夢を見そうだ。

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