9浜辺の破片
警察署に到着すると玄関前に雨合羽を着込んだ悪魔や吸血鬼が待っていた。議員達と断罪助手だ。
ハイエースを停車させると、助手たちにガンショップを襲った連中を引き渡す。
ギニョルがトロックにたずねた。
「一体どういうことじゃ。くじら船が危ういということか。あんな船が大嵐で沈むことなどここ数年一度もない。船員たちはこのバンギアの天候は知り尽くしておるはずじゃろう」
トロックがフードを外した。緑色の長い髪が広がる。額には二本の角、男の悪魔だ。
「そのはずなのですが、使い魔での連絡が付かないのです。とにかく事態を把握しなければ。誰かを送りましょうか、島の守りは手薄になるかもしれませんが」
問題はそこだ。朱里のガンショップが襲撃された以上、今夜中に他の場所が襲われることもありうる。島にとどまっている断罪者は、俺とギニョルとユエの三人しかいない。
これ以上、こちらの戦力を削っていいものか。俺たちを分断して倒すことこそが連中の狙いかも知れないのだ。
とはいえ、フリスベルとガドゥとクレールの三人も放っておけない。スレインとドーリグも意識がない状態で海に落ちたらそのまま溺れ死んでしまう。
本当に嵐に襲われているなら、助けが必要だ。
「運の悪いことだな。断罪者よ」
ガンショップを襲った吸血鬼が薄笑いを浮かべたのを、俺は見逃さなかった。
「てめえ! 何か知ってやがるな!」
えりくびをつかんで締め上げたが、相手は薄笑いを崩さない。
「何の証拠が、あるというんだ。偶然、大嵐が起きただけだ。マロホシ様がわざわざ治療してやろうというのに、竜の人を、森に移すと言ったのはお前たちだ。しかも、嵐の中、不要な護衛まで付けて、被害を拡大する……」
「なんだと……!」
「止さぬか騎士よ」
「でもよ、ギニョル」
言われた通りに離してはやったが、こいつの口調と目つき、確実に何かを知っているはずだ。
「クレールくんが居たら、頭を覗けるのにね」
ユエのつぶやきは何度も考えたことだ。断罪法で捜査のために自由な魔法の行使が許されるのは俺たち断罪者だけ。蝕心魔法ならクレールがやらなければならない。
操身魔法で動物に変えて、拷問でもしてやれば吐くかも知れないが、そんな悠長な真似をしている時間が惜しい。
「ギニョル、どうするんだ」
俺とユエ、それに集まった議員団も視線を集中させた。
ギニョルは細い指を唇に当て、眉間にしわを寄せて考え込む。いくら俺たちの長でも、想定外の状況なのだろう。
数秒経って、いよいよ顔を上げようかというとき、雨の中を一台の車が猛然と突き進んできた。泥と水を跳ねながらハイエースのすぐ脇に滑り込む。運転席からびしょ濡れのスーツ姿の男が飛び出してきた。
「断罪者は居るか、助けが欲しいんだ!」
山本だった。高級なスーツはそのまま、泥はねや雨の跡があちこちについているが、なりふり構わずここまで来たらしい。
「どうしたんだ一体」
「ポート・キャンプで強盗だ。私の子供たちが捕まっているんだ。断罪者を呼べと要求された!」
この雨でほとんどの使い魔が役に立たないから、山本を足に使ったのか。
ここに来てまだ新しい事件。ただでさえ断罪者が減っているというのに。
「これはこれは。次から次と忙しいな」
再び薄笑いをうかべた吸血鬼。俺はもう一度その胸倉をつかんだ。
「何をするんだ、私に暴力を振るう法律上の必要性があるのか。この島に弁護士が居れば、お前を訴えてやるところだぞ、下僕は」
俺の拳が吸血鬼の言葉を中断する。びちゃびちゃにぬれた地面に倒れた体をもう一度引きずり上げる。胸ポケットから銀のナイフを取り出し、頬に突き付けた。
「てめえらの狙いはなんだ、命が惜しけりゃとっとと言え」
刃先が触れた部分が煙を上げている。これで貫けば灰になって即死だが、吸血鬼は恐怖を浮かべない。
「……天候の責めを、我々に負わされても困るな。現象魔法で操ることはできない」
くそったれが。これ以上は無駄か。こいつは、俺が刺せないのを分かっている。抵抗できない者を殺していい法などないのだ。
「騎士、そのあたりでよいじゃろう。連れて行ってくれ」
助手たちが今度こそガンショップの襲撃犯を警察署内へ連行していく。俺の行動は憂さ晴らしにすらならなかった。
ギニョルにはある程度のやり方がつかめたらしい。冷静な口調で命令する。
「ユエ、騎士。ハイエースにありったけの銃器と弾薬を積み込め。てき弾銃とM2重機関銃も忘れるな」
どういう命令だ。人質を取られているとはいえ、今のところ相手はただの強盗犯に過ぎない。
「私が使うライフルだけでいいんじゃない?」
ユエの狙撃もクレールに負けず劣らずの腕前だ。普通に人質を取った強盗くらいならどうにでもなる。
だがギニョルは命令を変えない。
「今に分かる。トロック、警察署で連絡係を頼む。使い魔を借りるぞ。何かあったら連絡しろ。いちいちここに戻るのは面倒じゃ」
出ずっぱりになるってことか。まだ数時間あるこの夜の間に、強盗事件が解決しないってことなのか。
トロックの方は何かを察した様子だ。議員団の中にもうなずいている奴が居る。
数分でハイエースに強力な重火器を積み込み終わり、俺たちは再び出発した。
結果から言ってギニョルの命令は正しかった。ポート・キャンプで三人の強盗がユエの狙撃に葬られた直後、トロックの使い魔が次の事件を伝えてきたのだ。
狙われたのは主人であるクレールの居ない屋敷の島。三台の船が乗り付け、銃火器で武装した悪魔と吸血鬼が下僕や奴隷を連れて攻撃してきたという。
すぐさま漁船に重火器を積み込んで島に向かい、クレールの使用人たちに三人の犠牲を出しながらも、火力で鎮圧した。
ところがその直後、また事件の知らせが起こる。今度はホープ・ストリートで娼婦を人質にした立てこもりだ。
ほかにも島のあちこちで四件もの無意味な爆破や強盗事件が起こり、俺たちはその対処に一晩中引きずり回されることになった。
それぞれは相互の連絡でもあるみたいに島の離れた場所で巻き起こり、ギニョルの言うようにいちいち警察署に戻って装備を整えていては対処できなかっただろう。
どの事件も首謀者は悪魔や吸血鬼だった。下僕や奴隷と共に起こしており、饗宴で派手に死ぬことが目的のバルゴ・ブルヌスが復活を遂げたかのような暴れぶりだ。
長命な種族らしいおごりや、命を惜しむ様子など微塵も感じさせない。俺たちを島に引き付けるためだけに事件を起こしているのは間違いがない。
ギニョルはこのことを読み取っていたのだろう。だからハイエースにありったけの銃火器を積ませたのだ。
ガンショップの襲撃を口火とした連続する事件は、俺たちを一晩島に張り付けるためだったのだ。
修羅のような夜が明けると、嵐もなぜか収まって、ポート・ノゾミらしいあっけらかんとした青空が戻ってきた。
だがクレール達からの連絡はない。ギニョルとユエが事件処理に島に残り、俺はドラゴンピープルの議員の背中でくじら船が遭難したとおぼしき海域に向かった。
ポート・ノゾミからバンギア大陸のゲーツタウンまでは、北方向のほぼ直線航路だ。人工島が転移した海域は東西を張り出した大陸に囲まれた内海になっている。水深もそれほど深くなく、荒れることもめったにない。
そのはずだったのだが。
島を後にした俺は言葉を失った。
嵐の痕跡が航路のあちこちに浮かぶ小さな島々に残されている。
森や山にはなぎ倒された木々が目立つ。大雨の影響で山のあちこちが崩れて赤茶色の土が覗いていた。崖崩れがそのまま海に注ぎ込み、海域を黄土色に染めている島まである。
懐の無線が鳴る。ボタンを押すと男の声が尋ねた。
『上空から船は見えるか?』
はるか後方、パイロットシップに乗っているのはフリスベルの恋人で元空てい部隊長の狭山だ。シクル・クナイブの事件で共に離反した部下たちも来てくれた。
昨夜連続した事件のときに警察署に訪れて協力を申し出てくれたのだ。フリスベルの行方が知れないと聞いて、一も二もなく捜索を志願してくれた。
俺は双眼鏡で辺りを見回す。夜間の漁に出て遭難したらしい小さな船はいくつか見えるが、くじら船の本体は見当たらない。海図上ではもうすぐゲーツタウンが目視できるくらいなのだが。
ボタンを押して回答を送る。
『遭難した漁船五隻発見。座標を送る。くじら船はまだ発見……』
言いかけて見つける。航路からはるか東にずれたあたり、小さな島の脇に木材らしきものがある。
『東北東、距離約二十キロ。島に木材らしい破片あり』
『了解、確認後、針路を指示してくれ』
狭山達に遭難した漁船の海図上の座標を送ると、ドラゴンピープルに指示してくじら船らしきものに向かって進む。
近づくにつれ、俺は唇を噛んだ。
木材がくじら船だということがはっきりしたからだ。しかも船首の番号からしてスレインとドーリグを積んでいたのと同じくじら船だ。
残骸は砂浜の入江に打ち上げられている。
タンカーを模した円柱状の頑丈な船体はものの見事に真ん中から裂けていた。海域を見下ろすと遠浅なうえにごつごつとした岩が目立っている。船は嵐によって大きく航路を外れ、喫水より浅いこの海域まで流されたうえ、座礁したのだろう。
身動きのとれぬまま、数時間にわたって高い波と激しい嵐によって揺らされ、岩盤でこすられた船底に亀裂が入り、とうとう真っ二つに裂けてしまった。
船首部分も船尾部分も大きく横に傾いている。甲板に居たはずのスレインとドーリグの姿はない。あの大嵐の中、クレーンで吊らなければ移動できないほどの巨体を誰が支えられただろうか。
二人は意識を失ったまま、嵐の海に放り出された可能性がある。
それでもこの辺りは浅いから、浜に流れ着いているかもしれない。島を一周し、他の島の岸部も探したが、それらしき姿は見つからなかった。
再びくじら船を見つめるが、外から見る限り、人の気配はない。乗組員はどうなったのだろう。フリスベルは、ガドゥは、クレールはドラゴンピープルが乗せていたはずだから、どこかに避難していないのか。
無線が鳴った。そういえばずいぶん応答していない。ボタンを押す。
『騎士、状況を報告してくれ』
冷静な声だ。さすがは元空てい部隊長。俺は息を一つ吐いて答えた。
『くじら船を発見した。座標の位置だ。船首番号から捜索中の船に間違いない。座礁、損壊している。乗組員、警護の断罪者は共にまだ発見できない』
ボタンを押すとしばらく回答がない。空しいほど青い空に、ドラゴンピープルの羽音だけが響く中、再びコールがあった。
『……すぐに向かう。捜索を続けてくれ』
噛み締めるような声だった。断罪者は誰も発見できていない。
もし、四人を同時に失うことになったら。
血の気が引くのを感じる。あれほどの腕の断罪者が四人も同時に失われたら、もうGSUMに挑むどころではない。しかも弾丸と魔法の雨をくぐってきた名うての四人が、嵐という単なる自然現象の前にひざを突いたというのか。
ギニョル達にどう報告すればいい。俺はドラゴンピープルの硬い鱗に拳を叩きつけた。
「断罪者よ、心を乱すな。捜索しよう」
「……すまない」
こんな結末が、あってたまるものか。
波と風はあざ笑うように、いつも通りの穏やかさを保っていた。
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