25ある悪魔の契約


 事件の幕引きは、山本にとって満足のいくものだったに違いない。


 俺達が体験した、マロホシと日ノ本の癒着。警察の捜査範囲を操り、瀬名たちの犯行を助け、紅村達の動きを封じたこと。


 それを、日ノ本で他言しないことを条件として、山本の首は無事つながったのだ。


 瀬名とドマ、それに更紗と陽美は銀の弾丸で灰となって消え、容疑者の存在しない二十一人の殺人は、それぞれ別の行方不明事件として処理された。俺達断罪者としても、島の外での断罪事件では動けないし、なにより犯人は灰となって消えてしまっている。


 紅村達と戦ったマロホシの下僕は、二人が射殺、三人が捕縛された。だが、こいつらは裁かれることもなく、日ノ本の政策に基づいて島への隔離、つまりGSUMに送り返された。島や境界での事件を起こしたわけでもないため、俺達断罪者も罪を問えない。


 マロホシもまた、この送還措置により、島へと戻された。


 あいつにとって今回の事件は、実験サンプルと数人の下僕を失っただけのことだろう。キズアトとは違って、下僕を大事にしているわけでもないから、精神的なショックもないはずだ。しかもこちらでの行動は、一切断罪法に触れていない。


 俺達は何もしていないのだろうか。


 いや、少なくとも瀬名たちがこれ以上、人の命を食らうことを止めたのだ。

 俺達、ノゾミの断罪者にできるのは、そこまでだ。


 紅村と梨亜、それにギニョルが、黒く大きな墓石の前で手を合わせている。

 墓石には、『ポート・ノゾミ特殊警察殉職の碑』とだけ彫ってあった。


 手前の立て札には、四年前の紛争中、島の秩序を維持するために警察活動を行い、殉職した警官の墓だと書いてある。何をしてどう死んだのかは分からないが、共同墓地の真ん中にあるからには、それなりの重みがあるのだろう。俺達が持ってきた花の他にも、真新しい供え物がちらほらと見える。


 ここは三呂の街の北側の山々にある共同墓地だ。道路沿いのゆるやかな斜面を切り開き、芝生を植えて、墓石を置いて周囲を柵で囲った少々変わった外見の墓場。


 墓地というが、印象は明るい。


 頭上には晴れた空が広がり、木々の合間から三呂の街が見下ろせた。街の向こうにはポート・ノゾミへと続く三呂大橋の赤いトラスがある。青く煙る水平線には、ポート・ノゾミのくじら船よりはるかに大きいタンカーが行き、上ってくる南風がギニョルの髪を穏やかになびかせていた。


 日差しに目を細めながら、クレールが呟く。


「なあ騎士、あの写真はもしかして……」


「多分、そうだろうな」


 ここへ来る前、ギニョルの机で見た古い写真。人間の姿ではしゃいでいたギニョルと、警官らしき若者たちの姿。


 悪魔だと信じられないほど、真剣に祈っていたギニョルが顔を上げた。


「騎士、その花をくれ」


「ああ、供えるのか」


「そうじゃな」


 俺から花束を受け取ったギニョルは、石碑ではなく隣の小さな墓石の前にしゃがむ。


 石には名前が彫られていなかった。かわりに、無味乾燥な6ケタの番号と、S.P.というアルファベットが彫られていた。


 ギニョルは花を墓の前に置くと、しゃがみこんで、火傷の残る手でその表面をなぞる。


「……五年ほど前に、あほうな傭兵がおってな。アグロスのあらゆる戦場をまわり、幾度も殺し合いをし、汚い真似を何度もやったが、腕は確かじゃった」


 あの、若白髪の男だろうか。とすると、この墓はその男のものか。

 ギニョルは目を細めて、指先で番号をなぞっている。


「そやつが、日ノ本から依頼を受けた。二つの世界が入り混じる狂った島で、警察を再び始めるという依頼じゃった。形式はポート・ノゾミ特殊警察」


 それが特警。だが、紛争が終わったのは二年前。五年前はまだ、紛争中だ。


「依頼の通り、そやつは真面目に法を守って警察をやった。自衛軍やGSUMの前身が跋扈する島で、罪を犯した者を、真正直に手続きを守り、逮捕していった」


 正気とは思えない。日ノ本のち密な法は、国の力が強いからこそ実行できる。ポート・ノゾミ断罪法は、日ノ本の刑事法と比べればめちゃくちゃに等しいが、そこがあの島のぎりぎり妥協ラインなのだ。


「無論、うまくいくはずもなかった。吹けば飛ぶ紙切れのように、特警は自衛軍やGSUMの前身や、バルゴ・ブルヌスの前身にこてんぱんにやられて、多くの者が死んだ。その傭兵も……死んでしもうた」


 自嘲的な言葉で、悲しみを誤魔化しているかのように。ギニョルの手は自らの顔を覆っていた。


「……もっとあほうな悪魔が、おる。あのマロホシのように、実験材料を求めて島に来て、よりにもよって、自衛軍に捕らえられてしもうた」


 紛争中の自衛軍は、今と比べ物にならないほど、無秩序で危険だった。バンギアという未知のものに接して恐怖し、兵士たちの指揮統制も崩れつつあった。


 連中は、日ノ本人の自衛を呪文のように唱えながら、略奪や強姦、殺人、バンギア人の誘拐や売買などを、ほとんどその場の兵士の気分だけで行っていた。


 特にギニョルのような悪魔は、アグロスの人間に危害を加えることも多かった。捕まればどうなるか、想像に難くない。


「法も何もない拷問や凌辱が加えられるところを、法に基づいて踏み込んできた特警に救われ、悪魔は恩義を感じてしもうた。特に、そのあほうな傭兵にな」


 ギニョルがローブの懐から、ウイスキーの瓶を取り出した。ふたを開けると、ゆっくりと墓石に注ぐ。とくとくと、瓶の中に空気が入り、茶色い液体が渇いた石を潤していく。


「魔法を使って特警に協力し、特警から法の精神を学び、あまつさえ、その傭兵とは悪魔の契約まで交わしてしもうた。島に平和をもたらすという、な」


 紅村がギニョルの肩を叩く。梨亜は腕にしがみついた。

 ギニョルは空を仰ぐと、瓶に残ったウイスキーをぐっと流し込む。


 唇を離すと、立ち上がって墓石を見下ろす。


「……あほうなことじゃな、悪魔が平和な秩序を作るなど。だが、やり遂げねばなるまいて。幾年の寿命を費やそうと、悪魔たる本分を冒そうと、自らの意志に基づいて、契約を成してしまったのじゃから」


 俺は口を利けなかった。

 その重みに圧倒されていた。


 悪魔の契約は、重い。ギニョルは、乱れた島に本気で法をもたらそうというのだ。


 あの将軍が率いる自衛軍、マロホシとキズアトが率いるGSUM、狂気じみたフェイロンドの下に集ったシクル・クナイブ。それだけじゃなく、無数のはびこる犯罪と悪人たちに、断罪法をかかげて真っ向から挑もうというのだ。


 悪魔でありながら。いや、悪魔だからこそ、ギニョルは、最も苛烈で冷酷に法と正義を求める断罪者なのだ。


 立ち上がったギニョル。その相貌には、もう迷いはない。


「島に帰るぞ、騎士、クレール。わしも修行が足らんかった。とっくに捨てた悪魔の興味に、流されてしまうところじゃったわ」


 きびすを返し、車へと急ぐ。

 そのコートの中で、銃がかちりと鳴った。


 S&WM37エアウェイト。恐らく、特警時代からの愛銃。


 三呂の、日ノ本の、警官の魂とも呼べるリボルバーだった。

 

 俺もクレールも、ケースに入った自分たちの相棒を握って後に続く。


 ギニョルの目指す契約の履行には、まだまだ、はるかに程遠い。


 お嬢さんと共に歩く、俺達ノゾミの断罪者には、それほど長い休暇は取れない。

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