13蜂起

 ザルアには言葉が見つからないらしい。こんな大それたことになるとは思っていなかったのだろうか。


 苦し気に唇をゆがめながら、つないでいく。


「私は、陛下より領土を賜ったノウゼン伯の長兄なのですよ。他の弟は紛争で失くしましたが。あくまで、自衛軍のごとき外患を追い出したいのであって、なにもアキノ家を滅ぼしたいわけではありません。800年という歴史をもつ我が国に幕を引きたいわけでもないのです」


 それはその通りだろう。蜂起の目的はマヤを助けるために血煙を断罪する隙を作り出すことにある。


 だがユエは目を細めた。


「私達がギニョルから受けたのは、豊田血煙、ヤスハラ伯の断罪だけじゃない。父様の、アキノ12世の断罪もだよ。ザルア、あなたはそれを知ってて私達に協力してるんでしょう」


 アキレス腱を切りつけるように、ユエはまくしたてる。


「私達の暗殺で断罪されれば、父様はもう監獄を出られない。それはこの国を終わらせることでもあるんじゃないの」


 崖の上の王国の貴族であることを、誇りに持っているであろうザルアには、相当にきつい言い方だ。

 拳を握りしめたまま、床板を見下ろす。


「ですが……」


 まだ煮え切らぬザルアに、ユエはホワイトボードを叩いた。


「見たでしょ、この製錬所。税金取って、兵士取って、領地を耕してもらって、その見返りに守ってあげなきゃならない民をこんな目に遭わせて、まず武器だなんて。そんなの絶対おかしい。王族の論理で正しくたって、間違ってると私は思う!」


 あるいは、断罪者としての経験が、ユエにそう言わせるのかも知れない。

 檄したユエへの売り言葉に買い言葉で、ザルアもとうとう叫んだ。


「では、歴史ある王国はどうなるのです。800年という途方もない時間、このバンギアで悪魔や吸血鬼やゴブリンのような邪悪な存在と戦い、我ら人間の希望であり続けた、輝かしい人間の国は! 守ってきた者たちの血は、想いは! よりどころを失った我ら人間はどうすれ、ば……」


 続けながら、声のトーンが下がっていく。

 ザルアは大陸にずっと居る頑迷なだけの貴族ではない。


 ポート・ノゾミという混とんとした島で、二年もの長い間、テーブルズの代表を務めるマヤの下につき、あらゆるものを見てきたのだ。


 ただ人間であること、あるいは悪魔であること、吸血鬼であること、エルフであること、ゴブリンであること――。


 もはやそれは、絶対的な存在意義にはならない。


 ときにかつての関係を引きずりながら、あるいは新しい関係を作り出しながら。

 あの島は、今この瞬間も存続している。


 バンギアとアグロスが交わったそのときから、全ては元のままではあり得ない。

 無論、ザルアの信じてきたバンギアにいる人間としての存在意義も。


 燃え上がるような長い金髪が、秀麗な青い目にしだれかかる。鍛錬に鍛錬を重ね、岩のようになった大きな手で、ザルアは自らの顔の半分を覆う。


「ユエ様。あなたは、なんというお方なのです。王族でありながら、貴族の私になんという役目を背負わせようというのです。マヤさまとても、それほどの決断は……」


 震えるザルアにそっと近づくと、ユエはその肩に触れる。横顔を覗きこみ、ゆっくりと語りかける。


「……私にだって分かるんだ。力だけじゃ、なにも作れない。父さまや兄さまや姉さまの軍隊が強くなったって、みんなが苦しむ根っこは変わらない。血煙を追い出したいなら、この国はもう一度生まれなきゃならない。それには、断罪者じゃなくて、この国のみんなが立ち上がることが必要なはずなんだよ」


 俺達を襲いやがったあの兄妹。バンギア人を奴隷のように扱ってはばからず、王家の全てと分かちがたいほど癒着した自衛軍。


 生まれ変わるべき理由なら、ここまでで腐るほど見た。

 ザルアが顔を上げ、ユエを見つめる。


「私に、それを導けとおっしゃるのですか。まだ陛下の、あなたの父上の任命さえないこの私に」


「だからだよ。家を振りかざして立ったら、また逆戻りになる」


 それも分かっているのだろう。ザルアは頭をかかえるようにうずくまった。


 反乱。流される血、逆賊の汚名、守り、尽くすことが信条であろうザルアにとって必要でも恐ろしいことなのだろう。


 追い込み過ぎたか。だがアキノ王と血煙の断罪の後、自衛軍の残党やユエの兄姉によって血で血を洗う事態になるのを防ぐには、民に支持される者が後釜に収まるのが最も円滑だろう。


 そうだ、それに。俺は思いついたことをそのまま口に出した。


「マヤを救うには、それしかないのかもな。立ち上がったやつが、国中に認められる形で、被害者だったと言ってやるしか」


「騎士、詳しく聞かせろ」


 胸倉をつかまんばかりに身を乗り出してくるザルア。俺は自分の中で整理しながら予想を話した。


「漫然と王とヤスハラを断罪したら、残った連中は国の混乱を二人のせいにするだろう。そしたらマヤは元凶の縁者だ。正義面したい奴にとっては、殺すなり辱めるなりして、自分の正当さを示す道具になるかも知れない」


 いい線行ってるとは思う。アキノ家は親兄妹で骨肉の争いをやる連中だ。ディフェン伯やエルフロック伯が慈悲をかけるとは考えにくい。腐敗した父王やアグロス人と結びついて国を裏切った者としてマヤを誅し、自らの勢力の求心力とするだろう。


「でも、立ち上がって民を率いた人が、悪事を暴いて、島から連れ去られたことを糾弾して、それが民に受け入れられたら」


「マヤ様は命を拾われるというのか。その名誉を、失われないというのか」


 その可能性が、生まれるだろう。


 ザルアは再び机を見つめた。誰も口を利かなかった。ただ、外から宴の喧騒がBGMのように響いてくる。

 シグのいうように、本当に反乱を起こしたなら、命助かって生と解放に浮かれ騒ぐ彼らの一部は付き従うだろう。戦い、何人かは必ず死ぬ。


 背負わねばならないのだ、その命を。


 戦いに赴き、痛みと死を引き受ける覚悟あってこその、貴族なのだから。


 がた、と音を立てて椅子が引かれる。音に驚いたフリスベルが耳をぴくりと動かすのに構わず、ザルアは俺達全員を見渡す。


「決めたぞ、私は……」



 解放された食糧庫からは、初めて全員に十分行きわたる食糧がまわった。干し肉や漬物を適当に入れ、米や肉を放り込み、塩で味付けただけのスープ。だが、元の食事と比べれば雲泥の差だったのだろう。食いすぎて死なない程度に加減しながら、八十三人の労働者が、ヘリポートの中央で食事をとった。


 夕刻、誰かが焚き出した火を囲んで、わずかながらアルコールも回り、今のために生きてきた皆が笑顔を向け合う。


 そのただ中に、ザルアは現れた。


 崖の上の王国の騎士甲冑に、腰に帯びた騎士剣。きらびやかなサーコートを羽織った見事な美丈夫の姿に、ぼろのままの労働者たちは釘付けになった。


 トウモロコシ畑での反抗を知る者も、知らぬ者も、目を離すことができないのだろう。全員の目が十分に集まったのを確かめると、ザルアは口を開いた。


「少しだけ、私の話にお付き合い頂きたい」


 去る者はいない。だが、ザルアの勇姿を直接見ていない殆どの者には、どこかいぶかし気な態度がにじむ。逃げた貴族という認識なのだろう。


「私はザルア・ノウゼン。かつてこの地を領有していたノウゼン伯が第一子だ。わが父は偉大であったが、アグロスとの戦いの際には、鉄の鳥の火で屋敷ごと死んだ。剣を賜った騎士たちは、すべてを捨てて逃げ、あるいは混乱の中に鉄の弾で死んだ。私も這う這うの体で生き延び、マヤ・アキノ様に救って頂いてどうにか生を拾った」


 数人の顔つきが変わってきた。ザルアの半生を身近に感じているのだろう。紛争によって何も失っていない奴など、このバンギアには珍しい。


 引きつけた興味を感動に変えるためか。それともただ感情が檄したのか。ザルアは声を張る。


「だが申し上げたいのはそんなことではない。問題は我が父も部下も、領民であるあなた方を守れなかったことだ。不肖の息子であるわたしが、父と家のものに代わって申し上げる。本当にすまなかった。長子である私が生き残りながら、こんな場所を、こんな真似を、あなた方に許してしまったことを」 


 正装の騎士が農奴や平民に向かって、目の前で頭を下げる。紛争前なら、いや紛争後でも全く見たことの無かった目の前の光景に、群衆たちはざわついた。


「私には、これ以外の言葉は出ない。だが、もう一つ申し上げねばならないことがある」


 謝罪で惹かれた興味が、さらに強まる。誰もが立ち上がり、ザルアの周囲に近づいてくる。


「管理棟を調べたところ、国内にはここと同じ規模の製錬所や、麻薬用の畑、狩り集めたあらゆるバンギア人を保管する施設ががまだ十数か所存在する。想像できるか。数千という我々と同じこの国の民が捕らえられ、あなた方と同じ方法で自衛軍のために働かされているのだ。故郷からは引き離され、満足に風邪も治せぬような食事とわずかなぼろ布だけで、戦火を産む武器と人を狂わす麻薬を作らされている。ただ自衛軍というアグロス人の軍隊のために!」


 管理棟の資料を少しめくっただけでも、出るわ出るわ製錬所に収容所に処刑場と大麻畑。島を通じての人身売買の用意。

 王国が感知せず、断罪者も居ないうえ、日ノ本の監視も一切ないのをいいことに、やりたい放題。あまりにひどすぎて笑いすら出なかった。報国ノ防人の装備や資金力は少々の略奪じゃとても賄いきれないものだったが、その理由が分かった。


「この苦境において、あなた方の多くは、800年の長きにわたり人間の砦であった崖の上の王国に助けを求めるかもしれない。あるいは偉大なる王、アキノ12世に。強く気高き、ディフェン伯に。慈悲深きエルフロック伯に。しかしそれは、虚しいことだ」


 今や崖の上の王国を担うといえる三人を上げて、ザルアは言い切った。


「彼らは、自衛軍の存在を黙認している。関心を払うのは、自らの勢力の強化だけだ。強化後、王国の覇権を握れば苦しむ民のために対策を取るだろう、そうおっしゃる人もあるかも知れない。しかしすでに自衛軍はこの施設と製品を手に、あなた方が求める者たちに巧妙に取り入っている。彼らの助力なしには、鉄と火の軍は維持しえない。どうして軍を弱めるようなことができよう。王も伯爵も、放棄された南部のためには動かない」


 『ではどうすればいいのですか!』と誰かが声を上げた。実はシグの仕込みだが、十分に群衆の心理は代弁できたらしい。


 集まった視線の中、ザルアは騎士剣を腰から抜き、高々と頭上に掲げた。二人斬ったのに刃こぼれひとつない。なかなかの業物なのだろう。先端が光を反射している。

 

 剣をかかげたザルアは、よどみなく言い切った。


「私はこの剣に全ての弱き者と苦しむ者の守護を誓った。ゆえに今、たとえ私一人であってもこの剣の下に戦いたいと思う。だがあえてあなた方に訴えよう。鉄と火と魔法を扱い、同胞を助けるために立つものは居ないか! この私と共に。あるいは、最後まで自衛軍と戦い続けた、硝煙の末姫と共に!」


 ザルアがそう言った途端、暗がりにユエが現れた。その背後には、一人も欠けることなく、整然と隊伍を組んだ特務騎士団の威容が浮かぶ。


 これは賭けだ。魔力不能者でありながら、あまりにも強すぎたユエ達は、一度騎士団を解散させられ、国内から放逐されている。明らかに普通のバンギア人であり、当然のごとく魔法を使う労働者たちに果たして受け入れられるのか。


 そう思ったが、杞憂だった。


 まるで一匹の生き物のように、労働者たちは一斉に立ち上がったのだ。

 疲れ切り、弱り果て、怪我をして立てぬはずの者達までが、声を合わせて叫んだ。


『立て、立て! 我らのために! 同胞のために!』


 指先まで震えてきやがる。

 たった83人。俺達を合わせても100人少々。

 だが確実な希望の灯。


 死地を脱し、なお再び死へと向かう過酷な行軍になるだろう。


 ザルアは剣を掲げたまま、民衆の叫びに自分を重ねていた。


 蜂起が始まるのだ。この国を再び産み直すための血が流れるのだ。


 


 

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