43捉えた標的
ギニョルのような悪魔の得意とする操身魔法は、生物を形成する魔力をねじまげることで、その体を様々に変化させる。
たとえば、角の生えた人間の様な元の姿から、山羊の角と翼をもった怪物に変身することや、全く別の種族に姿を変えることも自在だ。
ほかには、怪我で損傷した者に対して、元の魔力に肉体を合わせること、つまり回復魔法のようにも使える。
マロホシが俺にやったように、容姿を固定して悪魔と同じほどに寿命を伸ばすということも可能なのだ。
ただ、生物を形成する魔力を見極め、自在に操ることはとても難しいらしい。
知識や魔力の判断と操作には、かなりの数の練習を要する。
そのための実験台に、悪魔は他種族をさらって使うのだ。
失敗や成功を繰り返されて魔力の歪んだ実験体は、だんだん元の生物を外れておぞましい存在に変化していく。記憶も理性もなく、ただわずかに自分だったものを求めて食らい、つかの間姿を安定させようとする。
それがなり損ない。悪魔にとっての恥だ。
俺の目の前で木製扉が粉々に砕けた。飛び出してきたのは、いびつな虎と人間が合わさったおぞましい怪物だった。
四足歩行だが首としっぽのない虎。その背中から人間の男の上半身が生え、その顔は虫の蜘蛛のものになっている。背中からは左右それぞれに蜘蛛の脚の様なものが飛びだしていた。
「な、なんだこいつ」
「虎蜘蛛と呼んでいる。あまりしゃべるな、注目されるぞ」
勢いよくでてきた虎蜘蛛は周囲を見回すと、まだ炎の残る階段へ向かう。火をものともせず、あっという間に上っていってしまった。
階上で悲鳴と銃声が響く。俺と同じ国に所属していた自衛軍の兵士達がなり損ないに食い散らかされているのだ。
けたたましい音と共に二階のガラスが割られ、89式と鮮血のついたヘルメットが庭の中央に放り出される。犠牲者のものだろう。直後、爆発音がして天井からぱらぱらと欠片が落ちた。同士討ち覚悟でてき弾を使ったな。
それでも悲鳴や銃声は途切れない。虎蜘蛛はまだ暴れまわっているのだ。
見れば、俺達の背後で奮闘していたガドゥとユエがもうひとつの階段を確保していた。兵士達は階下を目指すどころではなくなったのだろう。
俺とギニョルは二人の方に戻った。
「ユエ、ガドゥ、兵士はどうした」
「……上に向かったよ。もう下りて来ないと思う」
「ちょっと様子見たけど、ひでえありさまだぜ。人間じゃなくてよかった」
「う、ぎゃあああああぁぁっ」
ガドゥの言葉を男の悲鳴がさえぎる。また階上で窓が割れた。今度は引き裂かれたボディアーマーが落下してきた。砲弾やてき弾には無力だが、どんな動物にやられたらあんな状態になるのだろうか。
恐ろしくなった俺は、曲がり角まで走って廊下の先を偵察した。裏庭の部屋がひとつあるきりで、階段はない。突きあたりの扉をくぐれば、将軍のいる玄関ホールに出る。
「とっとと行こうぜ。向こうはもうスレインとフリスベルにかかりきりだ」
コの字のふたの部分からはもう銃撃が来ない。上でもなり損ないが暴れて、援護どころじゃないだろう。
「待て騎士、戻るんだ。その角を曲がるな」
「でもギニョル」
「いいから。少しだけ……」
どおん、という爆発音と共に、俺の眼前を爆風が吹き抜けて行った。見れば、玄関ホールとの境界が吹き飛んでいる。
爆弾が仕込んであったのか。悲鳴となり損ないが暴れまわる音が収まっていた。
「やっぱり玄関にも爆弾が仕込んであったね。ギニョル、ここまで狙ってたんでしょ」
「上の兵士を食い尽くしたら、一番近い餌の場所に向かうってわけか」
あのなり損ないが、なりふり構わずトラップに突っ込んだのか。というか、将軍のいる玄関ホールの入口にトラップを仕掛けていないと思った俺が浅はかだった。
銃声が止んだということは、なり損ないは爆弾で死んだのだろう。物理的な損傷も一応効くから、食い散らかした兵士達に攻撃されたぶんと合わせて耐えきれなかったに違いない。
策がはまったが、ギニョルの表情は曇ったままだ。
法と正義のために立ち向かう断罪者の長がやったことは、何も悪くない人間のなれの果てを自らの目的のために利用して死なせることだった。
細い肩に手を置く。迷ったような瞳をのぞきこむ。
「……俺は何も言わねえぞ。悪魔にとっては、捕まえた人間を、実験の果てに異世界の軍隊と戦わせてトラップで死なせただけだろう。けど、お前がそう思えるような奴じゃないってのは分かってるからな」
「騎士」
「ギニョルらしくないよ。断罪のときに悩むなんて」
「ユエ……」
「これからのことは、違うだろ。おれもお前は怖かったけど、色々分かったから今はそうでもねえんだ」
「ガドゥ。そうか。ここからが正念場じゃ」
うなずいたギニョル。連中は爆弾の効果を確かめに来る。攻撃を仕掛けるならそのときだ。
廊下にはまだ黒煙が立ち込めている。玄関ホールから俺達は見えない。
俺とユエ、ギニョルは廊下を進むと右脇の部屋にそっと入り込んだ。それぞれ銃と銃弾を確かめる。飛び出せば先に撃てる。
ギニョルがハンドサインを出す。兵士はホールに十人。うち三人が廊下と玄関の扉痕に接近している。死体を確かめに来ているのだ。
魔力感知はフリスベルの特権ではない。ここまで近づけば、ギニョルにだってかなりのことが分かる。魔力不能者が分からないことだけは気をつけなければならないんだがな。
ガドゥが廊下の角から半身を出している。AKのセットも完了したか。全員かすかに分かる互いの顔を見てうなずき合う。
俺、ギニョル、ユエが突入、ガドゥは後ろから突っ込みながら援護だ。
ユエが突入の合図を指で作る。三、二、一。
三人同時に駆け出す。黒煙と爆発の残り火が舞う中を走る。
俺とユエが並走する中、目の前の煙の中に音もなく人影が現れた。棒のようなものが俺の喉元めがけて突き出される。
ガギィ、と音を立てて、M97の銃身が銃剣を受け止める。
「貴様ら……!」
すすけた顔に真っ赤な目、間違いなく戦意の高揚した自衛軍の兵士だ。俺のM97は真横、対して突きを繰り出した相手の89式の銃口は俺の胸元。
相手のトリガーに指がかかる瞬間、銃声がした。
ユエがSAAを腰だめに構えている。兵士は頭部を撃ち抜かれて倒れていた。
「……騎士くんは殺させない。断罪者全員の名において、断罪を開始します!」
「ギニョル、続いてくれ!」
俺とユエは黒煙をくぐると、玄関ホールへと踏み込んだ。すでに銃声と銃弾が周囲を打ちたたいている。
玄関ホールはほぼ正方形で左右対称だ。二階と一階に向き合うように扉があり、二階の扉同士は壁に沿って廊下でつながっている。俺達が入ってきた側の扉は、爆弾で廊下ごと吹っ飛んで破壊されている。
俺は廊下を支えていた石柱の影に飛び込んだ。ユエとギニョルもそれぞれ別の石柱を遮兵物として利用する。
ガドゥは扉の穴に小さな身を隠しつつ、AKで敵をけん制し始めた。
敵兵士は九人。爆破されていない向かいの廊下と、石柱に沿って隠れながらこっちを銃撃してくる。
どいつもこいつも同じ迷彩にバトルブーツ、ボディアーマーで将軍か分からない。そう思ったが、ひときわでかい銃声が響く。
向かいの廊下、床から天井を支える石柱の影から、大口径の拳銃を打ってきた。よく見ればヘルメットの下に銀縁の眼鏡が確認できる。
あいつが将軍か。だが驚いたのはそれ以上に銃の威力だ。
「まじかよ……」
石こうとはいえ、幅一メートル近い石柱の残骸が打ち砕かれている。どんな弾丸を使う銃なんだ。
「騎士、気をつけろ。侠志の銃はメリゴンの特注品、弾はデザートイーグルをしのぐ大口径じゃ!」
エアウェイトで撃ち返しながら叫んだギニョル。頑丈なフォークリフトやコンテナを貫く威力のアクションエクスプレス弾より、さらに強力だというのか。
M2並みと考えていいのだろう。とんでもない銃がこの世にあったもんだ。
ユエの早撃ちが一人の兵士の右肩を撃ち抜いた。てき弾を使おうとしている所だった。撃たれていたら石柱ごと吹き飛ばされただろう。
厄介とみたのか、他の敵の銃撃が集中する。89式と9ミリ弾の雨の前に、さすがのユエも隠れたきりだ。
「畜生が!」
一心に銃撃を繰り返す兵士めがけて、俺はスラッグ弾を放った。重たい一粒弾が胸元を打ち抜き、一人の兵士を倒したが、砲火の手は緩まない。
さらに向かいの二階の扉が開く。
「剣将軍、ここはお任せ下さい!」
三人の兵士が、M2と弾薬ケースを携えて現れた。廊下に進むと石柱に隠れて組み立て始める。
ユエの石柱を崩そうとしていた将軍が銃を納めて一階の扉へと退く。こっちはクレールの狙撃を期待したが、ちょうど逃げて行く将軍の向かいの窓が崩れてふさがっていた。砲撃のせいだ。憎い偶然だ。
M2の射撃が整いそうだ。あれを撃たれたらがれきごと吹き飛ばされる。俺はスライドを引きながら、残り三発のバックショットを次々と撃ちかけた。
距離二十メートル。二人の兵士のヘルメットが砕け、肩から血を流したが、まだ動いて準備を進めている。
ユエは相変わらず銃弾の雨で身動きが取れない。ガドゥの斜線は石柱にさえぎられている。
ギニョルは――。
驚いたことに石柱の影から立ち上がった。頭を振って前髪を分けると、赤い瞳が鋭くにらむのは扉へ向かう将軍の背中。グリップを左手で支え、右手で握って両ひじは少し曲げる。撃鉄は親指に引かれ、滑らかにシングル・アクションへとスライドする。
柔らかな二つのふくらみの前に、ウィーバー・スタンスで固定された小さく優雅な銀色の銃身。銃口は震えひとつなく、逃げる将軍に向けられている。
たあん、と軽い音を立てて、逃げる将軍の左ふくらはぎが、38.スペシャル弾に撃ち抜かれた。
「あぐっ!?」
うめきながら転んだ将軍の右足の裏に続けてもう一発。完全に足を殺された将軍は倒れたまま身動きが取れない。撤退は防いだ。
だがM2の準備も終わった。口径12.7ミリ。悪魔の姿であろうと、ギニョルなど、がれきごとミンチにする銃機関銃の照準がしっかりと向けられる。
「ギニョル!」
ユエの悲鳴。だがその瞬間、庭側の窓から突っ込んできた火球が、窓を割って銃架を直撃する。射撃寸前で火だるまになった兵士達は、もだえながら黒焦げになってこと切れていった。
「そこまでだ! 武器を捨てろ!」
裏庭側の壁が、扉ごと切り崩された。
長大な戦斧を手にしたスレインとその背に乗ったフリスベル。断罪者の最大戦力がいつかの様に俺達の前に姿を現した。
「くそっ」
倒れた将軍が拳銃を抜こうとするのを、フリスベルは見逃さない。
ベスト・ポケットの正確な射撃で、指ごと銃を弾き飛ばす。
銃撃が途切れたときをねらって、ユエが9ミリ拳銃とSAAをうならせる。正確な弾丸の乱舞に三人が両手を封じられた。
ガドゥの乱射も一人を仕留める。
残りの二人は、武器を捨てて両手を上げた。
俺はため息をついた。戦闘が可能な兵士はもう一人も居ない。
信じられないことだが、散々俺達を悩ませたあの将軍こと剣侠志二等兵が、とうとう俺達の断罪を受けることになる様だ。
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